花より色は6
 一方新之助は、屋敷内が妙に騒がしいのに気づいて目を覚ました。途端に、三治がどこからか自分を呼んでいる声が聞こえたような気がしてがばと起き上がった。騒ぎは中庭をはさんだ向こう側の客間から聞こえてくるようだ。新之助は耳を澄ませた。

「助けて、新之助さま!」

くぐもっていて聞き取りづらいが確かに三治の声だ。続いて、争っているような音が聞こえる。新之助はさっと起き上がると障子をスパンと開け、廊下に飛び出した。

「どうした、どこだ、三治!」

新之助の声に、少し離れた部屋から左衛門が飛び出してきた。

「新之助」
「父上。この騒ぎはなんなのです。三治の声が聞こえました」

しかし左衛門は新之助を部屋へ押し戻し、抑えた声で言った。

「部屋に戻って眠るのだ、新之助。何でもない事だ。よくあることだ」
「よくあるとはどういう事です?!こんな事は初めてです、父上。三治が呼んでいます。どうしたのだろう。行ってやらなければ」
「新之助、三治は使用人だ。行く必要はない」
「何を仰っているのですか。使用人だからなんだと言うのです。あの声は普通ではない。何か、物取りでも襲われて」

「新之助様ーー!!」

三治の声はますます大きくなり、ほとんど悲鳴に近い。新之助は心落ち着かず左衛門を押しのけて再び廊下へ出た。

「新之助!」
「三治、三治どうしたんだ!どこだ」
「新之助、父の言う事が聞けないのか!」

力強い声に叱責され、新之助は思わず振り返った。父が怒っている。普段あまり新之助に構う事のない父が怒っている。それは、武士の家に生まれた男子としてはそむく事の許されない命令だった。

「父上。ですが」
「いいか、門田様が三治を欲しいと仰っているのだ。門田様に可愛がってもらえるなら三治にもありがたい事だ」
「な・・・!そ、それはどういう・・・」

その時、三治の絶叫が聞こえた。新之助ははっと青ざめる。可愛がる、その意味を一瞬で理解した新之助は、今三治が宗二郎に何をされたのかが目の前に見えるようにはっきりと分かった。三治は、宗二郎に犯されたのだ。

「三治!」
「新之助!」

走り出そうとする新之助を、今度は下男が止めた。新之助はそれを振り切って行こうとする、だが下男二人と左衛門の大人三人の力には敵わない。だが新之助を止めたのは力ではなかった。父母の部屋から千代が、青ざめた顔で出てきたのである。

「母上、三治が!」

と押さえつけられながら訴える新之助に、千代はきっぱりと言った。

「新之助、父上の言う事が聞けないのですか」
「母上・・・!」

新之助は力を抜いた。新之助の目から涙がこぼれた。到底理解できない事だが、それでも逆らう事はできないのだ。やがて左衛門に指示された下男が、新之助を蔵へと運んでいった。新之助は蔵に閉じ込められ、そのまま朝まで出してもらえなかった。



 一睡もしないまま明けた次の日、新之助はようやく戻された部屋で頭を垂れて左衛門の説教を聞いていた。三治があれからどうしたのか、分からないままである。新之助には三治が心配でならなかった。あの絶叫の後、静まり返ってしまったのが逆に不気味だった。死んでしまうような事だけはないと思いたかったが、新之助は口をきくことを許されていなかった。

「いいか新之助」

左衛門が何度目かに諭すように言った。千代は、左衛門の隣でまだ青ざめた顔で黙りこくっている。まだ、千代の声は一言も聞いていなかった。

「門田様もお年頃だ。そのような欲求があるのは仕方ない事だ。少し前から、女中の中から一人寄越してくれないかとずっと言われていたのだが、父上がお許しにならなかったのだ。私としても、お遊びと分かっていて門田様にうちの女中を差し出すのは気が進まなかった。今女中を孕ませるような事になっても老中に申し訳が立たないであろう。だが三治は男だ。そんな心配はない。あの祭りの頃から門田様は熱心に三治を自分にくれないかと何度も仰られていたし、今までになく真剣なので単なる遊びとも思われない。門田様のお小姓にでもなれれば、三治もありがたいではないか」
「・・・」

