Virgin break1 出逢い






その日、私は彼と出逢えた。
私を大人にしてくれた、あの男性に。
黒澤さん……私の大学の、4つ上の先輩。



たまたま観戦に誘われた空手の試合に、彼が応援で来ていた。
同じサークルの男の子が試合に出るからと、景気づけに駆り出された。
空手自体にさして興味もなかったので、退屈な時間を過ごしていた時
彼が私の目に映ったのだ。
一目惚れ……そういうものがあったとしたら、これがそうだと言えた。
私の席とそれほど離れていない場所に、彼らはOBとして陣取り
口々に応援をしていた。
数人いた男性の中で、彼はひときわ目立ち、私を強烈に惹きつけた。

長身で、鍛えられた身体をしているのが服の上からでもわかる。
理知と野性が混じりあった、整った容貌。
素敵な人だ、と思ってつい目をやってしまってからそのことに気づく。
今までに経験のない未知の衝撃が身体を突き抜けていた。
彼の声が、また私の好みだった。

私は試合などそっちのけで、彼を目で追い続けた。

試合が終わり、サークルで一緒の子は地区大会で4位入賞を果たした。
試合後の慰労と反省を兼ねて、みんなで飲みにくり出そうという話に
なり、私と彼を含む応援の一部が夜の街に流れた。

「あの人、かっこいいよね」
同じサークルの女の子たちは、黒澤さんを指してそう囁いていた。
「うちの学校の卒業生で、今は警察官やってるんだって」
「へぇ、すご〜い!」
私たちは彼等男性の集団と少し離れた位置に座っていた。
女の子たちは数人でビールを注ぎに行って、彼等と楽しげに話を
始めている。
私は一緒に行けばよかったものの、なんとなく流れに乗り遅れてしまった。
ほどよく酔いがまわりかけている。
みんなで黒澤さんをはじめとする空手部の人のまわりに集まり、声高に
笑ったりしている。
「あんまり大きな声で騒ぐなよ。おまえらの中に未成年もいるんだろうが」
声をひそめて黒澤さんは言った。
「職業柄、飲酒を見過ごすのもなあ……」
そんなことを言っても、陽気に騒いでいる集団には通じやしない。

まもなく女の子たちが戻ってきた。
「愛美も行けば?あの中にお気に入りはいるかな」
からかうように言われる。
「なによ、誰かいいのでもいるの?」
私は内心の思いを隠して平静を装って言った。
女の子同士の腹のさぐりあいが始まる。
「あの黒澤って人かっこいいよね」
「えー、そうかなあ。私はあっちの人のほうがいいなあ」
耳打ちと、くすくす笑い混じりで、好き勝手に値踏みを始める。
「でもあの人彼女いるみたいだよ。男の子たちが言ってた」
「そうなのー。なんだ、つまんない」
「いいじゃん、そんなの構わないよ。とっちゃえ、とっちゃえ」
「なに言ってんのよ、あんた彼氏いるじゃん」
どっと湧くその笑い声に背を向けて、私はビールを片手に、黒澤さんたちの
一団に入っていった。

「今日はお疲れさまでしたー」
にっこりと笑って、次々にコップにビールを注ぐ。
こんなことも、一年生のうちは抵抗があったけど、今ではお手のものだ。
タバコの煙がむっと鼻をつく。
酒場の雰囲気は嫌いじゃないけど、この料理の匂いとお酒、それと
タバコの入り交じった匂いは好きになれない。服や髪にしみついて
しまうからだ。
サークルのくだけた飲み会なんかでは、酔った拍子にじゃれつかれて
肩を抱かれたり、手を握られたりなんてこともしょっちゅうだ。
今日は幸い空手部のOBが数人いるので、そんなセクハラめいたことは
されずに済んでいた。
黒澤さんのコップに注ぐ時に、少し緊張してこぼしそうになった。
「おっと」
彼がコップをビンの口に合わせてくれたけど、それでも少しのビールが
こぼれてしまい、彼のズボンに滴が落ちてしまった。
「すみません」
私は謝って、すぐにハンカチで彼のジーンズを拭った。
「いいよ、大丈夫だよ」
彼の低いけれどよく通る声がかかる。
よく鍛えられて引き締まった太腿の感触が、手に伝わってくる。

