それから。 吾郎は身辺整理を始めた。 自分の部屋の整理、そして事情を簡潔に書いた手紙。 両親にそれとなく優しく接し、兄弟ともそれぞれ話す時間を持った。 友達やお世話になった人にも会いに行って、一通り、吾郎なりの挨拶を済ませて、そして・・・・。 皆が寝静まったある日の晩、吾郎は一人、屋敷を出た。 「父上、母上、お元気で。兄上達も達者で。」 その手には、魔術師泰造から貰った薬と洋服一式。 それだけを持って、吾郎は地上へ向かって泳いでいった。 場所は・・・・そう、あの時寿也を助け上げた、あそこがいい。 その場所で、今、吾郎が顔を出した。 そして、ヨッ・・と腕に力を入れて体を全て岸に上げた。 「ホント・・地上は体が重いぜ・・。」 ここで俺はアイツと話をした。 ここで俺は、アイツの唇に・・・・・。 思い出すだけで胸が高鳴る。 そんな事を思いながら、意を決すると 吾郎は泰造に貰ったあの薬を一気に飲み干した。 「う、あ・・・・・っ・・・・・!!」 喉が・・・胸が・・・焼けるように熱い・・熱い、熱い・・・・!! 気持ちが悪い・・・目が回る・・・・・。 吾郎はドサッ・・とその場に倒れもがき苦しんだ。 下半身が・・・焼ける・・・焼ける・・・・・・・・!! 暫くのた打ち回ると、吾郎は動かなくなった。 あまりの苦しみ、激痛に気を失ってしまったのだ。 そして。 時は流れた。 再び目を覚ました時、吾郎は見慣れぬ景色に一瞬驚いたがすぐに全てを思い出した。 「そうだ、俺は薬を・・・。」 飛び起きると眩暈と共に、下半身に激痛が走る。 「う・・・っ!」 しかし、なんとか踏ん張って自らの下半身に目を向けた。 「足・・・・だ・・・・・。」 そこには立派な二本の足があったのだ。 「バンザー・・・・っ!!」 喜びの絶叫を上げようとしたのだが、痛みと眩暈が酷くてまた倒れてしまった。 でも! 確かに足があった。 吾郎は手を伸ばして下半身に触れて確認する。 間違いない。 やった〜〜〜〜!! それにしても。 足の付け根部分のあれは一体なんなのだろう? 良く分からないモノが、丁度吾郎の全身の中心部である足の付け根にあったのだが・・・・・。 お気楽な吾郎は 「ま、そのうちなんなのか分かるだろう。俺、人間について何にも知らねーんだし!」 と思ってしまったのだった。 何はともあれ。 吾郎は横になりながら、少しずつ回復するのを待ち、眩暈がしなくなると立ち上がる練習をした。 立ち上がると、そして歩いてみると、刺すような痛みが足に走る。 まずこれに耐えるのが大変だった。 それに耐えながらも、どうにかこうにか歩けるようになると、泰造にもらった衣服を身に付けた。 「ただでさえ地上は体が重いのに、更にこんな重いものを身に付けるなんて・・・人間って変な生き物だな〜・・。」 そして恐る恐る、吾郎はその入り江を出て、街へと歩き始めた。 それは「朝」といわれる時間が過ぎようとしている頃、人々が活動を始めて暫くした頃合だった。 活気溢れる街。 所狭しと立ち並ぶ様々な店。 店のおかみさんの怒鳴り声、客の声、人々のざわめき。 大道芸人に群がる人。 人、人、人・・・・・。 なんと沢山の人がいる事だろう! 吾郎はこの人の多さに圧倒されてしまった。 人魚の世界でも、「街」というものは存在したが、ここまで密集したものではなかった。 こんな狭い場所でよくもまあ、これだけの人が暮らしていけるものかと。 暫く物珍しさのあまり、足の痛みを押してあちこち見て回っていた吾郎だが、一通り好奇心を満足させると本来の目的を思い出した。 「おい、ちょっと聞きたいんだけど。」 吾郎に声をかけられた人の良さそうな中年の男は、吾郎を一目見ると畏まって言った。 「なんでしょうか。」 吾郎の身なりを見て、相当の身分の者だと判断したからだろう。 「佐藤伯爵の屋敷、知ってるか?」 それを聞いて、男は妙な顔をした。 それはそうだろう、この辺りでその屋敷がどこにあるかなど知らぬ者はいない。 胡散臭そうに見上げるその表情に気付いた吾郎は 「俺は遠い国からここへ着いたばかりなんだ。」 更に胡散臭そうに男は見上げた。 しかし 「佐藤伯爵の屋敷ならあそこです。」 そう言って少し上の方を指差した。 「あれか!?」 吾郎は驚いた。 街へ来て、まず目に付いた小高い丘の上の大きな宮殿。 あれが王族の住む宮殿だろうと思ったのだが、あれが佐藤の屋敷だったのだ。 