たったひとつの感情だけで生きることが出来たら、この世界はなんて楽になるだろう



あまり知っているものは多くないが、常日頃から京介はそんなことを考えていた。しかしたとえ知っていたとしても、京介が本気で言っているとは思わなかっただろう。



たったひとつ、一番気持ち良い感情だけで満足できたら、どんなに幸せだろう



京介はもちろん、その考えが馬鹿げていることを知っていた。そして、そんな馬鹿げた思考に捕らわれてしまいそうな、自分の弱さも。
その弱さは、無二といえるほど大切な仲間を得ることで、如実に現れ始める。










遊星の絶対的な頭脳。ジャックの目を逸らす事が出来ないほどのカリスマ性。そしてクロウの、鋼鉄のように強固で風のように柔軟な心。
そんな3人より少し多く年をとっていた京介にはすぐにわかった。今はまだ、自分の経験の方が勝っている。だからこそ皆はリーダーと呼び慕ってくけているけれど。近い未来、彼らは悟るだろう、鬼柳京介という男がどれほどちっぽけで、つまらない人間か。自分達がどれほど優れ、人の助力などなくともひとりで立っていられるか。
まるで神に選ばれたかのような3人は、日々確実に京介から安息を奪い、焦燥に駆られ呼吸すら困難になっていく。それなのに、炎に見入った蛾のように、身を焦がされるとわかっているのに、離れることは不可能で。
この頃だ、京介が遊びと称してクロウを抱いたのは。





少しずつ手繰り寄せ、警戒をゆっくり解いていき、嫌悪を浮かべる前に一気に攻める。京介はかなりの時間をかけて、慎重に慎重にことを進めた。
けして自分の焦燥を悟られぬよう。戯れに告げる『愛してる』の言葉には、心がないことを気付かれぬよう。そしてクロウにも、自分を愛する心がないことを気付かぬよう。
これは京介最後の砦であり、最後になるだろう悪足掻きだった。

たったひとつだけの真実

京介はそれだけを、クロウに望む。そしてその日から、ひっそりとゆっくりとカウントが始まった。
一度も失敗なく守り続けられる約束など、あるわけがない。しかも約束の内容は、感情に大きく左右されるもの。
絶対に終わりは来る。
京介は思うのだ、どちらにしろいつか、自分は壊れてしまうだろう。チームがある限り。ならば、最後は自分が望む方法で…そう願うことは利己的な凡人らしい考えではないだろうか。しかも終わりを告げるのは、あの意志強固なクロウ。
クロウはきっと、その強すぎる意志で自分のことを覚えていてくれる。偽ることなく、真実を真実として。
京介にとってそれは、身が震えるほど嬉しいことだった。
しかし真実として覚え続けることは、長くなればなるほど苦痛を従うだろう。だからこそ京介は、クロウの記憶に無駄な愛や信頼などの要素が残らないように、さらに慎重さを増す。
少しでも苦しむことなく、少しでも長く記憶し続けてくれるよう。





調子に乗んなよ、俺はひとりで生きていける





崩壊の始まり。築き上げた王国は一瞬で瓦礫に変わり、廃墟の王に皆が見切りをつけ始めた。
最初にクロウが出て行った…京介はこの事実に、クツと笑う。
思った通り、クロウの中には愛情も信頼も残らない。クロウが苦しまずにすむならば、もう安心だ。
そうして京介は、最後の最後に一番憎む相手を、最初にいなくなったクロウではなく遊星にすり返る。支えてくれる人が傍にいる、優しい遊星に。
最後の我が儘、最後の救いだった。壊れてしまった自分には、憎む相手が必要だったから。
たとえ何をされたって、クロウを憎み続けることなんて不可能だ。それを、わかっていたから。










死の淵に立ち思う。
痛み、苦しみ、憎しみ、恐怖。それら全てを一度清算し、また生まれ変わる。その生ある最後くらい。
京介はチリチリと身を焦がす憎悪の隙間から、たったひとつの純粋な感情をそっと取り出す。
情が湧く、無駄な記憶が追加してしまう、クロウを困らせてしまう。
だからこそ隠し通した感情を、京介は満足げに抱きしめた。



たったひとつの感情だけで生きることが出来たら、この世界はなんて楽になるだろう



思い続けていた答えが今出た。
憎しみだけ
それだけを感じ生まれ変わるのは、ひどく楽だ。全て人のせいにできるのだから。



たったひとつ、一番気持ち良い感情だけで満足できたら、どんなに幸せだろう



なあ、クロウ
「愛してる、ずっと」
嘘を嫌う素振りで隠し続けてきた真実。
言いたかった。戯れなんかじゃなく、心の底から出した言葉で。
伝えたかったんだ、利己的でも利用なんかでもなくて、ただその強い心に触れたくて。
焦がれて、焦がれて。
泣き出しそうなほどの幸福感を、余すところなく全身を駆け巡る高揚を。たったひとつの言葉に乗せて。
「ずっと…」
それはもう、叶わぬ願いと知っていたから。
生まれ変わった自分がろくでもない人間になることなんて、誰よりもよく知っていたから。
小さく笑った京介の傍に、ひたひたと闇が近づいていた。



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