*** 黄金の指輪の下に <2> ***
・・・思ったよりも、長居をしてしまったな。
従者たちはおそらく着いたきりのままで、己が戻るのを待っているに違いない。
エルロンドの居室を出ると、レゴラスは従者たちの許へといそぐため、足早に回廊を通り抜けた。
建物の様子は相変わらずどこもかしこもが美しく、ところどころに現れる彫像や絵画、タペストリーなどについ目を奪われそうになり、無理やり目を引き離しながら、足を進める。
―― しまったな。少し飲みすぎたかもしれない。
先ほどの酒のせいか、足元がどうにもふわふわと、心もとない。
いつもなら何てことのない酒だし、特に旅疲れもないから大丈夫だと思っていたのだけれど、どうやらそうでもなかったようだ。
・・・まぁ、今日はどのみち何も予定もないだろうし、エルロンド卿に勧められたとあっては、従者たちも咎めはしないはず。
やや放埓に考え、軽く髪をかきあげる。
あざやかな緑の樹木に囲まれた、美しい白木のアーチが連綿と続く回廊を進み、通り抜ける風を心地よく頬に感じながら、レゴラスは勢いよく最後の曲がり角を曲がろうとした。
とたん。
「――!」
「おっと!」
真正面からやってきた人影に思い切りぶつかりそうになり、とっさに避けようとした――つもりが避けそこね、肩をぶつけてしまい、思わずよろめく。
「危ない――」
素早く相手の手が伸ばされ、レゴラスの腕をつかむと身体を引き戻した。
「―― 申し訳ありません。少し、考え事をしていたので――」
体勢をたてなおし、エルフにあるまじきなさけない失態を見せてしまった己に愛想をつかしながらも、取りあえず相手に詫びる。
そして相手の顔を見上げ――。
・・・人間だ。
ホビットと同じく、めったに出会うことのない人間に、レゴラスは素早く目を走らせて様子を伺った。
己よりも背の高い、がっしりとした体つきの、少し大柄な人間。
肩まで伸ばされたやわらかい薄茶色の髪、そして口元を覆う、同じ色の髭。
毛皮で裏打ちされたマントを羽織り、エルフでは決してありえないような重々しげな衣装を全身に纏い、腰には使い込まれた様子の長剣が下げられている。
・・・随分と長旅を続けてきたようだ。
この人間も、会議に出席するのだろうか?
肩からベルトを差し渡して下げられた、珍しい大きな角笛に目をとめながら、そう思う。
見れば体格といい、その格好いい、鍛えられた戦士のようでもある。
もしかすると、どこかの要人を警護してやってきたのかもしれない。
―― どちらにしたところで、僕には関係ないけれど。
そう思ったところで、レゴラスはようやく、己の腕が人間の手につかまれたままであることに気がついた。
黒く、頑丈そうな皮の手袋をはめたその手の持ち主は、ふと仰げば、己を食い入るように凝視している。
「―― 手を」
訝しみながらも、レゴラスは声をかけた。
「腕を、放してください」
毅然と少し声を張り上げ、真っ直ぐに人間の目を見つめ返す。
どういうつもりなのかは分からないが、見知らぬ人間に、こんなところで捕まっているわけにはいかないのだ。
「・・・あぁ、すまない」
はっと、夢から覚めたような表情を浮かべ、人間がようやくレゴラスの腕を掴んだ手を離す。
レゴラスは素早く離れ、距離をおくと、なおも茫然とした様子で己を見つめて立ち去りそうにもない人間の顔を一瞥した。
・・・おかしな人間だ。僕がどうしたっていうのだろう?
ちらりと心の片隅でそう思いながら、それでも軽く会釈をし、背を向ける。
――とたん。
「待ってくれ!」
大声で呼び止められ、レゴラスは思わず肩を竦めて足を止めた。
「―― あんたの名は?あんたはここのエルフなのか?」
背後から、いきなりたずねられ。
また、早く従者の許へ戻りたいのに呼び止められ、レゴラスは少しむっとなると振り返った。
「・・・人間の方々の礼は、まず相手の名をたずねることから始まるのですか?」
冷ややかな眼差しでじっと相手を見つめ、そう告げる。
すると、一瞬、人間が驚いたような表情を浮かべ―― それから困ったように髪をくしゃりとかきまぜると、素直に軽く頭を下げた。
「すまない、非礼を許してくれ。・・・あんたがあまりにも―― いや。エルフに会うのはこれが初めてなんだ」
その様子に、確かに悪気があったわけではないようだと認め、レゴラスは少し眼差しをやわらげる。
「俺は―― 私はゴンドールの執政デネソールの息子、ボロミアだ。・・・あんたは?」
―― 執政の息子。
では、明日の会議に出席するのに違いない。
「・・・僕は、闇の森のエルフ王スランドゥイルの子、レゴラス。裂け谷の者ではありません」
レゴラスは己の名を告げると、ボロミアという名の人間の顔に、じっと目をそそいだ。
人間は恐れ知らずで勇猛だが、傲慢で欲深い種族だと聞かされたことがある。
勿論、すべての人間がそうだと決まったわけではないだろうけれど、果たしてこのボロミアはどうなのだろう――?
「―― あんた、王子だったのか。それは失礼をした」
「いえ、気にしないで下さい。・・・では、これで」
驚いて詫びかけたボロミアを軽く制すると、レゴラスはきびすを返そうとした。だが――。
「待ってくれ。―― あんたにまた、会えるだろうか?」
ふたたび呼び止められ、仕方なく振り返ると真摯なおももちで尋ねられ、レゴラスは小さく首をかしげた。
「さぁ、どうでしょう。・・・でも、もしも貴方が会議に出席されるのであれば、明日、お会いするでしょう。それから先のことは、僕には分かりません。――では」
一通り思いつくことを答えてしまうと、レゴラスは今度こそ人間に背を向けてマントを翻すと、振り切るように少し足早に回廊を進んだ。
ボロミアの視線が、いつまでも己の背にそそがれているのが分かったが、もちろん振り返りはしない。
・・・そう、明日。全ては明日なのだ。
強大な力を秘めたる黄金の指輪を前に、あの人間はどんな口火を切るのだろう。
そして、裂け谷の王は?ドワーフたちは?
――それから、僕は、どうするのだろう。
ボロミアに告げたとおり、この先どうなるかなど、己に分かるはずもない。
けれど、何が定められようと―― たとえ己の運命が定められようとも、僕はエルフの戦士――誇り高きスランドゥイルの子だ、決して屈しはしない。
固く己の胸にそう言い聞かせると、レゴラスは少し昂然と頭をもたげ。
ようやく目の前にあらわれた回廊の終わりを目指して、勢いよくかけだした。
<fin>
Written by marianne / BACK