「でっけ〜〜・・・・。」 呆然と見上げる吾郎に男は。 「では、私はこれで。」 身に付けているものから立派な身分であるように見えたにもかかわらず、共の者が一人もいない吾郎はいかにも怪しかった。 かと言って、このあっけらかんとした様子、「高貴なお方のお忍び」であるようにも見えない。 もし本当に怪しい者だったとしても、佐藤の家来が十分な取調べをするだろう。 何にしてもこれ以上は関わらない方が良い、面倒な事に巻き込まれるのはゴメンだ、と判断したのだろう。 とにかく、そう言いながら男は早々に立ち去ってしまった。 「あ、ありがとな〜〜〜!!」 吾郎は男のそんな損得勘定など気付くはずもなく、その身なりに似合わず大声で礼を言って手を振った。 「それにしても、あの屋敷までは相当距離があるな。初めて自分の足で歩きはじめたばかりの俺には・・・ちょっとキツイぜ・・・。」 しかし、これもトレーニングと割り切って吾郎はひたすら歩いた。 これからは泳いで何処へでも行く訳にはいかない。 この足で、自分のこの二本の足で歩いていかなければならないのだ。 生まれて初めて歩くので、一歩踏み出すたびに刺すような痛みが走る。 しかし、足を鍛え上げたら痛みもなくなるだろう。 とにかく鍛える事だ。 吾郎の上半身は15年かけて鍛え上げられた。 しかし足は、今日、初めて鍛え始めたのだ。 足だけは、赤ん坊と同じなのだ。 吾郎は己にそう言い聞かせ、ひたすら歩いた。 大きな建物というのは遠くにあっても近く見える。 歩いても歩いても距離が縮まない。 生まれながらの人間ですら一汗かく距離を、吾郎は歩いて歩いて、歩いた。 ようやくその門の前に辿り着いた時には夕暮れ時になってしまっていた。 吾郎は一息つくと門番の者に声をかけようとしたのだが、その門番の者の服装が黒を基調にしている事に吾郎は気付いた。 さすがに喪の最中なのでは、と思い当たる。 あの時寿也はあの船に、両親が乗っていたらしいことを言っていた。 だとしたら。 「タイミング、悪かったな・・・。あれから何日も経ってるんだけど、そんな程度じゃ悲しみは癒えない・・・・。」 出直そうかとも考えたのだが出直すといっても一旦どこへ戻れというのだろう? 戻る場所なんてどこにもないのだ。 野宿するにしても、数日が限界だろう。 泰造が用意してくれた衣装も汚れてしまっては、その役目を果たしてはくれない。 迷った挙句、吾郎はやっぱり門番に声をかけた。 怪しいヤツ、と門番は怪訝そうな顔で吾郎を見つめながらも、吾郎の身なりがあまりにも立派だったので門前払いはさすがに戸惑われたようだ。 とはいえ、街の男にも思われたように、共の一人も付けず、また馬や馬車で来たのでもない。 やはり怪しい、と門番は思ってしまったのだが、それでも高貴な方のお忍びである可能性はゼロではない。 一応、吾郎の言い分を寿也に伝える事となった。 暫くすると吾郎は門の中へ入れてもらえる事になった。 門番の態度もその時には、最上の客を迎える態度へ豹変していた。 最初はあんな胡散臭げに吾郎を見ていたというのに。 そして豪華絢爛、という言葉がふさわしいその屋敷のある一室に通された。 壁から天上に至るまで、細かな細工、所々には彫像が。 壁にある幾つかの絵は間違いなく偉大な巨匠によるものと思われ、高い天上からは蝋燭の灯を更に幻想的に見せるクリスタルのシャンデリア。 大理石の床。重厚感溢れる家具。大きな窓。 その窓には美しい綴れ織りの帳が揺れていた。 豪華絢爛、ではあったが決して悪趣味ではない。 とても品の良いものばかりで、部屋全体が一つの芸術として成立していた。 すると間もなく、再びその部屋の扉が勢い良く開かれた。 「吾郎くん、来てくれたんだね!」 ああ、この日をどれだけ夢見た事だろう!! 寿也に比べたら、この豪華な屋敷も、部屋も彼の引き立て役でしかない。 恐らく走ってきたのだろう、寿也の息は少し乱れていた。 頬が薔薇色に輝いて、瞳は相変わらず美しいエメラルド・グリーン。 そして男とは思えないような可愛い整った顔立ち、甘い声。 夢にまで見た寿也が、今、吾郎の目の前にいる。 これほど心をかき乱す存在を、吾郎は知らない。 しかし、寿也の衣服を見て、大事な事を思い出した。 「その・・・俺、何も聞いてないけど・・・お前のその・・・。」 