Kの呟き 昔語
 
10  We still be hangin' on



「おはよう」
幸実の明るい笑顔とともに、声がかかった。
「…………ああ」
俺はまだぼうっとしていて、目をこすった。
眠れないと思っていたものの、身体は睡眠を貪ったあとだった。
時計を見ると、もう朝の7時半にはなっている。
寝室の淡いグリーンのカーテンが、陽に透けていた。
まるで、どこか見知らぬホテルかなにかで目覚めたような気分だった。
昨夜のことも、夢の中の出来事のように思える。
印象の強いリアルな夢を反芻するように、俺はしばし思いに沈んだ。

幸実は朝からエプロンをして、いそいそと朝食の支度に励んでいる
ようだった。
少し頭が痛い。
寝違えたのか、それとも心の疼きの所為だろうか。

しばらく寝床にいたあとで、シャワーを浴びることにする。
男の生理で朝立ちという現象が起きているが、それでも彼女を
抱きたいとは思わなかった。
なのに、身体はこの有様だ。
昨夜あれほど抱いたというのに、男の体ってものは……
俺は自分の肉体の若さと浅ましさに困惑した。
強いシャワーの飛沫を浴びていると、ようやくそれもおさまってくる。
眩しい陽光の中で、幸実を抱く気などなかった。
それは、昼間の彼女の顔でいて欲しい。
そんな気持ちがあったからだ。

どこかで聞いたことがある、女は昼は貞淑に、夜は淫らな娼婦の
顔を持つと。
それが理想の女だという男の願望にすぎないのだろうが。
だとしたら、幸実はまさしくそれではないか。
それとも女は誰しもこんな面を持っているのか、それはまだ
俺には計り知れないことだった。

俺はTシャツとジーンズになってダイニングをのぞく。
「お腹空いたでしょ。でも、朝からシチューはきついわよね?」
彼女は朗らかに笑っている。
「そりゃ、きついな……いくら俺が好きでもね」
つられて俺も笑う。
「じゃ、イングリッシュ・ブレックファストね」
パンが数種類、それとスープ、スクランブルエッグとホウレンソウ、
コーンとソーセージのソテー。
テーブルに並んだ朝食を、向かい合って摂る。
「朝飯、いつもこうなの?」
「ご飯の時もあるわよ。まあ、その日の気分でね」
テーブルの向こうに置いてある小さなテレビを見ながら、もくもくと
食事をする。

こうして見ていると、昨夜の顔が嘘のようだ。
欲望に乱れた顔など、今の幸実とはとても重ならない。
それは口紅の色のせいかもしれないと思った。
昨夜は強いピンク色を塗っていたのが、今朝はもっと淡い
オレンジとピンクの混ざったような色合いのものをつけている。
その唇が俺と重なり、俺のものを含んでいたとは……
その時、かすかに俺の下腹部で蠢くものがあった。
ばかな……
俺はそんな反応に困惑する。

「なに、じっと見てるの?」
幸実はまっすぐに俺を見つめてくる。
その眼差しが俺を探っているのがわかる。
「なんでも……」
俺は視線を空になった皿に落とした。
「エッチなこと、考えてたんでしょ」
幸実は笑いながら続けた。
図星を突かれて、とりあえず俺は押し黙った。
どうしてわかるんだろう、と内心は冷や汗ものだった。
「でも駄目よ。私、昼間はそんな気になれないの」
さらりと、言葉でかわされた。
それが賢明だということはわかっている。
幸実に身体の関係を拒む意志を明示されて、実のところ俺は
ほっとしていた。

「じゃあ、夜にならいいのか?」
俺は唐突に口を突いて出た言葉に自分でも戸惑った。
これでは再度の関係を求めて、迫っている意味になってしまう。
幸実は微笑んだままうつむいて、答えない。
その意味深な表情に、俺は苛立ちをかきたてられた。
洗い場に向かう幸実の側に立つ。
訊こうと思っていて、タイミングを測りかねていた言葉をぶつける。
「何故、俺を好きだと言ったんだ。兄貴を愛してるんじゃないのか?
このまま結婚して、北海道についていくんじゃないのか。
本当に、昨夜だけで終わらせるつもりだったのか!」
俺は感情の激するままに、まくし立てた。
幸実の肩口に手をかけ、身体を小刻みに揺すぶった。
心の裡では、みっともない独占欲に駆られている自分に警告を
発していた。
彼女だけを責めていい筈がない。
誘いに乗ったのは、俺自身の意志でもあったのだから。
そう思っているのに、俺の行動は彼女を追いつめていく。