新之助は頭を垂れて聞きながら、それでも全く納得できない左衛門の言い分に腹を立てていた。要は、自分が老中に顔向けできないような事にはしたくない、だが宗二郎様のご機嫌も取っておきたいと言うことではないか。祖父がいない日にさせたと言うのも確信的だ。祖父がいれば、きっと止めたであろう。祖父は、常々父のやり方を甘いと言っていた。そもそも、宗二郎は祖父に預けられたものなのである。祖父は以前同じような家老の子でやはり浮ついていた者を預かり、性根を叩きなおしたと言う実績を買われて宗二郎を預かりになったのである。左衛門が勝手な事をして甘やかせば、祖父は黙っていないだろう。だが祖父も年だ。こうして祖父のいないときを狙ってやれば、使用人の中でもご隠居に言いつけたりして当主に睨まれる様な事をする者はいないだろうと父も踏んでいるのだ。

 頭を垂れてはいるが不満顔な新之助に気づいたのか、左衛門は更に言った。

「いいか新之助。これはそなたのためでもあるのだ」
「・・・」
「あの芝居の後、そなたは三治をどんな目で見ていた。そなたの方こそ、邪な気持ちで三治を見ていたのではないか。最近そなたの行動が落ち着かないと千代も心配しておったぞ。一時のそのような気持ちで、武士の男子が男色なぞに走ってどうする。そなたには早川家を継いで残していく義務があるのだ」
「・・・!」

これには新之助も衝撃を隠せなかった。青ざめて左衛門を見つめる新之助に、左衛門はようやく満足したように自分で頷いた。

「分かればいいのだ。今日一日部屋で反省しなさい。三治は今日は動けないとか甘えた事を言っているらしいから、今日のお前の世話はイシがするだろう。いいな」
「・・・!!」

父母は立ち上がり、部屋を出て行った。左衛門の言った事が全て衝撃的過ぎて新之助は動けない。三治は動けないと言った。どんな酷い目に合ったのだろう。少なくとも死にはしなかったのだと分かった事だけはありがたい。だが、何もかもが新之助を打ちのめしている。左衛門が三治を宗二郎に差し出したのは、自分の保身のためだけではなかった。新之助が三治にある種の感情を持ち始めている事を父も母も知っていた。新之助が間違いを起こさないために、先手を打ったのだ。だが、新之助も三治に対する自分の態度を自省したばかりだったのに、間に合わなかったのか。三治が宗二郎に犯されたのは、自分のせいだ。そう思うといたたまれず涙が零れた。新之助は畳に伏した。武士の男子が泣くなど、許されないことだった。だが、涙が止まらない。嗚咽が漏れて、新之助は着物の袖をかみ締めて耐えた。耐えれば耐えるほど、胸が痛い。
 もし三治がこの家に来る事がなく、本当に芝居小屋に売られていたらこんな事にはならなかった。祭りのことを思えば、三治はきっといい役者になり、人気を博していただろう。こんな雑用ばかりの忙しい思いをすることもなく、人気役者として客に買われることがあったとしても、贅沢に着飾り、美味い物を食べて、そして大切に大切に抱かれた事だろう。もし役者でなく、陰間になったとしても、陰間は男を受け入れるまでに充分な準備期間をおき、すんなり受け入れられるように体も心も訓練していくものだと聞く。それを、何の準備もなく犯された三治。どれだけ恐ろしかった事だろう。新之助が自分に手伝いの小僧が欲しいなどと言い出さなければ、こんな事にはならなかったのに。
 新之助は自分を責めながら、ただひたすら涙を耐え続けていた。


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