over flow


「好きです」




 いつもと同じメニューのトレーニングを適当にこなし、シャワーを浴びようと、少しだけ肌に張りついたウェアを脱ごうとしたときだった。
 初めてオジサンと呼ばれたときは、皮肉かよこの生意気ルーキーめ、とも思ったが、これがなかなか馴染んでしまい今では自分からオジサンだからーなどと冗談半分で使ってみたりしている。
 それを彼が発したときは、何か文句を言われる可能性が高いことをオジサンは知っている。
 その後に続く言葉なんて聞き流してもさして問題はないし、耳を傾けるだけ損、経験に基づく結論だ。
 だから今日もその愛称で呼ばれ、ふんーなんて適当な返事をしながらロッカーからシャワーセットを出して、ベンチに座りウェアをたくし上げた。

「好きです」
 ぴくりとしてしまった。
 告白の意味は知っている。恋慕だ。
 バーナビーがここの所、目が合うと不自然にならないようにそらす回数が多くなったことも、俺のボディタッチをやんわりと避けていることも、知っている。
 それでいて、たまに飲みに誘うと高確率で乗ってくる。バーで飲むこともあれば、バーナビーの部屋に行くこともある。
 アルコールが入っていると、少し涙腺が弱くなることも。
「そうなのかーバニーちゃんに好かれてるなんて、うれしいなぁ」
 言いながらウェアを脱ぎ、脱いだままの状態でベンチの上へ、ぐしゃりと置いた。
 答えてはいけない。若き才能あるヒーローをこんなオジサンが押さえ付けては、いけない。
「おじさんは…わかってるんですよね?僕があなたをどんなふうに想っているか…」
 バーナビーは少しうつむき、握った手を更に強く握りしめた。
 ダメだろ、バニー。本気になったら。
「相棒として、認めてくれたってことだろ?ありがとうな」
 極力普段と同じ調子でしゃべる。気付いては、いけない。
 気付かれては、いけない。
「嘘だっ!あなたはっ…僕は…あなたのことが…」
 バニー、何でそんな泣きそうな顔してんだ。
 俺はお前の、相棒なんじゃないのか。
 否、わかっている、バーナビーの気持ちも、俺の、気持ちも。
 だけど、越えてはいけない一線ってのがあるんだ。あの日の誓いを、忘れては。
 ため息か落ち着くための深呼吸か、どちらにしてもバーナビーに気付かれない程度に小さく息を吐く。立ち上がり、バーナビーに近づいた。4歩。
 左手でバーナビーの両目を覆った。
「泣くなよ」
 涙が手のひらに触れて広がる。
 あとからあとから、涙はこぼれてくる。
 バーナビーはそれを必死に堪えているようで、唇を噛むのが見えた。
「…好き…なんです」
 嗚咽にまみれた声が紡ぐ、好きという言葉。
 もう一度、小さく息を吐いた。
「バニー、お前が俺のことそういう意味で想われていることは、なんとなくわかってたよ」
 今度はバーナビーがびくりとした。
 何か言いたげに唇が開かれるが、ここで断ち切らなければ。
 バーナビーのために。本音は、俺のために。
 傷つきたくなかった。
「でも、俺は応えられない。娘がいるし、死んじまったけど、あいつのことはまだ愛してる」
 手に張りついていられなくなった涙が、ぽとりと落ちた。
 そろそろ、逃げ出すかとも思ったが、唇を噛み締めて立ったままだ。
 ぐっと力をこめられた手をとった。
 手のひらに刺さった指をなで、解していく。
「バニーのことも、好きだ。でも…相棒として、だ」
 あ、声変になった。
 解された手をやさしく握り、目を覆っていた左手をゆっくり離した。
「おじさんは、優しい、ですね」
 びっくりした。
 バーナビーが、微笑んでいたからだ。
 目は、真っ赤に染まっていた。
 あ、もう、無理。
 気付いたら、バーナビーにキスをしていた。
 ダメなのに、俺の気持ちを押しつけるなんて、やってはいけなかったのに。