何故かその時唐突に、「抱かれたい」と思ってしまった。
突然性的な思念が湧き出てきたことに困惑する。
こんな酔っている時に、男の人の太腿なんて触ってしまったせいだろうか。

まわりで口笛を吹かれ、冷やかされてしまう。
「いいねえ、黒澤先輩!美人にそんなとこ拭いてもらってさぁ」
「このスケベ!わざとこぼさせたんだろ」
「だったらもっときわどく、腰の方にやんなくっちゃ」
男子生徒たちに猥雑に野次られて、彼は「おまえらなあ……」と呆れた
ように苦笑いしていた。
「ありがとう。……きみは何年生?」
彼は私の目をまっすぐに見つめて言った。
「あ……法学部の二年です」
急に動悸がしてきて、頬にのぼせていくような熱気を感じる。
「ああ、じゃあ俺の後輩だ。俺も法学部だよ。空手の試合はなんで
来てたの?」
「テニスのサークルの男子が、空手部の部員で試合に出るから……
みんなで応援に来たんです」
それから、法学部のゼミや先生の話題などをしばらくその場で話した。
彼は自分の体験した警察でのことをみんなに話したりする。
その間に、少しうわのそらになりながら私はずっと胸をときめかせて
いた。

会ったばかりの男の人に、こんなに惹かれたのは初めてだった。
もっと彼のことを知りたい、顔を見ていたい。
そばにいたい。
年上の、社会人の男性。それも警察官だなんて危険な職業に就いて
いる人。
私の住む世界とはまったく違う。
それだけに、自然と興味も湧いてくる。
彼の巧みな話術にみんな聞き入ったり、笑ったりしていた。
その間もずっと、私は彼の横顔を見つめていた。

その後、その店を出て、二次会に行く話になった。
私は参加したい気持ちだったけれど、なんだか普段より酔いがまわって
いるようで頭がはっきりしない。
また杯を重ねたら、気分が悪くなるのが目に見えている。
女の子は残る子もいるけど、私はまだ迷っていた。
黒澤さんが残るなら、私もそうしたい。でも……
足元がふらついて、よろけそうになる。
「大丈夫?」
黒澤さんの腕が私の肩を抱きとめてくれた。
「大丈夫じゃなさそうだな」
私の顔を見るとそう呟いた。
「帰りはどっち方向?」
「三鷹の方です……」
「なんだ、じゃあ俺と同じ方向じゃないか」
彼は言うと空手部の集団に声をかけた。
「誰か同じ方向……って、そんな悠長なこと言ってられないな」
そのあとで続ける。
「俺は高村さんを送って行くから」
また口笛などで囃したてられる。
「送り狼!」
「まったくもう、酔わせてやっちゃだめですよー」
「ばかいえ!本当に具合悪そうなんだよ。こんな状態の子を一人で帰せるか」

彼が私の腕を掴んで身体を抱きかかえるようにしてくれる。
「大丈夫?気分悪くなったら言ってくれよ」
「大丈夫です」
彼が心配するほどひどく酔っていた訳じゃなかった。
でも、あえてそのことは言わずに、素直に彼の好意に従う。
まだ10人ちょっと残っている人達に見送られて、大通りに行ってタクシーを
拾ってくれた。
「住んでるところはどこ?」
「K町です」
「俺のところと近いな。俺はS町なんだ」
自宅か一人住まいか訊かれて、一人でワンルームマンションに住んで
いると告げる。
少しの沈黙のあとに、気分は悪くないか、吐き気はないかと気を遣って
くれる。
「仕事上、介抱するのは慣れてるからね」
彼は微笑して言った。
「まあ、でも美人さんを送って行けるのは役得かな」
冗談だとわかっていても、そんな風に言われるのは嬉しい。
「黒澤さん……は、一人住まいなんですか?」
「俺もマンション住まいだよ。昔は、単身者は強制的に警備待機寮に
入寮させられてたんだけど、今は散宿って言って、実家や下宿から通う
こともできるようになったんだ」
「寮住まいだと、彼女も大変ですね」
彼女はどんな感じなのか、ちょっとカマをかけてみることにした。
「いたら大変だろうな。男の方に門限があるんだぜ」
いたら、ってことは、いないんだろうか。

