それからも毎日。
いつも通り、剣の稽古をして、寿也が公務で忙しい時は吾郎は一人で剣や弓、乗馬の練習をした。
そして時々寿也と吾郎は遠出をするようになっていた。

二人の距離は、日に日に近くなっていく。
それは吾郎にとってはこの上もない幸せであった。
吾郎は無邪気に寿也に飛びついたりしていたが、そんな事が事がとにかく嬉しくて、幸せで。
あの15歳の誕生日の夜の、手を伸ばしたくても届きようもなかったあの時を思ったら、今、この時は何にも代えがたいほど幸せであった。
ところで吾郎は寿也が思うほど、「無垢」でも「性に関して知識の欠片もない」訳ではなかった。
吾郎が人間になって間もない事から、人間特有の愛の行為についてはまるで無知であった事と、吾郎の天真爛漫さが寿也にそう思わせたのだ。
吾郎も時々思い出すのだ。
寿也を助け上げたあの時。
思わず唇で触れてしまったあの時。
寿也の唇の柔らかさ、その唇から漏れた吐息・・・あの甘い記憶。
寿也との距離が近くなるにつれて、何度、あの時の記憶が蘇り、そしてそれが出来ない事に苦しい思いをしたことか。

寿也にとっても吾郎との距離が近くなる事はこの上もない幸せだったが、それと同時に苦しみでもあった。
寿也は生れ落ちたその時から人間。
だから人間としての、少年から大人になる、この時期に特に見せる体の変化にも敏感であったし、そして当然その知識も得ていた。
だから苦しかった。
日に何度も突き上げる衝動を抑え続ける事は、かなりの精神力を必要とした。
「吾郎が女性であったなら・・・」と何度思ったことだろう。
女でさえあれば互いの年齢を考えると、そういう事が起きてもなんの問題もない。
しかし吾郎は男。

二人の関係は、極めて微妙なバランスの上に成り立っていた。
何か切っ掛けさえあれば、一瞬でこの「友情」は破綻する。
それが良いほうへ転ぶか、それとも・・・・。



そうしているうちに2年が過ぎた。
吾郎はすっかり剣の達人に成長していた。

そして2年が過ぎた、ということは、吾郎にとってはあと一年しか猶予が無い事を意味する。
魔術師泰造の薬によって人間になったその日から、ちょうど3年目までに吾郎が真の愛を得られなければ、吾郎は海の泡になって消えてしまう運命にあった。

吾郎はその覚悟は出来ていた。
ただ。その3年のうちに寿也を助けることが出来れば、それで良かったのだ。
初めて誰かを好きになった。
その好きな人の傍にいられて、本当に幸せだった。
寿也の事を知れば知るほど、想いは募っていく。
こんなに好きになった人を助けるためなら。
そしてこの楽しかった日々の恩返しに・・・。

だから、あんなに剣の修行もしたし乗馬も頑張った。
しかし。
この2年、いつ戦争になってもおかしくない、と言われながらもなんとか事が起こらず過ぎてしまった。
このまま3年目も過ぎてしまったら、吾郎は何のために人間になったのか、何のために海の泡になるのかわからない。
吾郎はさすがに焦り始めた。


戦が起こるのを願う、などといったら不謹慎だが・・・しかし吾郎には時間がない。
寿也は戦で死ぬ運命にある。
実はそんなビジョンを吾郎はあれからも何度か見ていた。
そのビジョンには吾郎は存在しなかった。
だから嫌な予感はしていた。

どうしたらいい??
このままでは・・・俺は・・・・!!

真の愛など得られるとは思えなかった。
人魚の世界にも同性愛は存在したが(魔術師泰造のように・・)それはごく一部の話だ。
そしてそれは人間界でも同様であるようだ。
寿也は見るからに爽やかな好青年。
どんな姫でも選び放題だ。
寿也に同性愛の趣味があるとはとても思えなかった。
そして佐藤家で暮らしているうちにわかったのだが、この佐藤家は相当由緒正しい家柄で、寿也はとても有能であった事もあって(勿論先祖代々の忠義も大きかったが)王家からも絶対の信頼を得ていたようだ。
そんな寿也の嫁になりたい姫は山のようにいるだろう。
そして小うるさい舅や姑がいないとあっては、これ以上の条件があろうか。
実際、吾郎が知っているだけでもいくらか縁談が持ち上がったこともあった。
寿也は全てその場で却下してきたが。
それはとても吾郎を喜ばせるものだったが、だからと言って寿也に吾郎とどうこうなろうという気などないだろう。
とても親密な関係にはなれたが・・・・大の親友。
それ以上は望める筈もない。
やはり、「吾郎が真に愛した相手から真に愛される」、つまり「吾郎が真に愛する寿也に真に愛される」など不可能だ。

