花より色は19
  それから一年ほどがつつがなく過ぎた。美濃屋で三治は大きな帳面を任せてもらえるようになり、時折番頭の代わりに番台に座って直接客と取引する事もある。すっかり一人前になった。千代は行儀教室の傍ら、新之助は暇な役所づとめの傍ら、近くで借りた農地を耕して野菜を作っている。当時、減俸に封された武士の中には、こうして農民と変わらない生活をするものも多くいた。新之助はまだ、役所づとめというお役目があるからかろうじて武士の一角ではあったが、生活自体は浪士と変わらなかった。
 新之助と三治は小さな家で寝起きしているため自然と親密になった。二人は親友か、本物の兄弟かと言うほどに仲が良く、互いにどんな事でも話し合った。二人の間に邪推されるような事が何もないことくらい、同じ家の中で暮らしている千代にも分かっていたのだが、それでも千代には思うところがあった。同じ部屋で寝起きしている新之助が、時折寝言で小さく三治の名を呼ぶのを幾度も聞いた事があったからである。それは、昼間は決して見せる事がない、愛しくてたまらない者を呼ぶ声だった。千代は思いにふけった。武家の女である以上家を立て直したいという気持ちはもちろんあるが、藩の状況からしてもどうにもならない事は千代にも分かる。何をするにも、今は時期ではなかった。かつて新之助が三治をかけて宗二郎と対戦した時、三治を男色の対象としないことを誓い、嫁を取り、跡継ぎを作ることを約束した。それからと言うもの、新之助はその約束を破ることは決してしなかった。今は門田の家に奪われてしまったとはいえ、新之助は約束を守って跡継ぎも作った。あの忌まわしい、嫡子を奪い合って争った時の経緯の中で、三治が宗二郎に体を差し出して子供を取り返そうとしてくれた事も千代は知っている。そして、なぜ三治がそこまでしてくれたのか、千代にも分かっているつもりだった。新之助と、恐らくは三治は、互いに互いを思いあっているのであろうと千代は思った。
 千代は新之助に、習いに来ている若い娘をさりげなく引き合わせてみたりもしていたのだが、新之助は何の反応もしなかった。その新之助が、三治が傍にいる時はどれ程嬉しそうな顔をしているか。それは誰も、千代も、三治すらも自分の視線に気づいていないと新之助が思っている時だけに一瞬見せる、甘く、優しげな笑顔だった。

 千代は数ヶ月も考えた挙句、新之助を前にして言った。

「新之助、話があります」
「はい」

新之助はいつにない母の真剣な声に、姿勢を正して座りなおした。千代は言った。

「遠まわしに言っても仕方ありません。単刀直入に言いましょう。新之助、お前はまだ三治の事が好きなのですね」
「・・・!」

新之助は驚いて声も出ない。母に知られているとは、今の今まで考えもしなかったのである。

「そなたが三治を見る時の目、あんな顔をしていたのでは誰だって気づきます」
「も、申し訳ありません・・・」
「叱っているのではないのですよ。確かめただけです。どうです。そうなのですね」
「・・・は、母上・・・ですが、私は・・・」
「・・・」
「その・・・申し訳ありません」
「謝る必要はありませんよ。あの時の約束なら、もういい加減時限を過ぎているでしょう」
「・・・」
「あの時、母はそなたに酷い事を言いましたね」
「・・・いえ」
「宗二郎殿と同じ事を、三治にしたいのではと言った事、今では後悔しています。宗二郎殿とそなたを比べられるものではなかったのに。三治が行方不明になって、帰ってきたあの日、母は宗二郎殿が心底嫌いになりました。決意の上で言いなりになると決めた三治を、どうしてあんな風にできるのでしょう。抵抗したわけではないのに、あそこまで傷つけて楽しむなど、宗二郎殿はどこかおかしいのです」
「・・・はい」
「だから、そなたと宗二郎殿が同じだなどと言ったことを謝ります。その上でもう一度聞きますが、そなたは今でも三治を好いているのですね」
「・・・はい、母上」
「三治はそなたの事をどう思っていると思いますか?」
「・・・分かりません。時々、三治の献身的な姿に、三治も同じ気持ちでいるのではないかと思う時もあります。ですが、本当に分かりません」
「新之助、もし、今そなたが三治を欲しいと言えば、三治はそなたの床に入ってくるでしょう」
「は、母上、それは・・・」
「でも、それは三治がそなたを好いている証拠にはなりませんよ。分かりますね」
「・・・いえ、母上」
「新之助、三治は下男です」
「・・・」
「今は直接的にそなたに仕えているわけではないにしろ、三治の気持ちは早川の下男だった時と同じでしょう。三治は、そなたの言葉に逆らえまい」
「・・・それは・・・」
「三治にそうしたいと言う気持ちがあってもなくても、そなたが望めば三治はそなたに体を差し出すことでしょう。宗二郎殿に差し出したのと、同じように」
「・・・母上の仰りたい事が分かりました」
「よろしい。では、これからもし三治がそなたを主人としてでなく、本気で好いているという事が分かった時には、母はもうそなた達を止めません」
「母上」
「早川の家が再興できる望みは薄いでしょう。それでも再興できた時の為に、そなたに跡継ぎをと思っていましたが、それでは何もかもがただ犠牲の上に成り立つだけの事です。そなたが三治を見ている時の、幸せそうな顔を母は他には知りませんよ。三治を手に入れられるかどうかは分かりませんが、もう反対はしません。早川がもしも再興できたら、その時には養子でもなんでも取ればよろしい。先のことよりも、今満足して暮らせる道を考えましょう」
「はい、母上」

