それは吾郎、15歳の誕生日の夜のことだった。
満月がそれは美しく辺りを照らしており、上昇して行くにつれて海が明るくなっていくのが感じられて、吾郎はワクワクしてきた。
昼間も水面へ出た事があったのならそれほど驚くような事ではなかったが、吾郎にとって水面へ出る事はこの日の夜が、生まれて初めてのことだった。
人魚の国の掟として、15歳の夜までは海面へ出て地上を見る事を固く禁じられていたからである。
吾郎は15歳になるのが待ち遠しくて仕方がなかった。
そしてそれは、ようやくやってきたのだ。

夜ならば、いつもは暗い海の底。
月明かりが届く場所でも、ここまで明るい事はない。
水面がキラキラ輝いている。
きっとあそこへ行けば素晴らしい事が待っている。
今まで見た事もないような、想像もできないような素晴らしい事が。

ほら、水面はあと少し。
あと10m・・・あと5m・・・あと・・・・30cmで手がそこに届く!

パシャ・・・。

穏やかな海の海面に、吾郎の顔が飛び出した。
初めて見た、地上の世界。
初めて感じる、水のない世界。

「これが地上・・・・。」

夜空には満天の星。
そして大きく美しく輝く満月。

「なんて綺麗に輝いてるんだ・・・。」

吾郎は生まれて初めて月を仰いだ。
遠くには「陸地」がデコボコと見えて、そこからは星のように点々と灯りが見えた。
そして吾郎から少し離れた辺りに大きな「船」が浮かんでいた。

「あれが「船」か。」

その船は動く様子がなかった。
マストをすっかりたたんで、ただ、そこ浮いていた。
吾郎は好奇心を抑える事が出来ずに、そちらへ向けて泳いでいった。
近づくにつれて音楽が聞こえてきた。
船上をきらびやかに飾る灯りも人々の楽しそうな声も。

「人間を見ることが出来る!」

興奮しながらも、ある程度の距離まで船に近づいてからは潜って水中を泳いでいった。
そして月明かりで船の影になる部分から、再び吾郎は顔を出した。
船の上には沢山の人間がいるように見えたが、その位置からでは逆光で良く見えなかった。
吾郎はいささか大胆かとも思ったが好奇心には逆らえず、船の反対側へ回って、今度はゆっくりと頭から目までだけ水面に出して船上を伺った。

「おお!今度は良く見えるぜ!」

船の上ではパーティでも開かれているようで、ダンスを踊っているようだった。
女性のドレスが色とりどりで美しかった。
でも重そうだな・・とも吾郎は思った。
服だけじゃなく、頭にもあんなに飾りをつけてよく動けるな、とも。

暫く人間達の踊りに目を奪われていたが、だんだん全体を観察できるまでに吾郎は冷静になっていった。
楽しそうにダンスを踊る者達、給仕をする者、船上で何かしらの仕事をしている者、それぞれいる事に気付いた。

「そういえば、地上でも「王族」や「貴族」があるって聞いたな。そうすると踊ってるのが貴族以上の者で働いてるのは・・・。」

そんな事を思いながら観察していた吾郎の目に、船の先端でただ水面を眺めている青年に気付いた。
その青年の身なりは周りを見た限りでは立派な部類に入るように見えたので、恐らくは貴族のご子息といった所だろうか。
船べりに肘をついて、何か考え事をしているように見えた。
歳は・・・吾郎と同じくらいであろうか。

「へえ・・・。」

吾郎はまじまじと、その青年の観察を始めた。

「可愛い顔。女じゃねーよな。髪、短いし。」

なぜ、彼は踊らないのだろう。
皆、楽しそうに踊っているのに。

「海なんか眺めてたって、なんにもありゃしないぜ?」

それにしても、この青年の瞳。
なんて綺麗なんだろう。
月光と、あの緑色の瞳が、本当に綺麗だ・・・・。

と、その時。
吾郎の脳裏にビジョンが映った。

  戦場?
  あ、戦ってるの、こいつだ。
  なかなか強いんだ、こいつ。
  あれ・・・?
  ちょ、ちょっと待った!!
  早く!後ろ!!

  あ・・・・・・・。


それは勇敢に戦う、その青年の姿。
次々と敵を倒していく。
しかし気付かぬうちに背後をとられ、背中から剣をつきたてられて・・・そして倒れる・・・死・・・・。

「あ・・・・・。」

吾郎はハッ・・・と我に返った。

「今の・・・・。」

吾郎は確信した。
これはこの青年の近い未来。
吾郎には予知能力があった。
人魚にはそういう不思議な能力を持った者が少なくない。
吾郎の能力はまだまだだ、とよく大人達にからかわれてきたが、今のは間違いなく・・・この青年の未来だと・・・・思った。
胸の内が凍りつくように・・・そう、思った。



吾郎はそのまま、静かに海に身を沈めた。
そして深く、深く・・・ある場所へ向かって泳いでいった。

どういう訳か、この時吾郎には思考は存在しなかった。
あの月光に緑色に光る、美しい瞳をただ、想った。
あの瞳に魅せられたその時、そしてこの青年の未来を知ってしまったその時、体が勝手に動いた。


向かった先は魔術師が住む場所。
そう言うと不気味はイメージを持たれがちだが、その魔術師が住む場所は珊瑚や海草が美しく、また魚達も行き交う、吾郎の知る限りでも最も美しい場所の一つだった。
その魔術師が大変な乙女チック趣味なのだ。
家自体も、まるで御伽噺に出てくるような可愛い家で、家の中も可愛らしい小物に溢れていた。
並べられたビンには一つ一つにレースをかぶせリボンが巻いてあり、普通の乙女の部屋ならばその中にはお菓子やアクセサリーが入っていたりするのだろうが、さすがにこの点だけは違った。
様々な薬草、珍しい生き物の死骸など。
その可愛らしい家のドアを乱暴に吾郎はノックした。

