空白。
何もなかった。
ただ・・・・無の世界。
何かを想う事、思考する事を拒絶していた。
こうしている時も、もしかしたらカイはレイといるのかもしれない。
そんな想いが意識の隅をかすめる事すら、ないように。
そうやって、日々を過ごし・・・何をしたのか、何を話したのか。
マコトとも・・・・どうやって過ごしていたのか・・・・いつから、共に笑ってないのか・・・・・・。
どれだけの時間が、月日が、そうやって、ただ過ぎたのか・・・・・。
そんな、ある日の夜のことだった。
「よう、タカオ。」
自宅。
マコトはもう眠ってしまっていた。
何をすることもなく、ただ時間だけが過ぎていた時だった。
よく知った声が背後から聞こえた。
声の主は振り向かずとも分かった。
その時、皮肉にも俺は・・・・
ただ、日々だけが過ぎ、無の世界を彷徨っていたような、そんな中
その声に急激に意識が浮上し、まるで今初めて生気を取り戻したような、そんな気がした。
・・・・・・・・・・・・・。
恐らく、今更だが
あの時・・・レイとカイの情事を見てしまった事、その話をしに来たのだろう。
レイが悪い訳ではない。
だが、今はまだ、あまり話したいとは思えない相手だ。
「何の用だよ。不法侵入者。用があるならまず玄関で呼び鈴を鳴らすのが筋だろ?」
俺は振り向きもせずに、そっけななく言い放った。
「悪いな、どうもいつもの癖で。」
いつもの癖。
それはカイの所へ忍んで行く時の癖だろうか。
心が荒んでいると、何事も悪い方へ悪い方へととらえてしまう。
とにかく。
レイはここへ来てしまった。
レイも昔からの旧友。俺にとって大切な親友である事は間違いない。
正直に言えば、会うのならもう少し気持ちが落ち着いてからにしたかったのだが。
もう、ここまで来てしまったのならば腹を括るしかないだろう。
俺は少しでも気を落ち着かせようと立ち上がった。
「そこに座って待ってろ。今、お茶を淹れるから。」
「気遣いはいい。」
「黙って待ってろ!」
レイの一挙一動、全てが癇に障ってしまって思わず声を荒げてしまった。
言ってしまってから、大人げない自分に後悔したが。
レイも俺の気持ちを察してくれたらしい。
少しの間の後、レイは静かに言った。
「わかった。」
俺は台所へ行き、ゆっくりとお茶を淹れ、お茶菓子を用意して。
深呼吸を何度もして・・・そしてレイのいる部屋へと戻って行った。
扉を開ける前に気を引き締める。そして笑顔を作った。
さあ、戦闘開始だ!
「待たせたな、レイ。ちょうど美味い菓子があった。勿論食うよな?」
俺は先程とは打って変わって笑顔で部屋に入って行った。
レイは俺の豹変にちょっと驚いた顔をしたが。
「そうか。じゃ、遠慮なく頂こうか。」
やはり察してくれたのだろう、すぐに気を取り直したようにお茶をすすって菓子を口にする。
「・・・本当だ、美味い!」
「だろ?俺の大好物!」
そう言って二人、笑い合った。
まるで遠い昔のように。
お茶を飲み、美味しいお菓子を食べて
一見、和やかな旧友同士の再会を演じて互いに落ち着いて、暫く時間が過ぎた頃。
「俺はカイが好きだ。」
レイがいきなり切り込んできた。
「・・・・。知ってるよ、そんな事は。」
「お前が、きっと誤解してると思って。」
「誤解?なんの?」
「俺とカイの・・・関係を、だ。」
関係・・・嫌な響きだ。
「・・・。お前達の事は子供の頃から知ってた。それが復活しただけの事だろ?」
「違う。お前だってわかってるんだろ?カイの過去を。
カイが子供時代から・・大人達から受け続けた仕打ちを。
カイは・・・あのヴォルコフの元、幼い頃から何人もの・・・俺は、それを利用して・・・・。」
「知ってるよ、そんな事は!!」
聞きたくなくて思わず声を荒げた後、俺は溜息をついて己の感情を何とか落ち着かせる。
「カイが今まで何人に抱かれていようが、俺とカイの間には関係ない。
俺はカイが好きだし・・・・今は知らねーけど、少なくとも以前は俺を好きだと言ってくれた。
俺達は、それで十分、幸せだったんだ。
お前、まさかカイを侮辱する為にここに来たのか?
