白の舞姫 第十話
市丸の一方的な提案に百合が乗ってから、三日経った。百合は毎日十番隊の道場を借りて舞の練習をしている。仕事を手伝う暇もないほど、ずっとだ。
「百合、お昼よ」
道場の入り口に松本が立っているが、百合は舞の動作を止めない。まっすぐな背はぴくりともぶれず、低く構えられた腰にまるで浮いているようにするすると動く足元。舞扇を持つ手は指先までぴんと気を張っているのが分かるしぐさだ。
松本は、三日前からそうしているように、道場の入り口に腰掛けて百合の練習が終わるのを待つことにした。初日は何度も声を掛けてみたりしたのだが、百合は集中しているときは全く反応を示さないのが分かったのだ。後から聞けば、声は聞こえているらしいのだが、まるで別世界のことのように感じているらしい。
「…あ、乱菊さん」
外から掛けられた声に松本が振り向いてみると、そこには雛森が立っていた。
「近くまで来たから、ちょっと見てみたくて来ちゃった」
にこっと笑う彼女を傍に座るように手で示して、二人揃って百合の舞を見る。
「きれい…」
ほうっと雛森が声を上げた。松本は頷いて、意地を張ってここに来なかった上司のことを思い出す。少し前のやりとりだ。
『道場に?』
松本の上司は、いつものように形の良い眉を寄せて間に皺を浮かべた。
『当分はあいつが使っているんだろう』
『だから、それを見学しに行くんじゃないですか。更木隊長みたいな硬派一辺倒の方までが見惚れただなんて、きっとすごーくきれいなんですよ』
ちょっとだけなら前に見ましたけどね、と松本は付け足す。彼女を招来したとき、彼女は舞の練習をしていたのだ。
『……』
上司がいつまでも黙っているので、松本はおとなしく返事を待った。ややあって、ため息とともに言葉が出てきた。
『俺は行かねえ。お前が行きたいなら行ってこい。ただし、休み時間にな』
『はーい』
意地っ張りというか、素直じゃないというか、そういうところも時としては美点だが、いい加減素直になりなさいよ、と言いたい気もする。日番谷が百合をとても大事にしていることは明白な事実だ。
やがて百合は舞の動作を止めて、ゆるやかに辞儀をした。終わったようだ。
「…乱菊、桃、お待たせ」
懐にしまってあった帯を取り出して、袿をたくしあげながら締めている。締め終えて、顔を上げた。
「百合ちゃん、すっごいきれいだった!素敵!」
「ありがとう。まだまだ練習しないとだめだけどね」
秋月家の舞は決して芸事ではないが、同じように終点のない道ではある。舞の知識が無い松本や雛森から見ればきれいな舞だが、百合本人からすれば、まだ十二分に精進する必要があった。舞の動作だけでなく、いかに自分自身と周りとを一体化できるか、といったことや場の気配を清浄にする過程などチェックすべきものはたくさんある。幸い、舞を披露する日まではまだ一週間ほど時間があった。一つずつ、復習しながらの練習になるだろう。
雛森は感激しきりなので、百合が不満顔なのが気に入らないようだった。
「なんで?とってもきれいだったのに」
「そう言ってもらえるのはすごく嬉しいんだけど、こればっかりはね」
「えー」
食い下がる雛森に松本は笑って違うのよ、と付け足した。
「百合はずっと舞を踊ってきて、ある意味プロなわけだから。やっぱりプロはプライドをもってやるべきだもの。そういうことでしょう、百合?」
「ええ。プロってわけじゃないんだけどね、やっぱり見せるからには本物をお見せしたいもの」
百合は恥ずかしげに頷く。本当なら、こういう場面はプロとして見せるものではないからだ。お金をもらうことはないが、長年続いてきた家の当代としての誇りもあるし、秋月という名を背負うからには意地もある。