新之助はただ頭を垂れた。嬉しい気持ちが、ふつふつと沸いてくる。

「母上、ありがとうございます」
「いいのですよ。そんなに喜ばないの。まだ三治がそなたと同じ気持ちでいるか分からないのですからね。そんな事はしないと信じていますが、無理強いだけは許しませんよ」
「決して、母上」

新之助の胸は温かく満たされた。こうなって見れば、母が残ってくれたのは新之助にとっては幸運だった。もしも気落ちして病死してしまったのが母だったとしたら、新之助はどうやって父と暮らしていけば良かったのだろう。父が三治との事を応援してくれる事など決してなかっただろう。三治の気持ちは分からないが、新之助には十年も隠し続けた三治への思いを、これからは隠さなくてもいいのだと思うだけで心が浮き立った。





 それからしばらくした頃、三治は新之助の変化に戸惑っていた。新之助は三治といるといかにも嬉しそうだ。三治が何か面白いことを言ったわけでもないのに、新之助は楽しそうに声を上げて笑う。と思えば優しい目でじっと見つめ、三治を落ち着かない気分にさせる。三治は奉公に出る前の朝も明けないうちから起きて家の周りの始末をし、それから畑へ出かけて作物の世話をしているが、最近では新之助も朝早くに起き出して畑についてきて、三治と並んで畑の世話をする。かつて他の下男が去って以来ずっと三治は朝食の支度をしていたのだが、三人分なら大した手間ではないと千代が言ってから千代に任せる事にしていた。それからずっと一人でして来た朝の畑仕事を、新之助が一緒にするようになったのである。
 共に畑で働いていると、何も言わなくても二人の胸に、今一緒にいるのだと言う満足感が満ちてきた。一畝世話を終えて三治が顔を上げると、新之助が優しく三治を見ていて、三治は嬉しさに胸がドキドキとした。
 三治と新之助の身長差は一寸五分程である。が、子供の頃から武士の子として鍛えてきた新之助と、早川家に来るまでは食べるものも食べられなかった生い立ちの三治では成長した今でも体つきは全く違うものだった。新之助は逞しく、三治は細い。だが三治の体は均整が取れていて、美少年だった子供の頃の面影を残して今では色男と言われるような甘い顔立ちであった。美濃屋では三治は時に番台へ上がることもあり、十年武家に仕えた礼儀正しさと、生来の性質の良さで、小売店にも大工に対しても丁寧な対応を貫いた。今では、「美濃屋の若い番台さん」と言えば町でも少しは名の通った美男子だった。
 三治には、動作にどこか優雅なところがある。たとえ目が回るほど忙しく立ち働いていても、いつでも顔は涼しげに微笑んでいた。どんな相手にでも礼儀正しく接する姿は、誰からも好意的に見られるものだった。三治には、街中に求愛者が男女関係なく幾人もいたのである。そんな事とは新之助も知らなかったが、新之助は三治を見るたびに綺麗だと思っていた。今までそう思っても、絶対に顔には出せなかったのだが、母が認めてくれたことで新之助は遠慮なくまじまじと三治を見る事ができるようになったのである。見れば見るほど、三治は綺麗だと思った。手も足も長く、どんなに動いても乱れない着物が、三治を折り目正しく見せている。日焼けもほとんどしないのか、新之助と比べると白いといっても良いほどだ。三治も新之助と同じ二十二になる年であり、成長して男の体となっても、どこか少年のような線を残していた。新之助の目には、今でもお染を演じたあの時の三治の姿がありありと浮かんでくる。新之助にとって三治は、舞台の袖で観客の多さに驚いて新之助の着物の袖をつかんできた、あの時の三治のままなのである。

「新之助様。そろそろ戻りませんと」

三治は新之助の視線を眩しそうに受けながら言った。そろそろ戻って朝食を食べないと、三治が奉公先に遅れてしまう。新之助はその日の朝の仕事を満足そうに眺めてから三治に頷いて見せた。三治が頷き返す表情が白み始めた空の下、新之助には眩しいほどだ。二人で並んで家までの短い道を歩きながら、新之助は横を歩く三治を何度も何度も見つめた。







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