吾郎は黒い衣服の事を言った。 「あ、ああ・・・・。」 寿也は悲しげに苦笑して。 「両親が・・あの嵐でね・・・・。」 「そうか・・・・。」 「あれはこの佐藤家が催した船上パーティだったんだ。それで大勢亡くなってしまった。だから、例え両親が死んだばかりとはいえ気落ちしてはいられない。やる事は山のようにある。僕だけでも生き残る事が出来てよかった。僕がいなければ、あの嵐の責任を取る者がなくなってしまう。」 「責任?」 「ああ。あの時、僕はこの乱世の行く末を思っていた。それもあって対応に遅れてしまった。取り返しのつかない過ちを犯してしまったんだ・・・・。吾郎くん、僕を助けてくれてありがとう。心から感謝しているんだ、君には。」 「・・・お前が・・・そんな大変な事になっているなんて・・・俺は・・・・。」 「あ・・君に会えた早々、こんな話をごめん。君が来てくれるのを待っていたんだ、本当に。あれから「吾郎」という名だけを頼りに、あの船の水夫を探させたんだが見つけられなくて。でも君は本当に水夫なの?その姿、そうは見えないんだけど・・・・。」 「俺はたまたまあの場に居合わせただけだ。泳ぎには自信があったから一人でも助けられたらと思って海に飛び込んだ。そしてたまたま助けたのがお前だった。さすがに俺一人で何人も助ける事は出来なかった。すまねえ・・。」 「何を言ってるのさ!!お陰様で僕はこうして生きている。この伯爵家もなんとか続けていける。」 「・・・あ・・・それじゃあ・・・・。」 「そう。もっと先のことだと思っていたけど・・・僕が爵位を継いだ。」 「そっか・・・。」 「ああ。僕はこの屋敷の当主で、君はその命の恩人なんだ。もし良かったら好きなだけ滞在して欲しい。」 「その事・・・・なんだけどよ。」 吾郎は頭の中で考えておいた作り話をしようとしていた。 「何?」 「俺・・・さ。実は遠い国から来たんだ。」 「○○国?△△国?それとも・・・。」 「いや、多分お前が名前も知らないほど遠くの・・そして小さな国だ。」 「まさかとは思うけど、○○国と同盟関係はないだろうね。」 吾郎を見つめる翠玉の瞳に鋭い光が走った。 その瞳は厳しい武人の、戦う男の瞳だった。 さっきまでは穏やかな、少女と言っても通じるくらいの寿也だったのに、このギャップに吾郎は驚きつつ、慌てて答えた。 「この国と敵対関係どころか、存在すら認められてないような国だから安心しろ!!」 「そう・・・良かった。」 寿也はホッと溜息をついた。 「僕も命の恩人をスパイとして牢獄に送りたくないしね。で・・・君はその遠い国からどうしてこの国へ?」 「俺はその国の・・まあ、一応貴族の息子だったんだけど末っ子で・・・家督は兄上が継ぐ事になっていたから俺は生まれたその瞬間から、どこかの男のいない家に養子に出される事が決まっていた。」 ここまでなら吾郎の話も全て「嘘」という訳ではない。 実際人魚の王国など、人間は存在すら知らないし人間の争いとは何の関係もない平和な世界だ。 そして養子になるしかない未来も真実。 吾郎の本当の作り話はここから始まる。 「で、遂にその日が来ちまって・・・つまり、俺の縁談が持ち上がったんだ。顔も知らない姫と結婚しろって。俺は結婚なんて真っ平だった。だから家出したんだ。」 寿也は目を丸くした。 「それ、本当?」 目を丸くした寿也の顔が、また可愛らしくて・・・吾郎はその顔から目を逸らせなくなってしまって、そして頬が染まってしまうのを止められなくて。 「・・・悪いかよ!」 吾郎はその染まった頬の言い訳でもするように、わざとむすっとした顔で寿也を睨み付けた。 頬が染まった本当の訳を悟られないように。 寿也はそんな吾郎の顔を見て思わず吹き出すように微笑んだ。 「だって・・・あまりに子供っぽい・・・っていうか・・・なんていうか・・・・。」 「それくらい、俺にとって結婚ってのは嫌だったんだ!!あんなもん、牢獄以外のなんだってんだ!!で、俺はこの身一つで飛び出してきたから共もないし・・・そして金も尽きちまった。」 「・・・・もしかして・・・・行く所がないの?」 「・・・・そーゆー事・・・。」 ここまで言うと吾郎は居住まいを正した。 「頼む!!俺をここに置いてくれないか?置いてくれるなら召使でも何でもいい!!頼む!!」 運命の瞬間。 ここで断られてしまったら、吾郎の未来は絶望的だ。 