「格好良い…!」
雛森は目をきらきらさせて百合を見つめている。百合は笑った。
「だって、桃もお仕事はちゃんとやるでしょ?虚退治とか」
「うん。だって私はそれがお仕事だし、藍染隊長のお役に少しでも立ちたいもの」
「同じことだよ。私のは仕事じゃないけど、生業だから同じようなものだし。それにね」
百合は一度言葉を切って、にっこりと笑う。
「秋月家の舞がみっともなかったら、ここにもいるだろうご先祖様に怒られちゃうから」
「百合ちゃん…」
雛森は尊敬に近いまなざしを百合に向ける。その視線を受けた百合は照れているのか、少し俯き気味だ。松本はこっそりと笑みをこぼす。ほほえましい光景だ。意地っ張りで素直じゃない上司が見たら、少しぐらい眉間の皺がゆるみそうな。
「乱菊、お昼呼びに来てくれたんでしょう?行こう」
「私も一緒に行っていい?」
雛森の言葉に百合は松本の顔をうかがった。笑顔で返す。
「もちろんいいわよ。さ、行きましょう」
翌日に行う舞披露のことで、吉良が十番隊の隊舎にやってきた。市丸本人は仕事がたまっているのだという。
「ほんっとすいません、隊長のわがままに付き合わせてしまって…」
吉良は執務室に入ってからというもの、恐縮しきりだ。百合はゆるく頭を振った。
「いいんです、気になさらなくて。市丸さんはきっかけを下さっただけですよ。明日はどうなっているんですか?」
百合の言葉に吉良は持ってきていた書類を広げて滔々と喋り始めた。日番谷は執務机について、後ろに松本を従えている。
「明日の午後一時に行われます。場所は一番隊の大広間です。秋月さんがみなさんに、と仰っていたので、ほとんどの死神は見られるようにしておきました。広間に入れるのは隊長、副隊長クラスですが、十番隊の席官にも席を用意しました。大広間は廊下を挟んで中庭にも通じていますから、中庭に来れば見ることが可能です。平の死神や他の隊の席官はそこで見るように言ってあります。披露する時間は秋月さん任せです。うちの隊長が何か言っても気にしなくていいですから。…ざっとこんなところですかね」
「分かりました、一時ですね。なんだか大事になってるみたいですが、用意とか大変だったんじゃないですか?」
吉良はふっと目線を横にそらして、少々黄昏気味だ。
「いいんです…。隊長が仕事してくれるんなら、何だってやりますよ、ええ」
「あれか、市丸は今回の準備と仕事を交換条件にしたと?」
日番谷の言葉に吉良は頷いた。日番谷は長いため息をつく。
「仰る通りです。準備に忙しくて仕事出来ない、なんて言わせるわけにはいきませんからね。それでなくてもこの前みなさんにご迷惑おかけしたのに」
「仕事が出来ねぇわけじゃねえからな、アイツは。無能ってわけじゃない」
「そうなんです…」
市丸が無能な隊長なら糾弾するなり降格させるなり方法はあるが、仕事をする気がないだけで、仕事をする気になれば市丸は殊に有能な隊長だった。滅多にその気にならないが。
吉良ははぁ、とため息をついて広げた書類を整理し始める。
「では明日の午後一時ということで、失礼しますね。何かあったら地獄蝶で教えて下さい」
「分かった。仕事中に悪かったな」
「いえ。それでは」
吉良は一礼して執務室から下がっていった。松本が日番谷の後ろから百合の横に移動してきた。
「百合、舞ってどれぐらい時間掛かるものなの?」
「今予定しているものだと、一時間ぐらいかな。三つ合わせてだけど」
「三つ?いろんな種類があるのね」
「うん。季節に合わせてもいろいろあるし、舞の作用によってもいろいろあるから」