やはり・・・・どうしても戦争が起こってくれなくては・・・・俺は無駄死にをしなくてはならない。





しかし、奇跡と言ってもいいのだろうか、それは起こった。

○○国との国境付近。
そこでは些細ないざこざは日常茶飯事。

ある日の事、そのいざこざが少々やっかいな事態となった。
我が国の小貴族の息子が○○国の小貴族との間で剣を抜く騒ぎとなり、我が国の貴族の息子が刺し殺されてしまったのだ。

これが平和な時代なら○○国から謝罪があり、こちらとしても遺憾ながらその謝罪を受けることだろう。
しかし。
長年、互いに切っ掛けが欲しかった。
戦略は、この長すぎた「平和」のうちにすっかり練り上がっていた。
あとは切っ掛けさえあれば、良かったのだ。

この国の王は内心ほくそ笑んだ。
そして刺し殺されたという、我が国の小貴族に感謝した。

王はその日のうちに国中に、密かに戦に備えるよう触れを出した。
これによって、時勢は一気に戦争状態へ突入する事となった。




「遂にこの時が来た・・・・。」
ぶるっ・・と体が震えた。武者震いだ。

この時のために俺は人間になった。
この時のために剣に、弓に励んできた。
十五の誕生日の、あの夜から・・・全てはこの時のためにあった。

俺は寿也から一瞬たりとも離れない。
この身を犠牲にしても・・・・。


佐藤家では慌ただしく戦支度が始まった。

吾郎は密かにある薬もその戦支度に忍ばせた。
それは魔術師泰造から貰った薬だった。


  「・・・ということは、アナタも戦に行くんでしょ?この薬を持って行きなさい。」
  「何だ?これは。」
  「これはアタシがアナタの為に秘術を用いて作ってあげたの。感謝するのね。
   首を落とされたり胴を真っ二つにされたり心の臓を一突きにでもされない限り
   この薬を塗れば傷は癒えるから。」
  「ホントか?」
  「ああ。もしもその綺麗な瞳の彼が即死しなかったら、塗ってあげなさい。」
  泰造は、吾郎に自分で使えとは言わなかった。
  もしも吾郎が寿也を助けた後ならば、吾郎の役目は終わる。
  その後ならば、吾郎は薬を塗ってまで助かろうとはしないだろう。
  助かった所で恐らくは3年目には海の泡に・・・・・。
  特効薬を貰って大喜びの吾郎とは対照的に、泰造は沈痛な面持ちで吾郎を見守っていた。



「これで・・・万が一、寿也が負傷しても、息さえあれば助かる。あのオッサン、変態だけど、魔術だけは確かだからな!」
吾郎は薬の入った貝を固く握り締めた。



そしてとうとう出陣の日。

佐藤家の当主である寿也は勿論、吾郎もきらびやかな甲冑に身を包み美しい馬具を着けた駿馬に跨り、共の者達を引き連れて颯爽と旅立った。
その若き美しきこの屋敷の主の姿に人々は感嘆の溜息を漏らし、屋敷に残る戦には出られない女や年寄りの召使達は、主人の武運を心から祈りつつ見送った。


それから。
戦いに継ぐ戦い。
王は一つの勝利ではまったく満足せず、次なる戦いへ。

小国が割拠するこの世界は、絶妙のバランスで均衡が保たれていた。
どの国も力は似たようなもの。
些細な切っ掛けで、そのバランスはあっけなく崩れ落ちる。
それを終わらせるには有無を言わせぬ大国、強国になる必要があった。
でなければ例え戦争が終わっても、次なる争いが必ずいつか始まる。


