─── そんな最悪の事が起こった任務の後。
精神的なショックを配慮して言い渡された休養期間を挟んだサイファーはいつもと変わらぬ態度でいた。
任務中に起きた事故の事を噂話で聞いたらしい生徒達が陰口を叩くのも何処吹く風のように受け
流して、時に豪胆に。
そしてあくまでも自分の意思を貫くサイファーのいつもと変わらない姿勢から、彼は目の前で人が
殺されようが何一つ変わらないのだと思われているようで。
…そしてそれは俺自身にも言える事だった。



サイファーは何が有っても変わらないのだ、と…。










「っ…う、ぁ…」

その声がしたのは指揮官室で仮眠を取らねばならなくなった日の事。
真夜中の室内に響く、低い呻き声。

(…何だ…?)

漸く完了した任務報告に安堵の溜息を漏らして、先に仮眠を取っていたサイファーが居る仮眠室に踏み込んだのはついさっき。
擦り切れた気がする神経を抱えながら、頭まで潜り込むような状態で埋まったベッドの上でやっと
うつらうつらとし始めた矢先の出来事だ。
眠ろうとしていた頭は突然起こった現象について、咄嗟に現状を把握出来ずに居る。
だが、この部屋に存在するのは俺達二人だけだ。
だったら誰が呻いているのか…そんな簡単な事もすぐには理解出来ずに。
…いや、もしかしたら俺は “そんな筈は無いだろう” という俺自身の勝手な想像のお陰で理解出来なかったのかも知れない。
だから俺は自分の気持ちを整理する為にも、確認の意味を兼ねて声のする方に未だ寝惚けてよく見えない眼を向けてみた。
薄闇が広がる ガランとした仮眠室の中。
俺が横になっているベッドから数歩も離れてない隣のベッドの上で、微かにもがいているような見
慣れたシルエットをした人影がある。

(…サイファー…?)
「っう、かぁさん!!」
「?!」

信じられないその光景に呼吸さえ忘れて見入ってしまっていたらしい。
唐突にサイファーが一際大きな声でそう叫びながら跳ね起きたせいでこっちまで ビクッとしてしまい…そうする事でその事実に気付いた始末だ。
だがサイファーは俺が起きてるという事も、更に彼の声と行動に驚いたという事さえも気付かずに…半身を起こしたベッドの上で荒い呼吸を整えもせずに呆然と薄闇に包まれた室内を凝視している。
…やがて自分が夢で魘されていたという事実に漸く気付いたらしく “クソッ!” と短く吐き捨てて
蹲るように両手で顔を覆ったまま、彼のシルエットは動かない。
薄暗い闇の中で壁にかけたままのアナログ時計の秒針の音が闇が支配する静かな室内に、やけに煩く響いていた。

「…眠れないのか?」
「っ?!」

その カチ コチ カチ コチ…と規則正しく刻まれる音を聞いてる内に “このまま寝たフリをしてやり
過ごそう” と思っていた気持ちに変化が起った。
口を付いて出てきたのはそんな問いかけ。
跳ねるようにこっちを見たのは…多分それだけ彼がさっき見ていた夢の内容に気を取られていた
からだろう。
普段ならとっくの昔に気付かれていた筈の事にも気付かないくらいには。

「…いつから起きてた?任務はどうした」
「完了したからこの部屋に居る。寝ようとしてシーツに潜ったら入れ替わりにアンタが起きたんだ」
「俺は何か言ったか?」
「1言だけ。 “かぁさん” って叫んで、アンタが起きた」
「…聞かなかった事にしろ。もうとっとと寝ちまえ」
「何で」
「テメェには関係ねぇ!」

互いにベッドの上で牽制し合うように言葉を投げかけていた事へ突然に終わりを告げたのはサイ
ファーからだった。
そうして彼は全身から “話しかけるな” と言わんばかりの殺気じみた気配を纏ったままベッドを
下り、その脇に意外と几帳面に揃えられていた靴を履いて、鼻息も荒く室内を出て行く。
タイル張りの室内に響く靴音がドアの開閉と共に遠ざかっていくのを聞きながら…その日、俺はまんじりとしないままに夜明けを迎える破目に陥ったのだ。
その間、俺が薄暗い室内でぐるぐると考えていたのは、サイファーが何故あんなにもムキになって “忘れろ” と言ったのか…という事。

(アイツがそんなに魘されるほどの事が過去に有ったのか?)