だとしたら、例えレイでも・・・・絶対に許さない!!」
「違う!俺はカイが好きだと言ったろう!!」
ぶつかり合う藍と金の瞳。
先に瞳をそらしたのはレイだった。
「俺は・・・カイが好きだ。
昔から・・・カイの弱みに付け込んで何度も抱いた事も事実だし、今だってそうだ。
だが、昔も今も・・・俺には、わかっていたんだ。
昔は分かっていながら、気づかない振りをした。
今も・・・同じかもしれない。
俺は分かっていながら、気づかない振りを続けようと思っていた。
お前が・・・それからカイも離婚するまでは。」
気づけばレイの金の瞳は、再びまっすぐに俺を捉えていた。
「タカオが結婚生活を続けているならば、カイを慰めるため、と俺自身の良心に対する言い訳もあったが・・・。」
「はん、お前に良心なんてあんのかよ。昔から男にも女にも手当たり次第、手を出しまくってたくせに。」
「なんとでも言え。事実だから否定はしない。・・・・・・。タカオ。やっぱり俺じゃダメなんだ。」
「・・・・。」
「あいつを抱くたびに、俺では駄目なのだと突きつけられる。カイは何も言わないが・・・。」
「何が言いたいんだ。」
「タカオ。お前じゃないと駄目なんだよ。
何度抱いても心までは許さない。快楽に堕ちて一時的な慰めを得ているだけだ。
日頃の苦しみの開放は多少出来ているようだが、真に想う相手は別にいるのだと、あいつを抱くたびに突きつけられる。
これがどんなに惨めが、お前にわかるか!?」
苦渋に満ちた金の瞳が俺に向けられる。
「お前には悪いが、時がお前を忘れさせてくれるだろうと思っていた。
時間さえかければ、俺に抱かれ続ければ・・・カイは真実、俺のものになってくれるだろうと。
カイに負担に思われないように、下手に迫らず、いつものように飄々と接して
そしてテクニックにものを言わせて、快楽の底に引きずり込み続ければ・・・・。」
「やめろ!そんな話、聞きたくない!」
レイの手で鳴くカイ。
レイの突き上げに喘ぐカイ。
以前見た、あの姿がどうしても脳裏を過ぎった。
知ってるわけないけど、レイのテクニックは相当のものだろう。
百戦錬磨の両刀使い。
一度抱かれたらレイを忘れられなくなる・・・そんな男や女を何人も見た。
「悪いが聞いてくれ。そうじゃないんだ。
俺はカイを手に入れるためなら、何年だって待とうと思っていたんだが
何十年待ったって無駄だという事が・・・あいつを抱くたびに思い知らされるんだ。
・・・・・子供の頃から・・・・・・本当は分かっていたんだ・・・・・・・・・・。」
レイは小さな溜息をついた。
「タカオ・・・お前しか見てないんだよ、カイは。子供の頃から・・・お前しか見ていなかった。
だから俺は・・・・もう、この件からは手を引く。後はお前次第だ。」
レイは言いたい事だけを言い終わると、立ち上がった。
「互いに結婚に失敗して・・・もう、コリゴリだろう。
いい加減、素直になった方がいい。それが一番だ。」
レイの言葉が、ようやく胸に届く。
「レイ・・・。お前も結婚、上手くいってないのか?」
「いく訳ないだろ?元々俺はマオを妹としか見てなかったんだから。
本当に好きな相手とでなければ、結婚なんて何の意味もない。」
「・・・・・。」
俺はこの時、初めてレイの心を思った。
誰でも抱くとんでもない男だが、昔からレイはカイしか見ていなかった。
だけど白虎族の長になった為に、結婚を強要された。
自由奔放に見えて、しかし実際は生まれ落ちたその瞬間から、白虎族の鎖に繋がれて。
そういえば子供の頃から、普段の奔放ぶりに隠されてしまっていたが
美しい金の瞳の奥には、常に虚しさが・・・全てを悟ったような虚無感が潜んでいたような気がする。
レイも・・・・とても哀しい存在なのだと。
「ま、俺の事はいいさ。お前の言うように相手に困った事はないしな。」
「お前・・・本当に昔から、ひっでーヤローだな。」
ハハハ・・・とレイは笑った。
「でも今度、俺が日本に来た時にカイが幸せになってなかったら、今度こそ本気でカイを落としにかかるぞ?
