清潔な白い部屋に端末を操作する音が響いていた。
ミッドチルダの魔道技術に関する研究室。その一室で、男は黙々と作業を続けていた。
椅子に座るその背筋はピシッと伸び、身を包む白衣をシワ一つなく着込んでいる、いかにも真面目そうなイメージの男だった。
座っているために正確な慎重はわからないが、かなりの長身だ。そのきりっとした瞳は、エリートビジネスマンを思わせる雰囲気を漂わせている。
座る男の目の前には何もない空間に画面が開かれていた。そこに映っているのは彼らだけにしかわからない特殊なプログラム言語。
画面で踊る文字と男が格闘していると、背後のドアがスライドして開いた。
端末を操作する手が止まる。振り返ると、同じく白衣を着た男がこの部屋には不似合いな古びた本を山のように抱えて立っていた。
その詰まれた本の高さに男は目を見張った。
「レーゲン、ただいまー」
「戻ったか、フィーゲル。首尾は……聞くまでもないようだな」
フィーゲルと呼ばれた男は自分の目の高さまで詰まれた本を自分の机に置くと、袖で額の汗をぬぐった。
こちらもレーゲンと呼ばれた男と同じくらいの長身だが。無駄のない体つきをしているレーゲンと違い、こちらはひょろりとした印象を受ける。
同じように着込んだ白衣も清潔ではあるがよれよれで、目じりの下がった顔つきのせいで冴えない優男といった風体だった。
しかし、今その瞳には宝物を見つけた子供のように輝いている。
「いや、新しく入った無限書庫の司書の子は凄いね! 見てくれ、この資料の山!
いくら前に頼んでおいたとは言え、たったの1日でこれだけの資料を集めてくれたなんて信じられない!」
両手を広げて驚きをアピールする相棒の大げさなしぐさに呆れつつも、その成果にはレーゲンも驚いていた。
無限書庫は名のとおり無限に近い莫大な蔵書が未整理のまま眠っている。
探せば目的のものは必ず見つかる反面、それを探すのにかかる時間も莫大なものとなってしまう。
下手をすれば、というより普通は別のところで探した方が結果的に早く見つかることの方が多い。
今回は探す対象が対象だったので、ほとんど駄目もとで頼んでみたのだが、まさかここまで上手くいくとは。
「ほら、僕らがアレの存在を知ったあの闇の書事件、司書の子がちょうどアレの調査をしていたらしくてね。探す手間はほとんどなかったそうなんだ。
おかげでこれだけの資料を一晩でそろえられたって言うんだから、本当に僕らはついてるよ」
その意見にはまったく同感だった。常に最悪の事態を想定して動いているだけに、その思いは深い。
「まあ、とはいえさすがにロストロギアの資料だけあってすぐにあの子に転用する、って訳にはいかなさそうだけどね。
パラパラと流し読みしてみたけど、さすがにソースコードそのものまでは載ってなさそうだ」
「問題ない。どうせ載っていたところで今の俺たちの技術では再現不可能だろう。ましてや応用など何をいわんや、だ。参考になれば御の字だろう」
それもそうだとフィーゲルは肩をすくめた。しかし、その笑顔は明るい。
それはレーゲンも同じだった。
大して期待もしていなかったものが予想以上の成果を挙げられたのだ。自分達には追い風が吹いている、そう感じるのには十分だった。
「とりあえず、さっきまで修正しておいたプログラムができたからアレを貸せ。もう一度再調整する」
「ん、分かった。えっと……」
そうしてフィーゲルは白衣のポケットをまさぐるが、なかなか目的のものは出てこない。
レーゲンは先程までの昂揚感も忘れてジト目で相棒の様子を眺めた。
彼と相棒との付き合いは長い。こういう時彼がどんな大ポカをやらかすかは身にしみてよく知っていた。
「……お前……まさか……」
口調どおり厳しい性格の相棒の冷たい視線にさらされて、どこか人形じみた動きで頭に手を置く。
そのまま、フィーゲルは乾いた笑いをこぼした。
「……無限書庫に、落としてきたみたい」
レーゲンは椅子の背にもたれて天井を見上げた。
白い蛍光灯が辺りを照らしていた。
「……あれ。もうこんな時間か」
時空管理局本局、無限書庫。
あたり一面を本棚に囲まれた空間で司書としての仕事に没頭していたユーノは、終業時間をとっくに過ぎていることに気が付いた。
「さすがにこれ以上は限界かなあ……」
周りの本の山を見渡しながら一人ごちる。
彼の周りには数十冊と言う数の書籍が浮かび、その内の数冊が開かれていた。
ユーノの今日一日の仕事の成果だ。
