我輩は猫である。名前はまだ無い。
「決めた。君の事これからユキトラって呼ぶわ。」
むむ、早速名前が付いてしまったようだ。これでは折角の口上が台無しである。
今度はフーテンのトラとでも名乗れと言うことなのかにゃ?
「私の名前はキャル・ブレッキィ。よろしくね。」
我輩の目の前に居る名付け親も猫……らしい。
断言できないのは歯痒いが、我輩とは随分違っているので致し方ない。
三角形の耳、長い尻尾、曲がった背中、それらは紛れも無く猫族の特徴を示している。
ただ……猫にしては毛が薄すぎるのが奇妙である。
顔、肩、腕、胸、腹、背、脚、どこもかしこも産毛すら生えてないような裸なのだ。
ただ頭だけが白く長い毛で覆われていて、そこを何故か金属の輪で抑えている。
流石に赤裸では寒過ぎるのか体の周りに布切れを巻きつけているが、
それなら最初から毛を生やしておけばいいのに……なんとも不可解なことである。
「さぁ、おいで。私の家はこっちよ。」
その雌猫は我輩を胸元に抱えた。妙に柔かい感触がして気持ち悪い。
だが我輩はそのままの体勢で巨大な建造物の中へと運ばれていった。
何故こんなことになったのかと言うと……話せば少し長くなる。
我輩は物心付いたときには箱の中に居た。それより前のことは覚えていない。
もしかしたらその箱はカオスだか原初の暗黒だかと繋がってたのかも知れぬ。
万物は闇から産まれたとかいう話を聞いたことがあるし、
我輩もあの時ほど真っ暗な闇に出会ったことはないからにゃ。
『光あれ』と唱えた訳ではないが、しばらくして箱の隙間から光が漏れてきた。
その隙間に向かって爪をガリガリやってると、巧く力が加わったのか一枚の板がバキッと外れた。
こうして我輩は、晴れて娑婆の空気を吸う事が出来るようになったのである。
我輩が現れた場所は人間達がせわしなく行き交う街だった。
そこは彼らの言葉でジュノとかカイジンロウとか言うらしい。
その時はまだ朝早い時分だったが人混みが酷く、足元をくぐり抜けて進むのに大層骨が折れた。
ともかく周囲の状況を把握しようと彷徨っている内に、我輩は自分の同胞と出会った。
名付け親の雌猫とは違い、我輩と随分似通った猫達である。
尤も連中は短足揃いで、我輩の様に風になびく見事な二本の髭を持つ者も居なかったが。
「おい、貴様。見慣れない顔だな。俺様の縄張りに入ってきて挨拶も無したぁ、いい度胸だ。」
一匹の大柄な黒猫が群れの中から進み出てきた。
「礼儀知らずの新参者がどうなるか……教えてやろうじゃないか。」
黒猫は背中の毛を逆立ててフーッと唸った。周りの猫も便乗して恫喝してくる。
爪を伸ばし、牙を剥き、今にも跳びかからんとする様子である。
正直我輩はこの高圧的な態度に腹が立っていた。
まだ何かをした訳ではない。ただ歩いてただけである。
にもかかわらず喧嘩を売ってくるとは非常識も甚だしい。
我輩は怒りの念を込めて黒猫を睨みつけた。鋭い眼光が奴の瞳を貫く。
するとどうしたことか、黒猫の奴は突然白目を剥いて昏倒してしまった。
虎の威を借る狐ならぬ黒猫の威を借る野良猫達は、ボスが倒れたのを見ておろおろとするばかり。
我輩は長く関わるつもりも無かったので、連中を放って早々と退散させてもらった。
そうこうする内に我輩は腹が減ってきた。だがどこで何を食えばいいのか見当も付かない。
さっきの連中に聞くという手も有るが、それはあまりにも癪だ。
どうにか自力で食い物にありつこうと食料を売る露天でもないものかと探したが見つからない。
ある扉からは美味しそうな匂いが漂ってきたのだが、
中を覗くと胡散臭そうなマスクをした連中ばかりだったので怖くなって逃げた。
その内、日が暮れてきた。ひもじさは益々つのるばかりである。
もう駄目かと思ったとき、突然串に刺さった肉が頭の上から降ってきた。
「あらぁ、また落としたんですの? あなたってば本当にドジですわね。」
「う……ちょっと考え事をしてたからね……。」
上でなにやら話し声が聞こえたが我輩の耳には殆ど入らなかった。
我輩の求めに求めた御食料様が、遂に目の前に降臨ましまされたのである!
我輩は串焼きに喰らいつき、それをあっという間に平らげた。
こんなに美味いものは無い! 何時以来とも知れぬ飯を食べた我輩はそう思った。
「物凄い勢いで食べられてしまいましたわね……。」
「とても嬉しそうな顔してる……。相当お腹が空いてたのかな?」
気付くと二人組みの連中が我輩の顔を覗き込んでいたにゃ。
よりによって我輩の『至福の瞬間』を見られてしまうとは……なんともバツの悪い思いがする。
「勿体無いことをしましたわね。さぁ、行きますわよ。」
「え、待って。放っておいたら可哀想じゃない?」
む、どうやら片方は脈ありとみた。
串焼きは美味かったが、正直あれしきでは我輩の腹を満たすには不十分である。
ここは何としてでも連れてって貰って、更なるご馳走にありつかねば。
我輩は口の周りの汚れを拭って、ちょこんと座りなおした。
そして自分を売り込むために、華麗で優雅なポージングをきめる。
どうにゃ、我輩を連れて行きたくならないかにゃ……?
「大方野良ですわよ。ほら、首輪とかも付いてないでしょう。
そんな汚らわしいケダモノを近づけて、
ワタクシのカー君が病気にでもなったらどうするんですの。」
この我輩の悩殺ポーズが効かないとは……。片割れの長身の女の方はかなりの難物である。
今更ながら気付いたが、肩には青く光る未確認生命体を載せて、その背中を撫で回していた。
世界の中で猫こそが最上級の種族だというのに、謎生物ごときにうつつを抜かすとは……。
「大丈夫よ、潔癖症ね。この子の面倒、私が見ることにするよ。」
もう一人の方は我輩のことを気に入った様子。狙い通りである。
我輩は更なる駄目押しにと彼女の足元にじゃれついて見せた。
「全く……下等生物を近づけることは、自分の品位を貶めることにもなりますのに……。
やっぱり獣使いには泥作業がお似合いと言うことなのかしら……?」
「そんな風にお高く留まってるから、いつまでたっても処女のままなのよ。」
「関係ないでしょ、大きなお世話よ!」
二人の間が一転して険悪ムードに……。なるほど、毒を吐くとはこのようにするのか。
「不愉快ですわ。ワタクシ帰らせていただきますわね。ごめんあそばせ!」
そう言い残すと背の高い方の奴は後ろを向いて何処かへ行ってしまった。
我輩のことを下等生物呼ばわりするような奴だ……いなくなって清々した。
「余計なこと言っちゃったな……。」
残ったもう一人が頭を掻いた。
そんなことないにゃ。あんな奴、罵詈雑言を浴びせかけられても当然の奴だにゃ。
だって我輩よりも謎生物のほうが上だと言ったんだにゃ。
「まぁ、いいや。とりあえず一緒に帰ろっか。」
そう言って彼女は小さな手で我輩の頭を撫でた。
「……独りぼっちじゃ、寂しいからね。」
こうして我輩はご主人に拾われることになったのである。
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