「魂の片割れ?」
「そう!その相手とはね、見えない赤い糸で結ばれているの!」
「お前・・・頭、大丈夫か?」
「大丈夫よ!失礼ね!!あたしの相手は間違いなく唐沢よ〜!」
「・・・・・。」
香取は最近ここに通ってくる唐沢の虜となってしまったようだ。
唐沢は大手企業でエリートコースまっしぐらの男。
妻子があるそうだが・・・まあ、ここに来る客で妻子持ちは別に珍しくもない。
俺はからかって言った。
「唐沢って奥さんいるんだろ?確か社長令嬢。」
「ま!吾郎ちゃんの意地悪!!
でもね、唐沢は奥さんをこれっぽっちも愛しちゃいないわ!
出世の為に結婚したようなものよ。彼の真実の愛はア、タ、シ、の、も、の!!
ほほほほほ・・・・・・!!」
「つきあってらんねー。一生言ってろ!」
───魂の片割れ、か・・・・・。
その言葉だけが、心に深く沁み込んで浸透して行くのを感じながら
吾郎は自室へと戻って行った。
魂の片割れ。
そんなもんを信じるほど俺はキレイじゃない。
しかし、仮に・・もしあるとして・・・その片割れが違う人を選んじゃったらどうするんだろう。
大して好きでもないのに告白されて、勢いに飲まれてついOKしちゃう連中など山のようにいる。
結婚だって似たようなものだろう。
遠い昔は顔も知らない者同士が、親の思惑だけで結婚させられたのだ。
香取みたいに、相手が出世の為に自分に利益をもたらす人間と結婚したりしたら
残された・・その、「自称、運命の相手」である香取はどうなるんだろう。
初めて寿也に抱かれた時、涙が止まらなかった。
何故だかわからなかったが・・嬉しくて嬉しくて・・・・初めて会った相手だったのに。
この体には数え切れないくらいの男のモノを突っ込まれてきたけど
寿也は・・出あった瞬間から全てが違った。
初めて会ったその時、胸に何かが突き刺さったような強烈な痛みを感じてしまって、自分に何が起こったのか分からなかった。
とにかく狼狽を気付かれないよう必死にニコやかに振舞った事を覚えている。
それと同時に、初めて出会った相手だというのに寿也に見つめられる度に何か後ろめたい想いが俺を襲ったのも。
そして触れられて・・・緩やかに電流が体を駆け巡るような気がして。
俺のその器官は寿也の為だけに作られたものなんじゃないか、ってくらいに何もかもがピッタリなような気がした。
それが動くだけでどう表現して良いのか分からないくらいに良くて・・・・信じられないくらいに、自分を失いそうなほどに感じてしまって・・・・・。
魂の片割れ・・・なんだろうか。
寿也は俺の。
・・・だとしたら、神様はとてつもなく意地が悪い。
そして。
その片割れとやらは、間違いなく一人対一人なんだろうか。
唐沢の相手が奥さんでないと、本当に愛がないと・・・どうして言える?
確かに香取は唐沢の運命の相手かもしれない。
傍から見ていても、あの二人からは只ならぬオーラを感じる。
香取も色んな男の相手をしてきたが、そんなふうに見えたのは初めてだった。
しかし運命の相手が一人とは限らない。
寿也の相手だって・・・・・。
ここまで考えて俺はハハハ・・ッと自嘲気味に笑った。
馬鹿馬鹿しい、何が魂の片割れだ。
御伽噺の王子様とお姫様の物語に胸をときめかせる少女じゃあるまいし。
と考えていたら、その香取がノックもなしにいきなり俺の部屋のドアを乱暴に開けてたので、飛び上がらんばかりに驚いた。
「う、うわ〜〜〜!!」
「失礼ね、人を幽霊か何かみたいに!!」
「わ、悪い・・。で、なに?」
「唐沢がね、アンタに用があるんだって。」
「俺に?」
「そう!・・・吾郎ちゃん?唐沢を誘惑したら許さないわよ!?」
物凄い形相で迫る香取。かなり恐ろしい。
俺は引き攣った笑みを浮かべつつ、香取の携帯を受け取った。
それを耳に当てると香取も携帯に耳を当てんばかりに近寄って来て。
苦笑しつつ、俺は話し始める。
「なんだよ、俺になんか用か?」
「茂野か。用があるのは俺じゃない。今、代わる。」
「?」
「吾郎くん!」
「寿・・・・。」
それを聞いていた香取の顔が、たった今まで鬼のような形相だったのに
一変してパア〜〜〜〜っと輝いた。
「ロマンスだわ!」
しかし俺は香取どころではなかった。
「やっと君に辿り着いた・・・・。」
携帯からは懐かしい・・愛おしい・・・甘い声。
切らなきゃ・・・そんな事は分かっていた。
分かっていたけど・・・・。
自然に涙が次々溢れてしまって・・・・止められなくて・・・・・。
こんなに俺は寿也を求めていたのか?
