花より色は22
「・・・すまない。だが、どうする気でいるのだ」
「・・・私は所帯を持つ気はないと前に申し上げたはずでございます」
「そうだが、主人の勧めとあれば断れないであろう」
「お断りします。こちらが固辞すれば、そうそう無理強いもできないでしょう」
「お前は、本当に誰とも所帯を持つ気はないのだな」
「はい」
「カヨは、カヨはどうだ。カヨともか」
「カヨさんは今は一緒に暮らしている方がいらっしゃるのでございます。私の事はもう」
「・・・三治」
「・・・はい」
「どうして、所帯を持たないのだ」
「・・・それは、一生新之助様にお仕えするためです。そう申し上げたではございませんか」
「だが、嫁をもらって同じように仕えてもらう事もできないわけではないだろう」
「ですが、婿養子でしたら絶対に無理でございます。それに、所帯を持てば家族を養うのに精一杯でこちらのお世話が疎かになってしまいます」
「だがお前はここに雇われているわけではない。ここに家賃や食事代と称して食材を買ってきてくれる、うちにはありがたい限りだがお前がそこまでする謂れはない」
「新之助様・・・」

三治の気持ちが思わず昂ぶった。新之助に、お前は必要ないと言われていると思えてならない。

「私が、私がお邪魔でしたらそう仰ってください。私は新之助様に一生お仕えしても返しきれないご恩を頂いているのです。新之助様がいらっしゃらなかったら私は今頃こんな風に生きてはいられないでしょう。新之助様が小僧が欲しいと仰らなければ私は芝居小屋へ売られるところでした。宗二郎様の床に呼ばれるのを、何度も助けていただきました。新之助様が自分の体を傷つけるなと言われなければ私は今頃身投げをしていました。私は新之助様の為にここにいるのです。いらないと言われるのでしたら私は、私は・・・」

夜目にも興奮して震えだした三治を見て、新之助は体が震えるほど感動していた。このまま抱き寄せてその体をきつく抱きしめ、そうではないと言ってやりたい。ずっと傍にいて欲しいと思っているから、三治が他の人間に横恋慕をされているのを見て落ち着いてはいられないだけなのだ。だが、このまま押し倒してしまいたい新之助を母の言葉が引き止めていた。三治の気持ちが確かでない限り、強引なことはすべきではない。

「・・・三治」

新之助は衝動を必死で堪えて優しい声で言った。

「すまない。お前を困らせるつもりではなかったのだ。お前が邪魔だなど思ったこともない。お前が、その・・・所帯を持った方が幸せなのではないかと思っていたものだから。それにお前がよその娘さんに人気があると知って気が急いてしまった。お前を誰かに、いや・・・お前がどこかに行ってしまうのではないかと、私は」
「・・・」
「お前にここにいてもらいたい。この家を支える事がお前の重荷にならなければいいのだが。それでも、私はお前に傍にいてもらいたいのだ。ずっと、本当に」
「新之助様・・・」

三治の目は薄い膜を浮かべていた。三治もまた、新之助を抱きしめたい衝動と戦っていたのである。薄暗い部屋の中、寄り添うほどにそばにいる互いの熱が、ジリジリと体を焦がしていた。新之助が微かに震えながら腕を伸ばした。三治の肩に、そっとその手を触れさせる。

「三治」
「・・・はい」

新之助にじっと見つめられ、三治はつい視線を落として新之助の唇を見た。形のいい、男らしい唇がかつて舞台の上で「お染」と愛しい思いを溢れさせながら呼んでくれた日のことを思い出す。同じ口調で、新之助は三治の名前を呼んだ。しかしあれは演技であり、そして今新之助が三治を愛しいと思ってくれている事など思いも寄らない。だが、新之助の甘い声は三治の心を震わせると同時に体の芯を刺激していた。体が熱い。次に動けば自分がどのような行動を取るか分からなくて、三治は動けずにいた。

