『Mugen 〜夢幻〜』 (1)
テレビから、聞き慣れた軽快な音楽が流れてくる。

『はーい!毎度お馴染み、BIG・SHOTの時間だよぉ〜!今週のトップバッターは……』

「ふあ〜〜〜ぁ」

ソファにだらしなく寝そべったまま、スパイクは大きな欠伸をした。
締まりの無い口元と、気の無い視線をテレビに向けて、ぼけーっと画面を見つめる。
別に、この番組が特別好きなわけではない。大して「使える」番組というわけでもない。
ただ、他に見たい番組が無いだけだ。

今日は珍しく、ビバップ号の中にはスパイク独りだけだった。
ジェットは、ついさっき夕飯の買出しに街に出た。
フェイは、先日賞金首(小者だが賞金額は悪くなかった)を捕まえて得た金で、カジノに入り浸り。
エドは、アインと共に散歩に行っている。

スパイクは元々、どちらかというと静かな生活環境を好む。
たまにはバカ騒ぎも悪くはないとは思うが、いつもうるさいのは好きではない。
誰かと一緒に居るのも嫌いではないが、独りの時間も大切にする。
よく騒ぎよく暴れる、跳ねっ返りのオンナとガキとケダモノが居ないこの時間は、スパイクにとって今や貴重なプライベートタイムだった。
……筈なのだが。

(つまんねぇなぁ)

小さく息を吐く。

(面白いテレビ番組なんか、何一つありゃしねぇ。
放送局も、もうちっと気の利いた番組を作れってんだよ。
折角、誰にも邪魔されずに独りでゆっくりする時間ができたってのに、退屈で仕方ねぇ)

心の中でぼやくが、その「退屈」の真の正体が何なのかまでは、彼は思い至る事はできない。

「ふあ〜〜〜ぁ」

もう一つ、大きな欠伸をする。
この前買った雑誌は全て読んでしまったし、今日のトレーニングメニューもこなした。
見たい番組も無い、する事も何も無い。

(仕方ねぇ、寝るか)

結局彼がする事は、他人がその場に居ようと居まいと、あまり大差は無いのだ。
テレビの画面から視線を逸らし、諦めるように目を閉じたスパイクは、あっという間に眠りへと落ちてゆく。

……まるで、夢と現実の境目が無いかのように。


*          *          *          *


火星の、大都会の真ん中に聳え立つ、巨大な建築物。
広い入口に、赤い龍の文様が描かれたビルの、奥まった所に在る一室。
その部屋の中には、幾つものモニターやコンピューターが並べられ、中央には、何本ものケーブルによってそれらのコンピューターと繋がった、妙に機械じみた外見のユニットチェアが置かれていた。
白衣に少し似通った衣服を身に着けた男が数名、コンピューターのモニターを睨みながら忙しくキーボードを叩き、またはユニットチェアのチェックを入念にしている。
その光景は、何かの開発か実験のような…どちらにしろ、やけに物々しい雰囲気だった。

シュン、と空気の鳴る音がして、部屋の扉が開いた。
組織の幹部である事を示す、特有のデザインのコートを身に纏った銀髪の青年が、隙の無い動きで静かに部屋に入って来る。

「ビシャス様」

男たちは作業を中断し、部屋に入ってきた人物に向かって丁寧に敬礼をした。

「例の準備は出来たか?」

感情の込もらぬ声で、その青年…ビシャスは、男たちの中で最も年配である中年男性に問う。

「はい。いつでも実行に移す事ができます…が」

男は、ビシャスの問い掛けに答え…ふと表情を曇らせた。

「何だ。何か問題があるのか」
「いえ、システム自体に問題はありません。ただ…」

ビシャスの、刃のように鋭い視線が自分に向けられている…たったそれだけで沸きあがってくる途方も無い緊張感に、背筋に冷たい汗が伝わるのを感じながら、それでも男は何とか声を絞り出した。

「余計な口出しかもしれませんが…たかが裏切り者一人を始末するのに、リスクが大きすぎるのではないかと…。
あそこには一般人も多数ダイブしていますし、もしも万が一、何か事故でも起こった場合、揉み消すのが面倒なのでは…?」

