1 Kiryu&KATANA(en)
初めてZ1000とすれ違ったのは、去年のGW。
違う、正確には、オレンジのラインが入った黒いライダースーツを着たZ1000乗りに、だ。
Z1000はさほど珍しいバイクではない。けれど、基本的に乗り手よりもバイクに目がいく自分が、唯一覚えているライダー。
初めて出会った時、俺は漸く相棒とも信頼関係が出来てきて、バイクが心底楽しいと思い始めた時期。
免許を取ったと同時に店長(当時はバイク屋でアルバイトをしていた。今では社員だ)から譲り受けた刀は、あまりにもじゃじゃ馬で初心者には梃子摺るバイクだった。
店長とふたり、カスタマイズしてはテストライディングを繰り返し、見た目のシャープさとは裏腹に喧嘩っ早い彼女(見た目は優雅で女性的だから、俺はいつも彼女と呼ぶ)を宥めて甘やかし、可愛がるだけ可愛がってやるときはやる。
そうやって築き上げた信頼関係の下、何回目かのロングツーリングで少々浮かれていたのは否めない。普段はライダー同士が暗黙の了解で交わす、すれ違いざまの挨拶。それすら煩わしいと思っていた自分が、けれどその時は意識的に手を挙げさせた相手。
見渡す限り何もない、時たま防風林があるだけの農道。けれど道は確りしていて、様々な方面に赴く時の分岐点となる小さな町へ続く道。
近場で一番好きなその道を走っているときに、反対側から走ってきたZ1000。
曇りひとつない新車に乗り、教本に載りそうなほど慎ましい走りをするライダーだった。赤と見紛う程(というか、見た目はどう考えても赤だ)濃いオレンジが所々に入っている以外は真っ黒なバイク。小柄な身体を包むオレンジの入った繋ぎのライダースーツに、フルフェイスのヘルメット。バイクに乗っているというより乗られている姿は如何にも初心者で、可愛いなと微笑ましく思ったのは確か。
けれど、次にそのライダーが取った行動に、俺は目を奪われた。
徐々に近づいて行くうちに、まるで何かを悩むように減速しだしたZ1000と、まるで勇気を振り絞ったように、見えるか見えないかの微かな動きで上がった手。
ぴょっと、そんな音が出そうなほどに一瞬だけ上がったそれは、直にまた戻ってしまったけれど。
何あれ可愛い
思うほどには、こちらはすれ違うまで確りと手を上げて見せる程には、可愛かった。
ぴょって何、ぴょって。
行動の可愛らしさとか、Z1000に埋もれそうなほど小柄な身体とか。女性だろうか、顔も体系もわからないライダースーツとヘルメットに、少しだけ残念に思った。
そう、残念に思った。他のライダーとつるむ事を嫌い、いつもひとりでツーリングを楽しんでいるはずの自分が。
自分の思考がわからない…そんな事を思いながらのロングツーリングを終え、帰り道。また同じ場所で偶然にも前方から走ってきたZ1000に、咄嗟に、そしてあからさまに手を振ったその行動原理もわからない。
ただ、手を振られたZ1000乗りは、またぴょっと。正確には、ぴょぴょっと手を振り返した。それだけで言い知れぬ幸福感に浸れたのは確か。
そして、夏。お盆休みのロングツーリング。そこでも矢張り同じ場所、同じタイミングで前方から走ってきたZ1000。走りに慣れが感じられ、でも相変わらずのライダースーツとフルフェイスのヘルメット。こちらは普段着ているシルバーのライダースーツを荷物に押し込み、長袖のTシャツ一枚でも暑いというのに。
少し残念に思ったのは何故だろう。けれどはっきりと挙げた手に、今度は相手もはっきりと手を挙げ。その状態でぴょぴょっと手を振った仕草に、向こうも多分自分を覚えているのだろう事がわかり、また感じた幸福感。それと同時に意識し始めた、運命という言葉。
同じ場所、同じタイミングで3回。すれ違うなど、滅多にある事ではない。その思いは帰りの4回目で、確信近くまで変っていた。
そして今、6回目が訪れようとしている。
5回目、GWのロングツーリングで、行きにすれ違ったZ1000。あいも変わらずのライダースーツとヘルメット。先に手を挙げた相手は、すれ違いざま少しだけ顔をこちらに向けていた。これはもう確実に、覚えられているのだろう。
その時点で、6回目があれば後を追う、そう強く決めての6回目。同じ場所、同じタイミングですれ違った相手は、5回目よりも少し長くこちらを見ていたように感じる。相手もまた、意識しているというのなら…例えこれが運命じゃなかったとしても、運命だと無理矢理開き直っていいはずだ。
ブレーキをかけ、少々強引に刀を方向転換させる。相棒は少し不機嫌に嫌な音を立てたけれど、帰ったら徹底的にメンテナンスをすると宥め、そして言い聞かせる。
「Z1000の起爆力はとんでもねぇけど…お前なら、やらかしてくれるよな?」
刀は確かに古い。融通が利かなくて、我慢のし通しで、でも。走る姿は一閃だ、どのバイクにも負けないと信じている。そんな思いでエンジンをふかせば、ご機嫌に返って来る反応。
追いついてみせるに決まってるじゃない
まるでそう言われているようで。頼もしい彼女の反応に全てを託し、俺は思いっきり発進させた。