受話器から寿也の声が聞こえる、ただそれだけで、俺は・・・・。
「吾郎くん。あれから何があったかはなんとなく想像できる。唐沢くんから話も聞いた。」
「お、お前ら、知り合いだったのか?」
言いたい事はもっと別にあるはずなのに、どうでもいい事が口を突いて出る。
「ああ。彼は高校までは野球をやっていたからね。
誰もがプロ入りするだろうと思われた程の選手だったんだよ?
でも彼は大学へ進んで普通に就職した。その、昔の縁でね。」
「そうか・・・。」
「吾郎くん。一緒に逃げよう。」
「・・・ダメだ!」
涙を拭いながら、でもそれだけは決めた事だから、とキッパリと拒絶した。
声を聞いただけで涙が溢れるなんて・・・俺は自分の想いを改めて見せ付けられた気持ちだった。
俺にとっては間違いなく寿也は運命の相手なのかも知れない。
しかし。
「前も言ったろ?お前はどうかしちゃったんだよ。
お前は真っ直ぐに栄光の道を進んで行く男だ。日本中の誰もがお前に期待してるんだ。
俺なんかと一緒にいたら、お前の輝かしい未来に暗い影を落す事になる。
・・・暗い影どころか・・・泥を塗る事になる。」
お前なんか大嫌いだ、と言えたらどんなに楽だったか。
だが、さっき泣いてしまった事は受話器越しに伝わってしまったので、
ここは正直に話して分かってもらうしかないだろう。
「吾郎くん。吾郎くんは僕が好き、そうだよね。」
強い寿也の口調。
「な、なんだよ・・いきなり・・・。」
「答えて。」
有無を言わせない寿也に
「ああ、そうだよ。そんな事、とうの昔から知ってただろ?」
「ああ、知ってたよ。そして僕は君が好き。」
「だからなんだよ。」
「好きなもの同士が共に生きる。こんなにシンプルな事はない。」
「あのなー!人には分相応っつーもんがあるんだよ!
・・・・・。俺はお前にふさわしくない。そんな事、馬鹿な俺でも分かる。」
「・・・・・。」
「お前は、毎日のようにスポーツニュースの華だ。一方俺はこんな所で薄汚れた存在だ。
わかんねーのか?お前が俺なんかと一緒にいたら、お前まで汚いもののように見られるんだよ!!
爽やかな甘いマスクが売りだろ?お前は!
なのにこんな店の男と暮らし始めました〜、なんて・・・世間が黙ってるとでも思うのかよ!!」
「吾郎くんの悩みは・・・それだけ?」
そう、促すように言われ
「それだけって・・・すごく大きな問題だろうが!!」
「・・・・。怖いの?」
「・・・・・・。」
「店を出るのが怖いの?」
「ああ、怖いさ!」
俺は開き直った。
「当たり前だろ?俺は子供の頃からここしか知らないんだから。
・・・・俺は男の欲望を食らって生きてる、ゴミ以下の生き物だ。
俺はそれしか生きる術を知らない。
俺は華々しい世界なんて知らない。そんな世界で生きるお前の足を引っ張りたくない。
・・・・・・・・・。
奈落の底に棲む生き物が、天界を望むようなもんだ。
天界へ潜り込めたとしても・・・いつかきっと亀裂が入る。
天使と魔物は結ばれない。そんな事は誰だって知ってる。
そんな事をしたら・・世界が・・この世の理が・・・・崩れてしまう。
何もかも崩れてしまう!!