「傍にいてくれるな。ずっと」
「・・・はい、新之助様」

新之助には三治の気持ちが分からなかった。度を越すほどの忠誠心がある事は分かるが、それが恋情なのかそうでないのか新之助には判断がつかない。
 新之助は必死で自分を抑えながらも、視線は三治の唇に吸い寄せられていた。軽く結ばれた三治の唇は、薄暗い明かりの中でも薄く紅色に色づいている。その唇を吸いたい衝動を抑えて新之助は言った。

「・・・三治、口を開けなさい」
「・・・はい・・・?」

三治は突然の主人の命令に戸惑いながら新之助を見上げた。新之助の目は真剣である。三治は言われるまま軽く口を開いた。新之助は、素直に口を開けた三治にふ、と笑うと自分の手に残っていた半分の大福を、三治が気づく前に素早くその口に押し込んだ。

「な、っ・・・」

三治は突然の事に何が起きたのかも分からず、反射的に口の中のものを噛んだ。甘い味が口の中に広がる。

「新之助様・・・」

三治が、今口の中にあるものがさっき断った四分の一の大福だと気づいたときには、もう出すことは叶わないほど咀嚼してしまっていた。

「いいから」

新之助の目が笑っている。さっき受け取れないといったのに、新之助はどうやら隙を狙っていたと分かって三治も思わず笑えて来た。言われるまま、三治は大福を飲み込んだ。口に大福を押し込まれる時、一瞬だけ新之助の指が三治の唇に触れたことを、三治は今は考えない。

「新之助様」

三治は責めるように言った。だが、つい笑ってしまう。新之助も笑っていた。さっき二人の間にあった濃密な空気は既にない。新之助も三治も、若干の心残りを感じながらどこかほっとしている。新之助が言った。

「油断は禁物だぞ」
「私は武士ではありませんから」
「生意気を言う」
「受け取れませんと申し上げました」
「私はお前に上げたかったのだ」
「新之助様・・・」

三治は小さくため息をついた。この同じ年の主人の言う事を何もかもはいはいと聞くつもりはなかった。それでも最後には聞き入れてしまうのは、主人の命令だと思っているわけではない。新之助の言う事は時に世間知らずとも思えるが、悪気がない。ただ尊敬しているというだけなら、三治もこれ程新之助に惹かれる事はなかったに違いない。三治は新之助の人間味のある所が好きなのだ。最近は新之助の当たりがますます柔らかくなったのか、使用人にこうしてふざけかかるのを、本当なら注意しなければならないものをどうしても憎めない。同じ年の男同士、三治にも打ち解けあう相手がいる事がどれ程嬉しい事か、三治は自分の手に乗せられていたままの残りの大福を見て言った。

「それではこの大福は新之助様のものですね」
「うん。それも半分に割ろうか?」
「新之助様」
「分かった分かった。では、今度はお前が食べさせてくれ」
「はい?」
「口を開けているから、お前が食べさせてくれ」
「・・・新之助様」

三治はほとほと呆れかえる所だが、新之助は嬉しそうな顔をしてもう口を開けて待ち構えている。それがまるでひな鳥が親鳥から餌をもらうのを待っているようで、三治は思わず声を上げて笑ってしまった。

「はいはい。ではお坊ちゃま、口をアーンとお開け下さい」
「む・・・」

まるで赤子にでも言い聞かせるように言った三治に、さすがの新之助も眉をしかめたがすでに大福を押し込まれてしまったので黙って咀嚼した。そのしかめ面を見て、三治は声を殺して笑っている。千代が寝ているから、大きな声は上げられないと思っているのだ。

「・・・うん。美味かった」

三治が笑っているのを見て、新之助もしかめ面を解いた。三治がこうして大っぴらに笑うことは珍しい。新之助はその三治の笑顔が、薄暗い部屋を明るくしてくれているように感じるのだった。









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