Étolie sérénade le troisième mouvement
三日後、『』のリサイタル当日。はホームルームが終わるや否や第三音楽準備室に急いだ。もちろん、駆けたりなどはしない。第三音楽室の扉には、のリサイタルを示すポスターが貼られていた。それを見ている女生徒たち(席指定は無いので並んでいるのだ)の横をそっと抜け、第三音楽準備室の扉を開けた。
「、早かったな」
「…いつ来ても鏡夜先輩は早いんですね」
「第三音楽室の鍵を持っているのは俺だけだからな。俺が早く来ないと意味がない」
「それはそうですね」
は鞄を置くと自分の手でカツラを外し始めた。地毛が絡まないようにゆっくりと。
「はいはーい、のリサイタル開始まではまだ時間があるから待っててねー」
「準備するから通してくれるー?」
双子の登場に、扉の前にいる女生徒が沸きあがる。
「きゃあ、常陸院さまよ!」
「光くーん!馨くーん!」
「「もうちょっと待っててね、お姫様たち」」
二人はさっと扉を開けると素早く中に入って扉を閉めた。鍵をかけようとしたときに、外からの声に気づいた。
「ちょっと…通してもらえませんかー…」
「ハルヒくんよ!」
「ハルヒくん、今日も可愛いわ!」
「はぁ…どうも」
馨は少しだけ扉を開けると半身だけ出してハルヒの手首を掴む。骨ばってなどいない、女の細い手首。
「ハルヒ、早く入れ!」
「あ、うん、じゃあまた…」
手首を掴んでハルヒの身体を抱え込む馨のしぐさにまた黄色い声が上がった。
「…いつの間に模様替えが?」
ハルヒが見た室内はいつも通りの風景ではなく、小規模なコンサートによくありがちな壁際の舞台(に一台のグランドピアノ)とそれを囲むたくさんの椅子、という風景になっていた。椅子はもちろんいつもの椅子なので、アンティーク家具だったり一点ものだったりする貴重なものばかりだ。
「さあ?いつも知らないうちにこうなってるよ。鏡夜先輩んちの人たちじゃねーの?」
「はぁ…。すごいと言うべきなんだろうな…」
「「ー!メイクアップの時間だよー!」」
控え室に繋がる扉を開けると同時に双子はそう言って、メイクボックスとボストンバッグをテーブルに置いた。
「え、化粧…?は男じゃ」
「甘いなハルヒ。男も化粧するもんなんだよ?アイドルしかり俳優しかり」
「そういうのはテレビ映りとか…」
極度のアップに耐えるためなのでは…というハルヒのぼやきを放って、双子はメイクボックスを開け、ボストンバックの中から衣装を取り出している。もちろんサラシも。
「はい、ハルヒよろしく」
「…ああ。、じゃなかった、、こっち」
カツラを外した状態のと一緒にカーテンの内側に入る。外からは早くーという双子の声がユニゾンで聞こえていた。
「毎日ごめんね」
「いいよ、一人で巻けるもんじゃなさそうだし、がここに入ってくれて自分も嬉しいし」
「本当?良かった」
「本当だよ。だって…」
この部の人たち、とても常識が通じる人たちじゃないんだ…。ハルヒは心の中でそう言いながら、の胸にサラシを巻いていく。自分と比べてもふっくらとした形の良い胸。大きさを聞いたことはないが、Cぐらいはあるだろう。
「ハルヒ、巻くのが上手くなったね」
「そうかな?きつくない?」
「大丈夫。そうだ、ハルヒ、クラシックで好きな曲はあって?」
「……クラシックってあんまり聞いたことがなくて…。でも、そうだなあ、ジムなんとかって曲がきれいだった」
「ジムノペディかしら?」
ハルヒはサラシを巻き終わり、は光が手渡してきたシャツを羽織ってボタンを留めた。飾りボタンなので留めにくい。
「そうそう、そんな名前」
「エリック・サティが作曲した、ピアノ曲よ。…今日のリサイタル楽しみにしててね」
「…?うん」
