花より色は20
 数日の後、新之助は道場へ行った帰りに街へ寄った。畑で使う鎌が切れなくなったので、研ぎに来たのである。研ぎが終わるまでの間、新之助は美濃屋へ行ってみる事にした。三治が働いているところを見たくなったのである。
 新之助が美濃屋の前に行くと、美濃屋の前には用もなさそうな男女がいく人か固まって立っていた。時折、暖簾の向こうを覗き見ているその集団は、実は三治のシンパである。普通は歌舞伎役者に付くようなシンパが、三治にはいたのである。だが新之助は一体この集団はなんだろうと思っただけで、美濃屋の暖簾をつとくぐった。丁稚が大きな声で
「いらっしゃいませー旦那様」
と言うと、店の中にいた番頭が新之助を見た。
「いらっしゃいませ、お武家の旦那様。今日は何をお探しでございますか」
「いや・・・」
新之助は寄って来る店員に手を振ってから店を見回した。三治はちょうど、他の客を送り出した所であった。そのままこちらへと顔を向けると、一瞬目を見開いてから嬉しそうな顔をして近寄ってきた。
「新之助様。どうなさったのですか。何か御用でも」
「いや、そうではないんだ。鎌を研ぎに来て、できるのを待っている間にちょっとお前の顔を見に来た。忙しければ、構わないでくれていい」
「いえ、そんな」
三治は店を見回して番頭に声をかけた。
「番頭さん、私が以前お仕えしていたお武家さまなのです。すみませんが一寸出てきても構わないでしょうか」
「ああ、いいよ。いっといで」
愛想良く番頭が答えた。三治は新之助の前に立って暖簾をくぐった。
「すみません、通してください」
三治は自分のシンパ(とは気づいていないが)を掻き分けて道へ出た。三治の行動を見守っていた男女は、三治が見たことも無いほど嬉しそうな笑顔を見せる相手の侍を、興味深々で見守っている。

「新之助様。一寸ここで待っていて下さい」
道に出るなり、三治は店の裏手へ走っていってしまった。新之助は見知らぬ町人に眺められ、居心地が悪そうに辺りを見回した。だが三治はすぐに戻ってきた。
「お待たせいたしました。さあ、参りましょう」
三治はそう言うと新之助の前に立って歩き出した。行き先は、川辺である。三治はいつもそこで休憩を取る事にしていた。座り心地のいい大きな石を新之助に示してそこへ座らせ、自分はその下のごつごつした石の上に腰を下ろそうとした。新之助はそれを見て三治の腕を掴む。
「三治、横に座りなさい。この石は充分大きいから」
「ですが、新之助様」
「いいから」
新之助は半ば強引に三治を横に座らせた。大きいとはいえ、大人の男二人が座ろうと思えば体を寄せ合うしかない。三治は体を硬くして新之助の横に座っていた。新之助は、軽く汗ばんだ三治の体の温度を着物越しに感じながら、三治の反応をまずまずと見ている。三治の反応は、ただ主人に対する畏れや緊張以外のものがあるように思えたからである。
「・・・新之助様」
三治は新之助のほうを見ずに小さな声で言った。
「うん」
新之助は懐から小さな紙包みを出してきた。新之助の目が、軽く見開かれた。見覚えのある紙袋である。
「お店で頂いたのです。新之助様がお好きでいらした、柳屋の大福です」
「おお、大福か」
新之助は素直に喜んだ。この大福はまだ屋敷に住んでいたころ、唯一お八つとして時々出してもらえた新之助の大好物だった。
「新之助様に食べていただこうと、持って帰ろうと思っていたのですが、丁度ようございました。ほら、まだ温かいのです」
「本当だな。まだ作りたてではないのか。久しぶりだ、美味しそうだな」
「新之助様、どうぞ」
「うん。だがお前の分はあるのか。お前が貰ったものだろう」
「ございます。三つございますから遠慮しないでお取り下さい」
「三つも貰ったのか。では遠慮なく頂こう。うん、美味い」

新之助は早速大福を頬張った。屋敷を追われてから食べた事が無かった味である。久しぶりの大福は、新之助の心に染みるように美味かった。

「店で貰ったのか。三つももらえるとは美濃屋も景気がいいのだな」
「いえ、お店に来るお客さんに頂いたのです。最近よくお菓子を頂きます。大工さんの女将さんとか、娘さんとか・・・。お店の方に分けてしまうのでいつも持って帰れないのですが、この大福だけは新之助様に食べて頂こうと取って置きました」
「そうか」

それを聞けば、あの店の前で集まっていた男女が何を目的にしていたのか新之助にも分かった。あの町人たちの狙いは三治だ。大工の女将さんや店の客が三治に菓子を持ってくるのは、立場を最大に利用して三治に近づこうという思惑であろう。川辺まで歩いてくる間、妙に周りの視線が気になったのは三治のせいだという事が今更新之助にも分かったのである。

