「調子はどうだ?」
カタカタと目まぐるしくコンソールを操作しているエイミィにコーヒーを差し入れながら、クロノは尋ねた。
次元航行艦船八番艦アースラ。その中のエイミィに割り振られた自室でのことである。
当然ながら、部屋には二人の姿しかない。ディスプレイが表示されたことを示す僅かな音と、エイミィの動かす指の音しか聞こえない静かな部屋。
うっすらとした青色に染め上げられたその部屋で、エイミィは差し入れのコーヒーに口をつけながら答えた。
「ん、ありがと。……今のところ、怪しいところは何もなし」
「そうか……」
マグカップを傍らに置くと、エイミィは手早くコンソールを操作した。
二人の写真とその経歴が浮かび上がる。
「フィーゲル・レセシアルとレーゲン・ヴァッファ。どちらもミッドチルダ出身のデバイス研究者。
民間の大学卒業後にアシッド社に入社して、インテリジェントデバイス、特にそのAIのプログラムを研究してるみたい。
一応、過去に実験中に事故が起きてるけど、それも大したことないし、被害もほとんどなし。
開発中の実験の失敗なんてよくあることだし、短期の謹慎処分だけで済んでるみたい」
「現在この二人が開発しているっていうデバイスについてのデータは?」
「さすがにその辺は部外秘だから細かいところまでは分からないけど、アウトラインくらいなら調べられたよ」
簡単に恐ろしいことを口走るエイミィ。
通常、まだ発売もされていない研究中の内容などが漏れることなど考えにくい。
当然の話だ。まだ開発中のデータが漏れてライバル企業に先に作られでもしたら、大きな損害をこうむるのは間違いないのだから。
それを概要だけでも捉えているエイミィの手腕はすさまじいものがあった。
「開発コードはM-9、より高度かつ複雑化したAIの作成によって、インテリジェントデバイスの汎用性を高めることっていうのがお題目。
要するにデバイスをあまり必要としない結界魔導師とか、戦闘に携わらない民間人をターゲットにしたAIって言うことだね。
特徴は補助魔道回路作成機能。リンカーコアに直接バイパスを繋ぐことで、擬似的に魔道回路を作成する機能なんだって。
これを利用すればデバイスを必要としない魔導師でも意識容量が増えてより複雑な魔法の起動が行えるってのがウリ。
おまけにインテリジェントデバイスの自発的な魔法の発動がより高速化・大出力化することができるの。
一応他のインテリジェントデバイスにも、術者が危険にさらされた時には自動で防御魔法を行う機能はついているけど、これはもっと複雑で能動的な機能みたい。
理論上ではこれを利用すれば、闇の書の防衛プログラムみたいな複層式バリアを個人で形成することも不可能じゃないって。
もちろん、それにあわせてAIの方もより高次の判断が行えるようになってるそうだよ。
……いやはや、まだ開発段階とはいえ変わったデバイスだよ。これは」
エイミィが説明を続けているうちに、クロノはあごに手を当ててなにやら思案しているようだった。
その考えは、クロノ自身にもまだ言語化できる段階にはなかったらしい。ゆっくりと言葉を選ぶようにクロノは口を開いた。
「いや、そのデバイスの説明を聞いていたらちょっと、ね。
たしかにその機能は便利だ。まだ開発段階とはいえ、実用化されれば確かにデバイスの購買層の開拓にもつながるだろう。
けど、どうもこの二人の顔がちらついてね」
クロノの言う二人、それがフィーゲルとレーゲンの二人であることはすぐに分かった。
このデバイスを利用して、なにかを画策してるのではないか。その疑惑にとらわれているのだ。
その疑心暗鬼に本人が一番辟易しているようで、クロノは大きく首を振った。
「まったく、どうかしてるな。何の根拠もない人間を疑ってかかるなんて。執務官として失格だ」
「……ねえ。どうも分からないんだけど、どうしてクロノ君はこの二人にここまでこだわるの?」
エイミィの知るクロノは執務官としては能動的に行動することは少ない。