一番最後のボタンを留めたハルヒは首を傾げながら、頷いた。クラシックの良さというものはいまいち分からないし、あまり馴染みもないのだが、の弾くピアノやバイオリンはきれいだと思っていた。
双子が用意したのは一つ釦のタキシードで、フリルのあるウィングカラーシャツに蝶ネクタイというスタイルだ。もちろん、靴もレザーの格があるものになっている。
「あとは髪とメイクだね。馨、髪の毛頼むよ」
「オッケ。光はメイクな」
の前に光が立ってメイクを、後ろに馨が立ってスタイリングをしている。時折鏡を持ち合って、それぞれを確認していた。
「うん?…じゃなかった、はメイク中かにゃー?」
環が上機嫌で入ってきた。後ろには光邦と崇が続いている。
「ちゃんお化粧してるのー?」
「ええ……わっ」
続けて喋ろうとしたの顔を光が頬の両側を掴んで前に向けさせ、自分の顔を近づけた。額がくっつけられるほどの距離に環が指をさして抗議している。
「光ー!!離れろー!!」
「離れたらメイクできないでしょ、殿。、もうちょっと黙ってて。メイクもスタイリングもずれる」
は小さくあごを引いてうなずいた。双子は最後の仕上げとばかりに忙しく手先を動かし、リサイタルバージョンのが出来上がった。
「わーちゃん可愛いー」
ショートの髪にはワックスをつけてラフな感じの動きを出し、鼻梁と顎のラインに薄くシャドーを入れて陰影をつける。目をより印象的に見せるためにアイラインを入れ、透明なリップで唇につやを出した。女性ならチークやマスカラ、アイシャドウもいれるところだが、は男なのでそうは出来ない。
「ー!!」
が鏡を覗いているときに、思いっきり横から環が抱きついてきた。
「環先輩!?」
「可愛い…いつもよりさらに可愛いよ!」
「ありがとう、ございます…」
環が超近距離でを見つめているので、自然との頬が染まった。ちらりと鏡夜が壁にかけられた時計を見やる。四時まで、あと五分。
「。そろそろ時間だ」
「はーい」
環の腕からするりと抜け、はテーブルに置いてあるバイオリンケースからアマティを取り出し、楽譜も持って第三音楽室に入っていった。光邦を抱えた崇が続き、双子にハルヒも続いて出て行く。
「…環、時間だぞ」
「ふぁい…」
からあっさりと去られたショックで、膝を抱えて涙を浮かべていた環は立ち上がってズボンの埃を払う。
第三音楽室の壁際にある舞台の横でがバイオリンの音を確認していた。他のホスト部員は全員扉近くに並ぶ。そしてハルヒがそっと扉を開けた。
「おいでませ、お姫様。サンセット・リサイタルへようこそ」
扉の向こうで並んでいる女生徒は興奮を隠し切れない様子だったが、そこはお嬢様、人を押しのけて最前列を狙うような客はいなかった。一人ずつ、部員に案内されて席につく。
ずらりと並べられている椅子が期待の目に満ちた女生徒で埋まり、ホスト部員は舞台袖に並ぶ。
「それでは、ホスト部部員、によるリサイタルをお楽しみくださいませ」
鏡夜の声に、はピアノの前に出て、深くお辞儀をした。拍手が巻き起こる。ピアノの屋根に布を引き、その上に乗せたアマティを取って、譜面台の前に立った。がアマティをあごではさみ、弓を構えたところで音楽室内は静寂に包まれる。
曲は、G線上のアリア。バイオリンのG線という、一つの弦だけしか使わないように編曲されたバイオリン独奏曲で、はたちまち音楽室内の空気の色を変えてしまった。誰もが息をつめて演奏に聞き入っている。
バイオリン曲を三曲弾いたところではバイオリンを肩から下ろし、舞台に上がってきた馨に手渡した。光は譜面台を片付けている。崇と鏡夜でピアノの屋根を開け、は固唾をのんで見守っているお客たちににっこりと笑いかけた。
「くん…!!」