しかし寿也は穏やかに言った。 「なんだ、早くそう言えばいいのに。ずっと、ここにいなよ。勿論、命の恩人を召使になんかしない。ましてや遠い国とはいえ貴族のご子息なんでしょ?僕の友人として・・いつまでもここにいればいい。とは言っても一生・・っていうのも無理があるから・・・あ、いや、僕は別に構わないんだけど、でも君がこの国にずっといるつもりなら、君は君でなんとかこの国で生きていく手段を得たほうが君のためでもあると思うんだ。でもそれは追々、ゆっくり考える事にしよう。とりあえずは僕の友人として・・・よろしくね、吾郎くん。」 「ありがとう!!恩に着るぜ!!」 「お互い様さ。それにこれくらいで僕は君への恩に報いることが出来たなんて思ってないから。命の恩人への礼はしっかりさせてもらうよ。」 ニッコリと寿也は笑った。 これで最初の難関はクリア! そして何よりも、これからは寿也の傍にいられる。 それがあまりに嬉しくて。 吾郎は頬を染めながら無邪気に笑った。 とはいえ。 寿也も見かけほど甘い人物ではなかった。 貴族のお坊ちゃんとはいえ、この乱世に生きる武人。 寿也を助けたのだって、寿也に近づく為の手段という事も十分ありうる話だ。 寿也は吾郎に立派な部屋を与えたが、吾郎付きの召使には吾郎の行動を監視するよう密かに命じた。 もしも不審な行動だと少しでも感じたら、すぐに報告するように、と。 そう命じたものの、やはり寿也には吾郎がそんな裏のある人間だとはどうしても思えなかったのだが。 助けてくれた、あの時の吾郎の様子には誠意しか感じなかった。 初めて会ったというのに寿也の体を心から心配してくれていたようにしか見えなかった。 ・・・実際には「誠意」とか「心配」などよりも、不思議なめぐり合わせのようなものを寿也は吾郎に感じていた。 あの時の吾郎くん─────。 海に半身を沈め・・そうだ、まだ濡れていた。 僕を助け上げたばかりだったのだろう。 僕が気がついて、もう大丈夫だと知ると、そのまま海に消えようとした。 それを引き止めたのは僕。 掴んだその肩は、よく鍛え上げられていてガッチリしていた。 男の体を見て、こんな表現はおかしいかもしれない。 でも・・・綺麗だと思った、とても。 だから、と言うのも変な話だが 僕は思わず吾郎くんの肩を掴んで「必ず来てくれ」などと口走ってしまったのだ。 命の恩人にお礼がしたかったのは勿論、嘘ではない。 僕はただ純粋に、もう一度君に会いたかった。 なのに疑うのは失礼な話だが、それも計算した上の芝居、という事も有り得ない事ではない。 それにしても・・・。 あの時、君はどこへ向かおうとしていたんだろう。 何故海へ消える必要がある? 服を脱いで海へ飛び込んだ場所へ戻りたいのなら歩いていった方が早いだろうに。 ・・・・ああ、そうか。 完全に裸だったんだ。上だけでなく下も。 服を着たまま海に入るのは自殺行為だ。 それは自分自身で体験済みだ。あの時、皮肉にも・・・。 だから吾郎くんは・・・。 それはさすがに陸地を歩くのに戸惑われるだろう。 そうまでして・・・・海へ飛び込んで僕を助けてくれた。 なのに監視を命じた自分に少々後ろめたいものを感じながら。 このご時世の悲しい習性だな・・・と密かに寿也は苦笑した。 それからというもの。 寿也の傍に、いつも寄り添うように吾郎がいるようになった。 いつも共にいるようになって寿也が驚いたのがまず、吾郎の教養の高さ。 そして、ふとした時に感じられる洗練された立ち居振る舞い。 一見、奔放なように見える吾郎だが、しっかりとした教育、躾を受けていた事は見ていれば分かった。 遠い国から来た、と言うだけあって文化の違いには驚かされたが、やはり貴族の子息というのは真実なのだろうと寿也は思った。 そして剣の腕前。 上半身はなかなかのものなのだが、下半身が全くなってない。 これは一体どういうことなのだろう? 寿也は最初、この点を疑問に思った。 吾郎はあっけらかんと 「俺、剣は苦手なんだ。だから俺に稽古つけてくれよ!俺、もっと強くなりたいんだ!!」 と言うが・・・しかし上半身だけなら相当の腕前のように見えただけに、どうしても疑問が残った。 吾郎にしてみれば、今までは下半身は魚だったので、足さばきなどできる筈もない。 上半身だけならば、人魚であった時もそれなりに鍛錬は積んでいた。 