花より色は18
 その後のお調べで新之助も三治も、蕗も正直に何もかもを話したにも拘らず、結局子供は宗二郎の子供であるという裁きが下された。宗二郎は番所から役所あちらこちらに金をばら撒き、時に立場を利用して脅しをかけ、審議に当たる者全てを買収したのだった。新之助も叶う限りの手を尽くし、学友の助けを借りて必死で駆け回ったが、その決定はとうとう覆らなかった。
 だが、宗二郎が早川の嫡子を横取りしたと言う噂は、それからいくら宗二郎が消して回っても消えなかった。正式には子供は宗二郎の嫡子となっても、その子供は宗二郎の妹、蕗と、早川新之助の子供である事が公然の秘密となった。宗二郎は、手続き上の不備と、書面上では妹の子供が実家で死んだにも拘らず、その父である新之助に何も知らせなかったと言う軽い罪が咎められ、減俸となった。それでも、嫡子ができれば門田は安泰である。
 蕗は最後まで兄に反抗していたが、一旦は早川に戻ったものの子供を思うといても立ってもいられず、追い払われても追い払われても実家の門を叩いた。子供を兄嫁に取られ、お前の子供は死んだのだと宗二郎に繰り返し聞かされた蕗がゆっくりと精神を壊していく様子を見ていられず、新之助は蕗を離縁した。離縁して実家に帰れば、少なくとも甥として自分の子を可愛がる事ができるのである。子供を死んだ事にされ、実の子を奪われ、心労で体調を崩していた蕗にしてやれる新之助の最後の優しさであった。

 蕗が実家へ帰ると、早川の家はすっかり静まり返ってしまった。蕗がいる間、蕗は時折不意にいなくなる事があり、それを探し回るのは大変だったが、蕗がいれば少しでも張りがあった。それもなくなってしまったので千代もため息ばかりついている。その頃になってようやく、長く残っていた三治の体の傷も癒えた。新之助の言葉とその後の決め細やかな千代と新之助の気遣いにより、三治は死んで詫びようという気持ちを捨て去っていた。三治が宗二郎に受けた暴力を包み隠さず同心の前で話したことで、新之助も宗二郎と三治の間に何があったかを全て知っていたが、新之助の態度は以前と全く変わらなかった。新之助は三治を信頼し、蕗がいなくなってからは時折三治に親しみをこめた笑顔を見せる事がある。二度とこんな平穏が戻る事がないと思っていた三治には、その一時が幸せであった。
 早川の家は、騒ぎを起こした上、蕗を離縁し、頭数も少なくなったと言うのでさらに年俸が減らされた。新之助はそれでも辛抱強く何度も役所に足を運び、子供のことを訴え続けたがどうにもならなかった。やがてはこれ以上しつこく訴えるようなら殿の覚えも悪くなり家名を取り上げられるかもしれないと役人に渋い顔で言われ、また一度も顔を合わせた事もなかった子供に対し、そこまでの執着を持てなくなった新之助は役所通いをやめた。
 新しく移った家は、城下町の端の、畑や田んぼも程近い田舎であった。庭のある一戸建てではあるが、部屋も二間と、長屋よりややましな程度のつくりだ。そうなると、給金をほとんど取らなかった三治のような下男でさえ、置く事が難しくなってくる。千代はやむにやまれず、家で娘達を集めて行儀作法の教室を開いた。それでも下男に払う給金がないと、三治はとうとう解雇されてしまったのであった。