しかし何度思い出してみても石の家に居た頃に彼がそんな凄惨な事件に巻き込まれた、という事は聞いた事が無かった。
その後別々の人生を歩み始めてガーデンで再会するまでにも。
無論、ガーデンの中でも。
あの魔女戦争を乗り越え…日々を傭兵として過す俺達は目の前で人が死ぬという事にさえ慣れ、
戦場に身を置いていつ死ぬか判らないような状況でさえ慣れているのだ。
そのサイファーが魘されている。
それからも指揮官室で時折とはいえ、一緒に仮眠を取る事になる度に繰り返される出来事は、最初の日からもう3ヶ月が経とうとしてる今でさえ続いてる。
変わった事といえばサイファーが魘されてるその理由を問う事も出来ずに…ただ彼が魘されて、
やがて跳ね起きては俺が起きてないかを確認して…この部屋を出て行くまでの一部始終をバレている筈の寝たふりのままでやり過ごすだけ。



相手が言いださないなら、問わない。
問いかけられないなら、言わない。



…それが俺達の暗黙の了解で…互いにその胸の奥深くで何を抱えていようが聞かずにいた。
今までは。
第一、今まではこんな風に 魘されるサイファー なんて見た事も聞いた事もなくて…こちらから問う必要も無かった。
だが今はどうだろう。
現にサイファーは毎晩とまでは行かずとも、かなり頻繁に悪夢に魘されているらしい。



精悍な顔には眠れぬ疲れを滲ませ。
いつだって輝いているような瞳も精彩を欠いて、まるで死んだ魚のよう。
声をかけても…反応だけは普段と変わりはしないが、返す声に張りがない。
何よりも人を寄せ付けないようにしているらしく…いつもは周りに居る筈の風神と雷神の姿さえ見ないのだ。



(やはり理由を聞くべきなのか、それともサイファーが自己完結するまで今までどおり知らないフリを通すべきか…)

人影の少なくなった食堂の片隅で昼食を取りながらも考えるのは毎晩続いているらしいサイファーの悪夢の原因について。
ここ最近は俺もその事について考えてばかりで…はっきり言って仕事も満足に手に付かない日々が続いてる。

(聞いてすっきりすれば良いんだが…厄介になったらそれはそれで面倒だな…)
「…顔色悪いもんよ」
「私、予測。サイファー、不眠続」

そんな事を考えながらおなざりに昼食を胃に収めていると風神と雷神の声がふと耳に付いた。
話してる内容は…どうやら俺が考えてる事と同じらしい。

「サイファー、まだ引きずってるもんよ。あの事と一緒だから…ったぁ?!何で蹴るもんよ!」
(あの事?)
「其、機密事項。沈黙」
「あっ!そうだったもんよ…でもな、またサイファー暫く魘されるもんよ?その内前みたいに無理が祟って倒れないか、俺は心配だもんよ…」
「同意…」

そうして二人が黙った時に、気付けば聞き耳を立てている自分に気付いた。

(何をしてるんだ…サイファーが話さないなら、俺は聞かない。それは俺達の約束だっただろ!)

そんな風に自分を戒めて。
だが同時にその約束についても自分の思い込みが有る事に気付いた。

(いや…俺達じゃないな。俺の、だ。約束なんかしてない…ただ俺の事は俺が言わなくてもサイファーが気付いてくれて、サイファーの事はサイファーが言い出すまで俺は聞かなかっただけだ…)

そうして考えてみれば…俺はなんと身勝手な人間なんだろうか、と。
他の誰でもない、いつも傍に居てくれて、いつも自分の事を気遣ってくれるサイファーに対しても
その他大勢と一緒の扱いにして。
自分はサイファーに守られているだけだ。

(…聞いてみるか…)

他はどうであれ、それだけはどうあっても知っておかなくてはならないような気がした───










「アンタに聞きたい事が有る」
「…何だ?」

─── 思い立ったが吉日…とは流石に行かず、数日間悶々と考えた結果…結局俺はサイファーに直に聞く事を選んだ。
俺達の他には誰も居ない指揮官室。
ドアのロックもこちらが許可しない限りは緊急時以外は勝手に開かないシステムになってるから
安心して聞く事が出来る。
…そう思って話を切り出してみたにも拘らず…なかなか思ってる事が口から出てこない。
サイファーはいつものように休憩時間や任務の打ち合わせなどに使用する為に置かれたソファに深々と腰掛けて、俺が切り出すのを待っているようだった。

「オイ、何なんだよ。まさかテメェから切り出しといて忘れたって言うんじゃねぇだろうな?」
「いや、覚えてはいるが…どう切り出せばいいか解らない」

そうして何分かの沈黙が過ぎて、焦れたようにサイファーがそう切り出してきた。
それに対して俺は深刻な面持ちで答えたのだが…サイファーにはそれが可笑しかったらしい。
噴き出されて、散々笑われて。
そんなサイファーは久しぶりに見るな…なんて事をぼんやりと考えていたら。

「お前はいつもごちゃごちゃ考え過ぎだ。聞きてぇ事が有るならそのものズバリでいいじゃねぇかよ」

笑ったら少しは気が晴れたのか、僅かながらもいつもの調子を取り戻してくれたらしいサイファーのその言葉に思わず安堵の溜息が零れる。
だが俺の中で事はまだ解決などしてはいなかった。

「…聞いたらアンタは怒る」
「怒るも何も言いもしねぇうちに決め付けるなって何度も言ってるだろうが」
「怒らなくても気分は悪くなる筈だ。だから出来るだけそう感じないように言葉を選んでたらどう切り出せばいいか…」
「解らなくなった訳か。…まぁテメェらしいな」

