白の舞姫 第九話

十番隊のところに三番隊から書類が持ち込まれて十日経った。最初は徹夜も覚悟していた日番谷だが、思いのほか仕事は進んでいき、終わる目処すら立ち始めていた。一人仕事をする人員が増えたことが要因なのだろうと日番谷も松本も思っていた。一人増えた人員──他ならぬ百合である。百合の存在をいぶかしんでいた者も来た当初には居たのだが、人当たり良く万事丁寧な百合に次第に隊員は慣れ、一人隊員が増えたぐらいに思っている者たちもいた。
「秋月さん、あの棚から書類取ってきてもらえるかい」
「どんな書類ですか」
「六月十日の印が押してあるから分かると思うよ」
「はい」
百合は袿を邪魔にならないように帯で結んで動きやすいようにし、詰め所内を忙しそうに立ち回っている。雑用を一手に引き受ける百合のおかげで普段は雑用をやっている隊員も本来の仕事が十分に出来るようになり、仕事の能率は思いのほか良かった。
「隊長」
「…なんだ」
松本は日番谷の執務室で決裁の書類を待っている。日番谷は呼びかけられても書類から目を離さず、片手に判を持っていた。
「百合馴染みましたねえ」
「そうみたいだな」
「最初っから隊長格には評判良かったですけど。今じゃうちの隊の隊員みたいに思ってる者もいるぐらいですから」
実際、百合は総隊長の客人なので雑用をさせていると分かったらなにか咎めもあるのかもしれない。でも百合は全く嫌がるどころか進んでいろんな雑事を引き受けていた。
「あいつは夏の間はこっちにいるが、夏が過ぎれば現世に戻る身だ。あまり情をかけ過ぎるなよ」
「…そういう隊長は大丈夫なんですか」
「俺がそんなヘマするかよ」
日番谷は一言で切り捨てて判をついた。隣で決裁を待っている松本は素直じゃないんだから、と小さくため息をつく。日番谷が総隊長の客人を殊に大切に扱っていることは他の隊の隊員ですら知っていることなのに。素直じゃないというよりは、自覚がないのかもしれないわ。松本はそう思いなおしたが、性質が悪いことに変わりはないのだった。
戸の向こうで、百合が誰かに対して答えたのだろう、はい、という簡潔な言葉が響いた。







