混沌を秘めた闇の中にぽつんと赤い光が生まれる。この果てもわからない闇の中で光はあまりに小さく儚い揺らめき。それでも冒険者にとってこれほど心強い従者も他にはいない事も事実。
掲げられた光に照らされたユーノの顔は陰影に塗れているけれど。
「手で火を起こす人っているのね……」
「遺跡発掘が生業ですからサバイバルは得意なんです」
年下の少年に感心しながらシャマルは今さっき彼が作り出した松明を見つめた。
照明だって魔法で賄えてしまう世界にこんな時代錯誤激しいものが現存しているのは酷くギャップを感じてしまう。タイムスリップをしたよう錯覚さえ覚える。
だけどその橙の輝きはどこか温かで柔らかかった。ふと随分前に主がしてくれた誕生日なるものを思い出した。
ベルカにも自分が歳を重ねることに対して祝う風習はあったのだがケーキに蝋燭を立てる慣わしまではなかった。
彼が持っている松明はまるでそのケーキの上の灯火のように見えてふとあの日の情景が思い起こされる。
「悪くはないわね」
心が温かくなった気がした。
照明魔法の淡々とした光よりもこの揺らめきの方が暗闇の恐怖に打ち勝つ魔力がある。きっとそうなのだ。
「何か言いました?」
「いいえ、独り言よ」
やんわりと受け流してシャマルは微笑んだ。
「それにしても……」
一番魔力反応の大きかった場所には巨大な遺跡。その中に入ってもう一時間は歩きっぱなし。この回廊――暗くてそれすら不確かなのだが――もどこまで続いているのか。
ただ少し傾斜になっているから下に行っていることだけはわかる。
「どっかに明かりのスイッチでもないのかよ……」
「あったら便利なんだけどね……」
それで本当にあったらどんなに助かるか。おそらく松明の油もそろそろ切れる頃合だろうし。
「……もしかしてヴィータ怖い?」
「!? そ、そんなわけねーよっ!! おばけでもゾンビでもミイラでもシグナムでもこのグラーフアイゼンで」
「今はただの金槌だけどね」
「う、撃てもしない鉄砲なんかに言われたくねー」
「あっ、ヴィータちゃんの後ろに」
「来るな〜〜〜っ!!」
背後で何かが猛烈な勢いで何かが空を切っている。悲鳴の主はヴィータで脅かしたのはなのはとシャマル。普段ならそうやっても構わないが今の状況ではあまり、というかものすごくよろしくない。
「ヴィータ、その落ち着いて。僕らも傍にいるしそれに今そうやってデバイス振り回すと」
言ってる最中に松明が消えた。
「ぎゃああああああああ!?!?!?!?」
まさに絶叫。とにかく絶叫。何度も言うが絶叫。
「ごめんなさいごめんなさい! はやてのおやつ食べたのあたしです! ザフィーラのせいにしてごめんさい!! いい子にしますから、いい子にしますから!!」
――ヴィータ陥落。
ひゅんひゅん風を切っていた鉄槌が今ではぶんぶんと鳴る豪速の凶器。槌は壁という壁にぶつかり際限なく回廊を破壊していく。
おまけに壁にぶつかる度にヴィータは驚き悲鳴を上げ拍車をかける有様。
「二人とも頭下げて」
「もう下げてるよ〜」
「私ももうとっくに」
「そ、それならいいけどこういうことはあまりしないで欲しい! というかするな! 何があるかわからないんだよっ!」
ユーノの悲鳴のような剣幕にちょっとした悪戯心でヴィータをからかったことを二人は激しく反省した。
頭上では涙声のヴィータが暴れている。意外な弱みを見れた代償はとても高くついてしまった。
「ゆ、ユーノくん。ヴィータちゃんなんとかできないの?」
「僕に言われてもどうにもできないよ」
「シャマルさん〜」
「無理」
なのはを一蹴。旅の鏡でならヴィータのリンカーコアを引きずり出して昏倒させられる。だがこの照明魔法すら使えない状況下でその注文は受け付けられない。
