花より色は4
 素人芝居ながら、三治の愛らしい女形姿と、りりしく健気な丁稚姿の新之助、演技力抜群の一郎太のおかげで見世物は大成功だった。二日間の祭りの間、一日に二回、合計四回の公演のはずが、二日目には客が入りきれず、急遽三回目の公演を決めたほどだった。それでも客席に入れなかった人たちが、屋敷の塀によじ登り、塀の外の木の上からでも見ようと鈴なりになっていたのである。道場としてもいい宣伝になり、平行して行われていた剣道場の体験教室も、例年になく大盛況だった。目論見は成功したのである。

 全てが終わった時、三治は自分が元の生活に戻れるか心配になるほど役にのめり込んでいた。役なのに、新之助の事を思うと胸が痛くなる。舞台で逢引の場面で引き寄せられたとき、三治の心臓はドキドキと早鐘のように打っていた。このまま新之助と一緒に本当にどこかへ行ってしまいたかった。そんな事を思い返しながら舞台袖でしばらくぼんやりしていると、新之助もまだ久松のような顔をして三治を見つめている。その目にどこか落ち着かないものを感じて三治はうつむいた。新之助は自分の主人だ、三治はどこか浮かれそうになる自分を必死で止めていた。どうしても、元の二人に戻らなければならない。

「・・・お疲れになりましたか、新之助様」

三治は新之助の目を見つめながら言った。新之助はまだ三治をじっと見つめている。それでも、三治の言葉にようやく我に返った様子で、新之助はいつものように笑って言った。

「疲れたな。お前も疲れただろう。早く休ませてやれるといいんだが」
「大丈夫です。私は丈夫ですから。でも慣れない事をすると疲れ方が違うものですね。着替えて片づけを手伝ってきます。新之助様もお疲れでしょう、何か召し上がりますか?」
「うん、何か飲みたいな。ずっと声を出していたから喉がカラカラだ」
「ではカヨさんか誰かに頼んでおきます。私はこれを着替えて化粧を落とさなければならないので」
「うん。なんだかもったいないな。三治、よく似合っていた」
「えっ・・・」

三治は驚いて思わず絶句した。今の今まで、自分に女装は全く似合っていないと思っていたのだ。だが、新之助が嘘を言うはずがない。

「本当だ、みんな三治に見蕩れてた。私も鼻が高い」
「まさか、そんな」
「気づいてないのか。母上の鏡で見てみるといいんだ。吃驚するくらい似合ってる」
「とんでもないです。早く着替えたいです、帯がきつくて動きづらくていけません」

三治の言葉に、新之助が笑った。

「確かに仕事向きじゃないな。分かった、これで見納めだな。覚えておくよ、ずっと」
「新之助様」

三治は胸が痛むくらいに嬉しかった。本当に似合っているとは自分で思ったわけではない。一郎太や他の女役をやった弟子や使用人を見れば、いくら女顔だと言われようと素人が女装をすればどこかちぐはぐで滑稽な事は分かっている。自分だけが本当に似合っているとは三治には思えなかった。それでも、新之助が誉めてくれさえすれば三治には他はどうでもいい。最初はどうなるかと心配だったが、こうして新之助と一緒に芝居ができた事は三治の一生の思い出になるだろうと三治は思った。

「それでは、仕事に戻ります」

三治は努めて平静を装って言った。新之助が頷く。三治は自分の中のお染を追い出しながら、頭を下げて新之助の元から離れた。






 祭りの後新之助はおかしな気分に苛まれていた。それは、三治が近くにいるときに感じる今までにない気分だ。それまであまり異性と顔を合わせる機会もない新之助が、年若い使用人の女の子が着物のすそを捲くり上げて洗濯をしていたのを初めて目の当たりにした時の気分と似ていた。三治がそばに来ると、新之助はむずむずと落ち着かなくなる。風呂で三治が新之助の背中を流してくれるとき、それはピークに達した。

「新之助様、入ります」

三治が湯殿の戸をあけて入ってきた。いつも三治は新之助の背中を流してくれるのである。三治は新之助が風呂から出た後の着替えや手ぬぐいなどを用意してから洗い場に入ってくる。

「お背中をお流しします」

いつもの事なのに、新之助は幾分緊張気味に座って待っていた。いつものように三治が背中を洗ってくれる。その手が触れていくところがやけにむずがゆかった。黙って下を向き、目に入る三治の足に新之助は思わず目を伏せた。三治は肩まで袖を捲くり上げ、すそも捲くって帯の所で留めた格好で背中を流してくれている。気にした事もなかったそんな三治の腕や足が、あまりに細くて白いのが新之助の気になった。

