あれからしばらくして僕らはそれぞれの帰路に着いた。まだアリサは僕たちのことが聞き足りなさそうだったけどすずかに諌められて納得してくれたみたいだった。
二人と別れた後、僕は桃子さんの提案でまたなのはの家で夕食をご馳走してもらうことになり、二度目の、人としての訪問をすることになった。
「初々しいなぁ、ほんとに。なんか恭ちゃんが忍さんを家に連れてきたときみたい」
「ご、げほっ! ……美由希、あまり変なことを言わないでくれ」
「だってかーさんから聞いたよ。二人であの赤字スペシャル食べてたんでしょ?」
ある意味安らげる場所にはならなかった。ここではアリサの代わりに美由希さんが僕らの仲を聞いてくる。
「でもやっぱり量が多かったみたいなのよね……」
「だから俺はあれほど言ったんだ」
「あなたや恭也なら一人でも平らげちゃうから大丈夫かなって」
なんであんな突飛な量だった理由はこの二人にあるんだと思った。やっぱり武術をしているとよく食べるんだろう。あれを平らげてしまうくらいなのかは別として。
「だが俺としては本当に二人がそういう……まぁ、なんだ、男女の付き合いをしているのか気になるわけだ」
「母さんが勢いで押し切った可能性だって捨てきれないしな」
「……そりゃ少しはそんなことはしたかな〜って気もしないけど」
思いっきりしてますよ。
桃子さんは僕が考える以上にお茶目だった。
「まぁ、それはこれから見極めればいいか。……だがなのはは俺と桃子の、もちろん恭也、美由希にとっても大切な家族だ」
士郎さんの目が真剣になる。眼光鋭く、それは見た人間を根こそぎその場に縫い付けてしまいそうなほどの威圧感を与えた。
背筋が凍り、僕は一瞬で雰囲気に飲まれた。もしこれが戦場だったら確実に、瞬き一つした瞬間に
(やられる――!)
「だから俺はここで声を大にして言いたい事がある。……いいか、ユーノ君」
「は、はい!」
歴戦の猛者は僕に何を言うつもりなのか? わからない、まったくもってわからない。
まさか決闘の申し込みなんてことはないだろうけど。
喉が意識していないのに大きく動いた。
そして静寂が破られる。士郎さんが口を開く。
「嫁にはやらん!!」
いろんな意味で……やられた。
「なのはは可愛い娘だ! いいか、そんなに家の娘が欲しければ俺を倒して乗り越えろ!」
「お、お父さん! なんでそんな話になるのっ!?」
「いや、ドラマとかでよくあるだろ? こんな話。お父さん一度やってみたかったんだよ」
実際そうだったら、多分誰もなのはをお嫁さんには出来ないです。
この人も桃子さんと同じで……お茶目だ。
「もう、ユーノ君を怖がらせてまでやることないでしょ」
「いや、すまん桃子。……でも嫁にやりたくないのは本音だからな」
「とーさん……それものすごく先のことだよ」
「だな」
この世界じゃ何歳で結婚できるんだろうか。みんなの話からだと少なくとも五年や六年ちょっとものではないんだろう。
「まずは清く正しく、清純な男女交際をしなさいね」
「は、はい」
今日は顔がよく火照る場面が多いな。
そんなこんなで夕食も終わり、僕は前と同じく家を出て、雨どい伝いになのはの部屋に戻った。
「お帰り、ユーノくん」
笑顔でなのはが出迎えてくれた。この前のように待つことがないのは嬉しい。
「ただいま、なのは」
僕も笑顔でなのはに応えた。フェレットだけど人間のつもりで。
「はぁ……今日は楽しかったね」
「いろんことがあったしね」
二人で町中を歩いて、ゲームセンターでぬいぐるみを取ってあげて、お昼ごはんを食べて。
「アリサちゃんたちにあんなこと言っちゃったけど」
翠屋で桃子スペシャルに果敢に挑んで、アリサやすずかと会って、思わず口を滑らしたりなのはが大胆なこと言ったり……。
「本当のことだし、大丈夫だよ」
「……うん」
晩御飯でみんなと話して、新しい一面を知って。
今日一日は僕の新しい世界を見つけた日であり、その世界を冒険する日でもあった。
「大切な……思い出になるよ」
胸に手をあてなのはは噛み締めるように口を結び俯いた。それはもう、楽しかったことを振り返るような姿ではなかった。
「……なのは?」
いつしかなのはは体に重苦しい雰囲気を纏い震えていた。
何かがスカートに弾け染みを作った。
「…………やだよ。わたし……ユーノくんと離れたく……ないよ」
「離れたくない……?」
「本当のこと言って……今日なんだよね? リンディさんとの約束の日」
後ろ頭を思い切り殴られたような衝撃が、全身へ、心へ叩き込まれた気がした。
忘れていたわけでない。僕だってそのことは覚えてる。あの日にリンディさんが最後に話した言葉。
――私の元で働いてみない?
