白の舞姫 第四話
空座神社の夏祭りが終わると空座町は本格的に夏を迎える。学校も夏休みに入った。一護たちは用事があるとかでどこかに行ってしまった。最近、夜一も神社に来ないので百合は暇を持て余していた。たつきはインターハイに向けて猛特訓中だし、織姫も姿を見せない。帰宅部の百合は友だちと遊ぶことがなければ本当に暇だった。
「暑いなー」
浄服のまま境内をうろちょろしていると、浦原の姿が目に入った。
「浦原さん。お久しぶりです」
「やぁっと名前覚えてくれたんスね。お久しぶりです。この前の舞は素晴らしかったっすよ」
「ありがとうございます」
百合が小さく頭を下げると浦原は笑った。
「…なんか聞きたそうな顔してますね。黒崎サンのことっすか?」
「一護だけじゃなくてチャドも織姫もいなくなっちゃって。おまけに夜一さんの姿も見えないから私本当に暇で」
「黒崎サンは尸魂界に行きましたよ。その二人も夜一サンも、あと石田サンていう滅却師も」
死なないと尸魂界には行けないのではないか。百合がそう不思議に思って眉を寄せると、浦原は方法は企業秘密っス、と答えた。
「なんで尸魂界に…。あ、もしかしてルキアを」
「はい。助けるんだそうですよ」
浦原の口調はあくまで他人事だ。百合は眉を寄せたまま、しばし考え込んだ。
「そっか、行っちゃったんだ」
「百合サンを誘わないよう言ったのはアタシです」
一人残された…と百合が思ったときに、浦原が真面目な顔でそう言った。自然、百合は浦原の顔を見上げる。
「黒崎サンは死神と戦いに行きました。アナタの力は死神を倒すものではないでショ?」
「…そうですね。死神とは争わないのが私たちですから」
死神に従わず争わず秋月の一族は今まで沈黙を保ってきたのだ。死神にケンカを売りに行く一護についていくことは出来ない。ここで百合が死神と戦ったりなどしたら、死神は秋月の一族を危険視し、一族の人々を危険に晒すことにもなりかねない。
「それは知ってましたんで、先回りで止めときました。黒崎サンは残念がってましたけど」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる百合の前で浦原は大袈裟に手を振った。
「全然そんなことないっすよ。もしかしたらアタシがアナタと一緒に居たいから言い出しただけかもしんないんですから」
「……それでもいいです。だって今死神と争ってたら親戚みんなを巻き込むかもしれなかったですし、きっと一護に誘われたらついて行きたくなっちゃっただろうし…だから、これでいいんです」
「そうっスか」
浦原はぱちん、と扇子を閉じる。帽子の下から覗く顔は涼しそうで、ちっとも暑がっている風には見えない。
「この前のお祭りに死神が来てましたね。会いましたか?」
「ええ。私の舞でご迷惑をかけてしまったみたいです。恋次さんとかいう方だそうで」
百合は浦原が何か知っているのではないかと思ったが、浦原は答えず、ほんとに暑いっすねえ、と言っただけだった。
「やだ、ずっと立ち話で失礼しました。涼んで行かれますか?」
「いやいいっスよ。そろそろ店に戻らないとみんなが心配しますからね」
「分かりました。じゃあ、また」
「はい、また」
境内の階段で二人は別れ、浦原はからころと下駄を鳴らしながら店へ帰っていった。
「尸魂界、か……」
百合が呟いた声は暑い熱気に紛れて消えた。
秋月百合を招来する命が下っている十番隊では、書類仕事に追われていた。
「隊長、これで終いですよ」
「分かった」
松本の手渡した書類に日番谷は目を通してから判子を押していく。ほとんど見ずに判子を押す隊長もいるそうだが──日番谷は地が真面目なのできっちり目を通す。
「あー…終わったー」
「はい、お疲れ様でした」
淹れたての茶を松本は日番谷に差し入れる。自分の湯のみを持って執務室のソファに腰掛けた。
「明日はいよいよ現世任務ですね」
「面倒くさいことこの上ねえな。大体朽木が進言したってんなら朽木が行けばいいものを」
任務が決定してから、既に十回以上同じことを口にしている。よほど行きたくないらしい。
「まあ、あの地区なら十三番隊でもいいわけですしね」
