花より色は14
 ところで、藩の財政は予想以上に切迫していた。早川家に限らず、家臣の禄高は減らされた。この財政難は全国に広がっており、どこでも侍の禄高を減らした結果、各旗本が抱えていた武士は行き場を失い、浪人となった。浪人が食うに困って無頼者に成り果てることも多々あった。浪人は奉公先を探して全国を旅してまわり、挙句幕府のあった江戸の街は仕事にあぶれた浪人で溢れかえったのである。
 早川家に関しては、藩の中でも厳しい沙汰となった。早川家に与えられた禄高300石は、元はといえば幻刀斎個人に与えられたようなものなのである。幻刀斎は殿の直々の剣術指南もしていたから、それに対する功労もあった。だが今左衛門は免許皆伝どころか抱えていた道場で弟子に対して稽古をすることもできない有様であったし、本人にもそれが分かっていたから早々に剣術に見切りをつけ、政治の場で活躍しようと奮闘していたのだが、幻刀斎が死ぬまでに取り立てて藩の為に認められるだけの働きをすることはできなかった。そして剣の腕では祖父の遺伝子を継いだ新之助も、殿の剣術指南をするには若すぎた。かくて、早川家の禄高は早々に100石にまで減らされる事になった。これに関しては、門田宗二郎の妹が早川に嫁いでいる事実など何の役にも立たなかった。門田家自身、重臣の中で抜きん出ていた禄高を、宗二郎に跡継ぎがいないという理由で減らされていたので、妹の婚家など気にしている余裕はなかったのである。
 300石から100石に減らされた早川家では、使用人に暇を出し、抱えていた部下を解雇して対応した。それでもまだ新之助の子供が生まれる半年も前に、大きな屋敷を維持する事すら難しくなって家屋敷を売り払う事になったのである。左衛門の落胆ぶりは激しく、一時は体調を崩して寝込んでしまった。だが、屋敷は売ってしまったのでそうそう寝てもいられず、引越しの準備に奔走した。新しい屋敷はこれまた禄高を大きく減らされて売り払うしかなくなった下位の武士の住んでいた屋敷で、その頃の藩の旗本は横から木槌で叩かれるようにして次々と下へ滑り落ちていったのであった。
 左衛門は、新たな屋敷に落ち着くとすぐにどうにかして早川家を立て直そうと様々な考えをひねり出した。だが所詮左衛門は上に上がれる器ではなかったのである。それに気づかず、左衛門は功を焦って怪しげな商人と取引し、殿のお気に入りの焼き物を手に入れようとして沢山の金を失った。その失った金の中には、後から返すからと約束して役人仲間に借りた金も含まれており、その事が発覚すると殿の怒りを買って更に禄高を減らされた。早川は、とうとう50石五人扶持にまで落ちぶれたのである。それは、まさに石が坂道を転がり落ちるが如くであった。