しかし、吾郎が人間になった最大の目的は寿也をあの運命から救う事だ。 吾郎が人間として強くならなければ話にならない。 「この国、いつ戦争になってもおかしくない状態なんだろ?その時は俺もお前と一緒に戦に出たいから。お前と一緒に戦いたいから!俺を鍛えてくれ!!俺を置いてくれた恩返しがしたいんだ!頼む!!」 「俺の国は平和そのものだったから、剣の稽古なんて殆どしたことがなかったんだ。」 あまりの熱心さに、寿也は不思議に思いながらも喜んで剣の稽古を付けたのだが、吾郎の運動能力は相当のものらしく、みるみる上達してしまった。 あっという間に剣の達人でもあった寿也の相手が務まるほどに。 こんなに筋が良いのに、何故今まで・・・・・。 しかし、戦の心配が全く無い国ならば、そういう事もあるかもしれない、と思い直す事にした。 共に剣を交える事によって、二人の友情はより強固なものへと育っていった。 最初の頃こそ、色々疑問に思った寿也。 しかしこんなに一生懸命、寿也の相手を務め、そして隙あらば容赦なく凄まじいまでの剣を振るった吾郎。 練習用の剣だったので、怪我をすることはなかったが吾郎の上達のお陰で寿也も相当痛い目に会わされた。 勿論、吾郎も相当寿也にやられたが。 散々剣の相手をしてきたのだ、今までも吾郎が寿也を殺そうと思ったらいくらでも機会はあった。 尤も寿也一人を殺した所でこの国には大して打撃を与えられる筈もないのだが。 寿也は自分が殺されるよりもこの国の内情、地の利など、様々な情報が漏れることの方を恐れた。 しかし吾郎が○○国との関係やこの国の内情について探っている様子は皆無だ。 寿也が見ていない時も吾郎はひたすら己を鍛え上げる事に精を出していた。 その他の時間は食べているか、寝ているか、ボーっとしているか。 吾郎の存在は相変らず謎が多かったが、寿也はその疑いをほぼ解いた。 そしていつしか無二の親友と見るようにまでなった。 同じ力を持つ、共に互いの能力を認め合える存在。 この二人が戦場に出たら、さぞや頼もしい事だろう、と・・誰もが思うようにまでなっていった。 そんなある日の事。 「吾郎くん、たまにはお休みしてみない?」 「お休み?」 「ああ。君はここに来てから、屋敷から殆ど出てないだろ?たまには一緒に遠出してみようよ。」 「遠出・・・っつーと、馬で?」 そうなのだ。 吾郎は乗馬も全くダメだった。 言うまでもなく、海の底では馬など必要ない。 それ以前に馬など存在しない。 寿也のところへ来て、剣術と共に乗馬も練習してかなり上達はしたのだが、やはりどうしても慣れない。 「そう。乗馬の練習も兼ねてね。」 寿也はニッコリ笑った。 「ま、そういう事なら・・・いいか。」 吾郎も笑った。 吾郎は休む、という事は嫌いなようだと寿也は思っていた。 常に己を鍛え上げていなければ気がすまない。 そんな吾郎なのに、今まで馬に乗ったことがないというのも実は不思議に思った点の一つだった。 吾郎のように、自分を鍛える事が大好きな人間が、馬車にしか乗った事がないだなんてあり得るのだろうか。 そうは思いながらも吾郎が敵のスパイだとは、もはや思わなかった。 ただ、寿也は素直に疑問だったのだ。 その日の午後。 二人は馬でゆっくりと森を散策した。 柔らかな木漏れ日が海の世界を吾郎に思い出させた。 美しい鳥達の歌。森に棲む動物達。 それらを見たり聞いたりする度に、寿也と吾郎は無邪気に笑った。 森を抜ける事自体がなだらかな山を登っていたのだったが、その森を抜けるとそこは。 辺りを見回せば、先ほど登ってきた森、そして街が、寿也の屋敷があんなに小さく! その向こうには広大な海! 太陽の光を浴びて・・・なんて藍く美しいんだろう。 吾郎はつい先日まで、あの美しい海の世界に住んでいた。 吾郎がはじめて見た、高い場所からの地上であった。 「すっげー・・・・・。」 感極まる吾郎に寿也は満足げに声をかけた。 「なかなか・・・綺麗でしょ?」 「山の上から見ると・・・こんなふうに見えるのか・・・・。」 「吾郎くんは・・山に登った事がないの?」 そう言われて吾郎はハッ・・とした。 「そう・・なんだ。俺の国、山がなくてさ。」 「・・・・。」 「・・・にしても凄いな・・・雲が・・あんなに近くに・・手が届きそうだ!!」 雲が流れていくその上には、どこへ行くのか・・遥か遠くを目指し飛んでいく鳥の群れ。 