首をかしげると、9歳とは思えないゴキゴキと関節がなる音がした。
まあ、一日中本を検索整理していれば無理もない話ではある。
闇の書事件を通じて評判が広まったのか、ユーノが無限書庫の司書に就任して以来、資料の検索依頼が山のように押し寄せる日々が続いている。
最優先となる回収対象のロストロギアの資料を初めとして、魔道技術の資料やロストロギアが生産されていた時代の資料など、その仕事にいとまはない。
こうした仕事はスクライア族のユーノにとっては望むところではあったが、その量にはさすがに身体が悲鳴を上げている。
それに何より。
「最近、なのは達にあってないしなあ……」
誰もいないことを確認してから、ユーノは素直な気持ちを口にした。
司書に就任して以来、仕事に忙殺される形でなのはの世界にはもちろん、クロノ達アースラの面々とも会っていない。
若干9歳にして自立しているユーノではあるが、さすがに友達とも会えないまま仕事に追われていればさすがに気も滅入ってくる。
気になる子がいるとなれば尚更だ。
使い手の心情を表してか、ふらふらと危なっかしい軌道で出口へと向かっていくと、途中で何かが光っているのに気が付いた。
手にとって見ると、それはどうやらデバイスのようだった。ジュエルシードのような大きさや形で、透き通った栗色をしている。
「……なんだろう。落し物かな?」
少なくとも、自分の持ち物ではない。
無限書庫にデバイスが置いてあるとも思えないし、昨日はこんなもの見かけなかったから、おそらくは今日出入りした誰かが落としていったものだろう。
ユーノは目を瞑って精神を集中し、ちょっとした魔法を紡いだ。
デバイスは大抵の場合、悪用されないように個人情報を登録しておく場合が多い。
インテリジェントデバイスになると、デバイス自体が持ち主を選んで登録しておくため、それが顕著となる。
その情報を閲覧することができれば持ち主は分かる。そのための魔法だった。
ユーノの描いた魔法陣を通じて、淡い緑色の魔力がデバイスへと流れ込む。
それに応じるようにデバイスはうっすらと輝いた。
しかし、彼の望む反応をデバイスは返してくれなかった。プロテクトによってはじかれる反応とも違う。
「……まだ、登録されていない?」
デバイスには持ち主の情報自体がまだ入力されていないようだった。
認証登録なしで使用しているのだろうか、と考えるが、すぐに別の可能性に思い当たった。
「そうか。もしかしたら試作品のデバイスかもしれない」
無限書庫を訪れる人間は、当たり前だが資料や知識を求めてやってくる。
それはロストロギアの情報を探す管理局員であったりするし、各種の資料を求めてやってくる研究員だったりもする。
その中の誰かが開発中のデバイスを落としていったとすれば、納得のいく話だった。
とはいえ。
「だとしたら、随分間の抜けた人だなあ……」
普通に考えれば開発中の新型デバイスの情報など部外秘に決まっている。
それを資料を探しに来た折に落としていくなど、間が抜けている以前の話だ。
いや、そもそものところ、そんな品をわざわざここまで持ってくるとも思えない。普通に考えれば研究室に置いておくものだろう。
「そうだよなあ。普通に考えればそんなことある訳ないか」
そう一人ごちて、自分の思考の浅はかさに苦笑した。 もちろん彼は、ミッドチルダのとある研究室で交わされた間抜けな会話を知らない。
とりあえず本局の遺失物係に届けておけばいいだろう。そう結論付けて改めてデバイスを見る。
ふと、その透き通った栗色の輝きが、なのはの髪の色とダブって見えた。
「会いたいなぁ……」
思わずこぼしてしまった素直な感情に、ユーノは赤面しながらあわてて周りを見渡した。
当然の話だが、終業時間を過ぎた無限書庫には彼以外の人の姿はない。その事に大きく安堵の息を漏らす。
高町なのは。彼の大切な友人であり、仲間であり、そして気になる女の子。
とはいっても、彼女自身はひどくその手のことには疎い。そうした気持ちはおろか、未だに自分が異性として見られているかどうかも怪しいものだ。
仕事に追われてロクに会いに行くこともできない上に、こんな状況で会ってどうするのか、という気もしなくはない。
ユーノは自分を取り巻く状況に思いため息をついて、デバイスをポケットにしまった。そして頼りない軌道で出口へと向かう。
――set up.
その時、彼のポケットの中でデバイスがかすかに光ったことに、ユーノは気がつかなかった。
それは、心臓の鼓動のような光り方だった。