「イシ様と街へ来る時は、かならず柳屋へ寄って大福を買い求めました。数が足りない時は、あんが炊き上がるまで待った事もございます。イシ様はいつも『新之助様の大好物だから。イシが街へ出た日は新之助様もイシが大福を持ち帰るのを楽しみにしていらっしゃるから』と仰ってました。この大福を見るとあの頃の事が思い出されます」
「・・・本当だな。私は恵まれていた」
「立派なお屋敷でございましたね。私には別世界に思えました」
「そうかもしれないな。だが今の私は・・・これだ」
「新之助様は変わりません。あの頃から真面目で勤勉でいらして、武道も学業も優秀でいらっしゃるのに偉ぶった所が少しもなくて、下男の私にも親切にしてくださいました。使用人はみな、新之助様は出世なさると噂されていました」
「出世どころか、今では浪人同然だ。だが、今の生活も悪くはない。母上も、三治もいる」
「私などは」
「お前は子供の頃から私の支えなのだよ。お前だけは手放したくない」
「・・・たった一人の家来でしたから」
「うん。だが、・・・いや、・・・そろそろ時間か」
「はい。会いに来て下さってありがとうございました。この最後の大福はお母上様にお持ち下さい。私が持ち帰ったのでは固くなってしまいますから」
「だがこれはお前が貰ったのだからお前が食べるべきだと思う。母上には黙っていよう」
「いいえ、喜んでいただきたいのです。どうぞ」

三治は半ば強引に紙袋を新之助に押し付けた。新之助は、三治はわざと母のためと言って新之助に持たせたのではないかと思う。昔大福を屋敷で食べていた時、新之助があまり大福が好きだと言うので母はいつも自分の分を新之助にくれていたのだ。三治はそれを知っている。これを持ち帰れば、母は新之助に食べなさいと言う様な気がした。それを分かっていて、三治も大福を渡したのではないかと思ったのだ。
 だが大福を返す前に三治はお辞儀をして店へと戻っていった。そして、家に戻るとやはり母は新之助に半分食べなさいと言ったのである。新之助は内心恥じたものの、誘惑には勝てず大福を受け取った。

「懐かしい味ですね」

千代は嬉しそうに言った。屋敷を出て以来、大福を食べる余裕もなかったのだ。新之助は、三治が新之助の好物だった事を覚えていて、店の客から貰った大福を取って置いてくれたことを千代に話した。

「本当にいい子ですね、三治は。あの子がうちへ来てくれたのは幸運でしたよ」
「そうですね」

新之助は手の中の大福を見ながら言った。三治が早川へ来てくれたのは確かに幸運だった。だが、果たして三治にとっても幸運だったのか、新之助には今でも判断が付かないでいる。

「どうしました。大福を食べないのですか」

千代が訝しげに言った。半分の大福など、新之助なら一口で食べてしまう大きさである。新之助は小さく微笑みながら言った。

「・・・この大福は半分三治に取って置いてもいいでしょうか。三治が帰るまで父上の仏壇に上げて置きます。三治が帰ったら二人で食べたいのです。・・・母上さえ良ければ」
「・・・」

千代は新之助をまじまじと見た。千代が二人のことを認めると言ってから、新之助は日に日に表情が柔らかくなっている。三治への想いを封印した日から、新之助がどれほど自分を殻に押し込めていたか千代にも良く分かった。新之助は子供の頃から公正で偉ぶる事もしなかったが、「武士とはかくあるべき」という武家の堅い枠に押し込められて育ってきた。今その枠から自由に解き放たれ、新之助は人間味のある、そして芯から公正で優しい青年になったのだと、千代は満足に思った。他に兄弟もいない中で、新之助には三治が唯一頼りにできる相手であった。二人が久松とお染を演じたあの日から、二人を引き離す事は誰にもできない事だったのだ。千代はふ、とため息をついた。

「そなたに上げたものだから、お好きになさい」
「はい。ありがとうございます。さあ父上、お祖父様、大福ですよ。三治がくれたのです」

新之助は大福を小さな皿に乗せて仏壇に供えた。千代は独り言のように言った。

「・・・三治が、女の子だったらねえ」
「・・・母上」
「何でもありませんよ。それでは私は先に休む事にしましょう。三治には、この汁と漬物を出してお上げなさい。この汁の具は三治の実家からもらったものとうちの野菜ですよ。うちの野菜も大分上手くできるようになったわね」
「三治が良く世話をしてくれますから」
「そうですね。三治が畑の事を教えてくれなければ随分大変だった事でしょう。あの子は何でも良く知っているから」
「はい、母上」

三治の事を誉められると、新之助は芯から嬉しそうな顔をした。新之助には、母に三治を誉められる事が何より嬉しかったのである。千代はこっそりと笑みを漏らしながら隣の部屋の布団に入った。







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