くくく…と小さく肩を揺すって笑ってるサイファーのその姿が久しぶりで、眩しくて。
からかわれているという事が解っていても、今がずっと続けばいいと願ってしまう。

「いいから話せって。どうすればいいかは俺が怒り出してから考えればイイだろ」
「…解った」

だが、散々人を笑っておきながらそんな風に軽い口調でアドバイスまで受けてしまっては、もう引き下がれない。
軽く呼吸を整える為に溜息を床に転がして、まだ笑ってるサイファーに俺は…彼が毎晩魘され続けてる原因についてを促されるまま率直に問いかけた。
サイファーの表情が瞬きを重ねる間に不機嫌なそれになるのをじっと見詰めながら。

「…目の前で人が死んだ。それも俺の判断ミスが原因でだ。毎晩あの時の事が夢で繰り返されるんだぞ?魘されて当たり前だろうが」

そうしてサイファーは不機嫌を前面に押し出した表情のまま、暫く押し黙り…漸く開いた口からは
そんな言葉を吐き出して苦虫を噛んだような顔で俺から視線を反らした。

「嘘だ」

サイファーは何か物を言う時は決まって、相手がたじろぐほどに真っ直ぐ目を見て話す男だ。
だからこそ解った。
そしてそれはこれから例えサイファーがどんな言い訳を並べようと必ず聞き出してやる…という奇妙な感情を伴って俺の判断を鈍らせた。

「っ…そりゃどういう根拠だ?!俺がテメェに嘘吐く必要が何処に有る?!」
「アンタは魘されてる最中にうわ言で何度も “かぁさん” って言ってた」

即座に否定した俺に対してサイファーはむき出しの敵意をあからさまなほどに向けてきて…それがそっくりそのまま俺の仮定を肯定しているように見える。
あと少しだ。
もう少しでサイファーの中に触れられる…そんな気がして、タイミングを誤った。

「いくら彼女が母親だったからといっても、アンタが彼女を “かぁさん” と呼ぶ義理はないだろ。だからアンタは彼女が夢に出てきてるんじゃない。アンタが本来 “かぁさん” と呼ぶべき人を夢に見るんだろ?過去に何が…」
「ウルセェ!!」

“何が有ったんだ?”
そう続ける筈の言葉は殴られたせいで言葉にならないまま。
俺が “かぁさん” と口にした瞬間、目の前で警告するように俺を睨んでいたサイファーが ギリッと奥歯を噛み締めた音がして。
その時点で引いた方が良かったのだと気付けなかったのは俺のミス。
2度繰り返した同じ言葉に反応したサイファーの瞳が尋常じゃない光を灯した瞬間の出来事。
感情に任せた叫びと共に無駄な動きを省いて、十分に体重を乗せた右ストレートが綺麗に飛んでくるのが見えた。
避ける暇も無く殴られた痛みや咄嗟の事に受身さえ取れず、情けなく床に転がったせいで床や壁に身体を打ちつけた衝撃に呻き…それでもどうにか見上げたサイファーの眼差しに…まるで敵を見るような冷たさを垣間見て息を飲む。
…俺は彼が誰一人として踏み込んで来て欲しくない場所に、土足で踏み荒らすような失態をやらかしてしまったようだった。
手負いの獣が殺意を剥き出しにして睨んでくるような、熱くて冷酷な眼差し。
それに気圧されて引けば、喉元に喰らいつくぞとばかりの脅しを込めた暗い色を刷いた瞳が、俺を見てる。



…互いに言葉は無かった。
授業の終わりを告げるチャイムが長閑に、この緊迫した雰囲気の中にも流れ込んで。
下の階からは生徒達の楽しげな話し声さえ響いていた。




どのくらいの間見詰め合っていたのだろうか。
ふとサイファーが見下すように鼻先で俺をあしらったかと思うと。

「…謝らねぇからな」

そう低く呟いて、くるりと背を向けると足早に室内を後にした。
その突然の終わりに対して俺は呆然としたまま、返す言葉もなく…この部屋を立ち去った白いコートの背中を見送っただけ。
後は俺以外、誰も居ない静かな空間が緩慢に広がっていた。

(…殴ってくるとは思わなかったな)

口の中に僅かに広がる鉄の味に口内を切っている事を悟りながら、座り込んだままだった床から
どこか芯が抜けたような感覚のする身体を起こす。
そしてそのままよろよろとそこに据えられている己の席に身体を委ねれば…漏れるのはただ落胆の溜息だった。

(サイファーがあんなにも拒絶する母親の記憶…)

未だに癒えないらしいその心の傷は4ヶ月ほど前のあの出来事に重なり…今尚、彼を苦しめていると言う事だけしか情報が無い状態で無謀にも踏み込もうとした俺が甘かったのかもしれない。
もしくは頭のどこかで自分だけはそれに触れさせてくれるのではないだろうかと言うふざけた考えがあったに違いない。

(アンタが俺にするように、俺もアンタに返したいと思っただけなんだがな…)

まだぼんやりとする頭で見慣れた天井を仰いでみても、そこに答えはない事など解ってる。
一度引くべきか、それともこのまま攻め続けるべきか。
そんな風にいつしか任務に当たる時のような気持ちで頭を巡らせている自分に気付いて苦笑いが
零れた───





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