恐る恐る意義を申し立てる男に、ビシャスは淡々と答える。

「一般人も自由に出入りできる場所に呼んだ方が、警戒されずに済む。
まぁ、アイツの事だ…ワナだと解っていても来るだろうがな。
それに…揉み消しなどは必要無い。何処でも呼び出しやすい場所に呼べばいい」
「は?必要無い、とは…」

困惑する男に向かって、ビシャスは口元だけに乾いた笑みを浮かべて見せた。

「もうすぐ終わるからだ」
「……?」

怪訝な表情を浮かべる相手を見て、ふと考え直す。

「いや…もうすぐ始まるから、と言うべきか」

ビシャスはつかつかとユニットチェアに歩み寄り、深く腰を掛けた。
そして、チェアの背もたれに引っ掛けてあった、バイザーのようなもの…端末がユニットチェアと繋がっているのが見て取れる…を手に取り、それを頭から被る。

「メールを送れ」

ビシャスは、静かに命令を下した。
先ほどの不可解な言動と、静かだが有無を言わせぬ口調の命令に、男は少し戸惑ったが、「承知しました」と、丁寧に頭を下げ、部下らしき若手の男に目で合図を送る。
部下は小さく頷き、パソコンのキーボードを叩いた。
同時に、ビシャスの座るユニットチェアが、ヴン…と低い電子音を上げる。

(トラブルの火種になりそうな存在は、事前に潰しておくのが得策だ)

バイザーの裏側に広がる光景をじっと見つめながら、ビシャスは心の中で呟いた。

……クーデター実行の日を間近に控えたビシャスは、確実にそれを成功させる為、あらゆる堅実な手段を考察し、手を回していた。

しかし、頭の隅に引っ掛かる、あの男。
かつて、組織の上層部の人間たちに随分と可愛がられ、大きな期待を掛けられていたあの男の存在は、これから赤い龍の頂点に立とうと目論むビシャスにとって、邪魔なものだった。
例え、既に組織を裏切り、どこか他所へ去っていった人間とは言えど、かつてはあそこまで組織に取り入っていた男だ…何かの間違いで、厄介な障害になっても不思議は無い。

だが生憎、クーデターを間近に控えたビシャスには、彼の元に直接出向くような時間の余裕は無かった。
勿論、わざわざビシャス自身が彼の元に出向かずとも、刺客を送りつけて殺らせてもよかったのだが…。

(今生の別れだというのに、顔を突き合わす事も無く呆気なく終わってしまったのでは、お互いに心残りが多すぎる。
そうだろう、スパイク?)

ビシャスの口元に、暗く冷たい笑みがニヤリと浮かんだ。


*          *          *          *


ピピピピピ。
ピピピピピ。

電子音が、スパイクのまどろみを遮った。

「んあ〜…?」

眠た目をこじ開け、モサモサ頭をボリボリと掻きながら、面倒臭そうに起き上がる。

音は、リビングテーブルの上の「トマト」からだった。

『Mail to Spike−Spirgel』

画面にはそう映し出されている。

(…何だぁ?オレにメールたぁ珍しいな…。
まさかドゥーハンからの、ソードフィッシュのメンテ料の催促か?)

すっかり支払いを忘れ去っていた、愛機のメンテ料の事を今更思い出して、スパイクはメーラーを開こうとキーボードに伸ばした手を、一瞬引っ込めた。
先日、賞金を手に入れたばかりとは言えど、メンテ料を全て支払えるほどの金銭的余裕は無い。

「助けてもらった恩義もあるしなぁ…シカト、って訳にゃ行かねぇか」

憂鬱な顔でひとりごちて、ぽちっとキーボードのボタンを一つ押し、メーラーを開く。
分割払いって事で、何とか許してもらおう。そんな虫の良い事を考えながら。

……しかし、画面に映し出された文字は、スパイクのそんな予想を遥かに越える内容だった。

「!!??」

メールを見たスパイクは、思わず自分の目を疑った。

「何…だ、これは…?」

掠れた声で、呆然と呟く。

『墓地で待ってる http://○○○…』

スパイクの脳裏に、あの日の光景が蘇る。

不安と困惑の色に染められた、女の悲しげな瞳。
雨と一緒になって頭上に降り注ぐ、白い紙ふぶき。
濡れた路面に落ちた、一輪の紅い薔薇……。

(ジュリア…?いや、しかし…)

