僕たちの香水が出るらしいですよ、虎徹さん!
「へーかっこいいじゃん、なあバニー」
虎徹が手にしているのは、クリアなボディの角ばった小さな瓶だ。その中にはまた、クリアな液体が入っていた。
少し前に、イメージ香水を作りたいから話をさせて欲しいと言う依頼が来た。実際に話をすれば、うんざりするほどたくさんのことを聞かれた。
使っているシャンプーの銘柄だとか、通っている美容院の名前だとか、ファッションのポイントだとか。
それが香水作りにどう役立つかなど、素人であるバーナビーには全くわからなかったのだが、そもそも香水を使ったことなどないのだからそれを知る意味も無いと思った。
あまりファッションに興味の無いバーナビーは、普段の服装でさえ頓着していない。着ればなんでもそれなりに似合ってしまうからと虎徹に言ったら、それはずるいとごねられたことがある。虎徹のほうは、「かっこいいお父さん」でいるために努力をしているんだとか。しかし、まあ好きだから苦ではないんだけどな、と。
その話を製作側の人間に伝えれば、どんどん乗り気になっているのがわかった。「おやじでも、かっこよくいたい(仮)」なんてキャッチフレースをつけるんだそうだ。
後から聞いた話に寄れば、香水の件はバーナビーだけに頼む予定だったらしい。今は落ち目から復活しているが、ターゲットにする世代的に狙うのはどうかと考えていたようだ。
それから、少し期間の開いた後、サンプルが出来上がったから是非試して欲しいと、その制作会社から連絡が入った。
アポロンメディアの会議室にふわりといつもと違う香りが漂う。
試す前の口上を聞いてもなんだかよくわからなかった。それでも、この商品は香りが重要なのだから、売るために必要なそういうものはこの際自分たちには関係ないと、そのあたりは聞き流しておいた。
先に、香水を振り掛けたテスター――ムエット、というらしい――が配布されたが、こういうのは本人がつけたのを嗅いでこそじゃないです?という虎徹の提案で、虎徹とバーナビー自身でその香水を試すことになった。
「バニー、手出して」
先にバーナビーさんの香水を試した方がよいでしょうと促され、ボトルを手に取る。しかし、使い方がよくわからなくてそのままボトルを眺めていたらそれを取り上げられ、虎徹に言われた。
「付けてあげるから、な」
手を出せといわれても、どの手をどう出せばいいのかすらわからず、とりあえず右手の手のひらを出す。
「あー、ちがうちがう。手、っていうか、手首?内側な」
「それならそうと、はじめに言ってくださいよ。なんか僕、世間知らずみたいで恥ずかしいじゃないですか」
「えっ、気にしてたんだ。うおっ」
隣に座る虎徹の椅子を蹴った。すぐ揚げ足を取るところは好きじゃない。
「いいから、はやくしてください」
わかったよ、と笑う虎徹はなんだかとても楽しそうだ。
香水なんてほとんど興味が無いバーナビーに対し、虎徹はふだんから香水を使っているらしい。これは、前回話をしたときに聞いたことで、そんなこと知らなかったし、全く気がつかなかった。
気が付かれない程度の香りなんて、つけてないのと同じじゃないですか、というバーナビーにそんなことないぞー、と口を尖らせていたことは記憶に新しい。
プシュ、プシュと両手首にひと吹きづつ、スプレーされる。
「ほら擦れよ」
「え、擦るってどうやって!?」
「つけたところを両手で!」
こうやって、と虎徹がやる動作を真似して、たらりと垂れてきてしまう液体を手首を擦り合わせて留める。
それはすこしだけ、ひんやりした。
「それから、耳の後ろにもつけんの。ここ、な」
また虎徹の真似をして、両手首を耳の下辺りまで持ってきて擦りつける。加減がわからずに、広範囲にわたってついてしまったような気がする。
「こう、でいいんですか?」
「うんうん、いい感じ」
にこにこしながら頷く虎徹になんだか恥ずかしくなった。
虎徹に教えてもらう、という機会自体があまり無くて、それが原因なのかもしれない。
「それで、どうすれば」
「少し待つんだよ。さっきも聞いただろ?香水って始めの匂いと、ちょっと経ってからの匂いってちがうの。あ、ここで待つのは違う理由だっけ?」
