「――で、この次元空間は現在ミッドを目指して進行中です」
「なってしまったものはしょうがないとして、これまた厄介なものね」
目まぐるしくスクリーンに映し出されていく情報を尻目にリンディは落胆一色のため息をついた。
「すいません、わたしが余計なことをしなければ」
「その言葉は隣に言ってあげた方がいいと思うわ」
「…………うん、僕が全部悪いんだよ。全部……全部……ふふ」
肩を落としどす黒いオーラを漂わせるユーノに思わずたじろぐなのは。
「僕のせいだ……僕がなのはにあんなこと言わなきゃ……」
「まぁ事態はそう急を要するものでもないし」
「そ、そうだよ。だって別に体はなんともないし人様に迷惑かけたわけでもないし」
「なのはに迷惑かけてる……」
手がつけられない。お手上げだった。
「あはは……やっぱり張本人だけあってロストロギアの危険性を一番わかってるわけか」
「張本人……」
リンディの咳払いにエイミィは愛想笑いを浮かべながらモニターに向き直った。
が、既に手遅れ。鋭く抉る一言でユーノの精神状態はどんどん危険な領域へ引きずり込まれていく。
後悔、自責、責任、賠償、損害、補償、懲罰、懲役、投獄――以下もろもろ。
頭の中をぐるぐる回る負の言葉。パンドラの箱とはよく言ったものだ。
「あの……それでわたしは一体何をされたのでしょうか」
実は事の重大さを一番理解してない少女が誰に言うわけでもなく疑問を投げかけた。
「それは私の方から……やっぱりユーノ君する?」
「……よろしければ」
流石に気を使って様子を窺うエイミィにおずおずと進言するユーノ。まるで上司に指示を請う平社員だった。
「じゃあ説明する……しますね」
――第三級捜索指定ロストロギア晴天の書。
かの有名な闇の書――夜天の書と同じ系統に属す魔導書。夜天の書が魔導知識を収集する一方、この晴天の書は世界の文化、自然などを記録する巨大ストレージデバイスである。
その特性のおかげで歴代のマスター誰からも破壊や改変が行われなかったという一種の天然記念物となっていたらしい。
ところが肝心の作りがあまりに粗野だったらしくいつの間にか破損し行方不明となってしまった。
「まさかそれが管理局にあったなんてね」
その片割れをなのはが偶然にも解読してしまい、あろうことか契約呪文まで唱えてしまった。
「縦読みしたら読めたというかなんというか……」
逆転の発想なのか国語の勝利なのか。
大体一小節読んだくらいで契約が執行される早漏デバイス聞いたことがない。仮に偶然が引き寄せた誤作動でも、こんな傍迷惑な話たまったもんじゃない。
「それで起動しちゃうあたりもうなんというか、艦長はどう思います?」
「そうねぇ……使ってくれる人が現れて喜んでいるんじゃないかしら」
どうやらここにある晴天の書の片割れは今までずっと次元の海を漂流していたらしい。それが起動されると同時に内部に収集していた世界の情報を展開。
それはあたかも一つの世界のように振舞いながら契約者のなのは目掛けてやってきてるというのがユーノとアースラクルーの結論だった。
「でもこれを機に回収できるんだしいいことじゃないの」
そうなればいいだろう。だが違う次元が接触するなんて聞いたことがない。もしかしたら接触したせいでなにかしら次元災害が起きたらそれこそ取り返しがつかないことになる。
「さて両次元が接触するまであと78時間ちょっとね。……無限書庫司書長、準備はいいかしら?」
「はい?」
「こういう未知との遭遇は遺跡発掘と同じでしょ」
いきなりの出動命令だった。
戸惑いを隠せないユーノにリンディはそっと耳打ちする。
(ずっと書庫に篭ってるなんて健康に悪いわよ。旅行だと思ってなのはさんと楽しんでいらっしゃい)
囁かれた言葉の意味を解する前に頭が熱を持った。そしてユーノは沸騰した。
「は、はいっ!?」
「たまには本業もしないと、あんまり仕事ばかりじゃ家の息子になっちゃうわよ」
茶目っ気たっぷりにウィンクしてリンディはエイミィの隣に行ってしまった。
「どうしたの? ユーノくん」
「あっ? え、いや……うん、頑張らなくちゃってね」
「発掘作業久しぶりだもんね」
何をどう受け取ったのかなのはは満面の笑みと共に頷いた。相変わらず天真爛漫で癒し効果抜群の笑顔だ。
「わたしも研修がなかったら行きたかったかな」