それはやる気の問題などではなく、自分のもつ執務官としての力が人の人生を左右するに十分だということを知っているからこその自制だ。
ゆえに、クロノは法に基づいて行動する。今回のように何の事件も起こしていない人間を調査することなど、非常に稀な事態だった。
クロノのことをあるいはリンディよりもよく知るエイミィだからこそ、クロノの行動に疑問を持っていた。
「僕だってあまりこういうことはしたくないよ。ただ……あの二人の目が、どうしても気になってね」
「目?」
「そう、目だ。僕だって執務官としていろんな人間を見てきたけど、ああいう目をした人間が一番厄介なんだ。
自分のやっていることの重みを理解して、それでもそんなことを鼻にもかけていない。……そうだな、あれは道楽者の目だ。敵に回すと一番面倒なタイプだよ。」
苦々しげに顔をしかめるクロノを見て、エイミィは何かに納得した。要するにクロノがあの二人を疑ってかかる理由は、ごくごく単純なものなのだ。
「なるほど。そういう訳か」
「……エイミィ?」
「ああ、いやいや、なんでもないなんでもない」
「……?」
クロノはまだ納得のいっていない様子だったが、それ以上問い詰めてくることはなかった。
「……まあいい。それに、あくまでこれはあやふやな勘に過ぎない。ここまで調査して何も出てこないのなら、僕の勘違いだろう。
法に反しているという根拠もないのに疑うなんて、僕も」
「あー、うん、それなんだけどね……ちょっと見てほしいものがあるんだ」
「見てほしいもの?」
エイミィがコンソールを軽く操作すると、当時の資料がいくつも浮かんできた。
事故の経緯や背景、実験内容などが書き込まれているそれは、なるほどエイミィの言う通りよく出来ている。執務官という管理職についているクロノの目から見ても、過不足ない完璧な出来だった。
「これがどうかしたのか? 特におかしいところはないようだが……」
「やっぱり、そう思うよね……」
エイミィはそう呟くと机に両肘を突いてあごを乗せた。彼女自身うまく言葉に出来ないらしく、もごもごとしばらく口を動かしている。
その態度が気になって、クロノは続きをたずねた。
「悪いが、君の意図が分からない。この報告書がどうしたんだ?」
「うん、これは調べててずっと思ってたんだけど……あまりにもよく出来すぎてるの。時空管理局だって結局のところ運営してるのは人だから、どこかしら矛盾や無駄があるものでしょ?
特にこんな小さな事故ともなると、調査だってそこまで徹底的に行われていたとは思えないんだけど……。なんていうのかな、薄汚れた壁が続く中、一箇所だけ染みひとつない真っ白な壁がぽつん、と立ってるみたいな感じというか……」
そこまで言われれば、クロノにも彼女の言いたいことは分かる。要するに、この報告書は何らかの意図で改竄、あるいは偽造されたものである可能性があるということだ。
なんの論拠にもならなかった勘が、ぼんやりとしながらも少しずつ形を作っていく。
「そうか……すまないが、もう少し調べてもらえないか」
「了解。その代わり、今度驕りね」
「……まったく、ちゃっかりしてる。」
エイミィは椅子の背もたれにもたれて、にんまりと笑う。暗に報酬を要求しているのに、その表情には悪びれたところがない。クロノは呆れて肩をすくめて呟くが、その目は穏やかに笑っていた。
「いいじゃない。この前マリーから聞いたんだけど、本局の近くに美味しいお店ができたんだって」
「分かったよ。それくらいなら安いものだ」
「うん。じゃ、決まりだね」
それじゃ約束とばかりに、エイミィが拳をクロノへ向ける。それに応じて、クロノの拳がこつんとぶつかった。
「さて、そうと決まればもう少しがんばりますかあ!」
「頼む。僕もそろそろ仕事に取り掛からないといけない時間だ」
「ん。頑張ってねー」
ディスプレイに視線を向けたままひらひらと手を振るエイミィに背を向けて、クロノは部屋を出ていった。