さほど時間は経っていない。色々な事に目を瞑り出せるだけのスピードでカーブを曲がって、また直線…の前に目に付いた、パーキングエリア。
数台の車とトラックが止まっていて、何台かのバイク。その中に、Z1000の姿を見つけた。不満げな相棒を慌てて減速させ、強引にパーキングエリアに滑り込む。
その時点で、少しだけ落胆した事は内緒。
ずっと勝手に女性だと思っていた相手は今、ライダースーツの上を脱ぎ、腰に巻いて。ヘルメットもバイクに引っ掛け、そのオレンジの髪を風に靡かせていて。
どう考えても、男性だ。たとえ丸みを帯びた頬が可愛くても、大きな目がぱちりとこちらを見る姿が可愛くても、少し驚いたその表情が好みでも…修正、同性でも気にならないくらい可愛い。文句なく可愛い。
さて、何と声をかけよう
そんな事を思い、ヘルメットの奥で笑みを浮かべてしまった口元を慌てて戻し。ゆっくりとZ1000の横に刀を止めた俺は、ヘルメットを取って見せた。
2--Crow&Z1000(KO-MU)
やっと手に入れた憧れのバイクに乗って、初めて泊りがけでのツーリングに出ることを決めた、ゴールデンウィーク。
でもおれがそこで出会ったのは、印象的な銀色だった。
おれに相棒ができたのは、18になってすぐのことだ。誕生日と同時に大型二輪免許を取得しにいって、ストレートで手に入れた免許を手に出来るように必死に学校に通った甲斐のある、おれを引きつけてやまない相棒。
まずは深みのある黒がおれの視界を奪う、最新型の大型二輪。ごついフォルムを夕焼けより強いメタリックな朱が引きしめる、憧れの車体。おれが憧れたのはこれよりも古い型ではあったけど、こいつだって申し分なくいかしてる。いや、こいつの方がいかしてる。
Z1000。ガツンと主張してくるパーツが組みあげたこの車体は、デカさだけで圧倒するんじゃない、独特の迫力を秘めている。
何だ、ダイノなんとか。
違う、ダイナミック、それだ。
そいつを連れて、おれは何度も開いた地図を手に、おれはとうとう泊りがけでツーリングの旅に出た。口うるさい義理の母親、マーサに言われて買ったライダースーツは上下繋がって全身を覆うタイプで、通気性はいいらしいが暑そうだ。腕に入った蛍光のオレンジラインも見慣れれば悪くない気がする。着心地もいい。カラーを合わせたグローブをはめて、ずっと使っていたメットを被る。
よし、と気合を入れ直し、おれはようやくやってきてくれた相棒に跨った。
早朝から出たもんだから、バイクどころか、車ともさほどすれ違わなかった。郊外の道に出て、ようやく一台、バイクが走ってくる。だんだん近づくのはたぶん、大型。どこかの雑誌に載ってたような車体だったから、きっと有名で高いバイクだ。かあっと自分が高揚するのが分かって、おれは咄嗟に減速した。きっと相棒は呆れてる。こういうときは、片手を上げて挨拶。ツーリングの常識だ。やったことねえけど、やっていいはずだ。
一瞬で思考は走るがグリップを握る手はなかなか離れない。汗までかいてる。通り過ぎちまう、銀の車体に白銀のヘルメット、銀色のジャケットを着たバイク乗り。高そうでめんどくさそうなバイクにのってるから、きっとベテラン。
ぐるぐると考えていたら、取りあえず手は持ち上がった。ギリギリ、すれ違う前。相手はほんの少しの間の後、慣れた様子で手を上げて答えてくれた。おれが手を下ろしても、すれ違うまでずっと。フルフェイスのメットの奥は見えなかったが、唇はほんの少し上がっていたと思う。小馬鹿にしたでもなく、おつかれさん、そう言ってる感じ。
あ、これでいいのか。
そう思ったらほっとした。通り過ぎる瞬間、水色の、尻尾みたいに結んだ髪を視線でギリギリまで追う。「ありがとな」、つい投げかけた言葉はきっと聞こえてなかったろうけど。
宿は素泊まりの安い宿。飯はコンビニと、たまに名物。ゆっくりした時間はなかったが、いつもの何十倍も走った。それだけでいいと思えるほど、楽しかった。
楽しかった、けど。それを塗りつぶしているのが、あのバイク。そう、カスタマイズはされていたけれど、刀とか名前のついたやつに乗った男。
帰り道、なぜかまたすれ違って。あまりにも自然に手を振ってくれた。覚えていてくれてたんじゃないかって気になって、おれもつい手を振っていた。ぎこちなくてカッコ悪かったと思う。でもそいつはちゃんと見届けてくれた。嬉しくて、やっぱりまた通り過ぎてから、こっそり笑った。
二度も会うなんてすげえよな。流石に人違いだったかもしれねえよな。
だけど、なあ。
その年の夏、見覚えのある刀に乗った、水色の髪のバイク乗りと手を振り合うことになったら、出来過ぎだとも人違いだとも笑えねえだろ。それもまた、行きも帰りもすれ違ったらよ。
これで今年もすれ違ったら、すげえってレベルすら越えるな。
そんな空想しながら走りだしたゴールデンウィーク、同じ道。
すげえってレベルを、おれは今越えてきた。
振り返って確認するのはちょっと危うい、だからまたギリギリまで視線で追いかけた。ちょうど車も走っていたので、止まるわけにもいかなかったし。
でもこれで帰り、またすれ違ったら?
