花より色は24
それから数日後の事である。夜布団の中で、千代は隣室で新之助が怒っているような声を聞いて目を覚ました。どうやら三治に対して何か言っているようである。新之助が三治にきつい事を言う事などこれまでなかった事なので千代は思わず布団から体を起こした。新之助の声が言った。

「・・・どうして、今朝黙っていたのだ。知っていたなら朝言えばいい」
「は、はい。ですが、日の昇るのが早かったもので、美濃屋に間に合うかそればかり・・・」
「お前には、美濃屋が一番大事だと言いたいのだな」
「そんな、そうではありません。新之助様が一番大事でございます、ですが」
「ですがですがとそればかり。お前に教えて喜ばせようと楽しみにしていた私の気持ちは考えないのか」
「すみません。ですが、私も嬉しいのです。私も今朝見たときは、新之助様がどれ程お喜びになるか、それだけで嬉しい気持ちになりました」
「すぐに私を起こして言ってくれれば良かったのだ。そうすれば花を一緒に楽しめた」
「申し訳ありません。花は畑に行く前に気づいたものですから、戻った時には気ばかり焦っていて」

どうやら新之助が育てていた花の事で言い争いをしているらしいと千代は気づいた。花は今朝咲いたのだが、それを早朝畑仕事に行く前に三治が気づいたらしい。この時期、早朝の畑の虫取りは大変な作業だ。つい過ごしていたので慌てて帰ってきて朝食も慌しく取り、美濃屋に間に合うようにと走って出たのだから、新之助に花の事を言うのを忘れていたのだろう。夜三治が帰ってきて、意気揚々と花が咲いたと報告した新之助に、三治が「今朝見ました」などと言ったので新之助はすっかりすねてしまったらしい。

「これからは気をつけますから、新之助様。百日草ももうすぐ咲きそうですし、その時には必ずお知らせします」
「・・・」

どうやら本格的にすねてしまったらしい新之助に、襖越しでも三治がハラハラしているのが分かる。千代は勢い良く立ち上がり、襖を開けて隣へ入って行った。

「・・・母上」

新之助が不機嫌な顔を隠しもせずに千代を見上げてくる。見れば、三治は半分泣きそうである。新之助の気持ちも分からないではないが、このままでは三治が可哀相過ぎる。千代は言った。

「三治。夕食は食べましたか」
「はい。頂きました。ご馳走様でした」
「それでは、もう畑へ行ってもいいですよ。この分からず屋は放っておいて」

千代の言葉に、三治は目を丸くした。新之助も驚いた顔である。

「さあ、行ってらっしゃい。この所葉物が伸びていてね、あまりに混み合っているので分けた方がいいかお前に聞こうと思っていたのですよ。見ておくれ」
「はい。私もそのように思っていました。それでは混んでいたら少し分けてまいります。行ってまいります」


三治を見送ると、千代はまだ半分膨れている新之助の前に膝を詰めた。

「新之助」
「・・・はい」

新之助は顔を上げずに答える。さすがに少しは体裁が悪いのであろうか。

「母の顔をきちんと見なさい」
「・・・はい」
「新之助、一体三治を何だと思っているのです。あのように声を荒げて、そなたらしくもない」

新之助に代が変わって以来、新之助を立てるような言動をしていた母の、久しぶりの説教だった。

「すみません、ですが」
「ですがではありません。三治が一体何をしたと言うのです。そなたに責められる様なことは何もしていないではありませんか。それをあのように」
「ですが母上、花が咲いたら一緒に見ようと約束していたのです。それなのに、一人で先に見てしまうなど」
「そなたと来たら」