 千代にも新之助にも頭を下げられながら、三治は穏やかに笑って言った。

「私の事は気になさらないで下さい。幸いここなら実家も近いですし、奉公先もすぐに見つかるでしょう」

 三治の言葉どおり、三治はすぐに奉公先を見つけてきた。住み込みで、材木問屋の下働きをさせてもらえる事になったのである。二十歳も過ぎて下働きでも、食べさせてもらえるだけましであった。それに、三治は新之助に読み書きから普通は武家の子供が習わないそろばんまでも(これは新之助が自主的に覚えたものだ)教えてもらっていたので、すぐに簡単な帳面を任されるようになった。
 武家だった頃の名残で、千代は家計の切り盛りには全く疎かった。武家とは、そもそも金の心配はしないという育てられ方をするものである。家先に魚屋がやってくれば千代は腐るとも考えずに買い込んでしまい、後から処理に困って近所に配ってしまった事もある。食べるものにも困っている新之助たちの所へ、三治は主に早朝か夜半、ちょくちょくやってきては食べ物を置いて行った。実家で貰ったからと三治は言い、千代の手が回らない家の仕事をしては奉公先に戻った。
 ある時の事だ、千代の所へ習いに来ている娘が、朝方通りかかった時に見知らぬ奉公人風の男ががこの家から出て行くのを見かけたとかで不審がって尋ねてきた。

「あの者はどこの者なのですか?」

千代は愛想良く答えた。

「あの子は以前うちで働いてくれていた子なんですよ。こんな事になってしまって、働いてもらえなくなったので他へ奉公に出たのです。今は美濃屋に住み込みで働かせてもらっているの」
「住み込みですか?住み込みの下男が、朝早く出てこられるのもおかしいですね。そんなに寛容な奉公先なのかしら」
「・・・」

娘に言われて初めて、千代は何かおかしいなと思い始めた。そんな事とは思いもよらなかった千代である。考えてみれば、自分の家に奉公に来ている下男でも、昼間他の家に出入りしたり、毎日のように夜出て行っては他の家の仕事をしていたらおかしい事だ。千代は、新之助に相談してみる事にした。もちろん新之助もあまり深く考えてはいなかったようである。夜三治が現れるのも、仕事が終わってから来てくれるものと疑いもしなかったのだ。

「・・・そういわれれば、おかしいですね。三治はなんと言って奉公先を抜け出しているのだろう」
「美濃屋で働いているのと言うのは確かですよ。この間、先の長屋の大工の奥さんが、この家にちょくちょく来ている男を美濃屋で見かけたと話してくれましたからね。うちで昔働いてくれていた子だと説明したのですよ」
「それは私も分かっています。道場の帰りに、美濃屋へ行った事がありますから」
「まあ、三治に会いに行ったのですか」
「会いに行ったわけでは・・・ちゃんと働いているか気になったので見てきたのです」
「そうですか。三治はどうでしたか」
「きびきびと働いているようでした。他の奉公人も『三治、三治』と親しげに話しかけていましたし、ちゃんと打ち解けてやっているのだと安心しましたよ。そうそう、美濃屋の隣に小間物屋があるんですが、そこでカヨを見ました」
「カヨですか。うちの奉公人の子ね」
「はい」
「そういえば、三治とカヨは一時夫婦になるのだと噂もありましたね。確かイシがそんな事を言っていた様な」
「・・・それは私も聞いた事があります」
「隣同士なら、もうお互いに会っているのでしょうね。一度駄目になっても、カヨがまだ独りなら三治も考えるかもしれませんね」
「そうかもしれませんね」

穏やかに笑った新之助を、千代は探るような目で見た。今でも新之助は三治の事を特別に思っているのではないだろうかと時折思う母である。だが、新之助の顔からはそのような思いは見て取れなかった。

「今日三治が来たら聞いてやりましょう。抜け出しても大丈夫なのか、ここへ来る事が、美濃屋さんの迷惑になっているのならやめさせなければならないでしょう」
「そうですね。三治が来てくれるのは助かっていたんですけどね。仕方ないでしょう」

 その日の夜、遅くなってから現れて裏庭の小さな畑を世話していた三治のところへ、新之助は行って尋ねてみた。

「三治、お前に聞きたい事があるのだが」
「はい、新之助様」
「お前、美濃屋をなんと言って抜け出しているのだ。あちらにはここへ来る事は言ってあるのか。いくら仕事が終わってからでも、ここへくるのはいけないのではないだろうか」
「新之助様・・・」