分かっていて松本は火に油を注いだ。
「そうだよな!浮竹でもいいんだよ、なんで俺が行かなくちゃなんねえんだか」
日番谷がお茶を啜りながら心底迷惑そうに呟いたとき、外から声が掛かった。
「六番隊副隊長阿散井っす。日番谷隊長おられますか」
執務室の外ではなく、隊舎の外から声をかけているらしい。五席が対応しているのが聞こえた。
「…六番隊に渡す書類なんてあったか?」
「いいえ。第一、書類なら席官でも十分じゃないですか」
「それもそうだな」
阿散井来訪の意図が掴めず日番谷が首を傾げていると、執務室の外からまた声が掛かった。
「六番隊副隊長阿散井です。日番谷隊長いらっしゃいますか」
「入れ」
「失礼します」
戸が開いて目を刺すほどの赤い髪が日番谷の視界に入ってくる。
「どうした」
「明日、あの人間の招来に行くと聞きましたので」
「…ああ、最後に接触したのはお前だったか」
松本にソファを勧められ、恋次は一度お辞儀をしてから腰掛けた。松本は日番谷の後ろに立っている。
「はい。あの女、変なことを言ってたもんで」
「なんて言ってた」
「本当に勝とうと思ったならば、勝てる。俺に向かってそう言いました」
日番谷の眉間の皺がいっそう深くなった。恋次は続ける。
「確かに霊力も霊圧も隊長クラスで、すごいものでした。けれど何の武器も見当たりませんでした。そこが返って不気味です」
「普通の人間じゃない、と言いたいんだな?」
「俺はそう思います。あの女、何かの能力を持っているはずです。お気をつけ下さい」
「分かった。義魂丸を使う際には気をつける。朽木は何か言っていたか」
恋次は首を振った。朽木は『秋月家の者か』と言っただけで具体的には何も言っていなかった。
「詳しくは。ただ、あの女は『秋月家の巫女』なんだそうです。俺には意味がよく分かりませんが、隊長は何か知っているご様子でした」
「秋月家の巫女……松本、聞いたことあるか」
「いいえ。巫女というからには何かそういう力があるんだろうなとは思いますけど」
松本が思い浮かべる巫女は神社や在野の巫女だ。神を降ろす依り代であり神に仕える娘のことを巫女という。
「俺も聞いたことがない。朽木が知ってるって言うんなら、古参の死神は知っていることかもな」
「接触した際に、その女の家族と思われる人物とも接触しました。その老人が言うには、古参の死神なら知っている、とのことでした」
「古参か……浮竹辺りなら知ってそうだな。聞いてみる」
「は。出すぎた真似をしてすいませんでした」
日番谷の眉間の皺が深いままなので、機嫌を害したかと恋次は危惧して頭を下げた。
「いや、それには及ばない。助かった、ありがとう」
「では、失礼します」
恋次が執務室から去った後、日番谷は大きなため息をついた。
「どうなさいましたか」
「…面倒な度合いがさらに増したな、と思っただけだ。…ついて来い、浮竹のところへいく」
「はい」
日番谷は椅子から立ち上がる。松本が後ろに続いた。十三番隊の隊舎まではそう遠くない。
「十番隊隊長日番谷だ。浮竹はいるか」
「浮竹隊長はお加減がよろしくないとのことで、ご自宅にいらっしゃいます」
「そうか、分かった」
隊舎とは方向の違う浮竹の家へ歩いていく。道すがら、なぜか市丸に出遭った。
「十番隊長さんやないの。どこ行くん?」
「……浮竹のとこだ。明日招来する人間に関して話を聞きに行く」
「生きてる人間呼ぶなんてそうそうないことやから、十番隊長さんも気をつけなはれ」
「阿散井にも言われた」
「あらら。まあ気ぃつけて悪いことはないさかい」
市丸はそう言うと吉良から隠れるためにまたどこかに消える。ほどなくして浮竹の家についた。
「日番谷だ。浮竹はいるか」
「冬獅郎?いまお茶してたとこなんだ、お饅頭食べるかい?」
家の奥から声がかかる。さほど具合は悪くないようだ。
「……いやいい。それよりお前に聞きたいことがあったんだ」
日番谷が副官を連れているということに気づいた浮竹は座ったまま居住まいを正す。
「どうしたのかな」
「お前は『秋月家の巫女』という者を知っているか」
「知ってるよ。そうか、秋月という苗字だから関係あるかと思ったら、招来する人間は本当に秋月家の者なんだね」