「デートしてても、男が11時までに帰らなくちゃならないんだ」
私は笑うと、彼は思い出したように懐から名刺を出した。
「名刺を渡しておくよ。困ったことがあったら、いつでも相談に乗るから」
S署の巡査部長と書かれた肩書きの名刺を差し出される。
携帯の番号も、そこに書いてくれた。
マンションの前で降りると、彼はタクシーを待たせて玄関まで送って
くれた。
「気分はどう?」
「はい。だいぶよくなりました」
「そうか、ならよかった。女の子は、あまり無茶したら駄目だぞ。俺だから
いいけど、送り狼に襲われちまうからな」
「はい」
私はくすくす笑うと、彼は真顔で私をじっと見つめた。
数秒間目が合って、私は彼の視線に耐えられなくて下を向いてしまった。
なぜ、こんなに真剣な眼差しを向けてくるんだろう……
戸惑いと疑問が交互に心に浮かんでくる。
私が抱いていた好意を、その瞳にわし掴みにされてしまったようだ。
「それじゃあ、おやすみ」
彼はふっと笑い、私の髪をひと撫でして踵を返し、タクシーに乗り込んだ。

軽く手を振って、走っていくタクシーを目で追う。
車が見えなくなるまでその場にいると、彼の立ち去ったあとから、一陣の
風が春の香りを運んできた。
優しい掌の感触が、いつまでも彼の触れた髪と頬に残る。

どうやら私の心も、彼に奪われてしまいそうだった。



焦げたような独特の酒場の匂いを落としたくて、シャワーを浴びる。
ああ、服も洗濯しないといけない……
飲み会に行くのもお酒を飲むのも嫌いじゃないけど、どうもこういう
居酒屋の残り香っていうのは嫌いだ。

ベッドに入って身体をリラックスさせていくと、不意に甘いうずきが
腰の奥から立ちのぼってくる。
さっきまでは押し殺していたはずの、欲情のうねりが今更になって
身体を熱くさせていった。
彼の言葉のひとことずつを、彼の所作を反芻する。
彼の脚に触れ、彼の腕に抱かれ、髪に、頬に彼の手が触れた。
私はまだ未経験だけれど、彼になら……あの人になら、抱かれたい。
抱いて欲しい。
そんな思いを痛切に感じてしまった。
彼の強い逞しい腕を、広い胸をもっと感じたい。
今までにそんな思いを異性に抱いたことはなかった。
処女を大切に護りたいわけではなく、ペッティングどまりの経験なら
幾度かあった。
半年ほど前に恋人と別れたことで進みようがなかった、それだけのこと
だった。
処女の自分の心に、そんな即物的な欲望が芽生えてしまったことに
私は戸惑った。
なぜか、私の奥深くから性的な感情が湧き出てくる。
酔ってある種の興奮状態にあるところに、彼が強烈に魅力的に映った
からなのか。
そうじゃない。素面でも、素敵な人だと思える。