 50石五人扶持といえば、中士辺りなら充分な扶持である。だが御家人としては最低の部類で、部下は必要ないが家族四人に下男一人も置けばそれでカツカツである。しかもそれまで三百坪もある屋敷に住み、数十人の使用人に囲まれて暮らしていた早川家の人間にとっては、よもやここまでと思うほどの貧乏暮らしであった。使用人は全て解雇し、持ち物も売り払って退職金に充てた。一旦は村に帰る事に決まっていた三治と共にイシも暇を出された。
 早川の没落と父の醜態を目の前にして、新之助は常に落ち着いていた。どれだけ落ちぶれても新之助は文句の一つも言わなかった。いずれこうなるかもしれないと、新之助は覚悟していたのである。そうならない為に、道場を手放してもずっと稽古を続けていたのだが免許皆伝には至らなかった。左衛門がもう少し、早川は剣で成り立っているのだと気づいてくれていたら、もう少し新之助が成長するまで幻刀斎が生きていてくれたら、そう思っても後の祭りである。藩の財政が厳しい今、一人ジタバタして禄高を願っても何になろう。新之助とて上昇志向がないわけではないが、藩の財政を考えれば仕方のない事と、藩士の間でも諦めの気分が漂っていたのである。
 三治は暇を出されても村に帰る気はなかった。いくら落ちぶれても、下男の一人位は必要であろう。その最後の一人として早川に残るのだと三治は決意していた。がっくりと力を落とし、この時には既に何を考える力も残っていなかった左衛門に代わって新之助と千代がその事について話し合った。古参の下男もいたためその男と三治とどちらを残すかをしばらく相談された挙句、三治が残される事になった。古参の下男には家族もいたため、その家族全てを賄うのは無理だったのである。下男は職を失ったが、藩そのものが職不足に陥っていた時でもあり、新之助から渡された退職金を持って江戸へ行く事にしたらしい。外様の藩の財政はひっ迫していたが、江戸は豊かだったのである。新之助の家に常駐していた家来達のように、お家の縮小などで職を失った浪士が江戸へ流れ込んで行ったのもその頃であった。
 こうして早川の家族と三治は小さな下士屋敷に落ち着いた。新之助の妻の蕗は身重に引越しは辛いだろうと実家に帰されていたのだが、その蕗が門田の家で出産したと知らせがあったのは下士屋敷に落ち着いてから一月後のことだった。だが、そんな知らせにも左衛門は喜ぶほどの気力もなかった。最後に辿り着いたその下士屋敷で、左衛門はとうとう寝付いてしまい、そのまま起き上がれなくなったのである。早川の家は重苦しい空気に包まれていた。三治はまめまめしく働いて主人の世話をしたが、新之助も千代もその表情は日に日に暗くなっていく一方であった。家に病人がいることと、蕗の産後の肥立ちが悪い事で、蕗は門田の家から戻らなかった。三治が使者に立ち、何度も子供だけでも早川の家に戻してくれるようにと頼んだのだが、一向に埒が明かなかった。そそして、幻刀斎が亡くなって丁度三年後、左衛門も孫の顔を見る事無くこの世を去ったのである。

 早川は新之助の代になった。新之助は扶持に見合う簡素な葬儀を執り行ったが、葬儀に来てくれた人たちには礼を尽くした。どんなに落ちぶれても、武士としてどこへ出しても恥ずかしくない態度でいようと勤めるのは、まだ年若い新之助には大変な事だったが、新之助はそれをやり遂げた。そして、三治はそれを影からしっかりと支えたのであった。
 さて、左衛門の49日の法要も終わり、そろそろ真剣に蕗とその子供を取り戻さなければならないと新之助と千代は考えた。葬儀の間も蕗は戻らず、葬儀にやってきた宗二郎にその事を問いただしてものらりくらりと逃げられてしまい話にならない。新之助も何度か門田の家を訪れて蕗に会わせて欲しいと頼んだのだが、一度も顔を見る事無く返されてしまった。ここまでくれば、蕗が帰らないのは産後の肥立ちなどと言う理由ではなく、他に何かあると考えるのが当たり前である。蕗の子は新之助の子である。正式な早川の跡取りを、さしたる理由もなく実家に留め置くのはどう考えても道理が通らない。いざとなれば番所に訴えても子供を取り戻す覚悟だった。
 三治は新之助たちがどうしたらいいかと旧知の藩士仲間などと相談している間も、三日に一度は新之助から宗二郎にあてた文を持って門田家を訪れていた。もちろん三治は下男なので、裏口から文を付け届けるだけで宗二郎に直接会えるわけではない。だから新之助も安心して三治を使者に立てていた。三治も宗二郎に会いたいと思うはずもないので、文を置いたらそそくさと帰っていた。だが、ある時のことである。三治が裏口から出たところで、どこからか戻ってきた宗二郎とばったり出くわしてしまった。宗二郎は共も連れず、一人で、まるで無頼者のような格好で道を歩いてきた。そして三治を見ると親しげに声をかけてきた。