更に上には青い空、輝く太陽。 「よかった。君がこんなに喜んでくれるなんて。連れてきた甲斐があったよ。」 寿也が吾郎を見て微笑んでいた。 寿也の瞳、翠玉の輝き。 この色は海の色にも通ずるものがあって とても美しく、そして懐かしい。 思わず魅入ってしまっていた自分に気付き、吾郎は慌てて再び周りの景色に視線を向けた。 すると、広がる野原の先に見えたのは。 「あ、あれ?あれって・・・・。」 「ああ、湖だ。行ってみようか。」 「湖?」 「・・・吾郎くん、湖、知らないの?大きな池の事だよ。陸地にある大きな池。海みたいに広くて深いものを言うんだ。」 「へ、へえ・・・。」 「君の国には山も湖もないの?」 「・・ああ。海はあったけどな。」 そう言った吾郎の瞳は、すっかり遠くなってしまった故郷を思ってのものなのだろうか、郷愁、そしてもう帰れない事への決意等、多くのことを物語っているように思えた。 寿也は吾郎の胸中を寿也なりに察しながら、その横顔をただ、見つめた。 「な、湖、見てみたい!行ってみようぜ!」 吾郎は自分で生み出してしまった、この沈痛な雰囲気を崩すべく陽気に笑うと、寿也の返事を待たずに馬を走らせた。 そして、寿也より一足早く湖に到着した吾郎は馬を下りてその絶景を見渡した。 思ったより広い。 澄み渡る湖面。そこに映し出される木々、山、そして空。 綺麗だ・・・・。 吾郎はその水に触れてみた。 ───海とは違う・・・・・。 その時、寿也も到着した。 「どう?初めての湖は。」 寿也は言葉をかけたが、吾郎はその返事の代わりに衣服を脱ぎ始めた。 「ご、吾郎くん!?何やってるの!?」 寿也は予期せぬ吾郎の行動に焦った。 「泳ぐ!!」 「お、泳ぐ?」 吾郎はあっという間に素っ裸。 恥ずかしがる様子もなく、そのまま湖に飛び込んでしまった。 「・・・・・・。」 絶句、とはまさにこの事。 寿也は口を半開きにしたまま、言葉も出ない。 数秒後、ハッ・・と我に返るものの、どう言葉をかけて良いのかもわからない。 ただ・・・・。 泳ぐ吾郎はまるで魚のようだった。 綺麗だ、と寿也は素直に思った。 「生」の輝きに満ちたこんな吾郎の姿を見たのは初めてで、不思議な感動すら覚えた。 「お〜い!寿也も来いよ!!」 「来いって・・・僕も泳げって事?」 「そう!気持ちいいぜ?」 そう言うと、吾郎は再び水中に消えた。 ここは海ではないとはいえ、泳ぐ、というとどうしてもあの海での不幸な事故を思い出してしまって突き上げるような苦しみ、悲しみに襲われる。 あれからかなり日が過ぎたというのに、悲しみが癒える事などない。 きっと永遠に、その悲しみが完全に癒える日など来ない。 とはいえ。 平和な世の中ならいざ知らず、いつまでも悲しみに浸ってばかりもいられない。 ましてや、今日戦争が始まってもおかしくない、この不穏なご時世だ。 前へ進まなければ。 「何やってんだよ!早く服脱いで来いよ!!」 いきなり、飛び魚のように水面から飛び出した吾郎に急かされて。 来い、と言われても・・・・。 さすがに裸になるのは戸惑われた。 戸惑われたが・・・辺りに人の気配はないし、元々ここには殆ど人が来ない。 寿也自身、ここでは他人に出会ったことがなかった。 どうか、誰も来ませんように。 そう、思いながら、寿也も一枚一枚その立派な服を脱いでいった。 だが、どうしても裸は戸惑われたので、いくらか下着を着たまま水に入ろうとした時、また吾郎が飛び魚の如く現れて。 「馬鹿!そんなもん付けたまま水に入ったら、躯が重くなって身動きできなくなるぞ?全部脱ぐんだ!」 「ぜ、全部・・・・。」 寿也は絶望の淵に立たされた。 人はそこから、ほんの一歩踏み出すとヤケクソになる。 赤ん坊や幼児ならいざ知らず、また、情事に慣れた大人でもない寿也は、物心ついてから人前で裸になったことなどなかった。 なかったが・・・・。 「寿〜〜〜!!」 寿也は吾郎の急かす声にハッ・・・とした。 吾郎の一言で、その「ヤケクソ」になってしまった寿也は、一気に残りの数枚を「え〜〜〜い!!」とばかりに脱ぎ捨てると、吾郎同様に湖に飛び込んだ。 本当だ・・・裸だと水の中でも躯が軽い・・・・。 そして・・・湖の中の世界はなんて美しいんだろう!! 太陽の光が優しく差し込んで、七色に輝いている。 揺れる水草や泳ぐ魚達。 