対してなのははレストリクトロックでヴィータをがんじがらめにしようなんて考えだ。しかしこれも魔法が使えないので意味がない。
「ね、ねぇユーノくん。映画とかじゃなんか変なスイッチ押しちゃって大変なことが起きちゃうとか」
「言わないでなのはっ! 僕の経験じゃ十中八九よくないことが起きるに決まってる!」
ここまで無傷で来れたのだ。そろそろ罠の一つや二つやってこないと逆に不安になってくる。発掘のプロから言わせて貰えば罠だらけのほうが逆に安心できるのだ。
「寝てるシグナムのおでこにおっぱい魔人見参って書いたのもシャマルのパンツをザフィーラにかぶせたのもみんなみんなあたしです!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「……ヴィータちゃん」
おまえの仕業か。
あのザフィーラがパンツをかぶってはしゃげる様な性分ではないと分かってはいたが。
「こ、こうなったら……」
歩み寄ってくる危機にユーノも覚悟を決める。唯一自分に残された魔法。十八番の鎖でもってヴィータを鎮める他はない。余計なことをされる前に小さな暴れ馬には少しの間だけおとなしくしてもらおう。
即時即決即行動。掌から生まれる輝きをユーノは悲鳴轟く方向へ狙い定めた。
「ヴィータごめん!」
だが頭を下げユーノがバインドを放とうとした矢先――
ガン! ……ガコ、ココココ……ガチャ!
何か、とても、ものすごく、嫌な音が……した。
「あ、あははもしかしてユーノくん、わたしやっぱり余計なこと言っちゃったり」
「大丈夫、余計でも僕はなのはを責めないから」
場数を踏んできたものにこんな音くらいで心は揺るがない。達観しているような口ぶりのユーノの頭ではすでにどんな罠が襲い掛かっても大丈夫なよう肝を据わらせ身構えている最中。
「……何がくるんだろう」
なのはの頭の中では以前見た映画が思い起こされる。
襲いくる罠は一歩間違えば命にかかわるものばかり。いろいろ罠が浮かぶけどこの状況から彼女の頭で該当する罠はアレしかなかった。
(まさか……ね)
それはないだろう。それが現実になったらお約束過ぎる。
「うわぁぁぁ!? アイゼン抜けろーーっ! おまえまで悪い冗談止めろよですにょ!!」
どうやらスイッチのくぼみにデバイスが引っかかっているみたいだ。
語尾までおかしくなってパニックに揉まれる彼女は放っておけば勝手に気絶してくれるような気がする。
それなら早く気絶してくれ、となのは以下全員の考えは皮肉にもこの時一致していた。
「にょにょにょ〜〜〜〜!! ふひゃあ!?」
言語を超越した悲鳴の後にこれまた素っ頓狂なヴィータの声。突然頭上が明るくなった。
闇にぼんやりと浮かぶ鉄槌の騎士の変わり果てた姿。顔は見るに耐えないのは言うまでもなく騎士甲冑は辺りの壁を壊したせいで誇りまみれだった。
涙と鼻水でデコレーションされた顔できょろきょろとヴィータは辺りを見回す。どうやら今のスイッチは照明装置だったらしい。
「……は、はははこ、こんなのこのあたしにかかればちょろいもんだぜ!」
自分で勝手に驚き泣き喚き、そして完結。袖で顔にひっついた恐怖の証を拭い落としヴィータは声を上げて高らかに勝利宣言。
「見るにょ! ……じゃなかった見ろよ! これが実力の差ってやつだぜ」
確かに泣き喚きで彼女との差を埋めるには大変な修練が必要だろう。何の修練かは知らないが。
「そうだね、うんうん、えらいえらい」
「さっすがヴィータちゃんだね」
「はやてちゃんがいたら褒めてくれるわね」
当然、三人揃って棒読みの称賛だったのは言うまでもない。
「だろ! へへっーんだ」
腰に手を、胸は反り、誇らしげな表情でヴィータは上辺だけの褒め言葉を受け取っていた。
今更だがユーノは今日の人選をしたエイミィのことを恨めしく思ったのは言うまでもない。
「所でユーノ君、さっきからなにか変な音が聞こえない?」