さて、寿也の率いる軍。
大きな戦略は王が練る。
しかし、その場その場の目の前の戦いにおいては、当然その隊の指揮官の才が問われる。
寿也は非常に戦略に長けた指揮官だった。
機知に富み、ある時は大胆に攻撃を仕掛け、ある時は恥も外聞もなく引いた。
真っ向から勝負に挑む時もあれば奇襲攻撃もした。
その全てが良い結果を生み出し続けたため、兵達の信頼は日を追うごとに絶対のものになっていった。

吾郎にとっては戦略などサッパリ、チンプンカンプンで。
最初のうちは寿也の策も聞いていたのだが、そのうち全く聞かなくなってしまっていた。
聞いても理解できないからだ。
ただ、自分はどう行動すればよいのか、それさえ知っていれば吾郎は十分だった。
策の真意は、寿也一人が知っていればそれで良かったのだ。

寿也は策に長けていただけではなく、強かった。
文句なしの強さだった。
あの温和な姿のどこにこんな強さが隠されていたのか。
寿也は一番安全な後方に収まっているタイプの指揮官ではなく、自らも前線へ出て戦った。
それに影のように付き従ったのは吾郎。
二人が共に剣を振るう姿は、凄まじく美しく、まるで剣舞の如く、鬼神の如く。
彼等に向かう敵兵は、次々斃れ、そして屍の山が累々と築かれていく。

最初こそ、吾郎には迷いもあった。
この敵兵にも家族がある。この人を大切に思う人がいる。
この人が死ぬ事によって悲しむ人が、必ずいる。
何故、人魚の国のように平和に生きられない?
何故、殺し合いをしなくてはならない!

しかし殺さなければ殺される。
寿也を殺されたくない。
寿也を助けるまでは死ねない。
そう思いながら戦ううちに、いつしか戦いに殺し合いに慣れていく自分に気付いて吾郎は愕然とした。

戦のない世をつくる為に、戦が必要なのか。


吾郎にはわからなかった。
寿也にもわからなかった。

少なくとも。
今は・・・世を儚んで正論を述べている間に殺される。
大事な人も殺される。

今は何が正しくて何が間違っているかは問題ではない。
殺さなければ殺される。

それだけだった。








ある日の宿営地。夜。

「寿、そろそろ寝ないと・・体が持たねーぞ?」
「ありがとう。でも、もうちょっと。もうちょっとで良い考えが浮かびそうなんだ。」
寿也は吾郎にニッコリ笑って返事をすると、再び机上の地図に厳しい視線を向けた。
先ほどからずっと、それを見つめつつ考えに耽っていた。
しかし、もう夜半を越えた。
吾郎は心配だった。
寿也のように立派な屋敷に住んで、身の回りの事は全て召使がやってくれた、そんな快適な生活をしていた寿也が、今は・・・。


・・・と、その時。
吾郎の脳裏に、忘れたくても忘れられないビジョンが浮かんだ。
それはあの十五の誕生日の夜、初めて見たものと全く同じものだった。
そしてそれは・・・・。

「近い・・・。」

もしかしたら明日、明後日・・・とにかく目前に迫っている事だけは確か。
その直感は稲妻のように吾郎の体を駆け抜け、それが間違いない事を確信付けた。

吾郎は思わず我が身を掻き抱いた。
恐怖と不安で体が震える。
自分は寿也を守りきる事ができるだろうか?

そんな吾郎を見て、今度は寿也が心配した。
「どうしたの?寒気がするの?」
声をかけられて吾郎はハッ・・・と寿也を見つめた。
ぼう然と・・・見つめた。
恐怖に慄くようなその瞳は、どう見ても平常とは見えなかった。
「もしかして熱が・・・・。」
寿也は立ち上がって吾郎の額に手を当てててみた。
「熱はないみたいだね。でも顔色が悪い。君こそ早く休んだ方がいい。こんな所で病気になったらヘタをしたら命に関わる。」
寿也はいつもの調子で吾郎に言ったのだが。
「いいんだよ・・・俺の事なんか。それよりもお前だ。」
「僕?僕は至って元気だよ?」
寿也はまたニッコリと笑った。
この笑顔。大好きな綺麗な笑顔。
そして大好きなこの瞳・・・エメラルドの輝き・・・・。
吾郎は自分を押し留める事がどうしても出来ず、突き上げる想いのまま、寿也にガバッ・・と抱きついてしまった。
「・・・ご、吾郎・・・くん?」
「お前の事は、俺が死んでも守るから・・・・!!」
「・・・どうしたの?何か・・・。」
「寿、これからは俺にお前の傍から離れる仕事を与えないでくれ。俺はお前の傍から何があっても離れたくない。」
「何を・・・。」
「頼む!!」
吾郎の尋常ならざる様子に寿也は圧倒されてしまった。
一体何がこんなに吾郎を不安にさせるのだろう。
こんなに震えるほどに。心臓の音が寿也にまで響いてくるほどに。
寿也はゆっくりと吾郎の背に腕を回した。
腕を回されて、吾郎はようやく自分が寿也に抱きついてしまっていた事に初めて気付いた。