「おい!こら!泰造のオッサン!俺だ、俺!開けてくれ!!」
暫くすると、ドアが開いてその家の主、魔術師泰造が顔を出した。
「うるさいわねー。そんなに叩かなくたって聞こえてるわよ!で、どうしたの?アナタ、今日が15歳の誕生日じゃなかった?地上を見て大はしゃぎしてる頃だと思ったけど。」
「とにかく入れてくれ。話があるんだ。」
泰造は吾郎の顔を見て、ただ事ではない事はすぐに分かった。
が、いつものようについ、対応してしまう。
「いいけど・・・貞操の保証はしないわよ?いつ見ても、イイ胸板・・・。お腹の筋肉の割れ目がたまらないわ〜。」
泰造は恍惚の眼差しで怪しげな手つきで吾郎の脇腹に触れると。
「馬鹿野郎!!俺は真面目な話があるんだ!!」
「分かってるわよ。冗談よ、冗談。」
「テメーのは!冗談に聞こえねーんだよ!!」
そして泰造は吾郎をリビングに座らせると
「まあ、これでも飲んで落ち着きなさい。話はこれを飲んでから聞こうじゃないの。」
「・・・・飲んでもいいけど・・・媚薬なんか入ってねーだろうな?」
「入ってないわよ!アタシの仕事の話なんでしょ?誰が相手であれ、仕事の話はきちんと聞く主義なの。例え愛しの吾郎ちゃん相手でもね。」
「・・・胡散臭すぎ・・・・。」
泰造とこんなやり取りをしているうちに、そして温かな飲み物を飲んでいるうちに、吾郎はだんだん落ち着きを取り戻していった。
しかし、その決意だけは変わらない事は瞳を見れば分かる。
「落ち着いた?」
「・・・まあな。」
「で、アンタの話だけど・・・悪いけど心を読ませてもらったわ。」
「相変わらず話が早いぜ!という訳で、俺を人間にしてくれ!!」
「ねえ、何でアンタがそこまでするの?人間界では毎日のように人が死んでるのよ?老衰で死ねる人もいれば、若くして死ななければならない者だって。それはどうしようもない事じゃないの。」
「なあ、泰造のオッサン。アンタ、よく俺に言ってたよな。俺には予知能力があるが、未来は一つじゃないって。些細な事で、本当に小さな切っ掛けで未来はいくらでも変わる。俺が見ているのは、その無数の未来のうちの一つに過ぎないって。」
「その通りよ。」
「俺はアイツの未来を変えたい。アイツの傍へ行って、俺がアイツの未来を変えたいんだ!」
「だから・・・なんでアンタが、そこまでその子の世話をしなくちゃなんないの。それにね。未来を変えようと頑張る事だって、その未来への道筋って事もあるのよ?つまり、アンタが人間になる事も、彼の運命を変えようと躍起になることも・・・その不幸な未来への通過点だった、って事もね。分かってるの?」
「分かってるさ・・・。」
吾郎のその沈痛な面持ち。
そんな顔を見たら、心を読まなくたって誰にでも分かってしまう。
「一目惚れしちゃったのね、その彼に。」
「え・・・?ば、馬鹿、何言ってんだよ・・・!!」
吾郎はうろたえるが。
「恋も知らないお子様が、初めて恋を知っちゃったら怖いわね。ホント、猪突猛進。とにかく。もう一度頭を冷やして良く考えなさい。そしてそれでも人間になりたい、と思うようだったら、3日後にもう一度ここへいらっしゃい。」
いきなり真実を突きつけられて、吾郎は言葉を失った。
「そうそう。人魚の寿命は大体300年くらい。でも人間はどんなに頑張ったって100年が限度。そして人間になった人魚は二度と人魚に戻る事は出来ない。それから・・・これはもっと酷よ。心して聞くのね。いい?人間になった人魚が3年以内に真の愛を得られなかった場合、海の泡になって消えてしまうんだ!」
「な・・・・・。」
「人魚のままでいたら、アンタはあと300年生きられるのに、人間になってしまったら、ヘタしたら3年後に海の泡になって消えなきゃならないんだよ!真の愛を得るなんて容易な事じゃない。しかも期限はたった3年。つまり、人間になったら、海の泡になる確率の方が遥かに高いって事。まあ、この場合相手は誰だって良いんだ。その青年でなくても。アナタが真に愛して、相手も真に愛してくれればね。こういう事もしっかり頭に入れて・・・出直してらっしゃい!!」
吾郎は文字通り、泰造ハウスから叩き出されてしまった。


「・・なんだよ、この馬鹿力の変態オカマ野郎!!」
悪態をつきつつも。
吾郎はすぐに深刻な表情に戻ってしまった。

「一目惚れ?俺が・・・アイツに?まさか・・・。」

静かな海に美しい満月。
皆が楽しそうにダンスを踊る中、一人その青年は何か思い悩むように海を眺めていた。
女のように可愛い顔、だけど見えたビジョンでは、とても強かったあの青年。
月光で光るその瞳は、エメラルドよりも綺麗だった。
まるで、深い深い海の色のように。

「一目惚れかどうかはともかく!」
・・・惹かれた事は認めようと思った。
そしてそんな事よりも。

「真の愛が得られなければ、海の泡・・・・。」

さすがに海の泡になって消えたくはなかった。
「死」
そんなものは300年の寿命を持つ若い人魚の吾郎にとっては、遥か遥か先の話だった。
それがたった3年後に。
亡骸さえも残らない。
泡になって消える。
それは途方もなく恐ろしい事に思えた。

真の愛。
真の愛ってなんだろう。

「相手は誰だって良いんだ。」

誰でも良いと言われても。
困る。
第一、吾郎は恋などした事がなかった。
なのにいきなり真の愛だのと言われても。


・・・・・。


暫く思い悩んだ末、吾郎は忘れよう、と自らに言い聞かせた。

初めて地上を見て人間を見て、その初めて見た人間がとても綺麗な瞳をしていて・・・そしてその人間の不幸な未来が見えてしまったので、すっかり気が動転してしまったのだ、と。