「阿散井と朽木はそう言ってる。おそらく正しいんだろう」
浮竹は松本にも座るよう勧めてから、自分は立ち上がった。書棚に近づいて一冊本を抜き取る。
「この本に書いてあるよ。秋月家一族の話が」
「貸してもらえるか」
「もちろん。彼らはね、死神には敵対しない。けれど従うこともない」
「なぜ中央四十六室はそれを許している?」
「…本当の意味で、彼らに叶わないから、かな」
浮竹の言葉に日番谷ははっとした。阿散井が言われたという『本当に勝とうと思ったならば、勝てる』という言葉がフラッシュバックしたからだ。本当に勝ちたいと思ったならば勝てるということは、勝つ実力も自信もあるということだ。
「死神の力では叶わない、ということか」
「彼らはね、冬獅郎、虚たちを昇華してしまえる。彼ら自身は『祓う』という言葉を使っているようだが、実質は俺たち死神が虚を倒すように罪すらも雪いでその上で尸魂界へ移すことが出来る。やっていることは俺たちと同じだから争う必要もなかった。けどね冬獅郎」
「なんだよ」
「彼らは俺たちをも『祓って』しまえるんだよ。意味分かるだろう?」
暴走した霊体である虚を祓えるということは、霊体である死神も祓えるということだ。霊体の昇華──死神にとっては死を意味する。最も死と言っても現世に転生するだけのことだが。もちろん現世での死は尸魂界への転生だ。
「そんな力人間にあるのか」
「ある…みたいだね。彼らはひっそりと暮らすことを望み、死神たちも手出しはしなかった。なんで今になって招来を決めたのかは分からないけど、彼らに下手なことをするとこちらも危ない」
日番谷の後ろに控えている松本はごくりと息を飲んだ。そんな危険な人物なのか。日番谷の眉間の皺は厳しくなる一方だ。
「最も、彼ら自体は友好的だと思うよ。彼らの友人と言われる者も死神にはいた。昔の話だけど」
「なんでそいつらは力を持ちながら大人しくしている?」
力を持つものは力を行使し、弱体を虐げる──日番谷の知っている理論だとそうなる。力を持つ者というのは得てして奢りやすいものだ。
「それは分からない。秋月家はもともと清涼を第一とする巫覡の一族で、神を降ろし魔を祓うことを旨としていたようだね。秋月家の巫女──というのが、今の代の人間なんだろう。秋月家は一子相伝だから」
「その祓う力とやらを持っているのはそいつ一人ってことか?」
浮竹は弱弱しく首を振った。
「それも分からない。一子相伝だと言われているけれど、その他の一族の者が虚を祓ったという記録もあるし」
「あー…分かんねえな。なんなんだそいつら」
「それを知るために冬獅郎に招来の命が下ったのかもしれない。気をつけたほうがいい」
日番谷はふっと笑った。
「その言葉、三回目だ」
その翌日、日番谷は松本を伴って現世に下りた。現世は夏の盛りで、松本にはとても暑く感じられたが日番谷はさらに暑そうな顔をしている。
「座標軸を絞らせたから、ここのはずなんだが」
恋次が接触したという点を絞って転送させているから、この地点であっているはずだ。確かに強い霊力を感じる。
「この神社の人には私たち見えるんですよね?なら聞いた方が早いですよ」
「おい松本…」
日番谷が止めようと声をかけたときには、松本はお守り売り場にいる百合の母親に声をかけているところだった。
「あの、秋月百合さん探してるんですけど」
「あら死神さんね。最近多いわ。百合なら道場ですよ、すぐそこの」
松本が探った感じではこの女性にも霊力があるようだった。母親が指差す先には百合が祖父の勇人と修行をしている道場がある。
「隊長、こっちですって」
勝手な行動は慎めと言いたい日番谷だったが、そのおかげで情報が手に入ったので何も言えない。道場に近づくたびに霊圧が強まっていくのが分かる。白い霊絡で、静かに強い。
「確かに隊長クラスかもしれねえな。松本大丈夫か」
「なんとか。攻撃性のない霊圧だからかもしれないですけど」
道場は暑さのせいか戸が開けられていた。中に少女と老人の姿が見える。
「きれい…」
百合は舞の練習をしている最中だった。ゆったりとした足捌きが美しく、一所に留まらずに淀みなく動いている。