「リラックスしてどうぞ。音楽は、音を楽しむものだから」
そう言うと椅子に腰かけ、両手をそっと鍵盤に乗せた。ショパンのノクターン、第二楽章。甘美で感傷的な旋律が女生徒の胸を熱くする。
「素敵…」
が声をかけたこともあるのか、ほうっと息をもらすお客や、呟くように喋るお客も現れてきた。息をつめて、一音でも聞き漏らすまいと臨まれるより、こうやって感想を素直に口にされるほうがは好きだった。弾きながら自然との口の端が上がる。
ショパンのノクターンを数章弾いた後、は手を止めた。
「私は、ショパン弾きなんだ。今度からは他のものも弾くけれど、今日はショパンだけでいいかな」
「はい……!」
「ありがとう」
はにこっと笑って、またピアノに向き合った。
ショパンのピアノソナタを弾き、そして部員の前で一番最初に弾いた幻想即興曲を弾く。やがて刻限が迫ってきた。
「最後の一曲は、私から、リクエストをくれたあなたへのプレゼント」
そしてそっと舞台横の部員を見た。環が視線を捕らえてドキドキと胸を高鳴らせる。
弾きはじめたのは、エリック・サティのジムノペディ。ハルヒがリクエストした曲だった。
「…」
ハルヒがぽそりと呟く。着替えのときに尋ねていたのはこれだったのか。前聞いたときよりも数段優しい響きの、ジムノペディだった。
「さて、お名残惜しいかとは思いますが、以上でリサイタルは終了でございます。これより通常営業に戻しますので、しばし御退席頂いて…」
「鏡夜先輩、待って下さい」
「?」
「ピアノの周りは使わないでしょう。ご来店のみなさまはピアノの周りへどうぞ。リクエストをお受けしますよ。その間、みんなはセッティングを」
の提案にお客たちは小さな歓声を上げる。鏡夜は少し戸惑った目でを見た。
「いいのか?」
「ええ。そんなに時間はかからないでしょう?御退席頂くよりは、こちらのほうがお楽しみいただけるし」
「…分かった。では、ご来店のみなさまはグランドピアノの傍へ。本日お帰りのお客様は、次回のご来店をお待ちしております」
接客予定のお客たちがわっとグランドピアノに集まってきた。それを尻目に部員たちはせっせとテーブルを運ぶ。
「大丈夫なのか?は。接客したこともないのに」
「心配ならさっさと準備することだ」
不安げな環に鏡夜はそう言って、使わない椅子を片付ける。環もテーブルを運んだ。
グランドピアノではたくさんの女生徒に囲まれたがにこやかに接待をしていた。
「今日のリサイタルはいかがだったかな?」
「素敵でしたわ!ショパンがお得意なんですのね!」
「ショパンが好きなんだ。でも他のものも弾けるから、気にせずリクエストをどうぞ。そうだな…そちらのお姫様どうぞ」
が指名したのはボブカットの女生徒で、彼女は瞬く間に頬を染めた。
「あたし…?えっと、その、ベートーベンの月光を…」
「分かったよ。ベートーベンピアノソナタ第十四番、月光。君のためだけに」
映画に使われることも多い、有名なピアノソナタが音楽室内に響き渡る。ショパンを弾いているのとはまた違う音色だ。
「ところで、いつの間にリクエストなんて受けてたんだ?」
「だっては接客してないはずだよな?」
双子は不思議そうに首を傾げながら、テーブルを運んでいる。椅子を片付けていたハルヒはそっと微笑んだ。がハルヒだけに贈った、ささやかなプレゼント。秘密にしておきたかった。聞けばはとてつもないお嬢様らしいのだが、言葉遣いや物腰が丁寧で、ちょっと無知なところもあるけれど、中身は普通の女の子だとハルヒは思う。この学校に来て、初めて出来た女友だちだ。大事にしたい。
最後の一音をそっとの指が奏で、は鍵盤から手を離した。
「ありがとう、くん…!!」
「喜んでいただけて何より。そうだな、あと二曲は弾けそうだ。お姫様、リクエストはありますか?」
