pm 2:05 喫茶リーゼロッテリア
――目標補足。
写真が嘘をつくことはない。紛れもないあの二人こそすずかに託された鈍足カップル。
カップルと言うにはいささか早計か。しかしどの道そうなる運命に差し向けるのだ。先物取引には自信がある。
「し、忍? ……大丈夫か」
隣を歩く恋人は不気味ににやつく忍の様子に少々戸惑い気味だ。
「ん〜、だいじょぶじょぶよ」
本人が申告しても見るからに怪しい雰囲気を纏っていてはそうも言いたくなる。大体、忍がこんな顔を浮かべる時は何かろくでもない企みがほとんどなのだ。
「さぁてと、悩める男女に恋の手ほどきしてあげましょうか」
前言撤回――全部だ。
いくら妹の頼みだからって人の恋路に手を出そうとするなんて忍は何を考えているのか。こういうものは本人達の問題であり他人が干渉するなんて愚の骨頂だ。
「忍……言っても無駄だと思うんだが一応言っておく。……こんなことする必要なんてないだろ?」
「その実直さのおかげで桃子さんにまで世話を焼かれたのは何処の誰かさんでしょうか?」
「…………俺か」
去年のバレンタインデーが脳裏を掠める。
あんな漫画のような展開はもうご勘弁願いたい。忍ならやりかねないと思っていたのにまさか自分の母親が入れ知恵していたなんて思えるわけが――思える。
今だって父親と新婚よろしくのいちゃつきを見せているのだ。二人が結婚したのは遥か昔だ。だというのに二人の熱は年々右肩上がりをするだけで衰える様子など微塵もない。
「去年のバレンタインデーは私にとって今までの人生で最高だったわ」
わざとらしく強調して腕を絡める。
「お、おい……」
狼狽する恭也に寄りかかるようにもたれ上目使い。
「そういう幸せって人にお裾分けしなきゃ」
頬を朱に唇が囁いた。
素直に可愛いと思ってしまうあたり、相当忍に惚れこんでしまっていることが身に沁みる。確かにそんな目でそういうことを言われると首が縦に動いてしまういそうになる。
「……お裾分けというか、見せびらかせたいだけなんじゃないのか?」
「あはは、バレた?」
「ああ、伊達におまえの彼氏をやっているわけじゃないんだから」
恥ずかしいセリフだと内心、思った。犬のようにじゃれつく忍に応える代わりに顔を赤くして恭也はひたすらに歩く。
こんな姿、絶対に妹達には見せられない。せめてあの二人の前だけでは兄として威厳は持っておきたい。浮かぶことはそればかりだ。
「んじゃあ、さっそく行動開始といきましょ」
行き先は言うまでもなくあの二人の隣の席。何気なく、あくまで自然を装って接近する。
二人の様子は遠めに見て険悪、というわけではない。どちらかといえば仲のよい姉弟か友人、はたまた恋人か。
話通りなら喧嘩中のくせに随分と雰囲気は明るいものである。まさか自分の出番が来る前に仲直りでもされたのか。
(まっ……それはそれでいいんだけどね)
別にこちらとしてはひたすらいちゃいちゃいちゃつくのを見せ付ければいいだけなのだから問題ははない。
いちゃつく――というよりは恭也を弄って遊ぶことなのだが。
(ギャップがいいのよねぇ……)
見かけどおり好青年の高町恭也は兎角恋愛に関しては奥手だ。真面目に一途でみんなの頼り。一言で言うならまさにそれ。おかげでデートはいつもこっちがリードするばかり。
ただ一つ勘違いして欲しくない所は一から十まで全てがこっちのものではないこと。最後の一押しだけはいつも恭也が先に踏み出す。こちらが尻込みしてしまうことも平気でやってのける。
「久しぶりかな〜、オープンカフェなんて」
「し、忍あんまり寄るなって」
向かい合わせだった椅子を肩が触れるか触れないかまで引き寄せる。
戸惑う恭也にお構いなしの忍。本当にいつもはこんな調子なのに決める所だけはちゃっかり決めてしまうのだ。わかってやっているのか天然なのか。
絶対後者に決まってるけど、ようはそんな所に忍は心底惚れていたりするわけで。
「じゃあ俺はコーヒーで」
「私はデラックスパフェで」
「珍しいな、おまえがそんなもの頼むなんて」
