「そうそう、あなたのこと、何て呼べば良いかな。いつまで
も、あなたじゃ他人行儀だものね」
少女を苦しめる問題の一つ。
「わたし、わたしは……高町…高町……だめ、思い出せない」
改めて思い出そうとしても、やはり何も思い出せない。無
理して思い出そうとすると頭痛さえしてくる。これでは仮に
思い出したとしても、本当の名前か苦し紛れに思いついたの
か、きっと分からないだろう。
母は頭を抱える少女の手を取って止めさせる。
「無理しないで、思い出せるまで待ちましょう。それまでの
取り合えずで、仮の愛称みたいなのを決めましょう」
「なら、お母さんたちが決めて。わたし、お母さんたちが決
めた名前なら何でもいい」
愛称だとしても、自分で決めるのは少女には少し辛かった。
親に貰った名前ではなく自分で決めた名前を名乗るのは、あ
る意味親から独立するとも言える。幼い少女がはっきりとそ
れを自覚している訳ではないが、新しい名前を貰えばそれが
新たな絆となる。少女は少しでも家族との絆を欲した。
(お父さんお母さんが付けてくれた名前なら、それがわたし
の名前なの)
「うーん、そうねぇ……」
さすがにペットの名前のようにはいかず、腕を組んで考え
る母。
「士郎さん、昔、色々考えたよね」
考えあぐねた母は、ふと何かを思い出して父に話しをふっ
た。
「あぁ、ノートが一杯になるくらいな。あれ、どこにやった?」
「おとーさん、ちゃんと新しく考えた方がいいんじゃない」
片付けを終えた父と姉が二人の元にくる。
「そうか? いい名前がたくさんあるはずなんだが」
「はずじゃ駄目よ」
「そうだ、花の名前なんかどう?」
「それなら平仮名の名前がいいよ」
「漢字だと駄目なのか?」
「堅苦しいから駄目」
「この子にあう可愛い名前じゃないと」
三人が和気あいあいと話し合う。名前のノートの話しは少
女も聞き覚えがあった。そのころ姉は自分より幼かったはず
だが、兄も含めてこのように皆で名前を考えてくれたのだろ
うか。そう思うと、改めて家族の一員として迎え入れられた
気がして少女の胸は熱くなった。
「なら、・・・はどうかな」
(……え?)
「・・・かぁ、可愛い名前」
(……なに?)
「高町・・・、うん、いい感じ」
(何て、言っているの?)
「・・・でいいかな?」
「ぇ……ぁ、うん」
反射的に答えたが、少女にはそこだけが何も聞こえなかっ
た。皆の口は動いているし、他の言葉や回りの音は聞こえ、
少女のことを言っているのだと分かる。だが、新たに付けら
れた名前だけが聞こえない。少女の記憶と同じように、消し
ゴムで消されたかのように。
「……ぁ、ありがとう」
せっかく名付けて貰ったのに分からないとは言えなかった。
何とかぎこちない笑みを浮かべて涙を拭い、嬉し泣きの振り
をする。
(わたし、どうなるのかな)
少女は、胸の中でガラスにヒビが入った音を聞いた気がし
た。