「何の舞ですかね、隊長」
「俺が知るか。それより接触するぞ」
日番谷は道場の中に足を踏み入れる。霊体なので足音もなければ影もないのだが、二人は日番谷に気づいた。
「これはこれは。上位の死神とお見受けするが」
「十番隊隊長日番谷だ。秋月百合を尸魂界に招来する命が下り、迎えに来た」
「え…迎えって私死ぬの?」
死神から『迎えに来た』と言われたので百合はびっくりして目を丸くした。まだ15なのに死にたくはない。
「義魂丸というものがある。それを飲めば霊体だけが抜き出るので、その霊体を招きたいと総隊長は言ってる」
「百合に何用かな」
「悪いが詳しくは俺も知らない。秋月百合という人物の霊体を招けという命令で来ている」
「……山本殿か」
日番谷の眉がひゅっと吊り上げられた。
「総隊長を知っているのか」
「無論、存じておるよ。最もわしが知っておるのは50年前の話じゃが…お主たちにすればそんなのついこの間、じゃな」
「そうなるな。これが義魂丸だ。飲んで身体に毒があるということはない。鎖を切らずに霊体と実体とを離す薬だ」
布袋に入っていた丸薬が百合の前に差し出された。百合はどうしていいのか分からずに祖父を見やった。
「おじいちゃん」
「…百合、行ってみるか」
今尸魂界には一護たちもいるはずだ。この間見た恋次という人もいるだろう。しかし。
「なんで私なの」
「朽木ルキア虜囚を連れ戻しに行ったときにお前と会った死神が二人いる。朽木白哉と阿散井恋次だ。朽木がお前の存在を総隊長に報告したところ、お前の招来が決まった」
答えになっていない。百合は憮然として日番谷を見る。
「ともかく来てくれないか。もし何かあるようなら俺が責任持ってここへ送り戻す」
「総隊長の招きならそうそう危ないことも起こるまいて。行ってみなさい、百合」
祖父の言葉を受けても尚百合は戸惑っていた。霊体だけになってしまって、何かあったら死ぬかもしれない。でもそれは実体を持っていても同じことだ。ならば。
「…分かりました。そのお薬を飲めばいいんですね」
「それは飴みたいなもんだから飲まずに舐めてればいい」
日番谷から手渡された丸薬を口に含む。確かに仄かに甘かった。百合が義魂丸を舐めている間、日番谷と勇人はやり取りを交わした。
「して、いつまでなのかな」
「残念だが分からない。都合があるなら伝えておく」
「そうじゃな…九月にはこの子の学校が始まるでの、夏の間じゃな」
「了解した。総隊長に必ず伝える」
日番谷が頷いたとき、松本が驚きの声を上げた。
「あら」
百合の身体から霊体が抜け出て、代わりの魂魄が入ったのだが…百合の霊体は、実体と違う服を着ていた。
「あれ、私…」
「それがお前の本当の姿じゃよ。巫女としての真の姿じゃ」
舞の練習をしていた百合の実体は白い浄服を身につけていたが、霊体の百合は白い式服…白い袿袴の姿だった。長い髪はそのまま流した格好になっていて、懐に舞扇と懐剣を挟んでいる。
「可愛い」
松本が素直な感想を述べたのに対し、日番谷の眉間の皺は深いままだ。代わりの魂魄が入った実体の百合は大人しく立っている。
「いいか、行くぞ」
「えっと…じゃあ、行ってきます。お父さんとお母さんによろしく言っておいて下さい」
「分かったよ。それじゃあ気をつけてな」
百合の言葉を受けて祖父は笑った。
「松本」
「はい。…開錠」
呼ばれた松本が斬魄刀を空間に差込みそのまま半捻りして空間の戸を開く。
「こっちだ」
日番谷について百合が空間の歪みに足を踏み入れ、最後に松本が通ると空間の歪みは閉じてしまった。
「ついに行ってしまったか…。さて山本殿はどのような御用であるのかな」
勇人はひとりごちた。道場の戸からは相変わらず蝉の音が鳴っていた。
→第五話
これ日番谷夢っていうより喜助夢…?(笑)日番谷夢にしたいと思っていたのですが、日番谷がヒロインを警戒しちゃって甘くならず。喜助さんは本気なのか戯れてるのか不明。私にも不明(笑)。
次からは尸魂界です。が、私は原作を一冊も持ってません!大丈夫なのか!
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 10 16 忍野さくら拝