「おう、三治じゃないか。息災か」
「はい、宗二郎様」

三治は咄嗟に道をよけ、草むらに平伏した。こうして身分が低い態度を取れば、宗二郎が三治に万が一まだ興味を持っていたとしても下男と見下して興味を失ってくれればいいと思ったのである。

「何をそんなに平伏しておる。俺とお前の仲ではないか。まあ立て。こんなところで何をしておる」
「はい。新之助様からの文を届けに参りました」
「ふーん」
「宗二郎さま」

三治は顔を上げた。今でも宗二郎と話の一つでもしたいと思っているわけではないが、もしも宗二郎が三治の話を聞く気があるのなら新之助の為に蕗と新之助の子供のことを頼んでみようと思ったのである。

「蕗さまはどうされていらっしゃるのでしょうか。もうお子が生まれてから三月ほども経ちます。新之助様はまだお子様の顔も見ていらっしゃらないのです。せめてお子様だけでも早川にお戻しくださいませ」
「子供だけ?蕗はいらぬと申すのか」
「まさか、滅相もございません。蕗さまもお体の具合がお戻りなら早川にお戻りくださいますよう、新之助様もお待ちしております。蕗さまと新之助様は仲の良いご夫婦でございます。このままでは新之助様がお可哀相です」
「ふん。なるほどな。それでは新之助は蕗に入れ込んでいると言うのは本当らしいな。蕗も新之助新之助と煩い事だ。仲がいいと言うのは本当なのだな。お前との事は若気の至りだったと言うわけか。やはり新之助も男だったのだな」

宗二郎の言葉に、三治は体が震えるほど怒りを感じた。だがそれを隠して三治は低く言った。

「・・・私と新之助様の間には何もございません。めったな事を仰らないで下さい」
「だが分からんぞ。下男を皆解雇したのに、お前だけ残したと言う事ではないか。蕗がいない間、お前が新之助を慰めてやっているのではないか」
「宗二郎様。新之助様は蕗様を裏切るような事は一切なさった事はございません。そのような事が理由で蕗様がお戻りにならないのであれば、新之助様の潔白を証明するために私をお斬り下さっても構いません。私はただの下男でございます。新之助様には蕗さまとお子様が何より大事だと言う事がお分かりになる事でございましょう」
「何を言い出す。お前と言うものは。・・・そうだな」

宗二郎はしばらく思案した挙句、三治に歩み寄ると三治の顎をつかみ、顔を上げさせた。

「相変わらず肌理の細かい肌をしておる。男とは思えんな。藩一の芸伎と寝てみたが、お前の方が余程具合が良かったぞ。そうだ、それなら、お前と引き換えに子供を返すと言うのではどうだ。それとも蕗か。どちらかと引き換えと言うのはどうだ。どちらを返して欲しい」
「・・・!」

三治は目を見開いた。宗二郎はまだ自分をそのような対象として見ていたのである。その事に驚くと同時に、この自分にそれ程の価値があるものなら、それと引き換えに蕗か子供を返してくれると言うのならその方が新之助のためかもしれないと咄嗟に思ったのである。宗二郎の目はあざ笑うような色をたたえていた。宗二郎は本気だろうか。三治には判断がつかなかった。だがもしも本気なら、三治には新之助に対するこれ以上ない奉公になる。

「・・・宗二郎さま、そのお話は、本当でございますか」
「本当?お前は武士に一度発した言葉を嘘か真かと問うのか」
「も、申し訳ございません。ですが、ですが・・・」
「本当だ。本当だと言えば、お前はその体を差し出すのか?」
「・・・私は・・・」
「どうなのだ」
「は・・・はい・・・蕗さまとお子様を帰してくださるのであれば・・・」
「蕗と子供?大人しそうな顔をしてしたたかじゃないか。俺は、蕗か子供のどちらか、と言ったのだぞ。両方とは言っておらん。もし本当なら、お前はどちらを返して欲しいのだ。蕗か、子供か」
「・・・」






next






PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル