花より色は15
 三治は真剣に考え込んだ。どちらかなど、三治には咄嗟に決められるものではない。だが宗二郎は考える間など与えてはくれなそうである。三治の代わりに蕗を返そうと言う宗二郎の言葉からは、今蕗が早川へ戻る事ができない「産後の肥立ちが悪い」という理由はさっぱり消えてなくなっている。やはり、蕗が早川へ戻らない理由は他にあるのだと三治は思った。もしも蕗が新之助の元に戻ってくれるなら、これまで三治がしていた新之助の世話は蕗が代わってしてくれることだろう。だが、早川の家にとって一番大事なのは跡取りである事は分かっていた。もしも三治の代わりに子供を返してくれたとして、仮に母である蕗がいなくても乳母などを雇えば新之助と千代で育てる事ができるだろう。そして、子供と離別した蕗は、母親として子供と離れていられず、何か他に門田の家に縛り付けられる理由があったとしても早川に戻る決意をしてくれるかもしれない。
 三治に与えられた時間は短く、三治の考えの及ぶ範囲はそこまでが限界だった。三治は顔を上げ、答えた。

「どうしてもどちらか選べと申されるのでしたらお子様を。お子様をお返し下さい」
「・・・ふん」

宗二郎は思案顔になった。三治の顔をじっと見つめながら三治に与えたのの倍の時間は考え込んでから、ニヤリと笑った。

「子供か。分かった。それよりもお前は本気であろうな。返してからやっぱり俺の所へは来られない等と言えば俺はいい笑いものだ」
「・・・本気でございます。私ごときが、お武家様の宗二郎様を騙す事ができましょうか。それでは、今から私は主人の下へ戻りこの事を報告してまいります。今後は当主同士の話し合いでお子様をお戻しになる日取りなどお決めください」
「待て待て、お前が早川へ戻れば新之助がお前を止めるのは目に見えているではないか。そうはさせんぞ。お前はこのまま俺の所へ来るのだ。その上で、子供のことは新之助と相談しよう」
「ですが、黙って新之助様の元を去る事はできません。私は子供の頃から新之助様にお仕えしてきたのです。一言お礼を申し上げませんと。それに、お子様が返られるのであれば、私が宗二郎様にお仕えする事に新之助様が反対されるはずはございません」
「そうとも限らんぞ。お前の言葉は俺から伝えておいてやる。今からでも早川に行ってやるから、お前は俺の言う所へ先に行っておれ」
「ですが、宗二郎様」
「ご主人様と呼べ。お前は今から俺のものだ」
「宗二郎様」
「今早川へ戻るというのならこの話はなかった事にするぞ。子供を返して欲しいのだろう。だったら黙って俺に従え。お前、山岸という店を知っているか」
「山岸でございますか。はい、聞いたことはございますが・・・ですが」
「口答えは許さん。これ以上一言でも言ったらこの話はなしだ」
「・・・」
「山岸だ。覚えたな。今書付を書いてやるから、これを持って先に行っておれ。女将は俺と懇意だから、これを見ればお前を入れてくれる」
「・・・はい」

三治にはこの時、宗二郎に従うほか道はなかった。新之助に一目でも会い、挨拶を述べたかったが、それは宗二郎が許してはくれない様子である。早川の家にはわずかばかりの三治の荷物が残っていたし、家の仕事も遣り残してしまった。心残りはあるが、子供が戻り、いずれ蕗が戻ってきて、あの小さな家の中で新之助と蕗が仲睦まじく暮らしていくのを目にしなくて済むのだと思えば、「代わり」として宗二郎の元へ行く事も苦しいばかりではないのかもしれない。三治にとって一番の苦しみは、今でも新之助が遊び女や妻といる所を目の前で見続けなければならない事なのだ。宗二郎との一夜は今でも三治の心に傷を残してはいたが、既に三治も二十歳、同じ事をされてもあの時と今では痛手は全く違うものだろう。そして、宗二郎から与えられるものは単なる身体上の痛手である。それよりも、何よりも苦しい痛みを知ってしまった今では、三治にはそのようなものは大した痛手ではないように思えた。

 三治は宗二郎から受け取った書付を持ち、そのまま色町へと足を向けた。かつては新之助を迎えに何度も通った場所である。「山岸」のある場所は知らなかったが、どこで場所を聞けばいいかも分かっていた。三治は迷う事無く、「山岸」へと着いた。
 「山岸」で書付を出すと、三治は女将に二階へと迎えられた。そこは三治のような使用人が入ることも叶わない豪華な部屋で、女将は三治に愛想良くこそしなかったが、三治を風呂に通してくれ、新しい着物を渡してくれた。そして三治が食べた事もないような豪華な料理を出してくれたが、三治はこれから起こる事への不安、そして新之助に一言の挨拶もなしに別れてしまった悲しみに囚われて手もつけられなかった。日は暮れ、茶屋は賑やかなざわめきで満たされる。一人料理の前に座ってただ宗二郎を待っている三治はには無縁の世界であった。三治は今自分が何もかもから隔絶されてしまったような気がした。今になって、新ノ助に何も言わずに来てしまったのは間違いだったのではないかと思い始めていた。もしも新之助がこの事を知ったら何と言うだろう。使用人に対しても情の深い新之助だ。子供が帰ることは喜ぶにしても、もしかしたら少しは三治を惜しんでくれるかもしれないと思うと三治の心は大いに慰められた。それだけが、三治の心のよりどころだった。

 五つ半(午後九時ごろ)も過ぎて、ようやく宗二郎が山岸へと顔を見せた。女将は大層愛想良くなり、三治にも笑顔を見せた。女が何人も来て、宗二郎に酌をする。宗二郎は酌の女の尻を触ったり抱き寄せたりしながら存分に料理を楽しんだ。合間合間に値踏みするように三治を見るその視線が、三治にはいたたまれない。この部屋の中の女達の誰よりも、自分が宗二郎の夜の相手としては相応しくないように思えた。なぜ宗二郎が自分などに執着するのか分からなかった。だが、料理をあらかた片付けると宗二郎は女達を追い払った。そして、女将に

「朝まで邪魔をするな」

と言い渡し、三治の下へズカズカと歩み寄ってきた。

「さあ、楽しむとするか」
「宗二郎様、新之助様には・・・」

宗二郎は三治にそれ以上は言わせず、隣の部屋への襖を開け放つと三治をその部屋に敷いてある布団の中に強引に引っ張りこんだ。着物を剥がされ、宗二郎の手で体中を撫で回されながら、三治は抵抗もせずに目をぎゅっと閉じたままただ耐えていた。宗二郎にはそれが面白くなかったに違いない。宗二郎のやり方は昔と少しも変わらなかった。むしろ、昔より酷くなっていた。宗二郎は、抵抗されるのを無理矢理するのが好きだったのだ。抵抗しない三治は面白くないと、わざと抵抗したくなるような乱暴なやり方で三治を陵辱した。三治に卑猥な言葉を強要し、三治の体にも顔にもその汚れた欲望を塗りつけた。さすがの三治も耐えられず少しでも逃げようとすると、宗二郎はますます興奮して三治を蹂躙した。あの日以来暴かれた事のない場所を暴かれ、傷ついた場所を労わりもせずに有り得ないほど奥を穿たれ、そして大量の欲望を体の中に受けさせられた。三治はただ、その嵐のような時が終わるのを一心に願いながらただ新之助を思っていた。このような汚辱にまみれながら新之助を思うことは新之助を汚してしまうのだと思いながらも、新之助を思わなければ耐えられなかった。どろどろに溶けていく意識の中で、三治は自らの痛みに蓋をして、ひたすら新之助の名前を呼んでいた。




 三治はそのまま三日間山岸に留められた。宗二郎は食事と排泄以外はほぼ片時も三治を離さなかった。風呂に入る時も、三治を抱えたまま入ったのである。明るい場所で体を晒される事は三治にはなお耐えられなかった。自分では指一本も動かせないほど消耗した体を、風呂女が宗二郎を手伝って流してくれる。体のあちこちにつけられた生々しい傷を、風呂女でさえ最初は目を見開いて見たものだ。三治は死んでしまいたいほど恥ずかしい思いをしたが、新之助の子が早川へ戻ったと分かるまでは死ぬわけには行かなかった。三治の精神はギリギリまで磨り減っていたが、芯の強さが三治に楽な世界へ飛び立つ事を許さなかった。それが幸せなのか不幸なのか、三治には分からない。だが、新之助の子が戻るまではどんな事があっても耐えようと三治は決意していたのである。

 四日目の朝、さすがに精力も尽きたのか宗二郎は布団の上で目を覚ました三治を見ても手を出してこなかった。ちらと三治を見ただけで、一人朝食を食べている。もちろん三治に勧めるようなことはしない。この三日間、宗二郎の嵐のような陵辱が収まりかけるたびに三治は新之助と子供のことを持ち出そうとしたのだが、宗二郎は一言も答えなかった。だが、何のためにこんな仕打ちを受けているのかを思えば、三治も黙っているわけには行かなかった。三治はのろのろと布団から出て、宗二郎の前へと出て行き、そこで平伏した。

「宗二郎様。私が宗二郎様にお仕えする気持ちが本当だという事が分かっていただけたと思います。お約束どおり、お子様を早川へお返しくださいませ。それとも、もうそのような手配はして下さったのでしょうか。新之助様はお子様にお会いになれたのでしょうか」
「・・・」

だが宗二郎は答えない。眉をしかめ、箸の先で料理をつついている。下品なしぐさも、とても目上の武家とは思えなかったが、これが武家の序列なのであった。三治は更に言った。

「お答え下さい。宗二郎様。私とお子様を引き換えに帰してくださると」
「・・・子供は、死んだ」

三治の言葉を遮るように発した宗二郎の言葉に、三治は絶句した。冗談にも程がある。三治は二の句が告げなかった。ただ呆気にとられて宗二郎を見つめる三治に、宗二郎は居心地が悪そうに体を揺らした。

「死んだのだ。聞こえなかったか」
「・・・誰が、でございますか・・・」
「子供だ。蕗と新之助の子供だ。色々と手違いがあってな、その・・・」
「・・・手違い」

三治は宗二郎の言葉を繰り返すしかない。

「生まれて一月して、急に死んだのだ。そうだ、死んだのだ。蕗が・・・そう、蕗が戻らないのもそういう理由でな」
「・・・まさか」
「誠だ。さすがに実家で死なせたとあっては体裁が悪くてな。言えずにいたが、そうだ、死んだのだ」
「し、信じられません。そんな、まさか」
「信じられなくても本当なのだ。早川には、俺から謝りに行ってやってもいい。跡取りを死なせたのだからな。だが、早川も落ちぶれてしまったのだから、子供にはその方が幸せであったろう」
「そんな、そんな、まさか」

三治には信じられなかった。子供は、確かにいたはずである。門田の家に赤子がいる事は時折使いの文を持っていった三治には絶対的に本当の事であった。

「・・・そんなはずはございません。私は宗二郎様のお屋敷に何度も使いで行かせて頂いております。その時に赤子の声が。それに、裏庭にさらしがいくつも干してあるのも見ております。ついこの間まで、お子はいたはずでございます」
「声?・・・ああ、それなら使用人の子供であろう。蕗の子供は死んだのだ。さらしが干してあるのは、俺の子供のための用意だ」
「宗二郎様の・・・?」
「そうだ、俺の子供だ。もうすぐ生まれるのだ。門田の跡取りが」
「・・・ですが、ですが宗二郎様」
「煩い、そうだと言ったらそうなのだ!またお前は俺の言葉を疑っているのだな!下男の癖に生意気が過ぎるぞ!」
「宗二郎様、では私との約束はどうなるのです。私と引き換えに、新之助様のお子様を帰してくださると言ったではございませんか!返してくださるお子が既にいないのに、そんなお約束をされたと申されるのですか。それではあまりに・・・」
「黙れ!そんな口約束がなんだ!お前は、自分にそこまで価値があるとでも思っているのか!ただの下男が、跡取りと同等の価値があると、本当に思ったのか!?それこそあんまりではないか。身の程知らずにも程がある」

宗二郎は言いながら三治を打ち据えた。三治を蹴り飛ばし、転がして廊下へと蹴り出した。

「よもやその体で早川へ戻れまいな。新之助がお前の姿を見て汚らわしいものを見た時の顔をするのが目に浮かぶわ。出て行け。もうお前に用はない。いつまでも新之助新之助と、俺のものになると言っておいて、お前は芯から新之助のものではないか!お前こそ約束を違えたのだぞ。可愛がってやろうと思っていたものを、お前が裏切ったのだ。もう二度と顔を見せるな!」

宗二郎はそう怒鳴るなり、三治の前で襖をぴしゃりと閉じた。三治はただ廊下にうずくまったまま、ひたすら涙を流すしかできる事はない。何もかも裏目に出てしまったのだ。疲労も、痛みも、心の痛手も何もかもが一辺に三治を襲い、三治は動く事もできない。四半時も泣き続けて、店の男たちが三治を外へ運び出した。三治は裏道に打ち捨てられ、そこで死んだようにピクリとも動かなくなった。







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