分を超えた幸せは望んじゃいけない。それは罪だ。
俺には恐ろしすぎて、そんな大罪、犯せない!!」
俺は一気にまくし立ててしまった。
じっと聞いてくれていた寿也は暫くして溜息をついた。
「やっぱり・・・そんなふうに思っていたんだね。」
「・・・・。」
「あれから門前払いだった事は君も知ってると思う。
僕は焦ったよ。もう二度と君に会えないんじゃないか、とも思った。
そんな事を思いながら・・・僕も色々考えていたんだ。
・・・・何度考えても結論は同じだった。
僕は君と共に幸せになりたい。
・・・・・・。
でもそれを貫いたら、色々な人に迷惑がかかる。
男同士だしね。
僕は勿論、そして君までも・・心無い人達に叩かれるだろう。
それでも、僕は君と共に生きたい。
初めて君に出会った時、そして初めて君に触れて・・・僕には分かったんだ。
君なんだと。
僕がずっと・・そう、生れ落ちたその時から捜し求めてきたのは、間違いなく君なんだと。」
・・・・・。
魂の片割れだと・・・お前は言うのか?
こんな・・俺なんかが・・・お前の?
また涙が溢れそうになって俺はグッと堪える。
「君の幸せは何?・・・・君の真実は・・・何?
店が、女将が、世間が・・じゃなく、君自身の真実は?」
寿也の言葉の、一言一句が胸に突き刺さる。
それは寿也が真実を語っているから。
じゃあ、俺の真実は?
「吾郎くん。今夜7時に店に行く。女将や他の人に僕を門前払いにさせるんじゃなく、君が出てきてくれ。
そして君が僕を門前払いにするか、店に入れるか・・・決めればいい。
もし店に入れてくれるなら女将と話をさせてくれ。
女将も忙しいだろうから時間に都合がつくまで待つ。
どれだけ待たされてもいい。・・・話がしたい。
当然、延滞料金は払う。だから店としては何の問題もない筈だ。
だが・・・もし、今日君に門前払いされたら・・・僕はもう二度と君の前には現れない。」
「・・・・・・。」
「僕は君と共に生きたい。
その為なら・・・予想される障害は沢山あるが・・・立ち向かえる。頑張れる。君となら。
君は自分の幸せだけを考えて・・・そして決めてくれ。」
受話器越しでも伝わってくる。寿也の強い意志。
俺なんかの為に・・・こんな俺なんかの・・・・・。
「吾郎くん、窓から外を見てくれない?僕は今、君のすぐ傍にいる。少しだけ・・・頼む。」
その「頼む」の言葉が消え入りそうで・・・とても逆らえるものではなかった。
俺の気持ちも・・・理屈じゃなく、とにかく・・一目だけでも寿也をこの目で見たい気持ちを抑えられなくて・・・。
俺は携帯を耳に当てたまま、窓際へ行き外に目を向けた。
その日はとても寒い日で雪が深々と降り積もっていた。
そんな中。
店の塀の向こう、少々遠かったが
寿也が真っ直ぐに俺を・・俺だけを見つめていた。
こんなに遠くても分かる。
寿也の強い決意が伝わってくる。
負けない。くじけない。
共に生きよう。
寿也の声が・・・聞こえてくる・・・・。
寿也・・・・・・。
会えなくなって一ヶ月も過ぎていない。
なのに・・・・。
込み上げるこの感情は・・・・
痛いくらいに胸を締め付けて、そして満ち溢れていくこの想いは・・・・・・・。
通話を切っても、俺は佇む寿也を見つめていた。
暫くすると寿也は軽く手を上げて立ち去ってしまったが
俺はずっと、寿也がいたその場所を見つめていた。
そこに確かに寿也がいた、その足跡が
降り積もる雪に埋もれて・・・消えていく。
それが切なくて・・・胸が締め付けられる程に切なくて・・・・。
気付けばまた、一筋の涙が俺の頬を伝って落ちていた。
「吾郎ちゃん・・・・。」
すぐ隣で見ていた香取が俺の肩に手を置いて「大丈夫」と言わんばかりに
その目に涙を浮かべながら微笑んでくれた。
寿也・・。
俺は、信じていいのだろうか?お前を。
俺の幸せだけを考えて、決める。
俺の真実だけを見つめて決める。
俺の真実は、幸せは・・・はじめてお前に会ったあの瞬間から・・・・お前だけだ。
俺はお前が好きだ。
離れてみて、そして今、電話で話をして・・・遠目にだけど寿也の姿を見て・・・・
ハッキリと分かった。
俺は寿也なしでは生きられない。
俺が俺でいられない。
心が、全身が・・お前を求めて求めて・・・・
もう、自分ではどうしようもない程にお前を求めている。
俺はお前が好きだ、寿也。
でも、好きという気持ちだけで生きていけるなら、そんなに簡単な事はない。
共に生きる、つまり生活する事だ。
寿也は一流のプレーヤー。
金に困る事はないだろう。
そう言うと聞こえが悪いが・・・でもそれは事実だ。
どこか・・例えばマンションで一緒に住む。
共に寝て共に起きる。
とてもロマンティックな響きだが・・・朝、起きれば朝食。
誰が作るんだ?普通は俺だろう。
寿也は球場に出かける。
俺は一人家に残される。
洗濯に掃除。そして夕飯の準備。
まるで新婚の奥様。
出来るだろうか?俺に?
でも愛があれば、寿也のためなら!!
問題がそれだけなら、なんてことはない。
寿也は日本中で知らない人などいないだろうと思われる程のプレーヤーだ。
マスコミの目もある。
俺の事をかぎつけるのは時間の問題だろう。
・・・・・・それこそが俺が一番恐れていた事。
寿也だってそれを考えていない筈はない。
どうしたら・・・・・・。
約束の7時。
普段俺は店の奥にいて呼ばれるまで出る事はない。
出入り口まで出る事はあり得ない。
しかし今日は。
「申し訳ございません、貴方様をお通しする事は・・・・。」
いつものように店員は寿也に同じ言葉を告げようとしたが。
「待てよ。」
「吾郎くん・・・。」
「通してくれ。なんだったら一番いい部屋でいいぜ?それなら文句はないだろ?」
「ちょっと・・待て、茂・・・!!」
「あ、それから!女将に俺達の部屋に来るよう言っといてくれ!」
「こら、そんな一方的に・・・おい!」
「頼んだぞ〜!」
そして、その一番いい部屋のドアをパタンと閉めると・・・久方ぶりの二人きり。
その瞬間、抱きしめられた。
「吾郎くん・・・会いたかった・・・・・!」
俺も・・・俺もだよ、寿。
その優しそうな顔や甘い声とは正反対の厚い胸板、鍛え上げられた太い腕に
痛いくらいに抱きしめられて
寿也の肩に顔を埋めて・・・寿也の匂い・・・懐かしい、大好きな匂い。
俺、やっぱり・・・お前が好きだ・・・お前が・・・誰よりも・・・・。
本当に久し振りの唇付け。
その唇も、絡まる舌も何もかも・・・こんなにも・・・・!
長い長い唇付けの後、ようやく唇だけを離した至近距離で
「寿・・会いたかった・・・・。」
それは自然と口から出た言葉。
「僕も・・吾郎くん・・・。
正直、君に門前払いされたらどうしようかと思った。」
苦笑気味に言う寿也に
「迷った。・・・今も・・・迷ってる。」
俺は正直に言った。
「俺は寿也が好きだ。誰よりも誰よりもお前が好きだ。でも俺は・・・・。」
「そうよ、吾郎。あなたは正しい。」
いつの間にか母さんがそこにいた。
いつから?ずっと見て・・・?
「恋をするな、とは言えないわ。人間の自然な感情ですもの。
でも私達のような者は、その恋を成就させようとしてはダメ。
佐藤さん、貴方のような人とは特にね。」
「母さん・・・。」
「吾郎・・あなたがせめて店に出ていなければね・・・・。
母さんも祝福できたかもしれない。
でもそれでも・・・あなた達は同性。
店に出ていなくても・・・何を言われるか、簡単に想像できるでしょ?