それこそ時間の許す限り、俺のテクニックの全てをつぎ込んで、カイが何も考えられないように、とろとろにしてやるから覚えておけ。」
じんわりと、レイの言葉が心の奥へ染み込んでいく。
「・・・・・。わかった。ありがとう、レイ。」
素直に、そう言えた。
レイは誰をも魅了する、とても綺麗な笑顔を見せた。
そして立ち去ろうとしたレイだったが。
「あのさ、レイ。」
「なんだ?」
「・・・そのテクニックとやらを・・・ちょっとだけでいいから教えてくんね?」
とても言いにくい事だったが、やはりとても興味がある。
またそんな日が来るかどうかは分からないけど
もしも、まだ・・・・まだ許されるのなら・・・・
その時は、少しでもカイを歓ばせることができたら・・・・・。
「・・・・・・。別に構わんが・・・・・。
口で説明して何とかなるものじゃないと思う。タカオ、俺とシてみるか?」
「・・・・。は!?」
「俺は全く構わないぞ?こういうのは実践あるのみだ。お前は元々体で覚えるタイプだろ?どうだ?」
「な、何を・・・お前、いくら見境ないからって・・・!!」
あまりに予想外の展開に俺はすっかり焦ってしまって、しどろもどろだ。
「・・・なかなかいい反応だな。なんだか本気で抱きたくなってきた。タカオを鳴かせるのもまた一興、かもな。」
レイは標的を定めた虎さながら
異様な迫力を漂わせつつ一歩、また一歩、獲物を追い詰めるように俺に迫ってくる。
俺も一歩、また一歩、後ずさりをするのだが、ついに壁に行き当たってしまった。
「もう後がない。」
レイはニヤリ・・・と笑った。
俺は壁に背を預けて動けない。
レイは一瞬で距離を詰め、そんな俺の顔の両側に肘をついた。
至近距離の金の瞳が俺を捕えている。
月の光のように美しいその瞳は既に瞳孔が細い。
今まさに、獲物を手に掛けんばかりの虎。
こうやって・・・・レイは迫るのか・・・・。
こんな瞳で見つめられたら、誰だって目を逸らせない!!
だ、だからといって・・・・・!!