「あの人を……好きよ。愛してる…………」
幸実は下を向いて震える声でそう言った。
「でも…………」
でも?でも、なんだというんだ。
「あなたを……あなたが、ここに来てくれた時から…………」
幸実は苦しげにそう声を絞った。
聞いている俺の方も胸が苦しくなっていくような気がした。

「好きになるつもりなんか、なかったのよ……」
幸実はぽつりと呟いた。
「あなたに、惹かれていったの……でも、……私……」
彼女は俺の胸元に崩れるように顔を伏せ、その表情は読みとれなく
なった。

「あの時からよ。あなたが、私に花をくれたから」
そうだ、俺は幸実に薔薇を贈った。
最初は黄薔薇を、そして次には白薔薇を。
黄薔薇の花言葉が嫉妬と指摘され、次には慎重に選んだつもり
だった。
「白い薔薇の、本当の意味を知ってる?」
幸実は涙が滲んだ瞳で俺を見上げた。
俺にはなんのことだかわからなかった。
「……純潔と、尊敬……だろ?」
少なくとも、俺はそういうつもりで花を贈った。
その時点では、まだ想いを溜め込んでいるだけだったから。

「知らなかったの…………」
幸実はほうっと長い溜息を吐いた。
「私の、ひとりよがりだったの」
まるで独り言のように彼女は小さく呟く。

「あなたには、私がふさわしい」
幸実は俺の目を見つめた。
その視線は、静かな中にも強い光が見え隠れする。
それは、愛の告白に等しい言葉だった。
俺は身じろぎすることもできず、棒のように立ち尽くしていた。

「……そういう意味があるのよ」
俺から目を逸らし、幸実は言葉を続けた。
俺がその意味をこめて彼女に贈ったと、そう解釈していたのか。
だが、最初の黄色の薔薇が図らずも俺の嫉妬心を示していた
ことも確かだった。
俺自身に相応しいのは、彼女だと言えるのか…………
彼女にとっては俺が相応しいと言えるだろうか。

 

「俺も、幸実が好きだ」
俺は自分自身に確かめるように、そして彼女に言い聞かせる
ようにゆっくりと言った。
「だけど、幸実は兄貴と結婚するんだろ」
「………………」
幸実は黙っていた。
「俺は……君を、支えていける自信はない」
自分自身の核になるものをまだ築いていない未熟な俺が、まだ
未成年の俺が、彼女にどうしてやれるだろう。
「この先のことなんていいの」
幸実は俺の言葉を遮るように言葉をぶつけた。
「お願い……今だけ、……私を見ていて」
俺の胸にすがりつく彼女は、あまりにも頼りなげだった。
さまざまな不安が襲い、その重みに押し潰されそうになっているの
だろう。それはわかる。
兄貴のいない寂しさを、まぎらわすことができないのだろうか。
その慰めを俺に見つけたのだろうか。

けれど、俺だとて幸実と似たようなものだ。
刹那的な感情のままに、このひとときだけを貪ろうとしていた。
兄が帰宅したら、この恋に期限がつく。
いつまで続くのか、……そしていつ、果てるのか。


ここにいても…………彼女は遠い。

今抱きしめている身体のぬくもりも、いずれは過去の彼方へ
去っていく。
いつか、記憶の扉の向こうへ過ぎ去っていってしまう。
昨夜彼女と、ほんのひとときでも心と身体を通わせることが
できたと思ったのに。
もっと話したいことがある筈なのに。
もっと伝えなければならないこともあるのに。
血を分けた兄の恋人。
その関係が、行く手を阻んでいた。
辿る道は……遙かに遠く、そして険しい。

俺はただ彼女を抱きしめ、中空に視線を彷徨わせるしかなかった。



11 Hold onへ


9 サイレント ヴィジョン へ


エントランスへ
愛の途中で その手を離そうとしないで
暗闇に心を 奪われてしまうなら
輝く光の 窓辺で強く抱いてあげる

ひとりになれないから
そばにおいで
もっと愛さずにいられない
We still be hangin' on


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