様々な想いが、疑念が、スパイクの頭の中を駆け巡る。
思わず「約束の場所」に向かって飛び出して行きたい衝動に駆られるが…。

暫く画面をじっと見つめていたスパイクだったが、とりあえずメッセージに添えられたURLにアクセスしてみる事にした。
キーボードのエンターキーをカチリと押すと、メーラーから画面が切り替わる。
そこに映し出されたものは…

『ようこそ、バーチャルワールドへ…。
あなたは、今居る世界だけが現実だと思いますか?
今の自分だけが、本当の自分だと思いますか?
今では無い時間。ここでは無い場所。
あなたはこの世界で、もう一人の自分を作り出せるのです。
違う自分を探しに行きませんか?
違う生き方を見つけてみませんか?
叶わなかった願望や理想を、この世界でもう一度追ってみませんか?
まるで、醒めない夢でも見るように…』

雄大なBGMと共に流れる、柔らかな女性の音声。
美しい星々が瞬く宇宙空間の映像の上には、

『バーチャルワールド・もう一人の自分へ』

という見出しが。

(見た事があるな。確かこれは…今流行ってるインターネットゲームだ)

スパイクは、つい最近ちらりと目にしたテレビのCMを思い出していた。
とはいえ、インターネットゲームなどには全く興味の無いスパイクは、これがどのようなゲームであったかまでは覚えていない。
スパイクはガイダンスに従い、メニュー画面を開いてゲームの説明を見る。

ざっと読んでみたところ、このゲームの世界背景は、現実世界をかなり忠実にネット上に再現したものだという事が解った。
プレイヤーは、人種や職業などをある程度自由に決めることができ、このバーチャルリアリティの世界の中で、正に「もう一人の自分」として生活することが出来るのだ。
昔から、そういった「仮想現実」的なネットゲームは数多くあったが、その殆どは現実とは大きく掛け離れた、独自の世界観を持っていた。
しかしこのゲームは、単純に現実世界を再現しただけであり、それがかえってバーチャルをよりリアルらしく感じる事ができるのだと、このゲームが紹介されていた時に、オタクっぽいコメンテーターが喋っていたのを、スパイクはぼんやりと思い出す。

(現実世界と、瓜二つの仮想空間…)

このバーチャルリアリティの中の「墓地」で、彼女は自分を待っているのだろうか?
それとも……。

(罠…?)

スパイクは、眉を顰めた。
背中を預け合うほどまでに心を許し合った、かつての親友。
今は憎む、あの男の姿を思い浮かべて。

「…………」

スパイクは口元に片手を当て、画面を見つめて何やら考え込んでいたが、やがて意を決したようにソファから立ち上がった。
わけの解らない部品だの、正体不明のガラクタだのが無造作に置かれている倉庫に足を運び、その中から何やら取り出す。

「また、コイツが必要だとはな…ゲンが悪ィぜ、ったく」

手にしたそれを見つめながら、スパイクは小さく息を吐いた。
危うく命を落としかけた上に、後味のあまり良くなかった、あの一件を思い出しながら。

それは、ついこの前…「スクラッチ」とかいう得体の知れない宗教団体の教祖であり、3800万Wの賞金首であるドクター・ロンデスを追った際に使用した、「ブレイン・ドリーム」という、バイザー型の脳波コントロール装置だった。
ゲームの説明によると、「バーチャルワールド」をプレイするには、このブレイン・ドリームが必要なのだと言う。

スパイクはブレイン・ドリームを片手にリビングへ戻ると、再びソファに腰掛けた。

(ジェットが留守で良かったぜ)

