「──・・・・ッ!!!!」
──────乾いた音が、教室中に響き渡った。
その鋭い音に、ある者は友人と興じていた下らない雑談を中断し。
またある者は今正に教室を後にしようとしていた足を止め、振り返る。
「フェイト・・・ちゃん・・・・?」
彼らの視線が集中するその先では、一人の少女が呆然と打たれた頬を押さえ。
「・・・・・・」
彼女自身の親友──立ち上がり頬を張った際の姿勢のまま無言で肩を震わせる、金色の髪の少女を見上げていた。
「フェ、フェイト・・・?」
「どうしたん・・・?」
金髪の少女は、突然の状況に戸惑いつつも気遣いの声をかけてくる友たちに、答えることなく、ただ、一言。
「・・・ユーノが、可哀想・・・」
と。
未だ打たれた頬を利き手で押さえ、ショックから抜けきれていない横ポニーの少女に、搾り出すように言っただけだった。
「え・・・・?」
「どうして、気付いてあげないの・・・・?」
彼女は多分、怒っていた。そしてそれ以上に、悲しんでいた。
またその右手はきっと、最愛の友を打ったという心の痛みに苛まれていることだろう。
それら全ての負の感情がない交ぜとなって、切なげに眉根を寄せた彼女の表情に表れていた。
「・・・・気付かないのは、残酷だよ・・・・?」
自分の想いを、わかってもらえない。理解してもらえないということはきっと、どんなことよりも辛い。
彼女自身、そのことを経験でよく知っているから。だから、許せなかった。
教室の中はしんと静まりかえり。
誰もが普段物静かな少女のとった予想外の行為に息を飲み、みじろぎひとつもしない。否、することができない。
「・・・・叩いたりして、ごめん」
「あ、ちょっとフェイト!!」
衆人達の見守る中、話は終わりだと言わんばかりに彼女は乱暴に鞄を持ち上げ、踵を返す。
苛立ったような足取りで出て行く少女は、友人やクラスメートの呼び止める声にも振り返ることはなくて。
泣きそうになっているその顔を隠すように俯きながら立ち去っていく。
「あたし、追いかけてくる」
そんなフェイトを慌ただしく追いかけていくアリサの後ろ姿を、呆けたように。
側に残り彼女を気遣ってくれる二人の友人にも、何の反応も返せぬまま。
高町なのはは真っ白になった思考回路でただ、見つめていることしかできなかった────・・・。
魔法少女リリカルなのはA’s −変わりゆく二人の絆−
第一話 憂える少女
(ああやってなのはと喧嘩するのって、はじめてだっけ・・・・)
がらんと静まり返った広いその場所で少女はひとり、物思いに耽っていた。
彼女、フェイト・T・ハラオウンの頭に浮かぶのは、いくつもの重なり合った出来事。
大きな荷物を背負い、顔を赤らめながら自分へと決意を打ち明ける栗色の髪の少年。
言葉と共に少年の見せてくれた、「彼女」に対する想いの表れ。彼の意志の証。
彼を応援するように両手を握り、祝福と喜び、激励と約束の言葉を伝え見送る自分自身の姿。
何も知らない少女の無邪気な微笑みと、その唇の紡ぐ彼女にだけはもう言って欲しくなかった言葉。
湧き上がってきた悲しみと、無神経な彼女に対する憤り、苛立ち。
そして何より、頬を打たれ愕然とする彼女の表情と、自分の手に残った不思議なほどの熱さ。
(喧嘩じゃ、ないか・・・。私が一方的に怒って、なのはを叩いただけだもんね・・・・)
それら全ては絡まりあい、連なるように何度も何度も。
フェイトの心の中に、現れては消えていく。
(・・・ちゃんと、謝らなきゃ・・・・だけど・・・)
(六年、だよ・・・?あの二人が出会って、もう六年。なのに)
(どうしてなのはは、気付かないの・・・?)
(どうして、ユーノの気持ちに・・・・)
思考に埋没するフェイトが、静かに歩いてくる青年の姿に気付くわけもなく。
「・・・何か、あっただろう」
「わっ」
不意に横から差し出されたドリンクの缶に、彼女は驚き顔を上げた。
「・・・艦長」
よく冷えているのであろう、うっすらと表面に汗をかいている青い缶を持って、この船の──アースラ艦長こと、クロノ・ハラオウンが立っていた。
「今は勤務時間外だろ。・・・それに」
缶を渡すとクロノは、彼女の隣にどっかり、と腰を下ろす。勤務時間外だというのに不思議と休憩所には他に誰も居なかったし、来る気配もなかった。
いくらスペースを使っても問題ないはずなのに、兄妹とはいえあえてすぐ横に。
「艦長としてじゃなく、兄として君のことが気にかかったんだからな」
「艦・・・お兄ちゃん・・・」
「ん、それでいい」
小気味良い音とともに缶のプルトップを開ける。
5歳年上の兄はぐいとその中身のコーヒーを煽り、一息ついた。
超甘党である母とは違い、何も入っていないいわゆるブラックコーヒー。彼は基本的にコーヒーはこれしか飲まない。
「・・・やっぱり、わかる?私、変?」
「そりゃあな。何年君の兄貴をやってると思う」
「そっか」
沈んだ心というものは隠していてもやはり、知らず知らず雰囲気に出てしまうものらしい。
フェイトがそういったことが、人一倍下手で露見しやすいタイプだということもあるのだろうが。
「・・・僕や母さんに、言えることか?」
「・・・・わからない」
「そうか・・・。・・・じゃああんまり詮索するのもよくないな・・・。けど」
缶を全て乾してしまうと、彼はすぐ横のくず入れにそれを投げ入れ、立ち上がる。
きっと忙しい艦長の業務の合間を縫って、心配してきてくれたのだろう。
昔から変らぬやさしい兄の心遣いが、フェイトにはありがたかった。
「ちゃんと解決するんだぞ?自分が納得して、元気になれるような形で」
「・・・うん。ありがとう、お兄ちゃん。忙しいのに」
「いいんだよ。何かあったり、話したくなったりしたら来い。僕は艦長室にいるから」
「わかった」
─────解決、か。
果たして、すんなり解決なんて、できるのだろうか。
思わず小さく溜め息をつくフェイト。
自分と、なのはの関係だけじゃなく。「彼」となのはの関係も。
いつになったらあの子は気付いてくれるのだろう。
理不尽に手をあげた自分のことを、なのはは赦してくれるだろうか。
彼の気持ちを何もわかっていない彼女を、自分は赦すことができるのだろうか。
「ユーノ・・・・私、どうすればいい?」
兄の姿が廊下の向こうに消えるのを見届けてから、天を仰ぎここにはいない少年へと呟く。
それはきっと、おせっかいなのだろうけど。それでも。
「君となのはのために・・・・私、何が出来るのかな・・・?」