「よォ。あんた、このゲーム初心者かい?」
背後から呼び止められ、スパイクは振り返った。
そこには、茶髪の男がニヒルな笑みを浮かべて立っていた。
ジェット同じくらいの背丈の、ガッシリした体躯の男だ。
「あ、あぁ…。何で解る?」
「動作が、微妙にぎこちないからな。でも大丈夫だ、すぐ慣れる。
もし何なら、このゲームの事、色々とレクチャーしてやってもいいぜ?
ネットの世界で生活するにも、金がいる…あんた、職業は何を選択したんだ?」
ノリの良い口調でまくし立てられ、スパイクは無意識に仏頂面になる。
(煩いヤツは、好かねぇ…それに、こっちゃ急いでるんだ)
無視してさっさと目的の場所に向かいたいところだが、このゲームについて自分が全くの無知である事は、紛れも無い事実だった。
知っておいた方が良い知識も、もしかしたらあるかもしれない。
「賞金稼ぎだが…」
面倒臭そうに渋々口を開き、男の問いに答えるスパイク。
「ふーん?もしかしてリアルの世界で、カウボーイ稼業に憧れてるクチか?」
「え。あ、いやぁその…」
「実は俺、リアルで賞金稼ぎをやってるんだぜ〜。
あんた、BIG・SHOTって見てるかい?
3800万の賞金を掛けられてた、スクラッチの教祖がよぉ…」
(……世間話に突入しやがった)
スパイクは思わず目を剥いて、額に手を当てる。
どうでも良いような話題に付き合っている余裕など、こちらには無い。
「…でさ、その真犯人ってのが、実は子供だったらしいぜ。しかもソイツぁ…って、おい。アンタ聞いてるか?」
「あ〜、ちょっと待ってくれ。オレは人を探してるんだ。女を見なかったか?ブロンドのロングヘアで…」
言いかけて、スパイクは口を噤んだ。
考えてみれば、「彼女」がもし本当にここに来ていたとしても、現実世界と同じ外見だとは限らない。
我ながら間の抜けた質問をした、と思ったが。
「あぁ、そういえばさっきすれ違ったなぁ。ブロンドのロングヘアで、背の高い女のプレイヤー・キャラクターと」
「!!本当か!?」
「街外れの墓地の方に歩いてったぞ…って、オイ!ちょっと…!」
男の言葉が終わらぬうちに、スパイクは駆け出していた。
* * * *
そこは、現実世界のその場所と同じように、静かだった。
スパイクの目の前に広がる光景…無数の、石造りの十字架。
あの日、たった一人の女を、長い長い時間待ち続けた…「約束の場所」。
スパイクは神妙な面持ちで、墓地の中へと入る。
ゆっくりと歩を進めて行くと…やがてスパイクの視線の先に、佇む一つの後姿が現れた。
…毛先が緩やかにウェーブを描く美しいブロンドが、スパイクの網膜に焼き付く。
殊更ゆっくりと慎重に、その後姿に向かって近づき…。
「…ジュリア…?」
名を、呼ぶ。
静かな墓地に、スパイクの声がやけに響いた。
-------------刹那。
ゆうらりと、スパイクの視界が不自然に歪んだ。
「!?」
物凄い違和感。
同時に、酷い耳鳴りと眩暈に襲われる。
(何だ、一体…!?)