心の中で、ぽつりと呟く。

もしジェットがこの場に居たとしたら、当然「危険だからやめておけ」と自分を宥めただろう。
しかし、危険を承知でも止まる事のできない自分を、スパイクは知っている。
立ち止まるわけにはいかないのだ。過去にケリを付けるまでは。
そんな自分の姿を、スパイクはできる事ならばジェットに見せたくなかった。
ジェットがどれだけ辛い思いをしながら、危険へと飛び込んで行く自分の後姿を見送っているのか…本当は解っているから。

「これでよし、っと…」

ブレイン・ドリームのバイザーを装着したスパイクは、ガイダンスに従ってゲームを開始させた。

身長・体重・人種・髪の色・出身地・職業…。

とっとと目的の場所へと向かいたいというのに、キャラクター…つまり「バーチャルリアリティの中に生きるもう一人の自分」を作成する為に必要な、様々な細かいデータの入力を要求されて、イラつく。
スパイクは、自分以外の誰かになりたいと願った事など、ただの一度も無い。
考えるのも面倒なので、キャラクターデータは、本来の自分そのままに入力した。

『ようこそ、スパイク・スピーゲルさん!
新規のプレイヤー様には、もれなく2週間の無料お試しプレイ期間をプレゼント中です。
ゆっくりと、バーチャルリアリティの世界を楽しんで下さいね!』

女性の声が終わると同時に、バイザーの裏側には見慣れた風景が広がった。

漢字で書かれた看板が、至る所に氾濫する街。
途切れる事の無い人いきれ。
喧騒、馬鹿みたいな笑い声、耳障りな音楽。

何もかもが、自分の故郷である火星と、瓜二つ。
主観視点で展開されるこのゲームは、あたかも自分がその場に立っているかのようで、気持ち悪いほどのリアルさだった。
スパイクは一瞬眩暈を覚え、ここがビバップ号の中であるという事を忘れそうになる。

(仮想現実…か)

眉間にシワを寄せ、忌々しげに舌打ちする。
罠かもしれないという緊張感が、知らず己の表情を固くしていたのにふと気付き、スパイクは苦笑した。

これは、ゲームだ。
罠だろうと、そうでなかろうと、関係無い。
あの場所に、本当に彼女が居たとしても、現実には手の届きようも無い。
何があったとしても…それは所詮、ニセモノの世界の出来事に過ぎないのだ。

「せっかくのゲームだ。楽しめよ」

自分自身に向かって小さく呟き、皮肉っぽく笑んで、スパイクはゲームの中で歩を進めた。
約束の、あの場所に向かって。


*          *          *          *


「ターゲットがアクセスしてきました」

コンピューターのモニター画面を見ながら、忙しくキーボードを叩いていた男が、ユニットチェアに座っているビシャスに言った。

「来たか」

ビシャスの目が、待ちわびた獲物をようやく発見した獣のような、鋭い光を帯びる。

唯一無二の、自分の「片割れ」だと思っていた、あの男。
しかし彼は、自分以外の他の誰かに「片割れ」を見出し、ここを去って行った。
あの日から、ビシャスは天国を追い出された悪魔になった。
この世に信じるものなど、何も無い。信じる人も。
……それなのに、あの男はのうのうと生きている。
自分以外の誰かの傍に、居場所を見出して。

新しい天国を手に入れたとでも思っているのか?
そんなくだらない幻想や夢も、お前が見るにはおこがましい代物だ。
お前を生かせるのは、俺だけだ。
お前に居場所があるのだとしたら、それは俺以外の何処でも無かった筈だ。
それをお前は踏み躙り、ここから去っていった。
お前は俺と同じく、神に背き天国を追い出された、地獄に堕ちるべき悪魔だ。
だというのに、お前は夢の中の天国で、呑気に生き続けている。
その罪深さ…俺のこの手で、解らせてやろうではないか。

「ウイルスの準備だ」

ビシャスの要求に、「整っております」と応えが返ってくる。

「さぁ、来い…スパイク。いい夢を見せてやろう…」

穏やかとも言えるビシャスの声音の裏には、限りなく深い闇が在った。

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