舞の作用。更木の前で舞ったのは場の浄化作用がある舞で、同じ作用を持つ舞は他にもあって、他の作用を持つ舞もある。結界を作ることが出来る舞もあるし、その結果を対虚用に活性化することが出来る舞など、さまざまだ。
「どんなのを見せてもらえるのか楽しみですね、隊長」
「…………まぁ、な」
軽い抵抗の後に、日番谷は渋々頷いた。
「松本、明日の支度もあるだろうから、秋月を連れて戻れ。もう今日の隊務はあらかた終わっているしな」
「そうですか?じゃあ、帰りまーす。行こう、百合」
「失礼します」
百合はぺこりと頭を下げて松本とともに執務室を出た。
十番隊副隊長室に向かうと、部屋の前に何か荷物が置かれている。風呂敷包みのそれを松本が拾い上げた。
「何?落し物?」
「の割には部屋の入り口にきっちり置かれていた気がするんだけど」
「まあいいわ、とりあえず開けてみれば分かるでしょ」
部屋に上がり、居間に二人揃って座り、荷物を解いた。
「あらら…」
「きれい…」
中に入っていたのは、ソウルソサエティでも古風な部類に入る着物だった。正絹のどっしりとした重みと光沢、華やかな意匠。百合が着物の端を持ってためつすがめつしていたのに対し、松本はばさっと着物を広げてあれやこれやと動かしている。
「乱菊?」
「分かったわ!」
「何が?落とし主が分かったの?」
「これは、百合、あんたへの贈り物よ!」
「え、ええ!?」
松本は着物を片手にかけたまま、びしりと指を百合に突きつける。
「だって、この形…あんたの着物に良く似てるもの」
「そう言われればそうかも…」
松本がきれいに着物を広げると、それは百合が着ている白い袿に近い形をしていた。ソウルソサエティでは百合が着ているような着物を着る人間はいない。松本が知る限りでは。松本のあずかり知らぬ、貴族や王族は着ているのかもしれないが──ならば尚のこと、貴族や王族相手のものが護艇十三番隊の一死神の部屋においてあるとは考えられない。それならば、ここで寝起きしている百合への贈り物だと見るのが妥当だろう。
「で、でも似てるからって…何の宛名もなしに」
百合が狼狽しているにはわけがある。半端なく高級な品なのだ。全て正絹、おまけに表は織りで文様が入っているのに、総刺繍も施されている。内側もただの白絹ではなく織りで、文様が入っていた。
「まぁ、誰がこれをやったかなんて分かってるんだけどね…」
これを買うことが出来るのは、間違いなく隊長クラスだ。しかも、もともと裕福な人間だろう。隊長クラスの給料だけでは見合わない。隊長で貴族なのは砕蜂、京楽、浮竹、そして朽木。可能性がありそうなのは京楽と朽木だが、どう考えても一人に絞られる。
「ちわーっす、乱菊さん」
「お、有力な証言が得られそう」
松本は上機嫌で玄関に向かった。百合も後ろをついていく。
「こんにちは恋次。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何すか?」
「あんたンとこの隊長、呉服屋に行ったりなんてしてないかしら?」
「……行きました。十日ほど前ですが」
恋次は予想が現実になったことを悟り、心内でため息をついた。やっぱりあのお貴族さまは着物を贈ったらしい。
「百合に贈り物をしようとした気配は?」
「隊長御本人が贈りたいとはっきり仰ってましたね。百合はいつも白い着物だから、もっと他の着物を着せたいって。市丸隊長の提案した舞披露に間に合うようにしてたみたいですよ」
なんで自分の口から話さなければならないのか、不服ではあるが聞かれているのだから仕方ない。百合はじっと恋次の言葉を聞いている。