「確かに泰造のオッサンの言うように、なんで俺がそこまでしなきゃなんねーんだっつーの!」

そう、勢い良く言ってみたが、やはり吾郎の想いは重く沈んでいった。


その時だった。
吾郎は思いを巡らせていたので、それに気付くのに遅れてしまった。
気付けば波の色や流れがおかしいのだ。
きっと間もなく嵐が来る。

あの船は大丈夫だろうか?
もう、ずっと前に岸に戻っていればいいのだが。

気になって気になって仕方がない。

今さっき、忘れようと思ったところなのに。
いや、船が無事に岸に戻っているか見に行くだけだ。
それだけなんだ!!

・・・・冷静になって考えてみれば。
つい数時間前、船上にいた青年が近い将来、戦で死んでしまう未来を見たのだから、その戦いまでは生きている、ということだろう。
いくら未来は簡単に変わると言っても数時間後の嵐で死ぬならば、そちらの未来を吾郎は見ただろう。

しかし吾郎にはそんな考えが浮かぶ余裕などなかった。
とにかく気になって心配で、胸が張り裂けそうで。
あの青年の無事を確信するまでは。


海面に近づくにつれて、海が荒れているのが分かる。
頼む、戻っていてくれ・・・!!
と祈るような気持ちで再び海面から顔を出した吾郎は絶句した。

「なんでまだそんなトコにいるんだよ!!」

空を見上げれば。
つい数時間前までは穏やかで星が綺麗で、そして美しい月光を見せてくれていた。
今はその面影もない。
どす黒い雲が天を覆っている。
ゴロゴロ・・と雷鳴が聞こえる。
稲妻が走る。

ああ、なんと言うことだろう!!
事もあろうか、その稲妻が船のマストに落ちたのだ。
マストはポッキリと折れて横倒しになり船のバランスが崩れ、大きな衝撃を与えた。
その衝撃で船上で倒れる者が大勢。
船が傾く方向へ、樽の山が転がるように人々が転がっていく。
彼らの命は?
いや、あの青年は!?

雷がマストに落ちた事によって火の手が上がった。
船上ではパニックだ。

「早く、救命ボートを下ろして!!」

しっかりした声が聞こえた。
あれは、あの青年だ!!

「さあ、ご婦人から!早く!」

何言ってんだよ!お前が乗れ!!
と、吾郎は祈るように心に念じた。
逸る気持ちを抑える事が出来ない。

青年は必死にパニックに陥る貴族や船員達の指揮を取っていた。

それはお前の仕事じゃないだろう!!
船員の仕事じゃないのか!!

波が高い。風も強い。雷が・・・・。
それはあっという間だった。
大きな波がその船を襲ったと思ったら船がひっくり返ってしまい、人々は海に投げ出された。
救命ボートに乗った連中もあっという間に波に消えた。

その様子が吾郎の目に焼きついた。
その青年の投げ出された軌跡だけが、吾郎の瞳に焼きついたのだ。
この時も、そこに思考など存在しなかった。
ただ、一直線にその青年の元へ向かった。
海に沈んだ所をすぐに救い上げたため、幸い海水は殆ど飲んでいないようだった。
しかし気を失っている。
それも幸いしたのだろう。
海水を飲んでいなければ、恐らく命に問題はない。
辺りはまるで地獄絵図だ。
意識のないもの、恐らくは助かるまい。
命あるものの阿鼻叫喚。
しかし吾郎一人では助けられる者も限られている。