強い嫌悪感に必死で耐えながら、スパイクは周囲を見渡した。
墓地だった筈の景観は、今やその面影は無く、代わりに蒼い光の渦が、周囲を取り巻いている。
それはあたかも、海の中に居るかのようだった。
「ジュ…リ、アッ…!」
苦しげに喉から声を絞り出し、スパイクはもう一度名を呼んだ。
蒼い光の渦の中、自分の少し先に佇む人物の後姿に向かって。
呼び掛けに、相手はゆっくりと、スパイクを振り返る。
が、相手の顔がスパイクに向けられる前に、その姿は陽炎のように揺らめき、霞がかった。
「!?」
わけが解らず、動揺するスパイク。
探し続けていた女だと思っていたそれは、まるで煙か湯気のような、不定形なモヤへと変化した。
そのまま消え入ってしまうかと思いきや…ややあって、それは再び人の姿を象り始める。
「…そういう事かよ」
やがて、その姿がはっきりと具現化すると、スパイクは小さく呟き、乾いた笑みを口元に浮かべた。
* * * *
「たっだいまぁ〜〜〜。お散歩終了だよぉ〜〜〜っ」
「オンオンッ!」
能天気な子供の声と、元気なケダモノの鳴き声が、リビングに響いた。
「あれ〜?スパスパぁ、何やってるのー?ねぇねぇねぇねぇ〜〜っ???」
ソファに腰掛け、ブレイン・ドリームを装着しているスパイクを目ざとく発見し、エドは素早く走り寄る。
「ねぇってば〜、スパスパぁ??」
「…………」
返事が無い。
「ねえってば〜〜〜っ!!」
スパイクの両頬を摘み、うにーーーっと引っ張ってみる。
が、やはり返事は無く、スパイクはソファにぐったりと沈んだまま、ピクリとも動かない。
「…?スパスパ?」
スパイクの両頬から手を離し、エドは首を傾げた。
何かスパスパ、いつもと違う…?
「ウーーーッ…グルルルゥッ…!」
突然、エドの足元に居たアインが、スパイクに向かって唸り始めた。
「アイン…?どうしたの?」
「ウーッ!ガウッ!」
アインはスパイクの左足首に飛びつき、そこに牙を立ててガッチリと食らい付く。
目を丸くして、その様子を見守るエド。
…しかし、スパイクからは何の反応も返って来ない。
小型の犬とはいえど、まともに噛み付かれれば、大の大人が悲鳴を上げるほどの苦痛を感じるはずだというのに。
暫くそのまま食らい付いていたアインだったが、やがて諦めたように足首から口を離し、キュウゥン…と小さく鳴きながら、血の滲むスパイクの足首をいたわるように舐め始めた。
「スパスパ…?」
胸の中にザワザワしたものが広がって、エドはトマトのモニターを覗き込み、キーボードを叩く。
「えええっっ!?」
ややあって、事態を理解したエドは、思わず叫んでいた。
「リアルタイムハッキング…!?
何これぇ〜〜〜っ!エドのウイルス駆除プログラム、全部壊れちゃってる…!!
見た事無いウイルスが…コレ、まさか…!?」
エドは、変わらずぐったりとソファに沈んだままのスパイクを、慌てて振り返る。
「スパスパぁっ…ど、どうしようっ!?」
珍しく、顔色を変えて慌てふためく彼女の悲鳴が、ビバップ号のリビングにこだました。
* * * *
「お前にネットゲームをやる趣味があったとは、初めて知ったぜ。ビシャス」
ブロンドの後姿に成り代わって、目の前に現れた黒い影。
鋭い目をした銀髪の青年に向かって、スパイクは皮肉っぽく言った。
「必ず食いついてくると思ったよ。スパイク」
ビシャスもまた、冷たい笑みで応える。
「お前の為に、組織の最高技術者に特別に作らせた、ハッキングプログラムとウィルスだ。ありがたく思え」
「いい趣味してるぜ…全く」
吐き捨てるように言うが、スパイクは内心、かなり焦っていた。
先ほどよりはかなりマシになったが、眩暈は未だにおさまり切らず、その上キャラクターのコントロールが全く利かない。
「3年前の、あの日…ここでお前の姿を見たという目撃証言が、幾つかあった。
誰の墓を参るわけでもなく、長い間突っ立っていたとな。
墓場で女に待ちぼうけを食らう、か。滑稽なものだ」
「余計な世話だ」
この上なく不機嫌そうに返しながら、スパイクはこの場をどう切り抜けるかを考えていた。
(敵前逃亡は本意じゃねぇが…今回ばっかは、引き上げた方が利口だな)
ここは、スパイクには全く馴染みの無い、ネットの世界だ。