「やっぱりね。百合、あれはやっぱり朽木隊長から百合への贈り物よ」
「そうなの…あんなきれいなものを」
朽木はなにかすごいものを贈ったらしい。百合の表情でそれを読み取った恋次は、片手に持ったままだった包みを握り締める。こんなもの、なくったっていいんじゃないのか。何かしたくて買ってしまったが、百合に似合うかどうかも分からないし、朽木が贈るような上級な着物を身にまとえば、こんなものかすんでしまうに違いない。
「恋次?何の用事だったの?」
「いやーそのー…」
言いよどむ恋次を見た松本はぱん、と両手を合わせてにっこりと二人に笑いかけた。
「明日の朝ごはんの卵が切れてたから、買いに行ってくるわね。恋次、ごゆっくりー」
松本は去り際に恋次の視線を捉えて頑張れ、と唇だけを動かした。恋次の顔が一気に赤くなる。
「立ち話も何だから、中入って?お茶ぐらい出すよ。って言ってもここ乱菊のお家だけどね」
「お邪魔します…」
女一人暮らし(と一人居候)の家に入る、ということで恋次は多少緊張しながら家の中に入った。よく言えば生活感のある、実を言えば大雑把な部屋だった。
「どうしたの?恋次が乱菊の部屋に来るなんて珍しいね。それとも副隊長同士だし、よくあることなの?」
百合は手馴れた様子でお茶を淹れながら恋次にそう尋ねる。
「いや、そうあるわけじゃねえけど」
恋次の視界には、朽木が送ったものらしい、豪奢な着物がちらちらと入っている。恋次がどうあがいても買うことが出来ないような、着物。
「なぁ、百合」
淹れてもらったお茶を受け取って、恋次はゆっくりと切り出した。
「なに?」
「その…この着物、明日着るのか」
「…どうしようかな」
口ではそう言いながら、百合の顔にはあまり困ったところがなかった。やはり嬉しいのだろう。恋次はまた手のひらの中にある包みを握り締める。
「もし本当に朽木さんが明日のために贈って下さったんなら、着るのが礼儀だろうしね。でも人違いとかだったら悪いし…」
百合が言いよどんでいる間、空になった風呂敷包みに目をやった恋次は、一枚の紙に気がついた。表に返した瞬間、見ずに百合に渡せば良かったと後悔した。書かれている達筆な文字に見覚えがありすぎる。
「百合、これ」
「ん?ああ、風呂敷の底にあったの?」
勝手とは思ったがいつも質素な着物なのでぜひこれを身につけてほしい、と書いてあり、朽木の名前もきちんと記されていた。着物の柄は百合を思って選んだ、とも。
「…本当に朽木さんが下さったのね、これ」
差出人もはっきりした今、百合はこの着物を明日身につけるだろう。
「どう?」
「きれい、だな」
百合は着物を肩にかけて、にっこりと恋次に笑いかけている。
「きれいよね、この着物。素敵」
恋次が褒めたのは着物ではなく百合だったのだが、百合は着物だと思ったらしい。
「あ、そうだ。ねえ、恋次」
「ンだよ」
「お返しとかしたほうがいいのかな?でも、私ここのお金持ってないし、大して出来ることもないし…」
朽木さんに聞こうかな、と百合が言い出したので恋次は心底ぎょっとした。百合を気に入って、こんな高い着物まで買い与えてしまう朽木が百合に何を要求するかは知らないが、いつもわが道を行くタイプの人間だ、何かとんでもないことを言い出しそうな気がする。
「ま、待てよ!」
「恋次?」
「隊長は、舞披露のためにこれをやったんだ、お前が明日舞うのが立派なお礼なんじゃねえか?」
百合は恋次の言葉に一つ頷いてみせた。
「それもそうね。…そう言えば、恋次の用事はなんだったの?乱菊に用事?」
卵を買いに出た松本だが、未だ戻る気配がない。気を利かせてくれていることは恋次には分かっている。