「いいのいいの、それとも子供っぽいって思ったり?」
「いや、意外だなって思っただけだ」
そのパフェはこれから場を盛り上げるための最高の小道具になることをまだ恭也は知らない。おまけにそれに自分が巻き込まれるなんて想像もつかないだろう。
さぁお楽しみの始まりだ。目線の先にいるクロノとエイミィを眺めつつ忍は心中ほくそ笑んでいた。
「なんだか隣の二人アツアツだね」
「別に僕らには関係ないだろ」
席に着くなり隣り合うように椅子を並べなおす様子を横目に眺めつつ、クロノはコーヒーを口に運ぶ。
「節度って言葉知らないんじゃないか?」
「まぁまぁ、かっかしない。……はぁ、でもいいなぁ。私もあんな仲睦まじくしたいな」
エイミィはサンドイッチを頬張りながらどこか羨むような視線を向け、夢見がちに口から漏らした。
あんなののどこがいいんだ。人目も憚らず自分達の世界を作り上げるなんて気が違っても自分はしないだろう。不謹慎極まりない。
「それにあんなの人に見せて何になる」
「自分達が幸せ者だって自慢したいんじゃないかな?」
それなら家で気の済むまでしてるがいいさ。
「それに見てたら何だか私たちも負けないくらい幸せになりたいって思わない?」
目の前のような幸せは結構だ。それに相手もいないのに誰が幸せの片棒を担ぐのか。
「思わない」
「うわぁ即答? まぁクロノ君にそう言ってるわけじゃないからいいんだけどね」
「ああ、僕なら絶対あんなことはしないさ。仮にいちゃつくなら二人きりの時だけで十分だ」
「…………へぇ〜クロノ君はそういうのが好みなんだ」
エイミィが厭らしい笑みを浮かべて自分の顔を覗き込んでいた。
さりげなくとんでもないことを口走ってしまったことに今更ながらに気づいた。
「か、勘違いするなよ! 例えで言っただけだ、例えで……」
そうエイミィが何処の馬の骨とも知れない男といちゃついているのを見るなど真っ平御免だ。そんなことしてオペーレーターとして、補佐官としての仕事が疎かにされたらたまったものではない。
それならばプライベートでとことんまで甘えさせて他人には一切見せないほうが皆のためだ。自分ならそうしている。
「君はオペレーターなんだ。仕事しないでいちゃついてばかりじゃ僕らが大迷惑するんだ」
「だから二人きりか……ってなんで私が話の種にされてるのよ」
言われてまた、はたと気づく。なんでエイミィを引き合いにしているのだ。
別に彼女でなくともいいだろうによりにもよって目の前の彼女が頭の中で笑っているんだろうか。
「き、君が悪いんだ。さっきから変な話ばっかりするから」
何て理不尽な責任転嫁。思ったときには既に時遅し、か。
「じゃあ私がクロノ君と付き合ってると仮定したらプライベートだけ甘えさせてくれるんだ?」
「……そ、そうなるかもしれない」
なぜだかわからないが心拍数が一瞬大きく跳ね上がった。
おかげで言葉に少し詰まった。
「少しぐらいはいいんじゃない?」
「駄目」
「仕事人間は嫌われるぞ」
「そこまで仕事はしないさ」
「執務官なのに?」
「……い、いやするというかなんというか」
口が動くほどに泥沼へと引きずり込まれている。もう下半身はどっぷりと浸かっていた。
「はぁ……クロノ君の彼女になる人って苦労しそう」
「き、君こそ相手が哀れに思えて仕方がないよ。こんな小言ばかりじゃすぐ嫌われるぞ」
「だって男の子にはしっかりしてもらわなきゃ」
「そ、それは……確かにそうだな」
言論封殺だった。
どんな言葉も体のいいようにあしらわれ泥沼へ沈んでいく。もう肩まで浸かって来ただろう。
なぜここまで今日はエイミィに負かされているのだろうか。あまりの滑稽さに情けなく、泣きたくなってくる。
「でもよくやるわよね、あの二人」
「え?」
エイミィに習って首を動かすとまたも視界にあの二人。
男性の方の顔が妙に赤かった。原因はもちろん隣の女性のせいだ。
「はい、恭也。あ〜ん……」
「い、いやなにもお前ここまで」
「あ〜〜ん」
「あ、あ、あ〜ん……」
ああ、幸せそうですね。
スプーンが男性の口に咥えられ、それを持つ女性は徒に笑みを浮かべ満足そうだ。