現実世界では戦闘能力に長けている彼も、このバーチャルリアリティの中においては、全ての事において無知で、勝手が解らない。
(あの小煩い茶髪男の説明、ウザったくても聞いときゃ良かったかな)
少し後悔しながら、スパイクはネットの接続を切る為に、頭に装着したバイザーに手を伸ばそうと試みた。
……が。
身体が全く言う事を利かない。
「!?」
狼狽え、再び腕を動かそうと試みるが、指一本たりとも自分の意思通りに動かす事はできなかった。
「気付いたようだな」
愕然とするスパイクを見て、ビシャスはククッと低い笑い声を上げる。
「お前の身体と意識は、もはやお前のものであってお前のものでは無い。
こちらのプログラムによって、お前の脳波はコントロールされ、ネットの海深くへと意識を沈められているのだ」
「何…?」
ビシャスの言葉の意味をはかりかね、呻くように問い返すスパイク。
「お前を生かすのも、殺すのも、この俺の自由だという事だ」
答えるビシャスの目は、獲物を捕らえた肉食獣のような、獰猛な歓喜に満ちていた。
* * * *
夕飯の買出しから帰宅した、ビバップ号の主婦…もとい主夫は、ホクホク顔でリビングへと向かう通路を歩いた。
両手には、たっぷりと食料を積め込んだ、大きな買い物袋が幾つもぶら下がっている。
今夜のメニューは、肉がたっぷり入ったチンジャオロースー、海産物がたっぷり入った八宝菜、豪華フカヒレスープ。デザートに杏仁豆腐もあるし、アインにも高級ドッグフードを買ってきてやった。
ここ最近、まともな食事に殆どありつけなかったビバップメンバーたちが、歓声を上げて喜ぶ顔が目に浮かぶ。
フェイはおそらく今夜あたりに、カジノにしっかり預金をし終えて、沈痛な面持ちで帰宅するだろう。
育ち盛りの欠食児童も、今日の夕飯を心待ちにしているはずだ。
腕によりを掛けて、とびきり美味い料理を作ってやろうと、ビバップ号のクッキング・パパは意気込んだ。
「帰ったぞー……んん?」
上機嫌で、リビングの狭い入り口をくぐったジェットの目に飛び込んできたのは。
ジェット自身が酷い目に遭わされた、あのバイザー型の装置を頭に付け、ソファに沈み込んでいるスパイクと、テーブルの前にひざまずいて必死にトマトのキーボードを叩くエドの姿。
「何だ…?どうしたんだ?」
何やらイヤな予感がして、ジェットはその場に買い物袋を放り出し、二人の傍に駆け寄る。
「おい、スパイク…?おい!」
ぐったりしている相棒に声を掛け、身体を揺するが、反応は無い。
「おいエド、一体何があったんだ?」
「にゃあぁ〜〜〜っ!うきーーーっ!」
情けない声を上げて、頭を掻き毟るエド。
「スパスパが、ネットの海から上がってこれないのぉ〜っ!」
「な…そりゃ、どういうこった?」
問い返すジェットに、エドは半分ベソをかいたような顔で答える。
「トマトが、見た事も無いような強ぉ〜いウイルスにやられちゃって…ハッキングされて…。
スパスパの脳波が、ハッキング元の誰かにコントロールされてるんだよぉ〜っ」
(何だと…っ!?)
ジェットは青ざめ、相棒を振り返った。
咄嗟に、スパイクが装着しているブレイン・ドリームを外そうと、手を掛ける。
「あーっ!!ダメだよぉ、ジェット!!」
エドの大声に、ジェットはすんでのところで動きを止めた。
「何でだよ!?コイツを取っちまえば済むんじゃあ…」
「ダメなんだよぉ〜。
スパスパの脳波はハッキング元でコントロールされてて、意識体がネットの海の底に沈められてる。
それを無理矢理外したり、トマトの電源を落としたら、スパスパ、二度と目が覚めなくなっちゃうかも。
ネットからスパスパを切り離したら、スパスパの意識体をそのままネットの世界に取り残す事になって…スパスパ、植物人間になっちゃうよぉ〜!」
「っな…!!」
あまりに衝撃的なエドの説明に、ジェットは愕然とした。
『汚れた肉体を捨て、人は純粋な精神のみの存在となるべきだ』
そんな馬鹿みたいな思想を掲げ、やりたい放題に世間を騒がせた、あの宗教団体と…その全てを仕組んだ、植物人間状態の少年の姿が、脳裏に蘇る。
(あの事件は終わったってのに、今更スパイクは精神だけの存在とやらになっちまうってのか!?