まるで御伽の国・・・この世のものとは思われぬ、幻想的な世界・・・・。 と、その時。 「う、わ〜〜!!」 いきなり背後から吾郎に抱きつかれ、寿也は珍しく、すっとんきょな声を上げた。 「悪い、驚かしちゃったな!」 「悪い、じゃないよ!心臓が止まるかと思ったじゃないか!」 すると吾郎は楽しそうに笑った。 その笑顔が本当に綺麗で、こんなに楽しそうな吾郎を見るのは初めてで・・・そして吾郎についた水滴が太陽に光るからだろうか・・・吾郎が輝いて見えた。 光と、水の中で、はちきれんばかりに笑う吾郎。 そんな吾郎に寿也は思わず息を呑んだ。 「あれ?どうしたんだ?ここ。」 そう、吾郎が言ったと思ったら、事もあろうか吾郎は寿也の中心部をそっと握りこんだのだ。 「・・・っ!!」 「腫れてるみたいだ・・。こんなになって・・大丈夫か?」 そう言いながら、吾郎は寿也の中心部を撫でた。 「・・・っつ、ご、吾郎・・・くん・・・・!」 「どうした?痛いのか?」 吾郎は心配の一心からの言葉だったのだが・・。 「ち、違う・・・。」 放してくれ、と何故すぐにそう言えなかったのだろう。 痛い・・のかもしれないが、痛みとは明らかに違う。 痛みと、もっと触れて欲しいという、どこか切羽詰った気持ちよさとの狭間で。 相反しているようなそんな感覚が寿也の中心に集中していた。 そしてその感覚は電流のように全身を駆け巡り・・・。 「う、も・・・やめ・・・やめて・・・くれ・・・!」 「・・・苦しいのか?」 「ち、違、う・・・から・・・放して・・・!!」 どう見ても寿也の様子は普通ではなかった。 しかし、「放してくれ」と言うならば、放した方が良いのだろう。 吾郎にはそんな感覚しかなかった。 何しろその部分の排泄以外の役割など、吾郎が知っている筈もないのだから。 一方、寿也。 心臓が、胸の高鳴りが止まらない!破裂しそうだ・・・。 全身が、そこが脈打つ・・・。どうやって止めたらいい・・・・! そして・・・・さっきからずっと触れ合う肌と肌。 素肌同士の触れ合いが、こんなに心地よく温かく包み込むものだとは・・・今まで知らなかった・・・・。 「あ・・・ご、ごめん・・・大丈夫・・・僕は大丈夫だから・・・・。」 寿也は必死に言葉を紡ぐと、吾郎の両肩を掴み、グッ・・と自分から引き離した。 これ以上、触れ合っていたら、自分がどうなってしまうのか分からなかった。 ・・・・怖かった。 「・・・君は泳いでおいでよ。僕は上がって休む事にする。」 「そうか?・・・その方がいいかもな。」 そして吾郎の付き添いの元、寿也は陸に上がり、最低限の衣服を身に纏った。 そうして寿也が腰を下ろしたのを確認すると、吾郎は再び水中へ消えた。 その姿を見て、寿也はふいに吾郎とはじめて出会ったあの時を思い出した。 あの時、寿也は陸に横たわり、吾郎は水中に消えて・・・・。 あの時も、寿也は吾郎に人ならざる不思議なものを感じた。 今もこの湖でまるで魚のように生き生きと泳ぐ吾郎に、どこか神秘的なものを感じていた。 吾郎からは普通の、少なくとも寿也が今まで接した事のある人間から感じた、泥臭さ、とでも言ったらいいのだろうか・・・そういうものが全く感じられなかった。 たった今の事例を取ってみてもそうだ。 寿也は他人との情事の経験はなかったが、さすがに自分で触れた事は何度かあった。 それは成長と共に自然に身に付く知識。人間の自然な欲求。 他人がその部分に手を伸ばす、という事は、手を伸ばすその者が医術師でもない限り、他に理由など存在しない。 それを吾郎は単に、寿也を心配して触れた。 この時の吾郎からは他意は全く感じられなかった。 その部分に対する、性的な意識も何もかも。 吾郎は、完全に無垢なるもの──────。 そして、もしかしたら「ヒト」ではないのかもしれない、という、そんな直感。 と、その時、吾郎がまた飛び魚のように水面から飛び出たと思ったら、盛大に飛び込んだ。 その姿。素直に、綺麗だ・・と寿也は思った。 吾郎の滑らかな肢体、水中にある時の、あの魚と見まごう程の美しい姿。 青い空と輝く太陽、澄み渡るみなもに映る流れゆく雲。 森の緑、鳥の鳴き声。 湖水に同化する君、魚と同化する君。 それは一枚の絵のような情景。 寿也は瞳を細め、憧憬の眼差しで吾郎を見つめた。 ・・・・・・。 