遡ること二日前
――無限書庫司書長ユーノ・スクライア。
今や彼の肩書きは時空管理局内では知る人ぞ知る人物となっていた。
『知らんことはスクライアに』が合言葉となり誰もが未知の文献や埋もれた知識の探求を彼に依頼する。
尊敬される司書として、また最高の歩く辞書として彼の人気は高まる一方である。噂の程ではファンクラブさえ作られている話まである。
「たまには外に出たいなぁ」
上下左右、視界全てに本が敷き詰められた空間の只中でユーノは一人、かぼそいため息を吐いた。
宛がわれた寮には戻っていない。どうせここと行き来するだけなら初めからここで寝泊りした方がいいだろうという彼なりの結論だった。
そうしてもう一週間ここにいる。
「まず自分で調べてくれ、頼むからさ……」
あちこちに浮かんでいる依頼書や書類の山を斜に見つつ頭を抱えた。
便利なものができればそりゃ使いたくなるのが人の心理というものだろう。それは仕方がない。
只中にいる人間の苦労が分からないのも仕方がない。
だがせめて、できそうなことは自分で全部やれ。
「うぇ……」
もう言葉にすらならない悲鳴が虚しく書庫に響いていた。
「外に出たい……お日様見たい……おいしいものが食べたい……」
口からぼそり、ぼそりと出てくるものは真っ白な雪のようにどこまでも素直な言葉。
うっすらと熊の浮かんだ目元に櫛を忘れたボサボサの髪、そして据わった目。もう以前のユーノの面影を追い求めることはできなかった。
「ゆっくり寝たい……遺跡探したい……発掘したい……外に出たい……」
繰り返す呪詛は彼に仕事を進めたあのチビ執務官へ。
別に彼に責任はない。ただ手近な相手だったからだけである。理不尽ではあるがもう精神的に危険領域を跳び越しているユーノに善悪の判断をつけることは
「ふ、ふふぇ……はは」
――無理。
そもそも期限を延ばさせて余裕を作ればよかったのだろう。だがジュエルシードの時も責任を感じ独りで回収しようとした真面目一徹である。
そうでなければ今だってユーノはユーノであっただろう。
「ははははは…………仕事しなきゃ」
スイッチしたように顔つきが変った。遠くを見つめていた眼は手元の依頼書に、両手からは光鎖が該当した資料を書庫から引っ張り出していく。
「さてと……ふぅ、不明言語の解読なんてこりゃまた厄介なものを持ってきたな」
どうやら先ほどまで変貌は彼が編み出した一つのストレス解消法だったらしい。完全に彼が壊れていなかったことは何よりである。
「え〜と……この文字は――」
真剣な眼差しを送っても早々答えは出ては来ない。懐に漂うのはいつか見た闇の書と変わらない大きさの魔導書。
だが何があったのか魔導書の半分がごっそりなくなっていて裏からはページが丸見えになっている。本来はこの二倍は厚みがあったのだろうが今では見る影もない。
「……なんだミッドでも地球言語でもないし、ベルカにしては統一性がないし」
それもある意味書物の神秘性を増すだけの装飾でしかないのだろう。少なくともユーノにとっては。
そして面倒な解読作業をもくもくと、休憩も挟まず進められるのは遺跡発掘を生業にするスクライア一族の性がなせる業なのだろう。
「…………待てよこれなら……ああ違う……これで……うん」
「ゆ〜のくん!」
「っうわぁ!?」
肩に触れた感触に思わず体を跳ね飛ばすユーノ。少しだけびっくりさせようと思った彼女は思ったよりも酷い反応に逆に驚いた。
「ど、どどうしたのユーノくん!?」
「だだ、だって僕しかいないのに誰かが……ってなのはかぁ」
「そうだよ、なのはだよ」
思わぬ反撃に口をへの字にするな彼女にユーノは安堵の笑みを浮かべた。若干引きつりが残ってはいるが。
「わたしが入ってきたのに気づかないなんて仕事頑張ってるんだね」