「痛いですか?」

新之助が体を固くしているのを感じたのか、三治が聞いてくる。新之助は首を振った。

「いや、大丈夫だ」

しかし新之助の体は変化し始めていた。その変化に、新之助は戸惑っていた。お染姿の三治の面影が頭を離れない。だがあのお染は幻だ。三治はお染ではない。三治は男だ。

「・・・もういい」

耐え切れなくなった新之助は、そっけなく言うと前を隠して立ち上がった。そのまま頭から湯をかぶると飛び込むようにして湯船に入る。三治の顔が見られなかった。

「もういいから、戻りなさい」
「は、はい」

三治は急いで辺りを片付けると湯殿を出て行った。そのまま外に回りこみ、薪の様子を見ているようだ。ふいごを吹く音が聞こえる。新之助は目を閉じた。この所毎晩夢に訪れるお染は、本物ではないのだと新之助は自分に言い聞かせる。生まれて初めて夢精をしてしまったのも自己嫌悪の種だった。舞台の上で三治を、お染の肩を抱いて逢引小屋に入っていった時の感触が忘れられない。三治の体はほんのりと暖かく、汗ばんでいた。抱き寄せて、そのまま寝所に向かうような錯覚が、芝居の回数を進めるたびに強まっていた。夢の中で、新之助はその続きをしている。相手は、三治でありお染だ。苦しい、こんな思いをするくらいなら、芝居などしなければ良かったとすら思う、新之助は不安定に揺れていた。

 日中とて同じだった。やけに三治をからかってみたくなったり、それでいて三治が他の使用人と仲良く口をきいているのを見ようものなら、今までになく厳しい口調で三治を呼び寄せてしまう。それまで三治が藩校に新之助を迎えに来るとき、三治が遅れても一言も文句を言わなかった新之助だが、藩校が早めに終わり、藩校の前で一人三治を待っていた新之助は、三治がいつものように走りやってくるのをいつになくイライラしたような気持ちで待ち構えていた。どうせ今日もあちこちでとめられてしなくてもいい仕事をさせられているのだと思うと腹が立ってきた。そしていつもの時間に遅れたわけではない三治を、新之助は思わず語気荒く「遅いじゃないか」と責めてしまった。途端に三治の大きな目が見開かれ、さっと地面に伏せて手を付いた。

「申し訳ありません、新之助様。お許しください」

新之助は絶句した。三治の態度は使用人としては当然の事である。だが、小さな肩を震わせて新之助の前に小さくなっている三治に、誰も気にするはずもないのに周りの視線が気になってしまう。新之助は半分友達のような気分でいたが、三治は使用人なのである。新之助の気分しだいで、例えば殺されてしまったとしても何の文句も言えないのがこの時代の主人と使用人の関係であった。新之助は瞬時に後悔した。これでは、自分が嫌っていた暴君じみた主従関係と同じではないか。

「違うんだ、そうじゃないんだ。私が悪かった。三治、立ちなさい」
「は、はい」

だが三治はまだ震えながら頭を垂れている。この所の主人の態度の変化に三治も気づいていた。三治が戸惑うほどに親しげにふざけてきたと思えば、嫌われてしまったのかと思うほどきつく呼ばれる時がある。それまでいつも明るく礼儀正しく、ただ優しかった新之助とは思えなかった。自分が何か粗相をしてしまったのではないかと、三治はここのところずっと心配し続けていたのだ。

「三治、立ちなさい」

新之助が三治の肩を掴んで立ち上がらせようとした。それにまで逆らう事はできず、三治は立ち上がった。目にはまだ怯えの色が浮かんでいる。新之助は三治を抱きしめて違うのだと言ってやりたい気分と必死に戦っていた。

「お前に当たるつもりじゃなかった。ちょっとイライラしていて・・・いけないな、こういう事では。いつも侍の子だと言う事を忘れないようにしなさいと母に言われていたのにまた叱られてしまう。お前が悪いのではないんだよ。私がいけなかったのだ」
「そんな、新之助様」

三治はふるふると首を振ってまた地面に伏せそうになる。使用人の分際で、主人に謝らせるなどとんでもない事だ。

「何かお気に召さない事があるのでしたら仰ってください。私の要領が悪いので新之助様にはいつもお待たせしてしまって・・・本当に申し訳ございません。でも、でも私は」
「いいんだよ。三治が忙しい事は私も良く分かってるんだ。お前がよく働くからみんなついお前に頼んでしまうんだよ。私だけの用をしてもらいたいのは山々だが、お前を雇っているのは父だから」
「いえ、私は新之助様にお仕えしたいのです。至らないので新之助様にはご迷惑ばかり、ですがお願いいたします。ずっと新之助様のお世話をさせて下さい。他の仕事ももちろんやります、楽しいんです。お役に立てるように努力しますから、新之助様」
「三治・・・」

新之助は思わず三治の肩をつかんでいた。自分の態度に、三治は新之助に疎まれて新之助の世話ができなくなるのではないかと心配していたのだ。新之助は心底後悔した。自分の都合で、三治を悩ませてしまった自分が情けない。三治には何の罪もないのだ。それに、三治がずっと新之助に仕えたいと言ってくれた事が嬉しかった。

「分かった、三治、お前はずっと私に仕えてくれ。約束だ。私が家を継いでもずっと、お前にはうちにいてもらうよ」
「はい、新之助様」

すっかりいつもの新之助に戻ったのを見て、三治は心からほっとして頷いた。

「さあ一緒に帰ろう」

そう言って笑う新之助は、もう元のままの新之助だった。三治はにっこりと笑い、

「はい」

と言って新之助のあとを付いていった。


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