「その点ならご心配なく! なのはちゃんはあれの契約者なんだよ。こっちから出向けば相手の進行止められるかもしれないんだし」
腰掛けながら腕だけ上げてエイミィが自信たっぷりに答えた。
「研修ばっかりじゃうちの執務官になっちゃうよ。息抜きだと思ってユーノ君と二人で行っちゃいな!」
掲げた拳が親指を立てた。
てっきりユーノ一人で行くかと思っていたなのはにこの一言は思いもよらぬ不意打ちとなった。
二人きり。その事実を前になのはの頬は見る間に朱に染まっていく。
「あ、あははそんな二人っきりなんて」
「アースラクルー一同はちびっこカップルの味方よ!」
「え、えーと……」
どぎまぎしながらいきなりお泊り旅行はないだろうと内心この時のなのは思っていた。
恋のスタートラインを二人が切ったのはそれなりに前である。しかし進行速度は微速蛇行の超鈍足。
まだまだ恋愛初心者の高町なのはに二人っきりの旅は少々刺激が強すぎた。
「……でも僕たち二人でも危険すぎると思います。程度の低いロストロギアでも油断はできません。どの道もう少し人をつけたほうがいいと思いますけど」
なのはに代わってユーノが口を開いた。決してそれは照れ隠しの詭弁などではなく任務に対する要望である。
「まぁ確かに……それは私も賛成よ。レジャーにしゃれ込むには少し危険が大きすぎるわ」
「そういう危険性があるのも確かなんですが……」
「エイミィ、遊びじゃないの。それに初々しい二人にはスリルよりも情緒が必要よ」
「はぁい、じゃあアースラ職員二十名に応援追加ですね」
リンディにまで諌められればエイミィも反論の余地がなかった。残念そうにコンソールを操作し護衛につけそうな魔導師を検索し始める。
「危険が起きてからじゃ手遅れだからね。……なのは?」
「え? なに?」
「……そう、だよね。ごめん、僕が駄目なばっかりに変なことに巻き込んじゃって」
「ううん、元はといえばわたしが悪いんだし……それに全然気にしてないから」
実際なのはが気にしているのはもっと別のこと。前に向き直る横顔を見つめるなのはには悔やむよう戸惑うような複雑な表情が浮かんでいた。
ユーノの言うことは一理ある。確かに未開地域の探索に二人で行くなど無謀の極みだ。
それでもエイミィの言うとおり二人っきりで行きたい自分もいる。せっかく恋仲になったと言うのに会う機会が全然ないというのはあんまりすぎる。
だからユーノが何の躊躇もしない姿を見ると彼の心中には自分のようが考えがないように思えて少しだけ悲しくなった。
「なのははこういうの初めて?」
「う、うん」
「あんまり身構える必要ないよ。それほど危ない任務じゃないと思うし、なんだか冒険映画みたいで面白そうでしょ?」
ユーノには自分が緊張しているように見えたらしい。自分を案じてくれる言葉は聞くだけで胸が温かくなる。
「あ、でも流石に映画みたいなことはないと思うけど。いつもあんなんだったら身が持たないからね」
苦笑してユーノはおどけて見せた。そんな仕草の一つ一つが今の彼女にいとおしく映る。
なんだかそれが余計に悲しくなった。二人の関係が変わろうと二人は何も変わらない。今だってユーノはいつもと同じ態度だ。
自分が踏み出せばいい。だけどどうしてか勇気が出ない。隣にいられればそれでいいともなのはは思っている。
確かにもっと先へ進みたい。漫画のような恋愛をしたいと望むけど、それ以上にそれで関係が気まずくなって壊れてしまうことを彼女は恐れていた。
「準備はすぐに出来そう?」
「はい、最低限の装備はいつもしていますから」
「なら大丈夫そうね」
既に打ち合わせを始めているユーノとリンディを横目になのはの心中は決して穏やかではなかった。
だけどもしなのはの感じている思いがユーノと同じだと知った時に彼女はどんな顔をするだろうか。
もっとも今のユーノになのはのような恋にしり込みするような感情はすでにない。いわば恋をきっかけに二人の心が逆転してしまったようだ。
鈍感のユーノに臆病のなのは。
それ以上を望むなのはに今を満足するユーノ。
いやはや二人が先へ進むにはもしかしたら情緒よりもスリルの方がいい薬になるかもしれない。そう言った意味でエイミィの提案は非常に二人に適当だった。
もっとも彼女がそこまで深く考えているとは限らない。単に面白がっているだけかもしれないが。
「……ユーノくんのバカ」
自分でも聞こえないくらいの声でなのはは呟き頬を膨らした。
冒険は初っ端から嵐の予感だ。