おれは一度頭を振って加速する。ない。いくらなんでも。ないはずだ、だけど。
もし、すれ違ったら?
帰り道はもう、頭がそれでいっぱいだった。だから、本当にすれ違ってまた挨拶を交わした後、混乱しきってしまったおれはひとまずすぐ傍のパーキングエリアに駐車した。
心臓が早く鳴ってる。出来過ぎた偶然を楽しんでる。ヘルメットを外して相棒に預け、汗のにじんだ肌を風に当てるべくライダースーツの上部分だけを乱暴に脱いで、腰で縛る。腕と首筋がひんやりして気持ちよかった。
ちらと相棒を見やって、車がちらほら通る車道を見て。
「……行けるか?」
相棒に問いかけてみる。
今から走って、あの刀に追いつけるか?
きらとミラーが光を反射した。お前次第だと余裕を見せられてる気がして、おれはもう一度車道側に眼をやる。
そして、動けなくなった。
勢いを殺しきれずにパーキングエリアに滑り込んできた銀色の車体。一閃。刀だ。長袖のシャツ。フルフェイスのヘルメット。光を反射して、妙に目立つ一台と一人。走ってくる。ちょっとずつ減速して、こっち、に、くる。
静かに止まった刀は、間違いなくおれの相棒の横にあった。乗っていたのは細身の男で、ヘルメットを取った姿はあまりにもしっくりきすぎていて驚いた。ますます眼を丸くしたおれは相当間抜けだったはずだ、でも、相手は何も言わない。
水色の髪に白い肌。金色の目はつりがちで、テレビに出ていてもおかしくなさそうなきれいな顔した男。歳はそんなに遠くないと思う。刀に乗った男の顔を、六度目のすれ違いにしてやっと見たのに、おれには感動も何もなかった。覚えていてくれていたことは嬉しかったけど。
あ、やっぱりな。
ただ、そう思った。そのくらい単純に、おれはそいつを見上げていたんだ。
3 Kiryu&Crow (en)
「初めまして…じゃねえな、去年からすれ違ってたし、俺ら。あまりにもタイミング同じで、耐えられなくなって追いかけちまった。突然話しかけてごめん」
ヘルメットを取ってゴムを解き、煩わしい髪を後ろに撫で付けて。言えば、ぶんぶんと首を振る。ついでに両手も振る。だから、その仕草が可愛いんだ、女性と間違っても仕方ないじゃないか。
「俺も去年から、覚えてます!追いかけようか悩んでここ入っちまったくらいだから、全然気にしなくていいっすよ!」
元気な声。ニコニコと屈託なく笑うその笑顔。
くそ、可愛いな!ぴょっ、も相俟って何だか小動物みたいだ。ごついバイクに乗っているからそう見えるだけで、実際はそんなに背が低いわけではないだろうけれど。
…平均身長的には
「俺鬼柳京介、お前は?」
なるべく上から見下げないよう、刀に寄りかかる。こんな気遣い滅多にしないのに、なんだか調子が狂う。けれどそんな自分が面白いとも思ってしまうから、もう末期なのだろう。
「クロウ・ホーガンです!」
クロウ、クロウ。
やばい、本当にやばい。名前を噛み締めるとか、どれだけだ自分。
気を落ち着かせるため、とりあえず共通の趣味であるバイクの話をした。Z1000を褒めれば途端にキラキラと輝く目と、より速くするための軽いカスタマイズ談義を食い入るように聞く姿。
これは完璧に嵌ったと自覚する。バイク…正確には刀以外で、こんなにあっさりと嵌れるものなんてないと思っていたのに。
切欠が欲しい、もっと近くなるための切欠。そんな思いで、近くまで来たら寄ってくれと渡した店の名刺は、思いの外効果的だった。
「これ…俺隣町に住んでるんすよ!ちょっと走ればすぐっす、近いうちに絶対行きますね!」
ロングツーリングに出る前と帰って来た時に、クロウは必ず育ての親の所に顔を出すよう言い聞かせられているようだ。実際はすぐ傍に住んでいて、いつもすれ違っていたのは育ての親の所に寄った後か前だかららしい。
けれどこれは嬉しい誤算。