「板に捕まるんだ!何があっても放すんじゃないぞ!?」

それが吾郎に出来る精一杯の事。

すまねえ・・・・。

吾郎は心の中で、助けられない彼等に詫びた。
そして気持ちを切り替えて、この青年を岸へ運ぶ。
それだけを考えた。
顔が水に浸からないように細心の注意を計って。

気づけば強風は続いていながらも、あたりはだんだん明るくなってきていた。
もうすぐ夜が明けるのだ。雲も、ようやく切れかかっている。
ちょうどその時、岸へ辿り着く事が出来た。
吾郎は小さな入り江を選んで青年を岩場へ寝かせた。
地形の関係で、それほど風が入ってこない場所だった。
海草をいくらか取ってきて、青年の頭の下に敷いて枕代わりにして。
吾郎は半身を海に沈めたまま、その青年の口元に耳を近づけてみた。
するとすぐに呼吸している事が分かり、吾郎はホッと胸を撫で下ろした。

そして今度はその青年の姿をまじまじと見つめた。

「気を失ってても・・・綺麗な顔してんな。」

吾郎は気付かぬうちに微笑を浮かべながら、顔にかかった濡れた髪をのけてやる。
ちょうど、頬にふれた時、その手に優しい感触に感動してしまった。

「柔らかい・・・・。」

今は気を失っている、というより眠っているのかな。
薄く開いた唇。
たった今まで溺れていたというのに、なんて艶やかな・・・。
そこもきっと・・・柔らかいんだろうな・・・・・・。

吾郎はまるで吸い寄せられるように、その青年の唇に自らの唇を重ねた。
それは、感動的な柔らかさ、そして温かさだった。
と、その時。

「・・・・ん・・・・。」

ハッ・・・と我に返った吾郎、慌てて唇を離して。

お、俺は今、何を・・・・!?

「あ・・・・。」

その青年の瞳が開かれた。
ああ、なんて綺麗なエメラルド・グリーン!

「・・・・。君は・・?」

そしてなんて柔らかな、甘い声。
胸がドキドキ高鳴って、心臓が口から飛び出て来るんじゃないかと思った。

「お、俺は・・・溺れてたお前をここまで連れて来て・・・・。」

それを聞いて、青年の瞳は更に大きく開かれた。
思い出したのだ。

「そうだ、嵐が・・・。皆は・・・!」
いきなり起き上がったので眩暈を起こしてしまったようだ。
「こら、まだ寝てろって!!」
「船は!皆は!?」
尚も訊ねる青年に吾郎は。
「俺はお前一人を助けるのが精一杯だった。」
この一言で全てを悟ったようだ。
青年は一瞬で蒼ざめた。
「・・・・・・・。父上・・母上・・・・!まだ・・・海で助けを待ってるかもしれない・・・。」
「無理だ、そんな体じゃ!!」
「そんな事・・・!!」

あまりに暴れる青年に、吾郎は代案を出した。
「俺が見てきてやる。待ってろ。」
そう言うと青年を無理やり寝かしつけて、吾郎は海へ身を沈めた。

暫くして戻ってきた吾郎。
「風は幾分収まったから、救援部隊が救助していた。お前の両親がどうなったかは分からない。でも、生きていたなら助けられている筈だ。」
「・・・・大勢・・・死んだの?」
「・・・・・。」
吾郎は瞳を逸らした。
「・・・・。」
祈るような、信じたくないような、絶望の淵に立たされたような、その表情。
青年の心情を思うと見ていられない。

もっと青年の傍にいたい、傍にいてやりたいが、しかし、正体を知られては厄介な事になる、と思った。
今は、吾郎の下半身は水中にあり、青年は陸の岩場に横たわっていた。
吾郎の上半身しか青年には見えなかった為に、まだ吾郎が人魚だと知られずに済んでいる。

「悪い・・俺、もう、行かなきゃ。」
背を向けようとする吾郎に。
「あ、・・待って!」
「・・・。落ち着くまで寝てろ。」
「ありがとう。君は命の恩人だ。僕は佐藤寿也。君は?」
「・・・・吾郎。」
「吾郎・・。吾郎くん、落ち着いたら僕の屋敷へ来てくれないか?お礼がしたい。」
「お礼?いいって、そんな事は!!」
「頼む、来てくれ。命の恩人にお礼をするのは当然のことだ。君は・・・どこかのご子息?」
「いや・・・・。」
吾郎は人魚の世界ではそれなりに立派な貴族の息子だったが、そんな事を言っても仕方がないし、「どこの家の?」と聞かれたら、それはそれで厄介な事になってしまう。