女の子たちは「あの人かっこいい」と黒澤さんを指して噂していた。
でもさっきタクシーの中で聞いた時、彼女はいないような話だった。

もう一度、逢えたらいい……
そんな思いに包まれて、その夜は眠りについた。



それから三日が経った。
どうすれば彼にまた逢えるのか、少しの間私は考えていた。
それは、彼から貰った名刺にヒントがあった。
彼の勤務先になにか差し入れでもしたらいい。
よく聞く話で、女性が交番に花を届けたりして通い、お巡りさんと
仲良くなって結婚したなんてこともあるらしい。
でも、まさか自分がそれを実践することになるとは思わなかった。
S署の管内ではあるけど、どこの勤務とまでは知らなかった。
交番勤務だとは聞いていたけど、さて、それがどこだったのか。
恥ずかしいから彼の携帯には電話できない。
まだ親しくもなっていないのに、携帯にかけることには戸惑いもある。
迷ったけれど、S署に電話で尋ねてみた。

怪しまれないように、先日親切にしていただいたので、お礼がしたいと
いう理由をつけたら快く教えてくれた。
S駅前の交番にいて、今日は朝からの出勤らしい。
昼食時を過ぎて、なにか適当な菓子折……負担に思われないような
程度のものを持って行くことにする。
少しふわっとしたピンクのモヘアのセーターと、タイトスカートで行く。
電車でいくつか駅を過ぎると、彼の勤務している駅で降り、駅前の
交番へ向かう。
今はちょうどお昼を過ぎて、人もまばらだった。
外から彼の姿を捜す……
なにも悪いことをしていなくても、警察官を見るとちょっと緊張感が走る
というのは誰でも経験すると思う。
まして、好きになった人が警察官だったりするとどうなるか。
この前とは違った意味でドキドキと心臓が高鳴る。

私が手提げ袋を持って交番の中を窺うと、戸口にいた長身の警官と
目が合った。
彼……黒澤さんだった。
少し驚いた様子でこっちを見て、「どうしたの」と話しかけてくる。
「この前の、お礼をしたくて……」
「いいのに、そんなこと」
彼は笑いながら手招きをしてくれた。
「なんだ、黒澤。彼女か?」
年輩の警察官が奥から出てくる。
「違いますよ」
彼は笑ってあっさりと否定した。
別に期待してた訳じゃないけど、こうもはっきり断られると、やっぱり少し
胸が痛む……
「今はまだ、そうじゃないです」
照れたような表情を見せて、彼はその警官と私を交互に見た。
意味深な言葉のあとに、「ありがとう。気を遣わなくていいのに」と
微笑みかけてくれた。
優しい眼差しでそんなことを言われただけで、また……
こんな場面で、どういう訳だか感じてきてしまう。
どうしてしまったんだろう、私。
キスされたわけでも、身体に触れられた訳でもないのに。
椅子に座るように促されても、腰に甘いけだるさがある。

彼は凛々しい制服を身につけていて、この前のシャツにジーンズといった
服装とはまた違った印象だった。
いかにも頼れるおまわりさん、という感じがする。
清潔そうな青年警察官の姿に見惚れてしまう。
本当は少し話したら帰ろうと思っていたけど、今は暇だからとお茶を勧め
られて、彼が淹れてくれたお茶をいただく。
同僚の警官たちも、奥でテレビを見たり新聞を読んだりと暇そうにしている。
「もう少しで交代の時間なんだ。一緒に帰ろうか?」
彼が囁くように言った。
「え……」
予想もしていなかった突然の提案に、嬉しさと驚きで咄嗟に言葉が出ない。
「それとも都合が悪い?」
「いえ……そんなことないです」
慌ててそう言う。
「本署まではちょっとあれだから……駅ビルのどこか、そうだな……本屋で
待っててもらえる?」
「はい」
また、ドキドキと胸が弾み出した。
「携帯持ってるよね。番号教えてもらえるかな」
「はい……」
彼が出すメモに番号を走り書きする。
「それじゃ、あとで……終わったらかけるから」
「じゃあ……突然、すみませんでした。失礼します」
そそくさと、その場を立ち去って駅の方へ向かう。
後ろからおまわりさんたちの笑い声がする。
きっと冷やかされている。
割に大胆な人なのかも、と思いながら私はひとり微笑んでしまった。



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