「うん、引き受けた仕事だからね。ちゃんとやらないと」
言って手にしたのは不釣合いな厚みの本。彼の顔ほどもあるそれはミッドでもベルカでもない別世界の言語辞書。
「今は何やってるの?」
「ん? 未知の文献の解読」
解読途中の魔導書の一ページを彼女に見せる。基本言語が日本語のなのはにとってその珍妙な文字とも図形とも取れる羅列は顔をしかめさせるぐらいにしかならなかった。
「すごいね、これ。わたしにはなんのことやら」
「普通はみんなそうだよ」
苦笑するユーノには当然のことながらこれは興味をそそる宝。好奇心が何事にも勝ってしまっているのだ。
遺跡発掘が生業ならではの職業病である。
「でも珍しいねなのはが来るなんて」
「うん、管理局の研修がちょうど本局だったから。でもほんとすごいんだよ、管理局の人って――」
顔を輝かせながらなのははちょうど今やってきた研修の内容を話し始める。
デバイスもなしでディバインバスター級の砲撃をこなす教官のことや。
自分より歳下のはずなのに二桁の数の誘導弾をやすやすと制御する魔導師。
その他並み居る実力者達の悲喜こもごもなどなど。
「『井の中の蛙大海を知らず』って言葉が胸に沁みそうだね」
「すごく沁みるよ」
相当大変なものだったのだろう。そういえばなのはが研修に行ってるメビウス中隊は管理局でもトップクラスの実力者しか入隊を許されないスペシャリスト集団のはず。
そこに研修に行ってる時点でなのはも相当な実力者のはずだというのに。
「はぁ……管理局って疲れるね」
――苦労してるんだ。
自分もそうだが蓋を開けて理想とのギャップに悩むのはいわゆる大人の世界なのだろう。
「お互い辛いけど頑張ろう、なのは」
「うん、ユーノくんが言ってくれるとほんとに頑張れる気がするよ」
「光栄だよ」
自分もなのはの笑顔に元気が沸いてくる。
「そうだ! また明日も来ていいかな?」
「えっ? うん、管理局の方はいいの?」
「明日からしばらく本局だからね」
「そっか、ならいつでも歓迎だよ。どうせ僕しかいないんだし」
依頼もほとんどが電子端末ずてで人なんて一日に一人来ればいい方。部外者入れたところで司書長は自分なのだからお咎めもない。
それに想い人のお願いなら聞かないわけにはいかないだろう。毎日でも大歓迎だ。
「あはは、よかった。じゃあこれからしばらくお世話になろうかな」
「学校とか家はいいの?」
「今は夏休みだからね」
偶然の神様ありがとう。これでしばらくはストレス解消をしなくてすみそうだ。
「ねぇ、ユーノくん。解読作業って難しいの?」
「そうだね……慣れないうちは難しいと思う」
「そうなんだ。ちょっとやってみていい?」
「難しいよ」
「覚悟の上!」
退屈しのぎか手伝いたいのか、とにかくなのははユーノの作業に興味津々と言った様子。
別に取り返しのつかない作業でもないし、それに知識も思い込みもない素人がやった方が思わぬ結果を呼び寄せることもある。
「いいよ、じゃあ辞書とかここにある。僕は新しい資料取りに上いくから」
手元の辞書の限界もあって断る理由は皆無。最低限の指示をしてユーノは今までいた自分の特等席――と言っても書庫のど真ん中だけでイスも何もないが――になのはを招待した。
「それじゃあ高町なのは研修生張り切って頑張ります!」
「うん」
目指すは一番上の本棚。チェーンバインドすら届かない超遠方だ。しばらくはこのお手伝いさんに頑張ってもらえるだろう。
しかし数分後、ユーノは自分の軽率な行動に激しく後悔することになった。
同時にそれは彼が長らく忘れていた冒険家としての心を蘇らすきっかけであり。
彼と彼女とその他もろもろの愉快な仲間を引き連れた冒険の始まりの序章となった。
インジュー・ジョーンズ 最後の晴天
発掘初日 きっかけは高町なのは