ドアから出る直前に、クロノはちらりとエイミィのほうを伺う。
――約束、楽しみにしてるよ。
一心に調査を進めてくれている相棒に感謝の言葉を口の中だけでつぶやいて、クロノは仕事へと戻っていった。
ミッドチルダの研究室の一室、メートヒェンが生まれた白い部屋の一角で、フィーゲルがディスプレイに移る文字の群れを凝視していた。
常人なら目を回しそうになるほどの情報量。
それを追う彼の瞳は、まるで目の前で手品を見せられた子供のように輝いている。
彼の後方で、スライド音を立ててドアが開き、今時アナクロな書類を小脇に抱えたレーゲンが入ってくる。
「フィーゲル、本局の方に研究室を借りる許可が出たぞ」
「本当? 予想してたよりも随分と早いじゃないか!」
思いもよらない吉報に、フィーゲルは振り返って相棒の姿を見上げた。
レーゲンは書類を抱えたまま肩をすくめる。
「少し非合法な手を使わせてもらったからな。出来る限り急いだ方がいい案件だろう?」
「さすが。そういう腹黒いことにかけては天下一品だねえ」
フィーゲルは満面の笑みで、心の底から相棒に対する賛辞を述べた。
レーゲンは眉一つ動かさずに淡々と、返礼を返す。
「ちなみに、袖の下はお前の預金から引いておいた」
フィーゲルの満面の笑みが固まった。
そのまま動かないフィーゲルの横を抜けて、荷物を自分の机に置く。
「い、いくらなんでもそれは酷くないか?!」
「仕方ないだろう。まさか経費として計上するわけにはいかん」
「それとこれとは話は別だろ……!予算が使えないことと僕の預金を使うことの因果関係に関する説明をもっとしっかり……!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐフィーゲルを完全に黙殺して、レーゲンは彼が見ていたディスプレイを覗き込んだ。
画面上で乱舞する記号の群れを視線で追う。
いつの間にか、やかましいフィーゲルの文句もなくなっていた。
端末を操作するカタカタという音と、空冷ファンが奏でる風の音だけが静かな室内に響き渡る。
しばらくの後、データに目を通し終えたレーゲンはため息をついた。
「……驚いたな」
「だろ? 僕にとっても正直予想以上の成長ぶりだ。こうなるかもしれないとは思っていたけど、まさかここまでとは思ってなかったよ。
よっぽどユーノ君のことが気に入ったらしい。今までマスターを選ばなかった、その反動かな」
フィーゲルは笑みを浮かべて肩をすくめた。
豊かな知性と包容力にあふれた、静かな笑み。子供の成長を喜ぶ親の笑みだった。
「闇の書……いや、リィンフォースの資料の方はどうだ?」
「予想通り、無理だった。あれだけのプログラムは再現不可能だし、それを支える魔力も現在じゃ個人の資質に頼ることになる。
今の僕らじゃ再現しようと思っても歪なバッドコピーを生み出した末に魔力が枯渇して衰弱死、ってのがオチだね。多分、ユーノ君でも同じだ。
……まったく、あれだけの子を4人も作って平然としてられる子だなんて、ロストロギアってのは恐ろしいねえ」
「なら、そっちのプランは諦めるか?」
「そうだね。こっちはあくまで補助的なものだし、一応代替手段の方は出来てる。
時間をかければいつかは再現できるようになるかもしれないけど、そんな気長なお付き合いになるかどうかは怪しいしね」
「今まで散々失敗してきたことが、まさかこんな偶然で望みが叶うことになるとはな」
「レーゲン、そこは偶然じゃなくて奇跡とでも呼ぼうじゃないか」
「なぜ?」
「決まってるだろ? そのほうがロマンティックじゃないか」
レーゲンは思わず苦笑した。もうすぐ30にも届こうかという年齢の男が言うにはあまりに子供っぽすぎる言動だが、それが不思議と似合っている。
いや、そもそものところ、フィーゲルは――おそらくは自分も――わがままな子供に過ぎないのだ。似合っているのが当然ともいえた。
「さて、これからどうなるかな」