ましてやこんな店の看板なのよ?吾郎は。」
寿也を見据える桃子。
「わかっています。悩み抜いた上で、僕はここにいます。」
寿也はあくまでも毅然としていた。
「いいえ、貴方はちっとも分かってない。
私達のような人間がどのような目で見られるか、何を言われるか。
どんな扱いを受けるか。
貴方のようなお坊ちゃんが、いくら考え抜いたって分かりっこない。」
「・・・・。確かに現時点では想像する事しかできません。
でも、吾郎くんと一緒なら頑張れます。
それに僕はお坊ちゃんなんかじゃありませんよ。
小学生の時、僕は両親に捨てられたんです。
祖父母が引き取ってくれなかったら僕はどうなっていたか。
僕と吾郎くんは似たような境遇の下で育ちました。
祖父母との暮らしは決して楽ではなかった。年金暮らしでしたし・・。
まあ、それはともかく・・・・。
門前払いだった間、いえ・・そのずっと前から僕も考えまていました。
僕だってこの歳まで生きてきたので恋愛の一つや二つは経験があります。
そのどれとも違うんです、この気持ちは。
吾郎くんは他の誰にも替えられない。僕にとってはただ一人の存在なんです。
何を敵に回しても、僕は吾郎くんと共に生きる道を選びたい。
・・・・共にいられなければ、半身をもぎ取られたように辛い。
そう思える存在に出会ってしまったんです。
もう僕は・・・吾郎くんがいなくては生きていられない。」
寿也・・・俺と同じ事を思って・・・。
俺は心から感動してしまったのだが、それを母さんはバッサリと切り捨てた。
「そんな事を簡単に言っちゃうところがお坊ちゃまなのよ。
それに、お爺様やお婆様の下で、貧しかったかもしれないけど、貴方は真っ当に育てられた。
私達から見たら・・・十分、お坊ちゃまなの。」
しかし寿也も負けてない。
「・・・・。貴方は僕なんかよりずっと年上で遥かに色々な経験をされてきた。
だから・・・そういう事を言うんですよね。
吾郎くんの幸せを願っているからこそ。
必ず幸せにするとは・・・言えません。未来の事はさすがに分かりません。
でも、幸せになる為の努力は惜しまない。
喜びも苦しみも悲しみも、僕は吾郎くんと乗り越えていきたい。二人で。」
ああ・・・・・・。
寿也は何もかもちゃんと分かっているんだ・・・。
これから起こり得る、全ての障害も何もかも。
それでも、俺と共に生きたいと・・・・・。
寿也はこんなにも大きい。
こんな寿也だからこそ、俺は惹かれたのかもしれない。
俺の真実。俺の幸せ。それは寿也と共にしかあり得ない。
「・・・母さん。俺、寿也が好きだ。」
「分かってるわよ、そんな事。」
「俺も迷った。寿也とは会わせない、と言われて正直、俺はホッとしてたんだ。」
「吾郎くん・・・・。」
「でもやっぱり俺は寿也が好きだ。
寿の気持ちを聞いて俺・・・・寿也と二人なら苦労しても何を言われても平気だと思える。
傍から見たら不幸かもしれないけど寿也と二人なら、幸せだと思えるんじゃないかって・・
いや、違うな・・・・思えるんじゃなくて、幸せなんじゃないかって。」
「キツイ事を言うようだけど、吾郎はいいわ。もし失敗しても、失うものは何もないから。
でも佐藤さんは違うでしょ?
あなたのせいで佐藤さんの野球人生が無茶苦茶になったらどうするつもり?」
「・・・。同じですよ、僕も。失うものは何もありません。
僕が同性愛を貫く事で祖父母まで悪く言われないか、それが心配ではありますが・・。
野球は元々実力の世界です。
実力がないと判断されれば切る捨てられるし実力があれば使ってくれます。
この事で一時的に世間を騒がせるかもしれませんが
犯罪を犯したのではない限り、チームは僕を使わざるを得ない。」
「随分な自信ね。」
「違いますよ。自分で自分にプレッシャーをかけてるんです。
そうやって自分自身を追い詰めて更に高みへと向かう為に。」
「・・・そんな貴方なのに・・・なんで吾郎なの?貴方なら選り取り見取りでしょ?
美人の女子アナとか女優さんとか・・可愛いアイドルだって。」
「そういう人とは確かに知り合いやすい環境ですが・・本当の意味で自分の相手ではない人と結婚しても仕方ありません。」
「頑固ね。」
「・・・・。吾郎くんを僕に下さい。吾郎くんと二人なら、どんな時だって幸せになれる。」
寿也の瞳は深い深い海の色。
緑色に光る不思議な色合いの綺麗な瞳。
見つめていると、いつも吸い込まれそうになるんだ。
その瞳に強い意志を漲らせて、今、俺の育ての親に俺をくれと・・・・。
ここで朽ち果てるしかないと思っていた。
ここから出る時は死んで墓に入る時だけだと。
でも寿也が来てくれた。
寿也が俺を望んで、俺も寿也を・・・・。
怖くない訳がない。
分不相応。そんな事も分かっている。
でも、それでも俺は寿也が好きだ。
俺も、寿也がいないと、半身をもぎ取られたように・・・・。
それは今、訪れた。
訪れる筈もない、夢見る事自体馬鹿馬鹿しく
夢でさえも見る事がなかった、真の幸せは
今、目の前に・・・・・。
今、飛び立たなければ二度と
真に欲しかったものを・・・本当は喉から手がでそうな程に欲しかったものを、手にする機会は巡ってこない。
「母さん、俺は寿也と生きたい。寿也とでないと生きられない。母さん・・・!」
「・・・・馬鹿な子。」
長い沈黙の後、桃子は諦めたように溜息をついた。
「佐藤さん、この子、家事なんてサッパリよ?それでもいいの?」
「二人で覚えます。」
寿也は清々しく微笑んだ。
そして寿也と俺は、母さんに心から頭を下げた。
それから俺達は二人で住むマンションを探し始めた。
店の外の世界は新鮮で驚きの連続だった。
俺は中学までしか出ていない。
その後はずっと店だった。
外に出るって言っても近所をぶらぶらがせいぜい。
お金の価値すらイマイチ分かっていない。
だからマンションが何千万だの何億だの言われても、正直よく分からなかった。
球場に通いやすく、交通の便も良く・・・
そして俺が育った店からもさほど遠くない場所のマンションに決めた。
3LDKで1億?2億だったっけ?
