runners high
キースさんとキスをした。
僕からの、端から見ればただの挨拶のキスのような本当に触れるか触れないかのようなものだったけれど。
彼の顔を見れば、照れたような困ったような。表情から彼の気持ちは何一つ分からなかった。
イワンは、トレーニングをしようとジャスティスタワー内の専用ルームにやってきた。まだ早い時間だからかそこには誰も来ていなかったが、そのほうがただ鍛えるだけには集中できると息巻いて、持参してきたトレーニングウェアへすぐに着替えた。
軽く運動前のストレッチをしていたら、だれかやってきたようで、階段を上る音が聞こえてくる。
誰だろうとそちらを見やれば、彼のほうが先に僕を見つけていたようで、早足でこちらに向かってくるところだった。
「やあ、折紙君!おはよう、そしておはよう!」
僕の前で立ち止まると、満面の笑みで挨拶された。
「あ、おはようございます、スカイハイさん。今日は早いんですね」
ストレッチを一時中断し、ぺこりと頭を下げた。
もうしっかりと身についているこの挨拶の仕方は、ニンジャに憧れて間もない頃に発見した、Webサイトで紹介されていたのを見て覚えた。
動画も一緒にみられるようになっていて、今でもよく利用している。
「君のほうが早いじゃないか!今日は何をする予定なんだい?」
このトレーニングルームは、ヒーロー専用に作られていて、トレーニング器具も豊富に揃っている。
細かいことはよくわからないが、市のヒーローのための予算や、僕たちが所属する各企業からの資金で充実させたものらしい。
凶悪な犯罪者と戦うためには、日々のトレーニングや訓練が欠かせないのだ。
「えーっと、今日はランニングを重点的にやろうかと思って……」
「そうか!では私もつきあうよ」
スカイハイさんはそう言うとくるりと向きを変え、着替えをするためにロッカールームへ向かおうとした。
「え!でもスカイハイさんは御自分で予定を考えてきてはいないんですか?」
「いいや、いつも皆の様子を見てから決めるんだ。一人でのトレーニングは何だか寂しいと思っていてね」
そういえば、いつもトレーニングをしている彼は必ず誰かと一緒であったことを思い出した。
スカイハイさんは僕たちヒーローの中でも人気で、みんな彼と並んでトレーニングをしたがっていたからなのかと思っていたが、彼のほうからみんなに声をかけていたのか。
今日は僕しかいないから、僕に声をかけてくれた。それでも、一緒に過ごせることが純粋に嬉しかった。
「では着替えてくるから少しだけ待っていてくれたらうれしい!」
そういってスカイハイさんは、颯爽とロッカールームへ消えていった。
彼の周りには、能力を発動していないときにでもキラキラとした空気が流れている気がする。
オーラとか、威厳とか……そういうのと似ているような、でも違うような。
あれに包まれてみたいと、いつも思っていた。
「おまたせ、折紙君!」
せっかくスカイハイさんが一緒にトレーニングをしてくれるというのだからと、おとなしくソファに座って待っていたら、それほどの時間もかからずに彼は現れた。
ぴっちりとしたトレーニングウェアの上からでもよくわかる、惜しげもなくさらされる鍛えられた胸筋に目を奪われる。
ロックバイソンさんも凄いと思ってたけど、スカイハイさんも結構がっしりしてるんだよな…。
僕だって鍛えているのに何故こんなに貧相な身体なのだろう。
自分の胸を見て少ししょぼくれてしまった。
「折紙君、いつもこの部屋だけでトレーニングをするのはとても味気ないと思わないかい?」
いや、だから鍛えるんだ、と気合を入れなおし、ランニングマシンを起動しようとソファから立ち上がったときに、肩に手をぽんと置かれた。
「……え?」
「外へ出て、ジョギングするのがいいと思う!そうだろう、折紙君!!」
とてもいいことを思いついた!という顔で僕を見るスカイハイさん。笑顔がまぶしい。
「でも……」
これ以上は言葉が出なかった。
何故彼の周りはあんなにキラキラ輝いているのだろう。
有無を言わせずに連れていかれるよりも、自分の意思で彼についていくという決断をしなければいけないのが些か躊躇させたが、スカイハイさんの提案を断るなんていう考えは自分にはない。
「ふふっ、はい、行きましょう」
期待に満ちた表情をするスカイハイさんがなんだか可愛らしくて、つい笑ってしまって、はっとする。
一瞬スカイハイさんの顔が強張った気がしたからだ。
マズイ。嫌な気分にさせてしまっただろうか、彼のことを馬鹿にして笑ったわけではないのだが、嫌われたくはなかった。
「す、すいません、別に深い意味があって笑ったわけではなくて、その、…―ごめんなさい!」
うまくいいわけができなくて焦る。
僕が慌てふためいていると、スカイハイさんは少しだけばつが悪そうな顔をして言った。
「何故謝っているんだい?君は何も悪いことはしていないよ。さあ、ジョギングをしよう!」
スカイハイさんは懐がおおきいんだ、そういうところもあこがれる。
でも、僕は彼が動揺していることに気がつかなかった。取り繕うとしていることにも。
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