「…お前に、用事があった」
「私に?」
「ああ」
恋次は低い声で頷いて、握り締めたままの包みを片手ごと差し出した。座卓の上に置いたそれは、ひどくしわくちゃになっていた。
「恋次?」
「やるよ。大したもんじゃねーけどな」
そう言いながら恋次は立ち上がる。座卓の上のしわくちゃな包みと、百合が肩にかけている豪奢な着物。それはあまりにひどい対比だと恋次には思えた。決して朽木には敵わないことを見せ付けられているようで──。
「待って、恋次」
百合は恋次が渡していった包みを掴んで後を追った。玄関のところで恋次は立ち止まる。
「開けてもいい?」
「ああ」
かさ、と紙のこすれる音がした。そしてしゃら、という金属の細かな音。
「…私にくれるの?」
「ああ」
百合の顔が正面から見られずに、恋次はわざとそっぽを向いた。百合が現世でどれくらいの生活水準だったかは知らないが、あの日に現世で見た着物は、そんなに安いものではないだろう。だとしたら、こんなものの一つぐらい、どうってことないのかもしれない。
「恋次、こっち向いて」
百合は片手に恋次が渡したものを持ったまま、両手で恋次の頬を包んで顔を自分のほうに向けた。細い指、夏でもひんやりとした手。
「…ンだよ」
気恥ずかしくて悪態をつくと、百合は恋次の目前で晴れやかに笑った。あの日、大輪の牡丹のようだと思った、笑顔。
「ありがとう。すごく嬉しい」
「……。別に、大したもんじゃねぇし…」
「だって恋次、これをわざわざ買ってきてくれたんでしょ?小間物屋か簪屋かは分からないけど、恋次にそう馴染みのない場所でしょう?なのに、わざわざ行って選んで買ってくれたんだもの、すごく嬉しい」
「百合…」
確かに百合の言うように、このかんざしは小間物屋で買った。小間物屋に行ったのも初めてなら、女物を買ったのも初めてだ。平の死神より多いとはいえ、それほど高いわけでもない給料の中からお金を割いて、百合の顔を思い浮かべて──。
「大切にするね。あっちに持っていけたらいいんだけど…」
あっち、が何を指すかに気づいた恋次は百合の頭に手をやり、そっと頭を撫でた。百合は現世の人間だ。夏の間はこちらにいるが、夏が終われば現世に帰り、長い人生を生きることになる。そして現世で生を終えればこちらにやってくるが、そのときは流魂街行き、どこに行くのかも分からない。まして、会えるかなんて分からない。この霊圧ならば死神になるのは簡単だろうが、あまりに長い死後の生に現世のことを忘れる者も少なくない。そうやって忘れてしまえば、百合と会って贈り物をしたことさえ白紙になってしまう。
「ここにいる間に、大事にしてくれりゃいい。…帰るな」
「あ、うん…」
恋次の表情に百合は二の句が告げなくなり、恋次はそのまま帰っていった。泣く前の子どもみたいな顔をしながら恋次は笑ってみせたのだ、百合に向かって。百合は右手の中にあるかんざしを見つめた。扇がモチーフになっているかんざしは、細かな銀の細工が施されていて、涼しい音色を立てる。落ちかけている陽の光を受けて、きらきらと輝く。
「……」
朽木が贈った着物にしろ、恋次が贈ったかんざしにしろ、何らかの好意の表れなのだろうと思う。好意を寄せない人間に対して、高い着物を贈ったり、気恥ずかしい思いをしながら贈り物を選んだりなんてしない。それは分かっていた。けれど、自分はイレギュラーな存在で、いわばトリッパーのようなものだ。ここに留まることは出来ない。恋次はここにいる間大事にしてくれればいいと言ったが、それでいいのだろうか。好意を受け止めるだけで、何のお返しもせずに?