まるでいつも夢の中に居るみたいに、現実感の乏しいコイツだが…本当に醒めない夢を見続ける羽目になっちまうってのか!?
冗談じゃねぇぞ…冗談じゃねぇっ!!)
「おいエド…っ。どうにかならねぇのか…?」
思わず怒鳴り散らしたくなる衝動を堪え、震える声でジェットは尋ねた。
「にゃ〜っ……んむぅ〜……」
エドはトマトのモニターを見つめながら、気難しい表情で考え込む。
(頼む…エド。お前だけが頼りなんだ…!)
祈るような気持ちで、エドの返答を待つ。
リビングを支配する沈黙の時間は、ジェットにとって5年にも10年にも感じられるくらい、長く辛いものだった。
「…ビバップのメインコンピューターを使わせて?」
暫くの間の後、エドが口を開いた。
「トマトがウィルスにやられちゃって制御不能になってる状態じゃ、どーにもならないから。
まずはトマトの中で暴れてるウィルスをやっつけるプログラムを、ビバップのメインコンピューターを使って新しく作るね。
それからハッキング元を割り出して、二度とこっちに悪さできないようにエドのウィルスを送ってあげるの。
それでこっちが安全になったら、スパスパの意識体をネットの海から引き上げるね!」
「できるのか?」
不安げなジェットの問いに、エドは首を傾げた。
「んー、わかんない…見た事ないウィルスだし…でも、がんばってみる」
決して頼り甲斐のある返答とは言えなかったが、いつになく真剣なエドの目を見て、ジェットは息を吐いた。
「…解った。頼んだぞ、エド。もし俺に手伝える事があったら、すぐに言ってくれ」
「あい〜〜〜っ!!」
大きな返事と同時に、エドは跳ね上がるようにして立ち上がり、ビバップ号のメインコンピューターに向かって走っていった。
(…とは言っても、俺にできる事なんて殆どねぇだろうな…)
走り去るエドの姿を見ながら、ジェットは己の無力さに苛立った。
決してコンピューターに弱いわけではない…むしろかなり強いぐらいのジェットだが、天才ハッカーであるエドの手にも余るような非常事態なのだ。いくら何でも、自分の手に負えるようなヤマではない。
ジェットは、ソファに沈み込んだまま動かない相棒の横に、そっと腰を下ろした。
脳波を「コントロール」されているコイツは、一体どんな「夢」を見ているのだろうか。
顔を覗き込むが、バイザーで目元を覆われている為、その表情を窺い知る事はできない。
「…何でこんな事になっちまったんだ…お前は一体何をしようとしたんだ?
ネットの海の中で、お前の身に何が起こってるんだ…?」
無論、答えは無い。
ウィルスに冒されたトマトは不安定で、いつ止まっても強制終了が掛かっても、不思議ではない。
実際、これが普通のパソコンだったら、とっくの昔に完全に壊れてしまっていただろう。
天才児エド自作のパソコンだからこそ、こんな風になってもオンライン状態を保つ事ができているのだ。
ジェットはスパイクの手を強く握り、祈りを捧げるように目を閉じた。
コイツは、一所に留まるようなタマじゃねぇ。
まるで渡り鳥のように、突然ふらりと現れ、その場に居付き、いずれは更に居心地の良い場所を求め、飛び立っていく。
いつかは、この船…俺の元からも、去って行く日が来るのかもしれないと思っていた。
もしもそれが永遠の別れになっちまったとしても、コイツががんじがらめになっちまっている「過去」という名の鎖を断ち切り、自由に空を飛べるようになれるなら、それでもいいと思っていた。
だが…こんな終わり方があるか!!こんな別れ方があるかよ!!
ヘタに死に別れるより、100万倍タチが悪ぃぜ、相棒よ…!!
「このスットコドッコイが…早く戻って来やがれ…!!」
ジェットの、搾り出すような掠れた声は、痛々しい響きを伴ってリビングに落ちた。
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