千代や新之助がその事に気づくとは、思っていなかった三治である。咄嗟の言い訳ができなかった。

「どうなんだ。美濃屋に迷惑がかかるようなら、無理してくることはないのだぞ。お前に給金も払えないのだ。お前には何の得にもならない」
「得だなんて、新之助様。私はただ、新之助様のお世話がしたいのです」
「だが美濃屋の仕事も大変だろう。あそこからここまで来るのも遠いだろうし、美濃屋の主人はなんと言っているのだ」
「いえ、好きでしていることですから。新之助様は気になさらないで下さい」
「しかしそうもいかない。お前が言わないのなら、直接美濃屋の主人に聞きに行くぞ。何かあるのなら、正直に言いなさい」
「新之助様・・・」

こうして三治は全て吐かされた。実の所、三治は住み込みで働いていたわけではないのだった。主人には実家から通っているのだと言って、三治は通いとして働いていた。だが、実際には実家から美濃屋に通うのは遠すぎるので、道端の掘っ立て小屋や寺の境内で寝泊りしていたのである。そして早くに起き出しては早川に来て、畑の仕事をしてから美濃屋に出かけていたという。これには新之助も言葉がなかった。

「・・・なぜ、そんな事を・・・」

千代と新之助に詰め寄られ、三治は平伏しながら答えた。

「お許し下さい。住み込みではこちらへ来る事もできなくなってしまいます。お母上様と新之助様のお世話をしたいのです。この事は、美濃屋には・・・」

三治の言葉に、千代と新之助は顔を見合わせた。それでは、三治が食事は賄いが出るから自分はいらないのだと言って何もかも新之助と千代に差し出していたのも、本当は三治自身も何も食べていないのにした事だったのだ。三治が持ってきた野菜や魚も、三治の少ない給金から買ったものだった。三治は自分の食べるものも節約して、早川の家に尽くしていたのだ。

「・・・三治」

新之助は唇が震えるのを必死で押さえながら言った。

「そんな事を、してくれなくてもいいのだ。母上もやりくりを覚えてくださった事だし、裏庭の野菜もほら、順調に育っている。元々二人で食べる位は頂いているのだから、お前が心配することはないんだよ」
「ですが、ですが・・・」
「お前はお前の生き方をしてもいいんだ。そうだ、カヨに再会したのだろう。カヨとはどうだろう、もしお前がカヨと夫婦になりたいと考えているなら、是非私に仲人をさせてもらいたい」

三治は新之助の言葉を聴いて、大きく頭を横に振った。

「私は誰とも夫婦になどなりません。私はただ、新之助様にお仕えしたいだけなのです。新之助様は、私を何度も救ってくださいました。私は一生、新之助様にお仕えしたいだけなのです。新之助様も仰ってくださったではありませんか!代が変わっても、一生新之助様に仕えさせていただけると、約束して下さったではありませんか!」

叫ぶように訴える三治に、新之助の胸が詰まった。三治とカヨが夫婦になど、本当は口にするのも嫌だった。どれだけ経っても、新之助には三治を想う気持ちしかなかったのである。
 千代がため息をついて、それから言った。

「新之助、思ったのだけどねえ」
「・・・はい、母上」
「三治には、ここから美濃屋へ通わせたらどうかしらねえ。美濃屋では、通いならどこから来ても構わないのでしょう。小さい家だけど、三治が寝る場所位はあるでしょう。掘っ立て小屋なんて、寝かせられませんよ。三治、そうなさい。お前がいてくれれば、私も色々と助かるのですよ」
「そんな事は、私は・・・」
「いいから、三治。私と新之助は一緒の部屋で休めばいいのだし、この部屋でお休みなさい。そうすればお互いに色々助かりますからね」
「新之助様・・・」
「母上がそう仰っているのだから、そうしなさい。お前がいてくれれば、一緒に畑もできるし、話し相手がいて私も楽しい」
「おや、母ではつまらないと言う事ですか、新之助」
「いえその、そういうわけでは」
「いいのですよ。私は早くに休んでしまうし、三治が出て行くまでは、二人でよく楽しそうに話していたではありませんか。気晴らしも必要でしょう」
「お母上様、新之助様」
「三治、泣くことはないのですよ。狭いところだけどねえ、楽しくやっていきましょう」
「あ、ありがとうございます」

畳に手を付いて泣くしかない三治に、新之助も千代も優しい視線を投げかけた。子供の頃と変わらない三治の姿に、千代も新之助も初めて三治が早川の家に来た日の事を思い出していた。










next






Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!