お、俺・・・・なんて事を・・・・!!

吾郎はこの期に及んで顔が真っ赤に染まっていくのを感じた。
そして今更ながら、離れようともがいてみた。
が、今度は寿也のほうが吾郎を抱きしめて放さなかった。
「わかった。君と僕は・・・ずっと一緒だ。離れない。」
そう言うと、寿也は更に強く吾郎を抱きしめた。

・・・・・・・・。
どうしよう・・・心臓が高鳴る。
ああ、でも・・・なんて温かな広い胸・・・心臓は高鳴るけど、こうしてると安心する。
人のぬくもりって、なんて、あたたかいんだろう・・・・・。

寿也──────。
俺、これでもう・・・十分だ。
ありがとう・・・・。
お前の事は俺が、この命に代えても必ず守るから・・・・。


時間にしてみれば、ほんの僅かの事。
この僅かの時間を、抱き合えたこの時を、寿也のぬくもりを永遠に胸に抱いて・・・そして泡になろう、海へ還ろう・・・・と吾郎は決意を固めた。



自然に緩み始めた、抱きしめる腕。
体を僅かに離した至近距離で瞳が合った。

何か言いたげな、必死に訴えかけるような、互いの瞳。
ほんの少し、距離を詰めれば唇が触れ合える。
それを互いに最後の理性でもって、心に蓋をした。

「あ、その・・・ゴメン。お前、全然休まないから・・心配になって・・・。」
「・・・・。僕は大丈夫だよ。ありがとう。」


無情にも、体は完全に離され、そしていつもの二人。
笑顔で挨拶を交わすと吾郎は床につき、寿也は再び机に向かった。
各方面から聞こえてくる戦局。
この局面さえ突破したら、当面は平和になる筈だ。
一時的かもしれないが、平和が訪れる。
寿也は頭を切り替えて、再び厳しい視線を地図上に落して策を練るのだった。





翌日。
寿也の策が実行に移されていった。
今までと同様、面白いように寿也が思い描いたように事が運んで行き、その日の夕刻には、大勢はほぼ決しようとしていた。
寿也の軍の勝利は目前だった。

しかし、なかなか簡単にそうさせてはくれない。
敵も必死なのだ。

寿也も率先して剣を振るう。

早く降伏してくれ!これ以上は、無駄死にだ・・・。
そんな事を願いながら、寿也は一人、また一人、と切り倒していく。
その、光景。

瞬時に吾郎に起こる、デジャヴ。

そう、これだ、この光景・・・。
あっちから一人来る・・こっちからも・・・あ、ほら・・やっぱり来た!
寿也は次々と・・・。
そして・・・・そう、次の瞬間!!


その時、寿也は後ろからの気配への反応が遅れてしまった。
戦場では一瞬の隙が命取り。

────しまった・・・!!

太刀が振り下ろされる、と思ったその時。
疾風のように何者かが寿也の目の前に躍り出た。
吾郎だ。
寿也を切り裂くために振り下ろされた敵の太刀を、間一髪で吾郎が剣で受けとめた。
激しい鍔迫り合い。

「ご、吾郎くん・・・。」
吾郎にはそれに答える余裕などない。
寿也は体勢を建て直し、加勢に出ようとしたその時。
もう一人の兵が横から突進してきて吾郎に切りかかった。
寿也の目の前で吾郎が血飛沫をあげて倒れる。
その様子が寿也の目にスローモーションのように焼きついた。
言葉にできない瞬間。
だがショックを受けている暇はない。
最初寿也に襲いかかった太刀を持った男は、今まさに吾郎にトドメを刺そうとしていた。

それだけは、させない!!

寿也の翠玉の瞳に激しい怒りの光、狂気の光が走った。
電光石火の如く、雷神の如く。
恐らく何が起こったのか、その太刀を持った男には分からぬ間に切り殺されていた。
そして雷神と化した寿也は、横から吾郎に切りかかった男にも襲い掛かった。
閃光の如く。
二人の男を倒してしまうと、ようやく我に返り・・・・。
「吾郎くん!!」
抱き上げた吾郎は脇から腰、腹辺りまで大きく切られていた。
溢れるように流れ出る血。
致命傷ではない、と思われた。
しかし放っておけば出血多量で死ぬ。

「とし・・・・。俺は、大丈夫・・・。だから・・・早く・・・ここで勝てば・・・終わり、なんだろ・・・?」
吾郎は痛みを堪えてニッコリ笑った。
「ダメだ!君をこのままにしておけない!!」

涙が、込み上げる。
君を抱く、僕の手が震えている。
涙で・・・手が震えて・・・君が、よく見えない・・・・。
君が・・・君が・・・・こんなに血を流して・・・・・・!!
あたたかい、君の血が・・・・!!

「寿・・。お前は・・この軍の指揮官、だろ?お前が・・自分を見失ったら・・・勝てるものも勝てない・・・・。」
「でも!僕は戦より、君が・・・!!」
「行け!!こうしている間にも・・・お前の兵が、死んでるんだぞ?・・・お前は武人だろうがっ!!」

吾郎の瞳は鋭い光を湛えて、寿也をしっかりと見据えていた。
その迷う事なき吾郎の強い意志を見せ付けられて。

ようやく寿也は自分を取り戻した。

───吾郎くん・・・。

寿也は込み上げるものを懸命に押し留める。

「僕は確かに武人だ。でも・・・でも・・・それ以前に僕は・・・人間なんだ。」
寿也は涙を拭うと吾郎を横たえながら部下に命じた。
「吾郎くんを後方へ運んで手当てしてやってくれ。」
そう言う寿也は、いつもの冷静な寿也だった。

「じゃあね、吾郎くん。勝ってくるよ。」
いつもの微笑で寿也は宣言した。
「楽しみにしてるぜ?」
吾郎もいつもの笑みで答えた。


寿也はすっくと立ち上がり前を見据える。
敵はすぐそこ。陥落寸前。

この勢いのまま、後はひたすら攻めるのみ!








寿也がそこへやって来た時は、夜も遅かった。
兵士達は喜びを体中で表現しあって勝利の美酒に酔いしれていたが、寿也は一人、硬い表情でそこにやって来たのだった。

「吾郎くんの具合はどう?」
体中に包帯を巻かれた吾郎は今、眠っていた。
医術師は
「傷が思ったより深く、臓器にまで達しております。」
「・・・縫合は・・。」
「しようとしたのですが・・・・断られました。」
「なんだって!?」
「何故だかはわかりません。しかし彼には助かる意志がないようです。」
「・・・・今、吾郎くんは眠っている。今のうちに麻薬で麻酔をして、早く・・・・!!」

「寿。やめてくれ。」
後ろから小さく弱々しく聞こえてきたのは、紛れもなく吾郎の声。
「吾郎くん!!手術してくれ!!縫い合わせれば治るんだから!!」
すると医術師は。
「必ず治るとは・・・・言い切る事は出来ません。」
寿也が必死の形相で今度は医術師へ振り向く。
「臓器を元通りにするのは難しく・・・神でなければ・・・・。」
医術師は瞳を伏せながら顔を逸らした。

それは遠まわしな死の宣告。
寿也が、この戦を軍神マルスの如く戦い抜いた、数々の戦場でこの軍を勝利に導いてきた、その寿也がよろめいた。

吾郎はそんな寿也を目の当たりにすると、医術師に目を向けて言った。
「悪いけど・・・寿也と二人きりにさせてくれねーか?」
医術師は吾郎の意を酌み、無言のまま軽く礼をして立ち去った。

「寿・・・・。」
寿也は茫然自失。
声にならない叫び、思いのたけを訴える瞳。
「寿・・・。」
吾郎はもう一度、寿也の名前を呼んで手を伸ばした。
すると、寿也は藁をも掴む勢いですがり付いて。
「よかった・・・・お前が無事で・・・・。」
「僕の事なんかより君が!!」
すると吾郎は幸せそうに微笑んだ。
「俺はいいんだよ。俺は今日、あの時・・・お前を助ける為だけに、お前の前に現れたんだから。」
予想もしていなかった言葉に寿也は瞳を見開いた。
「・・・・え・・・・・。」
しかし吾郎は淡々と続ける。
「俺、たまに未来が見える事があるんだ。それでお前が今日、ここで切り殺されるビジョンを何度も見た。何度も見た通りに、今日、お前に向かって切りかかってきた敵兵を見た。知ってたから俺はあの時、お前を助けることが出来た。・・・俺の役目は・・・終わったんだ・・・・。」
寿也には吾郎の言っている事が理解できなかった。したくなかった。
「なあ、寿。ここを撤退する時、俺の事は置いていってくれよ。」
「何を言ってるんだ!!」
「・・・聞いただろ?俺はもう、助からない。」
それに、3年の期限まで・・・・もうあと、ひと月程しか残っていない、と吾郎は胸のうちだけで言った。
「お前の負担になりたくない。頑張って連れて帰ってくれたって、どうせ俺は死ぬんだから。」
吾郎の手を、更に力強く無意識のうちに寿也は握り締めた。
何を言って良いのか分からない、言いたい事は山のようにあるのに、言葉にできない。
そんな寿也とは正反対に、吾郎の瞳は虚空を追った。
夢見るような、遠い昔に思いを馳せるような、そして希望に輝くような吾郎の瞳に、寿也は言い知れない恐怖を覚えた。
このまま手を放したら、吾郎は虚空へ向かって羽ばたいて行ってしまいそうで・・・寿也は必死に吾郎の手を握り締めた。
「お前と一緒に過ごした日々・・・。楽しかったよ。本当に・・・幸せだった。ありがとう。お前の全てに・・・礼を言いたい・・・感謝したい・・・寿也、ありがとう。」
寿也の瞳から、溜まりかねて涙が零れ落ちた。
「お礼・・・なんて・・・・お礼なんて・・!!僕は・・・・!!」
「そんな顔、すんなって。俺は役目をきちんと果たす事が出来て・・・すっげー、嬉しいんだから。お前が生きていることが・・・・何よりも・・・嬉しいんだから・・・・・。」
「そんなの・・・吾郎くんが死んだら何にもならない!!僕一人生き残ったって・・・・!!」
吾郎は微笑んだ。
天使のような微笑だった。
「ありがとう。その言葉だけで俺は十分だ。俺、ほんとうに・・・幸せだ・・・・。」
「吾郎くん・・・吾郎くん・・・違う・・・・そんなの、絶対違う!!」

もう、ダメだ・・・抑え切れない!!
君がいなければ、君が死んでしまったら・・・考えるだけで恐ろしい。
僕はもう・・・・・。

「僕は・・・君が好きだ・・・・。」
「俺も好きだぜ?大好きだ、寿。」
「違う・・・んだ・・・・・。」

言ってしまえ・・・・。
何かが耳元で囁いたような気がした。
・・・それが例え悪魔の囁きだって構わない。
もう、止められない!!

「愛して・・・いる・・・・。」
「・・え・・・・・?」

言ってしまえ───────!!

「愛してるんだ・・・愛しているんだ、君を!!吾郎くん、君を・・・誰よりも愛しているんだ!!」

「と・・・し・・・・・・。」
吾郎は瞳を見開いて固まってしまった。
驚愕のその表情。
それは男である自分に告白されたからだと、寿也は受け取った。
しかし一度溢れてしまうと、言葉も感情も、二度と止まらなかった。
拒絶されても構わない。
そんな事より。