ピアノの傍に立っている、ふわふわの髪をした女生徒に声をかける。
「えっと、くんには簡単すぎるかもしれないけれど…」
「そんなことないよ。君のために弾く曲だ、どんな曲も等しく難しい。なぜなら、この私の気持ちが伝わるように想いをひたすらにこめているからね」
「くん…。その、トロイメライをお願いしたいの」
「OK。シューマンのトロイメライ、君のためだけに」
トロイメライが響く中、鏡夜と環はぼそぼそと作戦会議をしている。
「環、どうだ。あれならすぐに接客できそうだな」
「いつの間にあんなテクニック身につけたんだ、…じゃなかったは」
「地みたいだよ、殿」
「教室でもあんな感じだもんな」
いつの間にか双子も加わっている。
「うーむ、じゃあ来週からにも接客してもらうか」
話している間にトロイメライは終わった。テーブルと椅子は並べ終わっているが、テーブルセッティングやお茶の準備がまだ出来ていない。双子がテーブルセッティングを、ハルヒがお茶を淹れる準備をしている。
「じゃあ、最後にこれを私からみなさんへ。リスト、愛の夢第三番」
ひたすらにロマンティックな音色に、お客の女生徒だけでなく環までうっとりしている。双子は椅子に腰掛けて興味深そうに、鏡夜は指名客の順番を確認しながら聴いていた。ハルヒは準備室でお茶を淹れる準備をしていたが、準備室にまで、の弾くピアノは聞こえてきていた。ハルヒはあまりピアノを聴いたことがない。学校の音楽の時間を除けば、ほとんどクラシックに触れたこともない。もちろん、音楽史は知っているのだが、音と結びついてはいなかった。しかし、の指から奏でられる音楽を聴いていると、世界中の人たちがクラシックを愛する気持ちも少しだけ分かるような気がした。
光邦と崇も双子と同じように椅子に腰掛けて、まっすぐにを見ながらピアノを聴いていた。自分たちが、ずっと守っていく女性。光邦と崇は小学校の頃まで、夏休みなど長期休みには京都の本家に顔を出していた。もちろん、親と一緒に。親同士の長い話が終わると、光邦と崇はいつもの部屋を訪れた。は音楽室でピアノかバイオリンを弾いているか、それでなければ自分の部屋で本を読んでいるような、大人しい子どもだった。けれど、光邦や崇がやってくると、はいつでも読書や演奏を中止して二人と遊ぶことを優先させた。広い広い庭でかくれんぼをしたり、桜蘭で起きた面白いことを光邦たちがに教えたりもした。中学に上がってからは、二人とも部活動で忙しく本家には行く時間がなくなった。電話でたまに話すことはあっても、実際に会う機会は全くなかった。高校に上がってからも同じで、二人がに会ったのは五年ぶりになる。髪の長く大人しくて小さな女の子は、いつの間にか髪を切って一人で社会に飛び込んでくるような、女性になっていた。どう変わっても、二人がずっと守っていくことには変わりない。
がピアノを弾き終わると、グランドピアノを囲んでいる女生徒たちから、うっとりとしたため息とともに拍手が起こった。部員も拍手を送っている。
「ありがとう。では、部員たちと憩いの一時をお楽しみ下さい。私はこれで」
グランドピアノの蓋を閉め、楽譜とバイオリンを持っては控え室に戻った。荷物を置き、小さく伸びをして肩をまわしたところで、さっそくお茶の注文が入った。
「、お茶を三人分。環と篠塚さま、久米林さまだ」
「分かりました」
ハルヒが準備をしていたので、すぐに取り掛かることが出来た。いつものようにお茶を淹れ、注文を告げた鏡夜が取りに来るかと思いきや、鏡夜は注文を取りに回っていて忙しい様子だった。
「仕方ないね」