レイの顔が、唇が近づいてくる。
このままでは・・・・。
「う、うわ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
俺は思い切り叫ぶと、無我夢中でレイの腹に拳を繰り出していた。
・・・・・が。
腹、と思ったが、レイは腹のあたりで俺の拳を掌に受け止めていた。
レイは思わず吹き出すと、豪快に笑った。
「はははは・・・・!!」
レイが笑いだして、初めて俺は、からかわれたのだと知った。
しかし、本気で「このままではヤられる!」と思っていたので、俺は怒るよりも気が抜けてしまって。
ヘナヘナと、その場に座り込んでしまった。
「・・・あ、ああ・・、なんだよ、もう・・脅かしやがって・・・・。本気で焦ったじゃないか!」
「いいじゃないか、これくらい。俺はまたしても玉砕なんだ。多少の意地悪くらいさせろ!」
そう言われて。
俺は素直な疑問を、恐る恐るレイに投げかけてみた。
「念の為、聞くけど・・・お前さ、もし俺が殴んなかったら・・・あのままシたのか?」
「・・・・さっきのタカオの顔は、なかなかソソルものがあったからな。う〜ん・・・悩むところだ・・・・。」
「悩むな!!」
なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
そうだった。レイってこういう奴だった・・・。
レイは笑いながら続ける。
「まあテクニックなんか、気にすることはない。反応を見ればわかるだろ?
ここがイイんだとか、ここは嫌いみたいだとか。
イイ所を徹底的に、また時には焦らして・・・攻めるのみさ。」
でも・・・。
レイと話ができて、こんなとんでもないハプニングに大いに焦り、そして一気に気が抜けたところで
なんだかレイに対するわだかまりも、何もかも一緒に全て吹き飛んだ。
俺も、今度は心の底から笑った。
そして心から、「ありがとう」と言えた。
レイが笑って帰って行ってからは、何かがすっきりと吹っ切れたような気がしていた。
何度・・・。
目覚めた朝、腕の中の空白に
そこにカイがいない、その無限の空白に、遣り切れない痛みが胸を襲った事だろう。
カイはいない。
俺の隣にカイはいない。
どんな時も、カイはいない。
気が遠くなるような、孤独。
分かれてしまった二つの道。
このままではもう二度と、俺がカイの人生に関わる事はないのだ。
道が交わる事は、もう二度と。
その道を、遥かに遠くまで見渡して
この道を、たった一人で生きていくのか・・・・俺も、お前も・・・・・。
・・・・・。
でも、もしかしたら
それぞれが懸命に生きて行ったその先に、俺達二人の道が交わる日がやってくる事も、あるかもしれない。
しかし、そんな日がもしも来たとしても
それは間違いなく、今までのような恋愛関係ではないだろう。
もう、二度と・・・・。
・・・本当にそれでいいのか。
漆黒の闇の底・・・・・だと思っていた。
そこに小さな光が灯っていた事に、レイのお蔭でようやく気付けたような気がする。
それは、ずっとそこで待っていてくれたのだろうか。
最初から、その光は・・・その高貴な紅い宝石は・・・・俺がそこまで進んで行って手を伸ばすのを待っていたのだろうか。
俺は無意識に手を伸ばす。
しかし何を掴む事もできなかった。
虚しく空を掴むだけ。
その手を固く、震える程に握りしめる。
何よりも何よりも大切な存在。
全てを捨てる事になっても手に入れたい、共に歩みたい・・・何物にも代えがたい、ただ、一人の人。
そう思える人に、俺は出会えた。
なのに俺は、愚かにも手放してしまった。
本当に大切な人と巡り合えたら
その手を掴むことが出来たら
何があっても、決して放してはいけなかったんだ。
そんな単純な事に気づくのに、何年もかかってしまった。
俺は大きく深呼吸をした。
俺の中の闇を全て吐き出して、新しい風を吸い込むように。
そして瞳を見開いた。
もう、闇を彷徨うのはここまでだ。
こんなのは俺じゃない。
「木ノ宮タカオ」じゃない。
道は続いていく。
必ず交わらせてみせる。
それが、どんなに遠くても。
俺はカイと共に生きたい。
カイと共に幸せになりたい。
それが俺の、生涯変わらぬ、ただ一つの願い。
希望の光が、遠くで瞬き始めたような気がする。
一度決めたら、夢を掴むために前へ進むのみ。
澄んだ想いが胸に満ちていく。
もう、そこに迷いは存在しなかった。
ようやく少しだけ進んだ・・・。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
(2016.11.18)