「僕は・・・君がいなくては・・・・もう、生きられない・・・・!!」

寿也は吾郎を抱きしめた。強く。

「君が僕を好きでなくてもいい。それでも!!僕は・・・君に、生きていて欲しい・・・!!」

吾郎を抱きしめながら、その顔、表情が見えないように、拒絶の表情を見たくないが故に、抱きしめながら寿也は続けた。

「今すぐ、最高の医術師を呼ぶ。なんとしても君を助ける。」
強い意志を、その言葉から吾郎は感じた・・・が。

「寿。その必要はない。」
「何度も同じ事を言わせないでくれ!僕は・・・!!」
「違うんだ、寿!!」
吾郎はピシャリ、と寿也の言葉を遮った。
「・・・・・・。」
「俺も・・・お前を愛してる。お前だけを愛してる。」
「え・・・。」
信じられないような吾郎の言葉。
寿也は耳を疑った。
「ほん・・とう、に・・・?」
寿也は震えながら問いかけた。
こんなに誰かの返事が怖かった事など、未だかつて無い。

「お前に残りの人生を捧げる覚悟で、俺はお前の所に転がり込んだんだ。お前に初めて会った時・・・いや、正確にはお前を初めて見た時・・・俺はお前に一目惚れしちまった。それと同時にお前の未来を見た。だから俺はお前を助けたくて・・・どうしても助けたくて、俺は・・・・・・・。」
「・・・・・・。吾郎くん・・・・。」
「お前と一緒に過ごすうちに・・・どんどんお前の事・・・・・。俺も・・・俺の方こそ・・・お前を愛してるんだ・・・・・。」
寿也は今度こそ歓喜に震えた。
その震える指先で吾郎の頬に触れた。
まるで神聖なるものに触れるように。そして。
「キス・・・しても・・・いい?」
僅かに羞恥と喜びが混じった表情で頬を染めた吾郎が、心から・・・何を捨てても構わないと思うほどに愛おしくて。
吾郎はゆっくりと瞳を閉じた。
と、同時に瞳に溜まっていた涙が零れ落ちて。
寿也はまず、その涙を唇で受けた。
それから吾郎の唇にゆっくりと自らの唇を重ねた。
重ねただけで、唇に全神経が集中して唇にしか感覚というものが存在しないように。今は、唇こそが二人の全て。
漏れる吐息が、こんなにも甘いものだとは。
唇がこんなにも柔らかく人の心を溶かすものだとは。

そして重ねるだけ、のつもりが、あまりに感極まってしまって寿也は舌を差し入れてしまった。
でも、感極まっていたのは寿也だけではなかった。
吾郎も求められるがまま、舌を差し出し絡めた。

まさか、こんな事が起こるなんて。
こんな奇跡が待っていたなんて。


愛してる・・・・愛してる・・・・・・・。

舌を絡め手を絡め、むさぼるように互いの愛を誇示するように求め合った。

しかし。
「・・・っつ!!」
傷に障り、吾郎が思わず漏らした声に寿也は反射的に離れた。
「吾郎くん。僕等の気持ちが同じだと分かった以上、君にはしっかりとした治療を受けてもらう。僕の為に・・・生きてくれ。頼む。」
寿也は再び吾郎の手をちょうど祈祷するように両手で握り締めながら懇願した。
「・・・それなんだけど・・・・。寿、ちょっと頼んで良いか?」
「何?」
「俺の荷物の中から、これくらいの貝の入れ物を出してくれないか?」
そう言いながら、吾郎は両手の人差し指と親指で丸の形をつくって見せて、その貝の大きさを示した。
寿也はごそごそと暫く吾郎の荷物を探っていたが、やがて目当てのものを見つけると
「これ?」
「そう!」
寿也は再び吾郎のベッドの傍らに跪いた。
「この薬を今から毎日、俺の傷口に塗って欲しいんだ。」
「これは・・・何?」
「これはさ、俺の国の医術師・・・秘術を使う医術師が俺にくれたものなんだ。首を落とされない限り、これを塗ればどんな傷でも癒えるそうだ。」
「・・・・え・・・・!?」
寿也は半信半疑の表情。
まあ、無理もないだろうが。
「だから俺がもし失敗してお前が負傷したら、すぐに塗ってやろうと思っていた。」
「ちょ、ちょっと待って。僕は無傷だ。そして君はこんな状態・・・。なんで君は最初からこれを使わなかったんだ!!」
「・・・俺は・・・どっちにしてもあと一ヶ月程度で死ぬ運命にあったから。」
「な・・・!!」
寿也は幸福の絶頂から絶望の底へ突き落とされ、蒼ざめた。
「でも、それには条件があってさ。俺が真に愛した人から愛されなければ、俺は・・・・・・海の泡になって消える定めだったんだ。」
「どういう事なの・・・?」
それには吾郎は微笑んだだけで答えなかった。
「でもお前は俺を愛してると言ってくれた。俺も・・・出会った瞬間からお前を愛している。だから・・・これで俺は海の泡になる事は無い・・・と思う。」
「思う、って・・・それじゃ、困る!!」
「とにかく。悪いけどこれを塗ってくれないか?」
「あ・・・ああ。そうだね。」