「虎徹さんもあまり知らないんじゃないですか」
「いやー、はっはっは」
別に香水に詳しくなくても何も問題は無いけれど、せっかく教えてもらう以上、もうすこしちゃんと知っていて欲しかったという気持ちはあったのだけれど、これ以上を望むのも虎徹に悪い気もした。
ぶらぶらとさせたままでいたバーナビーの手を、突然虎徹が取る。
「なん、……なにを?」
手首をぐいと引き寄せられ、虎徹の顔に近けられる。
彼は、目を閉じて匂いを嗅いでいた。
擬音をつけるとしたら、確実に「くんくん」だ。犬のように鼻を近づけてひくひくとさせる虎徹に、猛烈に恥ずかしさが募る。
「この格好、ちょっと腕が痛いんですけど……」
せめてもの抵抗に言葉を発せば、ごめんごめんと手を離してくれた。
ふうと息をついて前を見たあと、すぐ横に気配を感じた。彼の座っている場所より、すぐ、近くに。
「わっ、びっくり…し、虎徹さん……?」
あろうことか虎徹は、椅子から身を乗り出し、バーナビーの首筋に鼻を近づけてきた。
「やめてくださいっ、こんなところで」
「え、別に嗅ごうと思っただけなんだけど?バニーちゃんなに想像してるのーやらしー」
「へ?あ、別にそういう意味じゃ……っ」
そういえば、首筋にも香水を塗ったのだった。忘れていたわけではないのに、すっかり抜け落ちていて変なことを口走ってしまった、恥ずかしい。取り繕ってみるも、あまり意味の無いことのようで余計に嫌になった。
「うんうん、わかったわかった。ちょっと嗅がせてねー」
バーナビーは眉を寄せてじっとする。まだ何をされているわけでもないのに、なんだかくすぐったい。
襟足を寄せる手がさらりと首筋に触れ、バーナビーはきゅっと目を閉じた。
だんだん顔が近づいてきている気配がして、鼓動が早くなる。鼻先が少し、触れた気がした。
「ふーん、なるほどね」
「なんですか?感想があるなら言ってください」
「これが世間のバニーのイメージなのかーって思っただけ。でも、バニーに似合ってるよなー」
まだ首筋がくすぐったくて、バーナビーはそこを自分でさする。
虎徹がバーナビーに触れることはそう少なくは無いはずなのだが、なかなか慣れることはできない。
しかもこんな風に、虎徹のほうに性的な意図は何もなくても、ベッドの上でするように触れられてしまえば、身体を緊張させるほか無かった。
「いつも思うけど、君たちってなんかいかがわしいことしてるよねぇ……」
静まった会議室を再び波立てたのは、二人の上司であるロイズだった。
彼に顔を向ければ、呆れたようにため息をついている。そして、隣に座る制作会社の人々は、皆一様に固まっていた。
普段から虎徹とバーナビーのやり取りを見慣れているロイズとは違い、あまりに近い二人の距離に社外の人たちはもしかしたら勘違いをしてしまったのかもしれない。
いや、勘違いでもないのだけれど。
「そうですか?俺ら普通だよなあ、バニー」
「そうですね。ロイズさん、あまり邪推しないでくださいよ」
そう言いながらもまだ顔の火照りは収まらない。こんなことじゃ今の言葉の説得力にも欠ける。
「それにしても、バニーちゃんが香水使ったことなかったなんて、なんか意外だな。いっつもバニーからするいい匂いはなんなの?」
また、腕をとられ手首を嗅がれた。
こういうことをするのが今日の仕事だとはいえ、なんとも複雑な気分だった。
「シャンプーとか、整髪料の類じゃないですか?それより、あなた方は嗅がなくてもいいんですか?いつまでも眺められているだけでは困ります」
固まったままの技術者たちに対してびしりと言えば、彼らは慌てて立ち上がり、やっとバーナビーの匂いを嗅ぎはじめた。
虎徹に握られていた方の手もいつの間にか離され、今は技術者の鼻先だ。
そもそも似合う匂いなんてよくわからないのだから、試香とか言われても「へーいいですね」くらいしか返せない。
専門家が、これがいいといってくれたものに文句をつけるほどのこだわりを持っているわけではないのだ。
「ありがとうございました」
ボーっと、適当なことを考えていたら、声をかけられた。
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