 バーナビーから溢れた涙のように、俺の中のバーナビーへの気持ちも溢れてしまったんだ。
 とっさに逃げようとしたバーナビーの手を、さらに強く握り、頭も押さえて、更にロッカーへ追いやった。
 逃がすんだ。これ以上はダメだ。もう、言い訳すらできなくなる。
 理性が警告をしている。
 でも、止まらない。
 押しつけただけの唇を少し開き、バーナビーの唇をちろりと舐める。
 目を見開いたままだったバーナビーが、ぎゅっと目を閉じた。
 握っていた手を離し、口を開かせるように、バーナビーの顎に手をかける。
 ぐっと力をこめてやれば、容易く口を開けた。
「や…やめてくだッ…」
 言葉だけの抗議なんか意味が無い。
 バーナビーの右手は掴むところを彷徨い、すでに俺のハーフパンツをつかんでいる。
 言葉をさえぎるように、舌を滑り込ませた。
 狭い口腔、奥で縮こまるバーナビーの舌をつつとなぞれば、んー、と抗議をされた。
 かわいい、ダメだ。かわいい。
 こうなってしまったら、どちらがどちらを好きだったのか、わからなくなった。
 確か、バーナビーが俺のこと好きとか、何とか。
 少しだけ、自分の唾液を流し込み、音を立てて唇を離す。
 透明な線が糸を引いて、切れた。
 バーナビーは、頬を染め、息を切らながら、ゆっくりと目を開けた。
 赤く染まった目は、少し焦点が合わないようで、うろうろとしている。
「…僕には、応えられないんじゃ、なかったんですか…」
 あ、また、泣きそう。
「すまん、俺、ちょっと押さえらんなくて」
 泣くな。
 また、バーナビーの目からこぼれる。
 ここまでしてしまってから、今の嘘、っていうのは、酷か。
 俺も、もう、耐えられない。
「すまん、好きだよ、俺も。バニーのこと相棒としも好きだけど、こういうことしたいとも思う、好き。勝手言ってごめんな、バニー」
 バーナビーの目が、俺を捉えた。はっきりと見つめてくる。
「嘘、は、言ってない…ですか」
 もう、バーナビーにはわかっているはずだ。
 信じられない、という目で俺を見ている。
 そっと、バーナビーの頬に触れた。
「バニーを受け入れて、家族以上に無くしたくない人を作るのが怖かったんだ。ずっと、バニーのためって思ってきた。バニーに男の恋人なんてスキャンダルどころじゃないし、バニーと俺が恋人同士とか、若い芽を潰すことなんじゃないかとも思った、けど…」
 考えてることが整理できない。ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
 直感で行動するタイプだから、理論的に話すことなんて、できない。
 それでも、バーナビーはわかってくれたようで、微笑んだ。
 さっきのような、泣きそうで、それを堪えるような笑い方ではない。

 泣いていた。しかし、笑っていた。涙を浮かべながらも、嬉しそうだった。
「ありがとう、ございます」
 もうこれ以上バーナビーを泣かせたくない。俺が彼を愛してやることでバーナビーが幸せになれるのなら、それでいい。ただの俺の願望だ。
 バーナビーが俺に告白してきたことは、考えてみれば、バディという関係が崩れてしまいかねないことだ。
 それでもバーナビーは、俺を好きだと言ってくれた。もう、充分だ。
 なぜ、悩んでいたんだろう。
「俺を好きになってくれてありがとな、バニー」
 そう言って、俺はバーナビーを抱きしめた。
 汗の匂いが交じりあう、しかし不快感は不思議となかった。
「一緒にシャワー浴びるか?」
 からかい気味に耳元で囁くと、バッと体を剥がされた。
 頬も耳も、首筋まで真っ赤になって困ったような、怒ったような顔をしている。
「体、洗ってやるからさ」

 恋人同士っぽいこと、しようか。

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