シルバーのトレイに紅茶ポットとティーカップを三つ、シュガーポットにお客が使うミルクを温めてクリーマーに入れ、それもトレイにのせる。かなりいっぱいいっぱいだ。そっと控え室の扉を開け、環の場所を確認すると、ピアノの傍にあるテーブルに環とお客が二人ついていた。楽しそうに談笑している。
「お姫様、お茶をどうぞ」
ティーカップを二人の前に置き、環の分も置いてからお茶を注ぐ。シュガーポットとクリーマーをテーブルに添えて戻ろうとしたところで、トレイを持っていた手を環に掴まれた。
「環先輩?」
「篠塚姫、久米林姫、いかがだったかな、のリサイタルは」
「素晴らしゅうございましたわ。来週はどんな曲目をおやりになりますの?」
篠塚姫の問いにはトレイを片手に抱えたまま、空いている片手の人差し指を唇に当て、にっこりと笑う。
「それはシークレットですよ」
のしぐさに、お客二人だけでなく、環までぽーっとしてしまっている。シークレット、というよりはまだ決まっていない、が正解だが。
「ヒントを下さらない?」
久米林姫の言葉には少し目線を外にやった。
「そうだな、私はショパン弾きですからロマン主義が好きだ、というぐらいですかね」
もちろん、バッハやベートーベンも好きですが、と付け足しては二人のお客に笑って見せた。
「じゃあ、今日おやりになったリストやシューマンなんかもお得意でらっしゃるの?」
「ええ、好きですよ。ロマン主義の音楽は技巧的だが抒情性に満ちていて、うら若い乙女たちに聴いていただくには実にふさわしい音楽ですからね」
「くん…」
「おーい、ー」
光から声をかけられたはすいません、と言ってその場を辞して双子のところへ移動した。
「光、なに?お茶?」
「「どっちが馨でしょうゲーム!」」
の目の前には、そっくりな顔が二つ。表情も手のしぐさまでシンメトリーだ。
「どっちが馨くんなの…?」
双子のお客は二人とも分からないようで、困り顔だ。はすっと目を半眼にして双子を見つめた。左を指差す。
「「?」」
「…こっちが馨。光、昨日夜更かししてた?寝不足なんだね」
今眠たいでしょ、と言われて光は目をぱちぱちさせた。大当たりだったからだ。
「「なんで分かったんだよ!?」」
「だって、違うじゃないか。顔の造りは似てるけど、私には全然違うように見えるよ」
じゃあね、と言ってはその場を去って控え室に戻る。戻る道すがらに鏡夜からお茶の手配を頼まれた。
「すごいわね、くん。ハルヒくんもすごいけれど…」
「光くん、昨日本当に夜更かししていたの?」
「PCをちょっといじってて…」
お客に尋ねられて、光は小さく頷いた。どちらがどちらか、を当てることはとても難しいことだ。ホスト部の部員でさえ。当てただけでなく、体調まで言い当てられて光は二の句が告げなかった。
金曜日の営業終了後。ハルヒと、崇が片付けている中、鏡夜はノートパソコンの前でしかめ面をしていた。
「どーしたんだよう、鏡夜。そんな難しい顔しちゃってー」
「『』のリサイタルのことを考えているんだ。今回はイレギュラーな形だったが、次回からはきちんと席種を決めて販売をしたほうがいいだろうな。今回の形ではお得意様を優遇しにくい」
「まあ、うちはなんであれポイント制のお得意様優先だからにゃー。でもはリサイタルが有料だって知らないんだろ?」
「…本人が嫌がったんでな。プロじゃないんだから、お金は取れない…だそうだ。プロになれる腕だというのに」
「バレたら弾いてくれなくなるかもな」
「俺がバレるようなヘマをするとでも?」
鏡夜の言葉に環は首をすくめてみせた。
「頼んだよ、店長」
双子はハルヒとがせっせとテーブルの上を片付けているのを尻目に、二人揃って不服そうな表情だった。に当てられたのが納得いかないらしい。
「ー」
「何かしら?」
「何で分かったんだよ、僕たちのこと。おまけに僕の体調まで」