千代は呆れたように言った。

「花がいつ咲くかなど誰にも分からないではありませんか。先に見つけたのがそなたでも三治でも、見たいならこれから一緒に見ればよろしい」
「ですが母上、今朝見つけたのに三治は何も言ってくれませんでした。すぐに言ってくれれば良かったのです」
「新之助」
「・・・はい」
「三治がどれ程忙しく働いてくれているか知らない筈はないでしょうが、三治はそなたが寝ている間にこの母よりも早く起きて、火を興して、庭の畑から朝食用の野菜を抜いて、足りなければ水を汲んで、家の前を掃き清めて、それから畑に出て行くのですよ。上げたらきりがないほど働いてくれている事を知っていましたか」
「・・・はあ、まあ・・・」
「はあではありません。その三治が今朝そなたのマツバボタンが咲いているのを、嬉しそうな顔をして見ていたのを母も見ました。しばらくじっと見ていて、それから急いで畑へ行ったのでいつもより遅れてしまったのでしょう。美濃屋でも随分重宝がられているようだし、食事もそこそこに出かけたのをそなたも見たでしょう。それを、ただ一緒に見たかったから、先に見つけられたからとすねているそなたは子供過ぎます」
「はい・・・」
「後で三治に謝りなさい」
「は、はい」
「そなたと三治の事を認めると言いましたが、そなたがそれではそれも取り消したくなります」
「母上・・・」
「悪くもない事で責めるようでは、安心して三治をそなたに任せることもできない」
「母上」
「いいですか、私の子供は新之助、そなただけですが、こうしてずっと支えてくれる三治を二人目の子のように思っているのです。わがままも程ほどにしないと、三治と上手く行く前に見切られますよ」
「分かりました。私が軽率でした。三治には後で謝ります」
「分かればよろしいのです。それよりも新之助」
「はい」

不意に口調を変えた千代に、まだ何か説教をされるのかと思い新之助は緊張した。
しかし千代の言葉は予想外のものだった。

「そなたも随分晩熟(おくて)なのだなと思っているのですが」
「はあ」
「そなたもこういうのは初めてだろうから臆病になるのは仕方ないのかもしれませんが、傍で見ているとやきもきしますよ」
「は、はあ・・・?」
「三治も恐らくそなたの事を想っているでしょう」
「そうでしょうか」
「そうですよ。夜中に二人で話をしているのを聞いていたら、そう思いますよ」
「母上、起きていらっしゃったのですか」
「たまにですけれどもね。この間も、大福の事で何かもめていたでしょう。あの時など、もう、熱い空気が寝室にまで伝わってきましたよ。ああいう時はもう新之助、ガバッと」
「・・・ガバッと、ですか」
「・・・」
「・・・」
「とにかく、三治はそなたが動かなければ何も言いますまい」
「ですが、母上、無理やりは良くないと」
「無理矢理でなく、優しく行くのです。こう、優しくガバッと」
「・・・はい」

新之助の口に笑みが浮かんでいた。母がそのような事を言い出すとは思ってもみなかったのである。

「・・・何がおかしいのです」

千代は新之助の笑顔にどうやら我に返ったらしく、咳払いをした。

「いいえ。助言いただいて嬉しいのです」
「そうですか。それでは頑張りなさい」
「・・・はい」
「時に新之助、三治は盆の休みがもらえると言っていましたね」
「はい。五日間と言っていましたが」
「実家の方へは顔を出すのでしょうね」
「そう言っていましたが、一日ですぐに戻ると」
「そうですか。それでは私達もその日にお墓参りを済ませて、母も勝田の実家へ帰ろうと思います」
「ええ?本当ですか。そんな話は初めてお聞きしました」
「義姉から文が来ていたでしょう。前から一度ゆっくり帰省できないかと言われていたのですよ。恐らく早川の家の事でも話があるのでしょう」
「それでは私もご一緒した方がいいでしょうか」
「そなたは家においでなさい。三治に任せておけばこちらは大丈夫でしょう」
「はい」

返事をしてから、新之助は母が新之助と三治を二人きりにしてくれようとしている事に気づいた。

「・・・はい、母上」
「くれぐれも無理はしてはいけませんよ。新之助は宗二郎殿にされたことで傷ついているはずですからね。それから、私が実家へ戻ることは、三治には直前まで教えないようにね。構えてしまうといけませんから」
「分かりました。母上、ありがとうございます」
「お礼は後からして頂きますよ。上手く行くとは限らないのですからね」
「はい。三治の気持ちを大事にする事をお約束します」
「それならよろしい。私はもう一度寝ますよ。花のことは、ちゃんと謝るように」
「はい」

千代はそのまま寝室へ行ってしまい、新之助が残された。新之助にはまだ不安はあるが、新之助の気持ちを見抜いた母が三治も同じ気持ちでいるだろうと言ってくれた事は大いに新之助を勇気付けてくれる。母が言ったとおり、三治は宗二郎にされた事で男同士の行為に及ぶ事を恐れている可能性はある。だが、それならそれでもいいと新之助は思った。行為をするだけが目的ではない。気持ちだけでも同じだと分かれば、ただ傍にいるだけでも、時に手を取るだけでも、新之助には大きな幸せだ。








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