「怪我、したんだって?」
気まずそうな京介が言った第一声は、クロウにとって心からどうでもいい事だった。
肋骨の一本や二本、あの戦いの苦痛に比べたらたいした事じゃない。
「こんなとこ登ってきて平気なのか?」
こんなとこ。
B地区の中心、つい先日まで鉄パイプが突き刺さっていた瓦礫の上。
クロウにとっての、小さな小さな瓦礫の王国。
大切だった。
京介にすら奪われたくない、それは聖域だった。
過去形にしたって、もう心は痛まないけれど。
でも。
ひとつだけ痛む。
いや、悔しい?
それとも後悔?
最初で最後
そう言って告げた言葉を、京介は覚えていないだろう。
それを考えるとクロウは、とても複雑だ。あのときの記憶が蘇ればいいとは思わない。しかし一生に一度と決めてしまった言葉を、もう一度言うにはどうも意地が勝るではないか。
嘘はつきたくないけれど、黙秘権を使うには一方的すぎて。
「マーカー」
「増えたな」
多分、考えすぎていて、クロウは目の前にいる京介を睨んでいた。にも関わらず、京介は不思議そうな顔で、クロウをマジマジと眺める。
悩んでいるのが馬鹿らしくなるくらい、あっけなく。
クロウは唐突に思い出した。
京介は。内情なんて全然表に出さないで、空気なんて読まない素振りもまやかしで、本当は孤独で弱虫なのに絶対にそれを悟らせなかった。ダークシグナー化した京介を嫌というほど知っているクロウですら、一瞬見誤るほどに。
心底呆れた。
今ここに、どんな取り繕うことがあるっていうんだ?
「お兄ちゃん」
お兄ちゃん、だ。お兄ちゃん。よりによってお兄ちゃん!京介が!
どんだけ暴露した?
“クロウがいなきゃ息もできない”
“寂しくて辛くて、怖くてしかたない”
“慰めてくれ、甘やかしてくれ、誰でもないお前が”
憎しみにすら打ち勝った想いなんて、どんだけ好きだったんだ俺
「って呼んでもいいんだぜ?」
当然京介は、意味がわからないという顔をする。お前が言ったんだ、お前が。
「鬼柳、京介ぇ?」
一歩、踏み出した。
もう警戒しなくてもいい。意識的に意識外におかなくていい。それがあの戦い以上に辛かったことなんて、もう忘れられる。
お前がいるなら。
「なんか俺に、言いたいことがあるんじゃねぇですか?」
実はビビリでへたれで寂しがり屋でくそどうしようもない奴で、外面だけは神業の器用貧乏。
鉄壁の守りを使う場所は、今この場では間違ってやいませんか?
散々言われた愛の言葉は、もう無効なんですかね。
もう一歩。
京介の足が下がりかけ、それでも押し留まった気配が伝わってきた。なのに顔は相変わらず惚けていて、もうどんだけ鉄仮面?
「俺も言いてぇことがあんだけど、優先権は昔からお前にあるもんで」
もう一歩。あと三歩で真正面。
クロウはくいと、口の端を上げて見せた。
伊達に数年多く揉まれてない。もうだまされる事もなければ、見ないフリなんて芸当も放棄する。生憎嘘はつかないと誓ったんだ、鬼柳京介って名前の馬鹿野郎に。
「今回だけは言い逃げを許してやる。だから言っとかねぇ?一言ですむんだぜ?」
わかってるさ。もうこの場所に、京介が必要なものはないって。
京介を必要とするものもないって。
それは限りなく自由で、今の京介にとっては最っ高に幸せな事。
最後に俺を探したって事を褒めてやりたいくらいだ。
あと二歩。
そこで京介は笑った。
ビックリするほど上手な笑顔だった。上手すぎて京介の顔じゃないみたいで、だからこそそれが本物だってことがわかる。
そんな笑顔だ。
「次はないってこと?」
するりと長い指が頬に触れた。
いつの間にか二歩の距離はあと半歩。
「次はもう絶対逃がしてくれないってこと?」
温かみのある白い指が、マーカーひとつひとつをなぞった。
クロウがそれだけで泣きそうになる事を、京介は知らないけれど。
「なにそれ、どんだけすげぇご褒美?」
もう、大丈夫だ。
無意識に入っていた力が、すとんと抜けた気がした。
クロウは、この場に及んで今だ信じられないでいた事に気付いて、小さく苦笑する。
「特大だな、俺にとっちゃシロッコを一枚トレードするくらいの最高級譲歩だ」
「シロッコ?知らねぇ…そりゃ俺の護封剣破り捨てるレベルか?」
「アームズつけてやってもいい、でもアーマードは駄目だな」
「俺もスキル・ドレインは一枚たりとも無理だ、けど死者蘇生なら後悔しないぜ?」
「お前が後悔しないでどうすんだよ」
クツクツと、2人分の笑みが重なった。
もう大丈夫。
「つか…お前になら、俺のデッキ全部かけてもいいくらいだけど」
ほら、な?
今のこの呟きは、正真正銘だろ。
「……俺は、ずっと」
5→
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