はテーブルを拭きながら、ちょっとだけ顔を上げて双子を見た。
「秘密です。ちゃんと二人は別の人間なんだから、きちんと見たら分かるし声もちゃんと違うわ。ね、ハルヒ」
「うん。だってやっぱり二人は違うよ」
同じようにテーブルを拭いているハルヒもそう答えた。双子としてはやっぱり納得がいかない。百歩譲って、ハルヒのように見分けがつく人間なら他にもいる。二人の家族だ。けれど、体調まで当てられるとなると、母親レベルに相当する。
「だからー、ちゃんはすごい人なんだよー。ねー」
用意したもののお客には出さなかったケーキ(=余り物)を食べながら、光邦は満面の笑みだ。崇が無言のまま光邦の口元についたクリームを指で拭っている。
「「やっぱハニー先輩の身内だけあって(?)、も非常識キャラなのか…」」
双子が恐れおののいている間に片付けを終わらせたは光邦と崇がいるテーブルに近づいて、椅子に腰掛けた。
「みっちゃん、来月のお誕生日、何か欲しいものある?」
「え?ハニー先輩、来月お誕生日なんですか?」
「そうなのー。今年はうるう年だからお誕生日があるんだー」
ハルヒの言葉にのんびりと光邦は答え、最後のひとかけらをほおばって口をもぐもぐと動かした。
「うるう年だから…ってことは、二月二十九日なんですね、お誕生日」
「うん、そうだよー」
食べ終えた光邦は小さな手を合わせてごちそうさまでした、とちょっとだけ頭を下げる。崇がティーポットから紅茶を注いだ。
「去年はうさぎのぬいぐるみだったわよね。今度は何がいいのかしら?」
「ちゃんがくれるものなら何でも嬉しいよー」
「もう、毎年そうなんだから、みっちゃん」
「うさぎのぬいぐるみ…って、の手作りとか?」
「「「何!?」」」
ハルヒのさりげない問いに、双子と環が反応する。は笑って手を横に振った。
「違うわ。私、お裁縫とかはあんまり出来ないの。シュタイフにオーダーして作ってもらったのよ」
「だから耳にイヤリング(シュタイフのタグ)してるうさちゃんなんだよー」
真っ白でふかふかなのー、と言いながら光邦は満面の笑みだ。三人は手作りでなかったことに一様に胸をなでおろしている。
「二月二十九日なら学校があるから、店は営業しているな。去年出来なかった分、今年は派手にやるか」
「そうだな。部員の誕生日は我が部の一大イベントだからな」
鏡夜は手帳とノートパソコンを見比べながら、環はのんびりと庶民コーヒーを飲みながら作戦会議に入っていた。
「ハニー先輩のお得意様に誕生日パーティーの告知をしておくか。山のようにお菓子が届きそうだな…」
「誕生日ケーキはどんなのがいいんですか?ハニー先輩」
環がそう尋ねると、光邦は大きな目をもっと大きく輝かせた。
「あのね、苺がいっぱいでね、おっきくてね、甘いの!」
「(ケーキって全部甘いんじゃ…?)苺のケーキですね。ショートケーキみたいなのがいいんですか?」
ハルヒの想像するのは不二家のケーキで、白くて丸い生クリームケーキをイメージしていた。
「えっと、なんだっけ、上に苺がたくさんあって、下がカスタードで…周りが硬くて…」
「…それはタルトだ、光邦」
「そう、タルト!苺のタルトがいい!」
「苺のタルトか…ちっちゃいのはあるだろうけど、誕生日ケーキサイズってなると、どこに売ってるんだろ?」
既に買いに行かされることを計算済みのハルヒは、どこで買おうか首を傾げた。
「ああ、ハルヒ。ケーキはこちらで用意するよ。部員の誕生日ケーキだ、上質のものを頼まなくてはな」
鏡夜はいつもの笑みを浮かべてハルヒにそう言った。ハルヒは即座に鏡夜の意図を見抜いて青筋を立てる。
(つまり私の知るような庶民の店などではないと言いたいのか、この人は…!!)