意気揚々と携帯の情報を交換し、名残惜しいと思いながらも別れてから。それでもヘルメットの中、笑み崩れる暇がない事を俺は自覚していた。クロウは言ったらちゃんと実行する、真っ直ぐなタイプだと思う。だから本当に近いうちにまた会える、それが嬉しくて仕方がなかった。
帰ってくるなり顔を合わせた店長が、クツクツと笑っていた。珍しい事だ。
「何、ルドガー」
不審に思って問えば、今度は口元を手で隠される。必死で馬鹿笑いを堪えています、な姿は本当に珍しい。
「っ…いや、お前がわざわざ休日に友達のバイクを引き取って、タンデムで家まで送った上直に作業をしに戻ってくるなんて、どんな天変地異が起こるかと思ってな」
言われてみればその通りで、けして協調性があるとは言いがたい自分のそんな行動を、付き合いの長い店長が笑うのも頷ける。けれどそれを流せない程度には気を許しているから。
「しょうがねぇだろ…クロウとロンツー初めてなんだから、少しでも早く万全にしてやりてぇの」
今だ笑い続ける店長の背を叩き、手伝えと無言の圧力をかける。そうすれば、わかったというように手を振って椅子から立ち上がった店長は、まだ笑っていた。笑っていようがからかってこようが、店長のカスタマイズセンスは抜群で仕事が早い。バイクに関してこれほど頼りになる相手はいないとこっそり思っている。
「クロウは速さを追求しているんだったな…爆弾を仕込むぞ」
「…刀で対抗出来る程度にしようぜ」
「情けない事を言うな、刀をカスタムしたのは誰だ?それを乗りこなしているのは誰だ?」
…本当に心強い。
クロウは本当に有言実行で、直に店に顔を出してくれた。周辺の町も含め、商品の品数とマニアックさにかけては負けないと自負する店、探し当てるのは簡単だっただろう。
「値段もそれなりって話だから、つい敬遠しちゃってたんすけど。これだけ揃ってれば言う事ないっすよ!」
店内を見て回った後屈託なく笑いながらそう言ったクロウに、店長も好印象を受けたらしい。更に、免許を取ってからまだ1年だというから学生かと思えば、立派に社会人だという。
育ての親に無理をさせて学校に行くよりは、自分で稼ぎながらバイクを維持したい。それだけ好きなんだと言われれば、ライダーで落とせない相手はいないのではないだろうか。整備の方は取り扱っていないと、滅多に動いてくれない店長を動かすくらいには、クロウは素直で実直だったということ。
まあそれに上乗せして、カスタマイズするたびにテストライディングだと俺がクロウを連れ出し、Z1000の後ろをぴったりと走っていたら勘の鋭い店長は気付くだろう。だから余計店長は、クロウを可愛がってくれる。
つるむ事をしなかった俺が、自発的に一緒に走る。それはただの友達じゃないって事。最低でも、俺の気持ちは。
絶対に言わないけれど、店長のそういうところには一生頭が上がらないだろう。
「クロウ、お盆休み幼馴染だかにロンツー誘われたんだってさ」
手を動かしながらも、先ほど聞いた話を店長に告げれば、聞いているという合図にスパナを上げられた。作業に入ってしまったら酷く無口だ。でもまあそれは、いつも通りだから気にしない。
「俺との予定の方が先に決まってたからって断ったらしいけど…マジで空気読めって話だと思わねぇ?」
自分でも少しおかしな事を言っている自覚はある。同性で恋人面もない、そもそも告ってもいないのに。
けれどすんなり出た言葉に、店長はただ笑うだけ。
「お前と走っている方が楽しいと思わせるものを仕上げれば、横槍など気にならなくなるだろう?」
何でもない事のように言い切るから。口の端が勝手に上がる、強気な姿勢は大好きだ。
一瞬空気と交わったかのような無重力状態になる。息をすることすら必要ないと思わせるような、何もかもをすり抜けて行ける所まで…そんな無の状態を、クロウに体験させてやりたい。それをさせてやれるのは俺だけだ、そう信じているから。
「…当然だろ」
ひとつ、強く言い切った。
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