「まさしく神のみぞ知る、だね。変化が起きるのは明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、案外変化がないまま終わるかもしれない。
その変化にしたってどうなるかは僕らにだって分からないよ。それはあの2人次第だ。
……けど、注意を払っておいた方が良い人はいるけどね」
そう言って、フィーゲルはコンソールを操作して別の画面を表示した。
いくつかの魔導師の名前と経歴、顔写真の表示に、レーゲンは目を走らせながら尋ねた。
「このリストは?」
「ユーノ君の交友関係を洗ってみたら、なんとまあAAAクラス以上の魔導師がゴロゴロ出てきてね。この前あったハラオウン執務官のこともあるし、リストアップしてみた」
「……過保護だな。おまけに個人情報もいいところだ。ゴシップ誌の記者にでもなったほうが良いんじゃないか?」
「そういう事言わないの。何か問題が起きたときに僕らがフォローできなかったらそれでおしまいなんだから、できる限りの手は打っておくべきだろう?」
「できる限りのこと、ね」
それがどれだけの効果があるのか、レーゲンは疑問視せざるを得ない。
そもそもこの事態が二人にとって想定外の出来事なのだ。今のところいい方向に流れているとはいえ、この先どうなるかは見当もつかない。
正直に言えば、不安だった。自分達のやっていることに対してではない。そんなことは今更だ。
彼が不安に思っているのは、二人の望みが二人の感知しないところで進んでいく。そのことに対する不安だった。
たしかに今はうまくいっている。これ異常ないほどの幸運に恵まれているのも認めよう。
だが、真に望みをかなえようと思うのなら、この機会は見送って、自分達の手で確実に事態を進めていけるときになるまで待ったほうが良いのではないか。
そんな思いがレーゲンにはあって、そしてその不安は今頂点を迎えようとしていた。
思わず言葉が漏れる。
「……今ならまだ引き返せるぞ?」
それは法に、あるいは人の道に外れるかもしれない決定的な一歩を踏み出すか否かの最終確認。
その重みのある問いに対して、フィーゲルはいつもレーゲンが見ているその顔で笑った。
「レーゲン、馬鹿言っちゃいけない。今の状況と君が言う終わり、その全てが僕らの望んだことだ。
メートヒェンがユーノ君に出会って、今があって、その結末がどこにあろうとそれを見届ける。それこそが僕らの望みだろう?」
この道を選んだ結果の末に、望んだ結果ではないにせよ、犠牲を払った。
まだ露見していないだけで、それが時空管理局に知られれば、その行く末は身の破滅だ。
それだけの危険な橋を渡ってでも貫きたい、どうしようもない思いが二人にはあった。
だから、道を外れてまで今を選んだことを、後悔などしていない。
「……破滅さえも望み、か。救えない話だ」
それが分かるからこそ、レーゲンは苦笑して肩をすくめた。
心の底からの自嘲。けれど、清々しい気分でもあった。
フィーゲルも笑う。
――まったくだ。まったくもって、僕達は救えない。
自分達の望みは、そんな大それたものじゃない。
こんなことの為に罪を犯しているだなんて、傍から見たらバカ以外の何者でもないだろう。
おまけにやり方だって下手糞だ。やろうと思えばもっと上手くやることだって出来ただろう。
罪も犯さず、犠牲も出さず。ついでに言うなら利用もせず。ひっそりと完成させることだって、きっとできたはずだ。
それに何より、そうして失敗したことを後悔すらしていない。
なるほど、と心の中でつぶやく。
――要するに、僕達は悪党なんだ。それも頭に小がつくような。
それは本当にしっくりと当てはまって、そのことがおかしくてたまらない。
ああ、本当に、僕達はまったくもって救えない。
それでもまあ、今が楽しいのだから、いいじゃないか。
「気持ちを殺して生きるよりかはよっぽどマシさ。そう思ったからこそ、僕らはこの子のを生んだんだろう?」
「……違いない」