何もかも豪華で驚いたが、豪華さよりもセキュリティーで選んだと寿也が言っていた。
そして真新しい家具や電家製品を揃えていって・・・・・
ついにその日はやって来た。
その前日、母さんは俺に通帳と印鑑を渡してくれた。
「あなたは給料なんていらない、って言ってたけど・・・あなたの働きの分はここに入れてあるから。」
通帳を見ると、まさに中学を出て暫くしてからの日付で入金が続いていた。
俺の人気が上がった頃からはちゃんと額も上がっていて・・・
また、贔屓の客が遠のいたり、俺自身が風邪などで店に出られない日が続いた時はちゃんと額も下がっていた。
つまり、正当な評価額だけ毎月ここに入金しておいてくれたのだ。
「佐藤さんが稼ぐ額からしたら微々たるものだけど・・・
でもこれはあなたが働いて得た正当なお金よ。大事に使いなさい。」
俺は言葉を発する事が出来なかった。
なんと・・・言えばいいのだろう?
いくら婚約者だった男の子供だからって
ここまで親身に愛情を注いで育ててくれた、この掛け替えのない恩人に。
「あなたをこんな道に引きずり込んじゃって・・・
例え私が天国に行けても、おとさんにあわせる顔がない、って・・ずっと思ってた。
でも、吾郎をあんなにも愛してくれる人に吾郎を引き渡す事が出来て・・・良かった・・・。
これで私、おとさんに胸を張れるかしら。」
「何言ってんだよ!!俺は母さんに感謝してる!!おとさんだって感謝してるさ!絶対だ!!」
「吾郎・・・・。」
桃子はボロボロと涙を流した。
本当は、キレイなままで吾郎を寿也に渡したかった。
今更、言っても仕方のない事だけど・・・・。
「幸せになりなさい。幸せになれなかったら貴方は負け。
いつか私に・・ちゃんと勝利宣言しに来てちょうだい。」
「ああ、必ず来る。寿也と二人で・・・必ず。」
俺の荷物は少ないもんだった。
着替えが少しとおとさんの写真、そして母さんにもらった通帳。
20年くらいここで生きてきたのに、俺の荷物はこれだけだ。
大きなバックに収まる量だけ。
その少なさに我ながら驚いた。
こういった世界はとても不安定で頼りない。
だから持ち物も最小限に、と心のどこかで思っていたようにも思う。
香取は俺に抱きついてワンワン泣いていた。
母さんは瞳いっぱいに涙をためながらも微笑んでくれた。
「かあさん・・みんな・・・。お世話になりました。」
俺は頭を下げた。
「しっかりやんなさい。」
そして母さんは寿也に向き直って
「佐藤さん、不束者の息子ですが大事な一人息子です。どうか、よろしくお願いします。」
「一生、大切にします。」
寿也も深々と頭を下げた。
そして寿也の車に乗り込む。
皆が手を振ってくれた。
母さんは堪えきれずに涙を流していたけど、最後まで笑ってくれた。
さよなら、さよなら・・・・ありがとう!!
俺、母さんに会えてよかった。
みんなに会えてよかった。
寿也に会えてよかった。
幸せになるから・・・どうかみんなも幸せに・・・元気で!!
新しい生活が始まる。
寿也と二人の生活が。
別れは辛かったけど、俺も寿也も希望に満ち溢れていた。
泡沫の夢よりも 3→