寿也は注意深く吾郎の包帯を解いていった。
かなり血が滲んでいて、包帯を見ただけでも痛ましい。
全て解いてしまうと、大きな、そして深い切り傷が現れた。
思っていたよりもずっと深い。
寿也は思わず目を逸らしたくなった。それほど痛ましい絶望的な傷だった。
しかし・・・・直視しなければ。
僕が直視しないで一体誰が状況を把握して、薬を塗ってやることができるというんだ。

寿也は意を決して、貝の蓋を開けて指に適量を取り、そして出来るだけそっと傷口に塗った。
「・・・・っつ・・!!」
薬を塗るためとはいえ、傷に触れれば当然痛いだろう。
吾郎が苦しむ姿など、見たくない。
しかしこうしなければ吾郎は・・・・。
「吾郎くん、ごめん・・・。出来るだけ気をつけて塗るけど・・頑張ってくれ。」
「・・・ん・・・!大・・・丈夫、だから・・・!!」
塗られる方も辛かったが、塗るほうも辛かった。
ようやく、一通り傷に隙間なく塗りこめることが出来て、寿也も吾郎もホッと一息ついた。
塗った傍から、なにやら温かく傷を包んでくれる、癒し、とでも言うのか・・・心地よさまで吾郎は感じた。
そして傷口を見ていた寿也は、薬を塗った部分が不思議な光を放っているのを確かに見た。
こんな不思議な光景を見てしまったら、吾郎の傷は恐らく癒えるだろう、と寿也には思えてようやく安堵した。
そして新しいガーゼや油紙を当てて包帯を巻いていった。
全て完了してしまうと、二人は同時に大きな溜息をついた。
それがあまりにピッタリだったので、二人は顔を見合わせてクスクスと・・笑ってしまった。
笑いが収まると、もう一度唇を・・・・・・。


「あのさ、寿。」
「何?」
「実は・・・俺、キス、初めてじゃないんだ。」
「え!?」
寿也は、吾郎が別の誰かと唇付けの経験があるのかと思って胸の底に黒いものが蠢くのを感じてしまったのだが。
「お前を助け上げたあの日、覚えてるか?」
「え?あ、ああ・・・・。」
「気を失ったお前を寝かせて、お前の顔を見ているうちに・・・お前があんまり綺麗だったから・・・俺、思わず・・・・その・・・・・。」
吾郎は言い難そうに頬を染めてたどたどく白状した。
寿也はてっきり別の誰かとの話だと思ってしまっていたので、真相を聞いて気が抜けたように笑い出した。
「な、なんだよ、人が懺悔の気持ちを込めて白状してるってーのに!!」
「ご、ごめん!僕は別の誰かとの事だと思って、嫉妬しちゃったじゃないか。でもそういう事なら・・・嬉しい。本当に。」
「で、でも!!その時はお前、俺にそんな感情はなかったんだろ?完全に俺の一方的な思いで・・・お前の意思を無視した、その・・・最低な行為だったんだろうなって・・・ずっと、俺・・・・・。」
「いいよ、そんな事は。それに・・・僕もあの時・・・初めて君に会ったあの時から君に惹かれていた。多分僕も一目惚れしてたんだよ。だから君に必ず来てくれ、なんて言ってしまったんだ。」
「・・・・・・。」
吾郎は呆気に取られて寿也を見つめた。
「結局・・・最初から僕達は想いあっていたんだね。こうなるまでに3年もかかってしまったなんて・・・。」
寿也は綺麗に微笑みながら吾郎を引き寄せると、もう一度、唇付けた。





















人魚の初恋 4→




酷い傷なのに随分喋ってるのが気になりますが・・・すいません・・!!








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