「変な音ですか?」
シャマルの発言に耳を澄ましてみる。
――なるほど、確かにごごごごごご……、と地鳴りのような音が遠くに聞こえる。なにやら音は徐々に大きく、なにより足元が揺れ始めているような気もしてきた。
「あの、その……わたし的に一つ言っておきたいことがあるんですが……」
「どうしたのなのは?」
「こういうのってさ……映画とかでよくあるあれじゃないかなって思っ――」
それから先の言葉は何かが激突した轟音で誰の耳にも届かなかった。
思い返せば一度突き当たりを曲がった記憶がある。多分距離からして音源はその角に何かがぶつかったのだろう。
「そうだね……きっとそうだね。なのはの言う通りだと思う」
当然だろう。照明のスイッチが唐突にあるなんてないだろう。
「……そうだよね」
なのはと一緒に視線を落としてみる。僅かだけど傾いている床は坂と呼べるだろう。
このまま順当に行けばぶつかったソレは間違いなくここを通る。
「なに心配してんだよ。どんなもんでもあたしは止められねーぜ」
「ヴィータちゃん……世の中には井の中の蛙大海を知らずって言葉があってね」
「胃の中のカラス? おまえの家ってカラスも食うくらい貧乏なのかよ……」
「…………わたしだって食べたことないよ」
「その二人ともそろそろ走る準備した方がいいよ」
無駄な会話をしてる間に、ほら音が迫ってきた。
「走る? そんなもんアイゼンの頑固なヨゴレにしてやるから安心しろってユーノ」
「できれば……ね」
「じゃあシャマルさんも」
「あまり走るのは得意じゃないんですけど」
言いつつすでにスカートのすそを持ち上げている辺り彼女もこれが一刻を争うことを理解してくれてるらしい。
問題はやはり
「かけっこするのか……?」
これだ。
「ヴィータも走った方がいいよ。たぶんそうしないとこの遺跡の頑固なヨゴレになるから」
「上等だ! やれるもんならやってみろだ!」
気合は十分なのだが悲しいかなベクトルが明後日だ。
「じゃあ僕たちはこれで」
「ヴィータちゃん、先行ってるね」
「あんまりのんびりしない方がいいわよ」
口々にするのは送別の言葉。
それ以上は何も言わず踵を返す三人の足。対して一人は相変わらず棒立ちの足。
ヴィータが瞬き一つした頃には彼らはすでに彼方へ走り去っていた。その勢い風のごとく。
「なんだよ……わけわかんねぇ。まぁそれだけあたしが頼られてる証拠だよな」
この期に及んで彼女の頭の中はそれで一杯だった。
「よぉし! やってやるか!」
片手の鉄槌をしっかり握り構え直す。さっきから耳障りだった音も敵のものならやる気の素だ。準備は出来ている。宣言通りに頑固なヨゴレにしてやろう。
「一発で終わらせてやる!」
眼光と共に回廊の遥か先を見据える。音はどんどん大きくなり足元を揺るがす地響きも大きくなる。
敵はかなりでかい。だがそんな事実はヴィータを怖気させる材料にはならない。
喉が動く。ついに暗がりから悪魔が姿を現す――。
「…………へっ?」
悪魔はすごく丸くてゴツゴツしていた。
通路一杯に陣取りながらそいつは自分目掛けて転がってきている。
「あ、あ、あ……」
で、ヴィータは三十秒前の三人がなんで走り出したのかようやく理解した。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
回れ右。気分は自分にカートリッジロード!
少女の悲鳴とは思えない絶叫を残しながら彼女はその場を走り去った。
いつかはやてに聞いた言葉が頭を掠める。
ウサギはギガ可愛くて大好きだけどこの兎にだけは絶対なりたくないと思った。だってあまりに情けなさ過ぎるから。
「ちくしょ〜〜〜!! ユーノのバカヤローーっ!!」
最悪の兎。その名前を
「うわぁぁぁぁぁん!!」
脱兎――と言った。