「それじゃあ今度は私に、ね?」
「勘弁してくれ……」
「だ〜め」
多分尻に敷かれる夫とはあんな男のことを指すのだろう。
油切れのロボットのようにぎこちない手つきで今度は男性が女性の口にスプーンを放り込む。なんだかんだいって最後は妥協してしまっているのだ。
まるで今日の誰かさんそっくりだった。顔には出さず自嘲した。
「はい、クロノ君」
「ん?」
目線の先にサンドイッチが突きつけられる。もちろん相手はエイミィ以外のなんでもない。
目が合うと彼女はやんわりと笑った。
「安心してクロノ君のサンドイッチだから」
「そういう問題じゃないだろ……何の真似だよ」
「隣の真似」
頭が痛い。羞恥心というものがないのかエイミィ・リミエッタ。いやそれなら着替えに出くわした時もあんな反応するわけがない。
――また思い出してしまった。忘れろ、いいから忘れてくれ。
「どしたのクロノ君? 顔真っ赤だよ」
「なんでもない!」
エイミィがいるせいで余計にイメージが鮮明に結ばれていく。服越しにでも胸の谷間が透視できそうなくらいだ。
激しく軽蔑したい。
「う〜ん……確かにそこまで照れるなら二人きりってのも説得力あるわね」
「か、勘違いするな! そのくらい僕にだって出来るさ」
むんずとエイミィの腕を掴みサンドイッチに噛み付いた。そのまま残りを引きずり込み思い切りよく咀嚼。口一杯を一気に胃袋へと押し込んだ。
「うっわぁ……ムードない」
「――ん、ぐぅ!?」
「はい、お水」
本当にこの子はアースラの執務官なんだろうか。
コップを手渡しながらエイミィはクロノの醜態ぶりにため息をつく。艦長が見たら泣くこと間違いないだろう。
「ぶはぁ! ……助かった」
「いえいえ、どういたしまして」
今日のクロノはいろいろと変だ。いつも彼のことは見ていたつもりだったがここまでへたれ姿は見た記憶がない。
着替えを覗いたことに負い目を感じているのか。だったらもっと謝って貰いたい。あんな一言二言で乙女の気を静めようなどエチケットに欠けすぎているのだから。
そうは思っても今日はせっかくの休日なので表にこれは持ち出さない。楽しむ時は楽しむだけ、それでいい。
「ほんとしょうがないんだからクロノ君は。片意地張らなくてもいいって」
「張ってなんかない。君がしたいって言ったからやってやったまでだ」
どんどん拗ねていくクロノを見ながらふとエイミィは考えてみた。
よく考えたらクロノがこうやって女性と一緒に外出したこと自体皆無ではないだろうか。記憶を辿ってもやはり彼は一人佇んでいる。
「はいはい、そういうことにしておいてあげる」
クロノを諌めてエイミィは自分の最後のサンドイッチを口に運ぶ。
「じゃあ次、どこ連れて行ってくれるの?」
「どこがいい?」
「楽しいとこかな」
「まかせてくれ」
立ち上がるクロノにエイミィも続く。多分、今日はこの調子がずっと続くのであろう。
でもクロノの見たことない一面を見るのは悪くはない。どちらかといえばワクワクしっぱなしだ。
「どうした? 行くぞ」
「うん、今行くよ」
ならしばらく身を委ねても罰は当たらないだろう。
「なかなかいい雰囲気にはなったかしら」
喫茶店を後にする二人の眺め忍は一人ごちた。
並んで歩く後ろ姿はお世辞にもまだ恋人には見えないけれど、それでも二人の間で何かしら進展はあったはず。
元から基礎工事はしっかり成されている。後は二人がうまい具合に積み上げてくれれば自然と関係もいい物へ仕上がるだろう。
だからといって自分たちの努力が最初から必要なかったとは思わない。結局きっかけが必要なのだ。そのきっかけに自分達はなった。
「それならもういいだろ忍」
辟易した顔で訴える恭也。既にテーブルにはパフェの器が二つ並んでいた。
「俺甘いものは苦手なんだ」
「それはどっちの意味で?」
嘲笑うような笑みで恋人に問答。
言わなくたって分かるけどやっぱり直接聞いてみたい。
ゆっくりと口が開く。這いずり出てきた言葉はため息交じりの呟きで
「……両方」
そういうことだ。