それは管理局に属するという意味でなく、リンディさん個人の願い。
――あなたの可能性を見て見たいの。
結界魔導士としてその実力をもっと大きく伸ばせるように、彼女が僕にくれた一つの選択権。
リンディさんは前々から僕のことを自分の下で結界について学ばせたいという意図があったらしい。それが今回の一件を経て、より強く思うようになったということ。
時空管理局の提督、直々の誘い。そんなことおそらく今まで誰もない大変な名誉なこと。
「……そうだよ」
リンディさんは個人的趣味だから無理強いはしないと言ったけど、その話を聞いた時、僕の意志は最初から決まっていた。
それは結界についてより深く知りたいという知識欲求であり、自分の可能性を見てみたい好奇心であり、そして
「答えは決まってるんだよね?」
他ならぬ、なのはのために。
傷は癒えもう痕も残ってない右腕。でも確かにここに刻まれている。鮮血の証が。
僕は確かにヒュードラの一撃からなのはを守った。だけど完全に守りきれてはいなかった。
なのはは僕のせいで感情を乱し、あわや最悪の事態さえ招いてしまうことに成りかねなかったんだ。なのはは守れたけど、僕はなのはの心まで守って上げられなかった。
「うん……隠すつもりはなかったんだけど」
だからあの日一番星を見上げた時よりも、もっと強く僕は想った。守りたいと。
鋼の決意。叶わせる願い。
「今日が楽しすぎて……言うの忘れてた」
本当は今日一日だけ全て忘れようとしていたのかもしれない。約束の期日だというのにだ。
「わたしは忘れなかったよ。リンディさんに言われた時から」
リンディさんも人が悪い。僕にだけ話してくれればよかったのに。
いや、リンディさんはこうなることを見越していたから、なのはにも僕のことを話したんだと思う。
「だから今日一日は特別な日に、とびっきりの思い出にしようって……」
なのは声は掠れている。なのはの精一杯の気持ち。それが今日という日なんだと痛いくらい心に響く。
「ユーノくんが……この部屋からいなくなっても……頑張れるくらいの思い出にしようって……」
僕はやっぱり馬鹿なのかもしれない。ずっと見てきたじゃないか、なのはのこと。
なのはは本当に誰かのためになると自分のことを顧みないくらいに尽くそうとする。それは確かに素晴らしいことなのかもしれない。
だけどそうやって自分を押し込めるたびに傷つくことをなのは気づいているのだろうか。……気づいてはいない。気づいてても気づかない振りしてる。
ジュエルシードを集めることに頑張る余り、アリサと喧嘩したと前に聞いたことがある。アースラに乗り込んだ時は学校を休むようなこともした。
かけがえのない日常を犠牲にしながらなのはは誰かために力を尽くす。そこまでなんで出来るのか、最初は僕もわからなかった。
「……なのは」
もうこの姿でいる意味はない。僕は変身を解いた。
一人泣き続けるなのは。いつもよりずっと小さく見えて、助けを求めるように震える体。
そっと両腕でなのはを抱きしめた。
「……ユーノく……ん……!」
僕の背中にもなのはの腕。強く、離れないようにぎゅっとしている。
なのはに聞かせてもらったことがある。小さいころ、士郎さんが大怪我をしてなのははずっとこの家の中に一人でいたことを。
今よりもずっと小さかったなのは。その子にとってこの家はきっとすごく広く思えて、その只中に独り残されてしまった孤独はすごく辛くて酷なものだった思う。
寂しくて、悲しくて……僕は一人だったけど独りになることなんてなかった。いつも、どんな時も傍らには仲間がいてくれた。でも、なのはにはそれがなかった。
「なのは……」
今だから思える。なのはも絆を求めていたのかもしれないと。
誰かと繋がっていれば独りにはならない。支えてくれる人がいれば泣くこともない。悲しい気持ちになんてなるわけがない、むしろ楽しくて笑いあえるのかもしれない。
手に入れたばかりの絆。それが今なのはの手から離れようとしている。
(離れようとしているのは僕……)
それでもなのははそれを自分の中に押し込めようとしている。僕が、飛び立てるように。
(でもきっと、なのはは一人では飛べない)
こんな時だけでも我がままになって欲しい。でもそれはなのは自身望んじゃいない。望めば僕は飛び立てないから。
「ユーノくっ……ん……ゆーの……くん!」
連絡が取れればどれほどよかったか。リンディさんは言っていた。今度のアースラはこの世界からずっと離れた辺境へ任務に行くと。便りを送っても、何時着くか分からないほど遠くの場所に。
咽び、泣き続けるなのは。どうすればなのはも僕も飛び立てるようになれるのだろうか。
どんなときも笑っていられるような強さをもてるのだろうか。
答えが出ない。出せない。
「……僕は」
繋がっていられる。信じ続けられる。そんな都合のいい物はあることはある。それだけ強い絆を結ぶことの出来るたった一つの方法がある。
でも僕はそれをこんな形でしたくなかった。
「……なのはのことを傷つけるかもしれない」
そもそも、早すぎる。僕がやろうとしていることをなのはは理解できないはずだ。きっと嫌われる。
「……でも、それでもいいなら」
焦がれあう二人に許された互いを求め、確かめ合う儀式。
「……なのはを抱きたい」
僕の腕の中、なのはは言葉の意味を分かっていたのだろうか。一際強く、腕に力が入った。
「…………知ってるよ。わたしもよくわかないけど……でもユーノくんのこと好きだし……信じられるから」
潤んだ瞳に僕が映った。頬は桜色に染まり、僅かに開いた唇が返事を紡いだ。
「いいよ。なのはに大切な思い出を……ちょうだい」
心臓が高鳴った。
そうだ年齢とか関係ない。
好きの気持ちは止められないんだから。互いが望むなら答えは一つしかない。
「……好きだよ」
おもむろに唇を重ねた。二度目のキス。
肩を抱きゆっくりとなのはをベッドへと横たえる。不安げな視線が僕を見つめた。
「大丈夫……だと思うから」
「うん…………わかってる」
電気を消した。流石になのはも恥ずかしいだろう。
闇に包まれる部屋。窓から差し込む月明かりが唯一の光でそれが僕らを照らし出す。
もう一度、僕はなのはにキスをした。それは始まりの合図。
「緊張……するね」
「僕なんて心臓破裂しそうだよ」
微かな光なのになのはの顔が赤いことがよくわかった。なのはからも僕の顔は丸分かりなんだろうな。
そして僕たちだけに許された夜が幕を開ける。月明かりに見守られた夢か現か、幻想的なこの世界で――。