美しいものを見て、「美しい」と思うのは自然な事だ・・・・。 恥じる事など何もない。 吾郎はどんな所で生きてきたんだろう。 あの泳ぎっぷりを見ただけでも、寿也には想像も出来ない。 泳ぐ事が当たり前の国で育った事は確かだろうが、恐らく文化の方向が寿也の知る国々とは大きく違うのだろう。 どんな育ち方をしたら、ああも穢れなき存在になれるのか。 湖の岸に腰を下ろし泳ぐ吾郎を見守る時間は、随分長い間だったようにも思えたし一瞬だったようにも寿也には思えた。 「吾郎くん、そろそろ帰ろう!」 しかし寿也が声をかけた頃には日が傾きかけていたので、かなり長い間、そうして時を過ごしていたのだろう。 その、夜。真夜中。 寿也は悪夢を振り切るように、ガバリ・・!と飛び起きた。 その瞳は爛々と燃えるようだ。 眠れない。 君の手が腕が、僕の躯に纏わりつく。 僕に抱きつきながら、そこを握られる、あの感覚をこの躯が忘れられない。 触れ合う肌と肌、あのしっとりと重なり合う、あの感覚。 どうしても離れない!! そこが今、どうなっているのか、見るまでもない。 そっと衣服の上から指でなぞると。 「・・・っ・・!!」 寿也は下着からそれを引きずり出し、昼間、吾郎がしたように、そっと握ってみた。 「・・・、・・・・。」 そして長い溜息をついた。 違う。 自分でするのと、他人に触れられるのでは、全く違う。 ゆっくりと摩ってみる。 「・・・!」 自分で触れても感じる。でもやっぱり全然違う。 人に触れられるというのは、あれほどまでに衝撃的な快感を引き起こすものなのか。 時間にしてみれば、そんなに長い間、触れられていたわけじゃない。 なのに・・・・・こんなにも強烈に僕の躯に刻み込まれてしまった。 あの無邪気な、向日葵のように眩しい笑顔。 水中では魚のように生き生きと美しく泳ぐ君。 そしてゆっくりと・・・それを握りこんだ自らの手を動かす。 「・・・っ・・・吾郎・・くん・・・。」 切羽詰った吐息と共に、思わず口にしてしまった君の名前。 魚のように泳ぐ君。 そんな君の肢体は水中ではとてもしなやかに見えるが、実際近くで見てみると鍛え抜かれた逞しい男の体。 そう、彼は男だ。 男なのに、どうしてこんなに惹かれてしまうのだろう・・・・。 「吾郎・・・くん・・・っ!」 昂ぶっていく・・・・。 自分でシても、こんなに昂ぶるのだ。 たったあれだけ触れられただけでおかしくなりそうだった、その君に触れられたら・・・君のそこに挿れることができたなら・・・僕はどうなってしまうのだろう? 「・・・吾郎・・・・・くん・・・・、っ・・・く・・・っ!!」 掌を汚した液体を見て、僕は思わず笑ってしまった。 吾郎くんで、抜くなんて・・・・。 「はは・・ははは・・・・。」 男の僕が、男の吾郎くんで・・・・。 笑いは止まらない。 吾郎くんはあんなにも無垢なのに。 僕はなんて汚いんだ。 吾郎くんは「性」の欲望などとは無縁の存在だ。 欲望は勿論、知識すらない。 だから、僕の「異変」を見て素直に心配したんだ。 あの時、自分がそんな状態になっていたなんて、吾郎くんにそこをいきなり掴まれて初めて知った。 後ろから抱きつかれた、あの瞬間、僕は「驚いた」んじゃなくて、君に抱きつかれて、肌と肌を密着されて、そういう興奮を覚えたんだ。 自分では気づいてもいなかったのに、躯はなんと正直なものだろう。 今日の彼。 あの湖のように透明な君に・・穢れなき存在に・・・僕は・・・・。 「ふふ・・ふふふ・・・・。」 笑いはまだ止まらない。 思えば、初めて出会ったあの時、僕は君の不思議な魅力に囚われたんだ。 だから「必ず来てくれ。」などと言ってしまった。 「美しいものを見て、「美しい」と思うのは自然な事、か・・・。」 これは「恋」なのだろうか。 わからない。 わからないが・・・・僕は君に惹かれて止まない──────。 翌日。 「おはよう、吾郎くん。」 「おお、寿!おはよ!」 いつもと同じ朝、いつもと同じように挨拶を交わす。 それぞれの想いは、胸に閉じ込めたまま。 人魚の初恋 3→ この頃の、貴族の殿方の下着ってどうだったんでしょうね。 検索したけど、よくわからなくて・・・。 まさか「ふんどし」って事は無いと・・・信じたい!! 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