「あらぁ?百合どーしたのよ」
「…乱菊」
松本が卵だけとは思えない荷物を抱えて戻ってきた。
「どーしたのよう、玄関で立ち尽くしちゃって。…!まさか恋次が何かしたんじゃないでしょーね!?」
「…これを」
右手ごと差し出すと、松本はあら、と声を上げて目を細めた。
「きれいなかんざしね。恋次からなの?」
「うん。…でもね、乱菊」
「なぁに?」
「私は夏が終われば元の世界に戻らなきゃいけない。ずっとここにいられるわけがないし、戻りたいとも思ってる。でも、そしたら恋次や朽木さんの好意はどこにいくんだろう。私がソウルソサエティから消えて、それと同時に消えるわけじゃないだろうし…。私は何をしたらいいのかな」
松本は買ってきたものを整理しながら百合の話を聞いている。
「好意には気づいているのね」
「…好意のない人間にこんなことしないだろうってぐらいには。好意の種類がよく分からないけれど…」
人として、友情の好意としてなのか、男女間のことなのか、百合には経験値も少ないだけに検討がつけられなかった。松本は小さく笑う。
「じゃあ、今ここにいる間、二人に精一杯向き合えばいいわ。好意を受け止めるつもりならね」
「…やっぱりそれしか出来ないのかな。ここにいる間だけしか…」
「百合はもともと現世の人間だもの。こうやって交流があることが稀なケースで、私たち死神との出会いも稀なことよ。百合がいなくなった後のことは二人が考えるでしょう。百合は自分にしか出来ないことをなさい。とりあえずは、明日きちんと舞を披露することじゃないかしら?」
「…うん、そうだね。頑張る」
「いい心がけだわ。じゃあちゃっちゃと晩御飯作っちゃいましょ」
舞披露をする当日。松本は朝から百合の髪をああでもない、こうでもないといじっていた。
「乱菊、やっぱ髪は流して、かんざしは挿すだけにしたほうが…」
「ダメ!せっかくきれいなかんざしがあってきれいな着物があるんだもの、ちゃんとしなきゃ!」
何度か制止しているのだが、その都度松本の剣幕に押されて百合は姿見の前で黙りこくることになる。
「このうなじを見せない手はないわよ!細くてきれいなんだもの。んー、百合は美人ねぇ」
「……乱菊のほうが」
百合のイメージするところの、『美人のお姉さん』である松本にそう言われるとなんだかくすぐったい。松本は松本で、百合のことを可愛い妹だと思っていた。日本人形のようなきれいな姿、すこしも痛んだり絡んだりしていない長い黒髪。そして優しい性根。
「一つにまとめて流すほうが、動いたときに髪も動いてきれいかもしれないわ。うん、そうしましょ」
松本は百合の長い髪を一つにまとめてかんざしで結い上げる。長い髪が後ろに垂れて、百合の動きにあわせて揺れる。恋次からもらったかんざしは百合の頭、高いところに挿してあり、しゃらしゃらと細やかな音を立てていた。
「少しは化粧したほうが見栄えがいいわよ」
「…じゃあお願いします」
簡単におしろいをはたき、眉を描いて紅をひく。白い肌にぽってりとした紅い唇が映えた。
「うん、いい感じ。後はあれね」
白い袿は脱いで、白い小袖と袴だけの姿になっている。小袖の上から、朽木が贈った豪奢な着物を身にまとった。
「動きにくくない?大丈夫?」
「…ええ、大丈夫」
舞扇を腰に挿し、裾を両手でたくし上げた。松本が持っている赤い鼻緒の下駄を履いた。松本はいつもの死覇装だ。
「ふふふ…恋次と朽木隊長、そしてうちの隊長をあっと言わせてやるんだから!」
「何で日番谷さんまで?」
百合は首を傾げた。松本はにやりと唇を緩める。素直じゃない上司を持つと大変だわ、などど言いながら一番隊の大広間に向かった。
→第十一話
いかがだったでしょうか。超久しぶりの舞姫更新です。
今まではキャラ紹介的な要素が強かったですが、これからはラブい要素もいれようと頑張ってみました。第一番手が恋次。次は誰かなー。忘れてるわけじゃないけど、そろそろ一護が瀞霊艇に入った頃じゃないかな…ルキアどうしてるかな…という感じです。
ちゃんと原作に沿わせられるように頑張ります。押忍。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2006 5 17 忍野桜拝