「ちなみに」
「何ですか?」
環の問いには小首を傾げて答えた。そのしぐさに環がばんばんと辺りを叩きまくっている。
「環先輩?」
「…いや。参考までに聞きたいんだが、の誕生日はいつかにゃー?」
「三月二十一日ですよ」
「鏡夜っ、データ!」
鏡夜はどこから出したのか不明のファイルを片手に持って、人差し指でかちゃりと眼鏡を押し上げた。
「三月二十一日…誕生日花は彼岸桜。誕生日石はダイアモンド。ちなみに大バッハの誕生日でもある」
「「へー」」
双子は声を揃えた後で、揃ってハルヒに顔を向けた。
「「で、ハルヒはいつなの」」
「……二月四日…」
「もうすぐじゃないか!」
ハルヒがたじろぎながらそう答えると、環はくわっと目を見開く。迫力にハルヒはやや押され気味だ。
「何で早く言わん!!」
「だって、ただ年をとるだけですし…生んでくれた母と育ててくれた父に感謝する日だと思ってますから、特に人に言うものでは…」
「つつましやかさん…」
「はにかみやさん…」
いつの間にかハルヒの両サイドには双子がいて、ハルヒの頬に手を添えている。
「ハルヒ、お誕生日には何が欲しいの?」
の無邪気な問いにハルヒはうっ…と声をつまらせた。下手なことを言おうものなら、クリスマスパーティーの二の舞(大トロ事件)になりかねないが、の好意を無碍にはしたくない。
「二月四日は土曜日で学校はないが、中央棟の広間を貸し切ってパーティをするか。ハルヒのお得意様に連絡を…」
「ちょっと待って下さい」
鏡夜がノートパソコンに向かおうとしたとき、ハルヒが強い口調で止めた。
「さっき言ったように、誕生日には家にいたいんです。父の仕事も休みだと言ってましたし、学校には──」
「…分かった。ならば、ハニー先輩と合同で誕生日パーティはどうかにゃ?二月の末、期末考査の採点期間だったら簡単に大広間も貸し切れるし、期末考査が終わってのほうが、お客様もハルヒもゆっくり参加出来るだろう?」
環の提案に、ハルヒは首を縦に振るしかなかった。否定できるところはなかったし、本当の望み(誕生日に家にいたい)は果たされたのだから、他の一日ぐらい付き合っても構わない。期末考査後なら、授業もそれほど進まないので、図書館にこもる必要もそれほどなかった。
「分かりました。それなら参加しますよ」
「よし!そうと決まれば、明日からパーティのプラン考えるぞ!」
なにやら一致団結したところで、下校のチャイムが鳴った。光邦と崇、それにが揃って下校のために校内をゆっくりと歩く。
「みっちゃん、お誕生日には何が欲しいの?お菓子はお客さんも持って来られるでしょうし…ぬいぐるみは去年上げましたし…」
考えに耽るの袖をくいくいと光邦が引っ張った。もちろん、崇によじ登っている。
「ちゃんが僕のためにくれるものなら、僕、何でも嬉しいよー。だって、ちゃんはプレゼントを考える間、僕のことを考えてくれるでしょー?それがすっごく嬉しいんだー」
「ふふ、精一杯みっちゃんのことを考えて選ぶわね。崇くんはどうするの?」
「……もう手配してある」
「後で教えて?」
は崇の目線を捕らえてにっこりと笑う。崇は小さく一度だけ頷いた。
「えー、僕仲間外れなのー?」
「みっちゃんのプレゼントなんだから、教えてあげられないわ。秘密よ」
「つまんなーい」
光邦の甲高い声との密やかな笑い声が、ほとんど人気のなくなった校舎に響いていた。
→第四話
いかがだったでしょうか、さん。環中心のはずですが、いまいち環に焦点が合いません。…うーん。頑張ります。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 5 15 忍野桜拝