「じゃ、あの船の水夫?」
「・・・どうだって良いだろう!?」
「何日後でもいい。君の都合のついた時に来てくれ。伯爵家の佐藤だ。街で聞けばすぐに分かると思う。」
「気が向いたらな。」
そっけなく返事をして消えようと思った。
これ以上関わってはいけない。これ以上惹かれたら・・・・。
その時、肩をつかまれた。
「必ずだ、吾郎くん。」
ガッチリと肩をつかまれ、振り向かされて。
その力強い大きな手、再び至近距離でその整った顔、緑色に光る瞳を見てしまって。
胸が高鳴ってしまって。
「・・・・。分かった。必ず行く。行くから・・・・お前はもうちょっと寝てろよ!?」
「約束だよ?吾郎くん!」
「・・・・ああ。」

今度こそ、吾郎は海へ消えた。






これは運命だ・・・・・・!!
俺は・・・もう、運命に逆らえない!!

あいつ、寿也って言ったっけ・・寿也のあの瞳。
まるで、深く美しい、この海の色のような澄み切った翠玉。

あの瞳を守りたい・・・・。


吾郎は海の底へ向かって泳ぎながら、寿也に触れた自分の唇をまるで神聖なものに触れるように指先で触れた。
愛おしむように。


300年、なんの喜びも情熱もなく、ただ生きる。
果たしてそれは幸せなのだろうか?
それよりも、たった3年に全てを注ぎ込めたほうが・・・。

その3年のうちに、お前を救う事が出来たら、それでいい。

俺の生き方は、それでいい。
お前の愛が得られるなどとは、もとより思わない。
それで・・・・いい・・・・・。



結論は出た。

お前の傍にいたい。
お前を救いたい。







「泰造!おい、泰造!!」
再び吾郎は泰造ハウスのドアを叩いた。
「何よ〜、もう!!誰?こんなに朝早く・・・睡眠不足は美容の大敵なのよ?あら、吾郎ちゃんじゃないの。3日後って言ったのに。それとも他に何か御用?」
「3日も必要ない。俺の決意は、より強固なものになった。」


