「…あれ。ジェットとスパイクは?」
ジェットの予想通りに浮かない顔で帰還したフェイは、リビングのドアをくぐるなり、ぐるりと周囲を見渡して言った。
「んとねー、スパスパがネットでグッタリで、おはようさ〜んで青いお顔だったから、ジェットと一緒におやすみなさ〜いなの」
テーブルの脇の床に座り込んでトマトをいじっているエドは、モニターから目を離さずに応える。
相変わらず内容の掴み難いエドの言葉だが、どうやらスパイクの具合があまり良くないらしいという事と、ジェットと二人でオヤスミ(本当に休んでいるかどうかは怪しいもんだが)中だという事は理解できた。
「じゃあ、夕飯の準備はまだってワケね?
あ〜〜あ、お腹空かせて帰ってきたってのに…。カラッポなのは財布の中身だけで充分よ…」
「悪〜いわる〜い、レッドドラゴンちゃんのせいだよぉ〜」
エドの何気ないセリフに、フェイの仏頂面が一瞬で険しくなる。
「レッド…ドラゴン!?何よそれ、何かあったの!?」
「はにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
凄い勢いで走り寄って来たフェイに、ガシッと両肩を掴まれてガクガク身体を揺さぶられ、エドは奇妙な声を出した。
「ちょっとっ、何があったのよ!モサモサは…スパイクは無事なわけっ!?」
「はにゃにゃにゃ、スパスパわぁあぁ、お顔ちょこっと青かったけどぉおぉ、平気だってぇえぇ、言ってたよぉおぉ、にゃにゃにゃにゃ」
「……そう」
返答に、フェイはエドの両肩から手を離した。
エドは暫く、目を回したようなボーッとした表情で座り込んでいたが、やがて何事も無かったかのように再びキーボードを叩き始める。
フェイは苛立ったような苦虫を噛み潰したような顔で、ソファにどっかりと腰掛けて足を組むと、テーブルの上に置いてあった赤のマルボロを一本失敬し、火をつけた。
レッドドラゴンの名を聞いて、思わず慌ててしまった自分が何だか気に入らない。
フェイはタバコを口に咥えたまま虚空を眺め、あの男の事を頭に思い浮かべた。
たった一度だけ遭った事のある、あの銀髪の青年。
スパイクと、どんな関係だったのかは知らないが…いや、何となく予想は付くのだが…きっとまたちょっかいを掛けて来るとは思っていた。
「…ビシャス」
タバコの煙を深く吸い込んで、吐き出しながら、小さくその名を口にする。
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
まるでその名が、決して口にしてはならない禁呪のように思えた。
その呪文で、開いてはならない扉が開かれようとしている。
フェイには、そんな気がしてならない。
その呪文に魅入られ、忘れる事ができずに唱えてしまったから…『あの人』も死んでしまったのかもしれない、と思った。
心の奥を見透かすような、青く澄んだ瞳。
この上無く穏やかで、優しい微笑み。
いにしえのギリシア神話を思い起こさせる、神秘的な姿の青年。
もう二度と、会う事は無い…。
フェイは、胸の中が締め付けられるように痛むのを感じた。
彼らが、禁じられた呪文に何を求めているのか、自分には解らない。
いや…何故か解るような気がするからこそ、考えたくも無い。
「男って…バカだわ」
「バカぁ〜〜〜?」
フェイの呟きに、エドがくるりと振り返った。
「誰がバカですか〜?スパスパですか、ジェットですか〜?」
「両方よ」
低いトーンで、間髪入れずに答えるフェイに、エドは「お〜〜っ」と大きく頷き、妙に納得したような表情で、再びトマトのキーボードを叩く。
(でもきっと、アタシも人の事言えないんだわ)
短くなったタバコを灰皿に押し付けながら、フェイは心の中で溜め息を吐いた。
他人の事など関係ないと、切って捨てる事もできない。
ジェットのように、相手の生き様を受け入れて、ある意味で割り切る事もできない。
そんな自分が、きっと一番バカで滑稽なのだろう、と。
----------禁じられた呪文で開かれた扉は、何処に通じているのだろう?
テーブルの上に無造作に置かれたマルボロの箱を見つめながら、ぼんやり思う。
その扉の向こうには、開けた者が待ち望んでいた光景が広がっているのかもしれない。
彼らはその扉をくぐって、本当に還りたい場所に還ろうとしているのかもしれない。
「あーーー!!やだやだ、もうヤメヤメっっ!!」
突然ソファから立ち上がったフェイの大声に、エドの横で居眠りをしていたアインがビクッとなって、もの言いたげな目で彼女を見る。
その視線を全く無視して、フェイはいきり立ったようにズカズカと大股でリビングから出た。
自室の入り口まで、肩を怒らせながら歩き、ドアノブに手を掛け…ふと、動きを止める。
「……そんな扉くぐらなくたって別の道もあるって事、あのモサモサの馬鹿男に、アンタがちゃんと教えてあげなさいよ……ジェット」
誰も居ないその場所で、小さく小さく呟いて……
フェイは静かに、自室へと入っていった。
* * * *
僕が暗闇を恐れてるのは
いつか そのまま溶けていきそうだから
ほんの小さな灯りでもいいさ
僕は輪郭を取り戻す
冷えた指先を温めようと
自分の両手を合わせてみても
僕の悲しみが行き交うだけで
それは祈りの姿に似ていた
幻想とじゃれ合って 時に傷つくのを
あなたは無駄だと笑いますか?
元より この世こそが夢幻だとしたら
空架ける虹を行こう
* ポルノグラフティ「Mugen」より*
−end?−
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