例によって泰造ハウスのリビング。
「なるほどね。大体事情は分かったわ。確かに、大事な大事な存在を忘れて300年生きる事のほうが幸せとは言えないかもしれない。たった3年に全てを注ぎ込む生き方があっても良いかもしれない。その理論はわかった。でも。アタシは貴方に死んで欲しくないの。わかる?アタシだけじゃないわ。貴方のご両親、ご兄弟がどんな思いをすると思う?アンタはアンタだけのものじゃないのよ?」
「・・・それも俺なりに考えた。でも俺だっていつかは結婚する、というかさせられる。俺は長男じゃないから、家督は兄上が継ぐ。俺なんてせいぜい息子のいない、どっかの姫の養子にさせられるんだ。俺だって社交界デビューは済んでる。名家の姫も沢山見たけど、こんな気持ちになった事はないんだ。無理やり結婚させられて、子を産んで育てて。そんな未来になんの希望も感じない。」
「でもね、最初はそうやって始まった夫婦でも、年月を経るにつれて、情というものが生まれるのよ。まだ結婚もしてない貴方には分からないだろうけど。そして共に歩んで老人になって・・・これも愛だったのだと知る夫婦も多いと思うの。ハラハラドキドキはないけどね。」
泰造は切々と吾郎を諭そうとした。
しかし。
若さ、というものはそんな生き方など牢獄のようにしか感じないものだ。
「俺は決めたんだ。あいつを救えるなら海の泡になってもいい。」
吾郎の強い光を湛えた瞳を見て、泰造は溜息をついた。
「何を言っても無駄なようね。本当に、初恋って厄介よね。じゃ、アタシから条件。アンタを人間にしてやるんだ、これだけは飲んでもらうよ?」
「な、なんだよ・・・貞操をよこせつったって駄目だぜ?」
「・・・何言ってんのよ、そんな事じゃないわよ。アンタは初めての恋で舞い上がっている。その様子じゃ、アタシが断っても、薬を盗んででも人間になりそうだから・・・貴方に私はその薬をあげましょう。」
「え?本当に!?」
「ああ。ただし。この短剣も持ってお行き。」
「短剣?」
「最初、アタシはアンタに「人間になった人魚は二度と人魚に戻れない」って言ったけど、本当は、一つだけ・・・もう一度人魚に戻る方法があるの。」
「なんだって!?」
「出来ればそんな考えを捨てて欲しかったし・・・でも、それでも人間になりたいのなら、それ相応の覚悟だって必要よ。だから、相応の覚悟がないのなら、諦めさせたくてアタシはあんな事を言ったんだけど・・・。」
「もったいぶるなよ。なんなんだ?その人魚に戻る方法って!」
「これよ。」
そう言って泰造は短剣をテーブルに置いた。
「だから、この短剣がなんだってんだよ!」
「これはね、呪いの短剣なの。アンタが真の愛を得られなかった場合、アンタが本当に好きな相手をこの短剣で一突きにして殺せば、アンタはまた人魚に戻れる。まあ、今の場合を考えると、その綺麗な瞳の彼ね。彼が貴方を本当に愛する事がなかった場合、3年の期限までに彼を殺すんだ。そうしたら吾郎ちゃんはまた人魚に戻る事が出来る。」
「俺はあいつを助けたいんだ。なのに俺が殺したら何の意味もないじゃないか!」
「いいから持ってお行き。これが薬を出す条件よ。アタシも、そして貴方の家族も、みんなアンタを愛してるの。悪いけど、見た事もない人間の事なんて、アタシ達からしたらどうだっていい。これを持って行って、彼の愛が得られなかったら彼を殺すと約束してちょうだい。でないと薬は渡せないわ。」
いつにない、泰造の迫力。
泰造も吾郎の事を思うが故、だろう。それは吾郎にも十分に分かっていた。
だから吾郎は嘘をついた。
「わかった。その時はあいつをこれで殺すよ。」
そう言わなければ薬はもらえない。
「信じて良いのね?」
そう、念を押しながらも泰造は心を読むことが出来るので、全てお見通しだったのだが。
なに、愛が得られず絶望した頃に兄弟にでも説得に向かわせればなんとかなるだろう、と泰造は思った。
そしてもしも、愛を得る事ができたら・・それは例え100年の寿命でも、それを全うした方が幸せであろう。
そう、泰造は心の中で考えた上で吾郎に薬を手渡した。
「いいかい?人目のない陸に上がってから飲むんだよ?人間は海の中では溺れるからね。人間になる際はかなり苦しむだろうから、人目のない場所、というのが絶対条件だ。そして陸ではかなり体が重く感じるよ。海の中のように浮く事はない。それに耐えるだけの時間も必要だからね。それから・・・このままアンタが人間になったら裸だ。裸で街を歩く人間なんていない。アンタも見たでしょ?人間の衣服というものを。だから・・・これも持ってお行き。人間の男の服一式よ。これでそれなりの身分には見えるでしょう。」
「こんなものまで・・・どこから一体、こんなもの・・・。」
「アタシを誰だと思ってるのよ。魔術師泰造の家で揃わないものなんてないのよ。」
「・・・ありがとう。」
「短剣と服。これを絶対に忘れずに持って行ってね。幸運を祈ってるわ。」




















人魚の初恋 2→





御伽噺の「人魚姫」をベースとした駄文ですが、その通りに進んでいる訳ではありません。
私が好き勝手に妄想してしまった話です。
「人魚姫吾郎」というとギャグのように聞こえますが、一応シリアスです。
少々長いですが、一話づつでもその半分づつでも読んでやって頂けると心より嬉しいです。
どうか宜しくお願い致します。








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