日番谷が最後の書類に判をついた。これで三番隊から持ち込まれた書類は全部決裁を済ませ、回すところには回したことになる。
「…これで終わりだな。ご苦労だった」
「詰め所の隊員も労ってやって下さい。あと百合も」
日番谷は一つ頷いて執務室を出る。最後の書類を持った松本も続いた。
「三番隊から回された書類は全部終えた。ご苦労だったな」
「じゃあ明日からは通常業務ですか?」
「ああ。非番も通常通り回していい。このところ休みもあまりなかったからな」
隊員たちはそれぞれに喜んで非番の日を確認している。その様を見ながら日番谷はお茶を入れている百合に近づいた。
「お前も忙しかっただろう。面倒をかけた」
「いいですよ、少しでもお役に立ててよかったです。いつもお世話になりっぱなしだから」
百合はほがらかに笑って日番谷に湯のみを手渡した。日番谷は受け取って空いた椅子に腰掛ける。
「秋月も明日からは前のように過ごして構わない。まあ、やることがないならここに居たらいいだろう」
婉曲と譲歩の言い様を取ってはいるが、実際手元に置いておきたいのに素直に言い出せないのが日番谷であった。
「そうですか。…前に約束していたことを思い出しましたので、明日はちょっと出かけますね」
「どこへだ」
百合の淹れたお茶を啜る。心得の無い者が淹れた茶は熱いことが多いのだが、これは温度もちょうど良かった。良い茶葉を使っていることが分かったらしい。
「朽木さんが前に時間が空いたら来るようにと仰いましたので、伺おうかと思っています」
「…朽木か。あいつが四大貴族の一つ、朽木家の当主だというのは聞いたか?」
「前に乱菊に。すごいお金持ちの方だと乱菊は言ってました」
「あいつが首に巻いている布、あれだけで普通の屋敷が十軒は建つ。俺なんかには見当のつかねえ金持ちだな」
「すごいんですね、朽木さんって」
感心しきった様子の百合を見ている日番谷はあまり楽しい気分ではなかった。
「すごいのはあいつの家だが、あいつ自身もかなりの能力の持ち主だ。…まあ、お前なら礼儀もなっているだろうから何かヘマするってなことはなさそうだがな。…お茶、美味かった」
日番谷は百合の空の湯のみを手渡して執務室に戻っていった。書類を抱えた松本が百合に近寄る。
「朽木隊長にお招きを受けたの?」
「前にね、お茶をどうぞって勧められて。そのときはお使いの途中だったからお断りしたんだけど、じゃあ時間が空いたときにってことになったの。乱菊もお茶どうぞ」
「ありがと」
松本はさっきまで日番谷が座っていたところに腰を下ろし、書類を机に置いて湯のみを受け取った。他の隊員は自分でお茶を取りに来ている。
「朽木隊長がすごい貴族だから、六番隊はどことなく緊張感があるのよねえ。下についている隊員は別に普通の人なんだけど。恋次とかは流魂街の出身だし」
「流魂街?こことは違う街があるの?」
「話してなかったかしら。ここは瀞霊艇といって、一つの空間というか街なのね。で、その外に流魂街があるの。東西南北にそれぞれ存在していて、治安がわりとましなところから最悪のところまであるわ。普通死んだ人は流魂街に入るものなの。貴族の人や死神が瀞霊艇にいるってわけ」
「じゃあ私がいつか死んだら流魂街に行くの?」
「ええ。どこに割り振られるかは運みたいだから、治安の悪いところにでも割り振られたら…生きていくのは大変だわ」
松本はすっと遠くを見るような目になった。百合は不思議そうに松本の顔を見ていた。
「現世でもそういう暮らしをしている人がいるから、きっとどこでも同じようなものなのね」
「そうね」
百合は幸い治安の良い国に生まれて今まで寒い思いやひもじい思いをしたことがない。それはきっと僥倖と言っていいぐらいの幸運なんだろうと百合は思った。
「でも百合ならきっと死神になれるから、すぐにでもこっちに来れるわよ。試験に受かれば、の話だけど」
「やっぱりこっちでも試験があるの?勉強は嫌いじゃないけど」
この前の試験のことを思い出し、ここから戻ったらすぐにでも夏休みの課題をやらないと間に合わないだろうなあ、とぼんやり思った。
「死神を育成する学校があって、その学校の入学試験と死神になるにはまた別に試験があるわ。まれに試験を受けずに死神になる優秀な人もいるわね」
前に会った九番隊の副隊長もそうね、と言われて百合は檜佐木の顔を思い浮かべた。あの顔の刺青らしきものはなんの意味なんだろう。それが気になってはいる。そういえば檜佐木にも時間が空いたら顔を出すように言われていたのだった。
「百合ほどの霊力の持ち主なら、逆にスカウトしたいぐらいよ。すぐにでも席官になれる力だもの」
「…霊力はあるみたいだけれど、戦闘に役立つかは分からないわ。刀なんて持ったことないし」
「刀かどうかは分からないわよ」
「え?」
松本は空になった湯のみを机に置いた。
「斬魄刀のことを言っているのなら、刀のかたちをしているとは限らない、ってこと。下級の死神が持つ浅打──更木隊長と試合をしたときに百合が持った刀ね、あれは霊気の通っていないただの刀だけれど、斬魄刀はその人個人の物だから、形状も性質もその人に因るの」
「じゃあ、刀じゃない形の人もいるの?」
百合が見たことのある斬魄刀は更木のものと日番谷の氷輪丸だが、そのどちらとも刀の形状だった。ただ、日番谷の氷輪丸は刀にしては長いものだったが。
「ええ。十一番隊の三席、一角の持っているのは刀ではなくてあれは三節棍。普段は刀の形をしているのだけれど、能力を解放すると三節棍になるの。隊長が前に言った『始解も卍解もない』っていう、始解が能力を解放した状態で、卍解がその能力を最大に解放した状態ね」
「…いろいろすごいのね」
思い返せば、百合は一護の斬魄刀を見たことがあった。あれは刀と呼ぶには刀身だけが大きすぎるし、柄も何もなかった。あれが一護の斬魄刀の形状だということだろう。
「普通、霊力に応じて斬魄刀は大きくなるから、隊長の霊力が大きいから氷輪丸はあんなに長いの。きっと百合のも大きいわよ」
それじゃあ一護も相当すごいってことなんだ。百合は級友を思い出して、確かにあの霊圧は大きかったな、と思った。
「二刀流の人もいるし、脇差の形状の人もいるから、本当にそれぞれ、だけどね」
「ふうん…見てみたいな、私の」
「それはそのときのお楽しみ、ね。さ、もう一仕事しましょ」
「ええ」
百合は頷いて立ち上がる。松本も自分の机に戻って仕事を再開させた。





その日の仕事終わり、松本が買出しをしたいというのでついていった。食料を売っている店をいくつか回っていると、一つ向こうの店に恋次の姿が見えた。
「恋次!」
百合が声をかけると、恋次は振り向いて小走りで近寄ってきた。
「百合に乱菊さん、買い物かよ」
「乱菊が買出しするっていうからついてきたの。恋次はなんの買い物?」
「俺は自炊してっから、その買出し」
恋次と百合が話している間に松本は買い物を終えたらしく、にこやかに笑いながら店を出てきた。
「あら恋次」
「なんだか久しぶりっすね。忙しかったんすか」
「そうなの。…どこかの三番隊隊長のおかげでね…」
ふふふ…と笑う乱菊の背後にはなんだか黒いオーラが漂っている。
「ああ、市丸隊長また書類溜めたんすね。そりゃ大変だ」
「でも百合がいろいろ手伝ってくれたおかげで思ったより早く終わったわ。総隊長にバレたら怒られそうだけど」
「そうだ、恋次、明日六番隊にお邪魔してもいい?」
百合の思いがけない提案に恋次は驚いたが、一も二もなくすばやく頷いた。
「いいぜ。隊長もお前に会いたいみたいなこと言ってたし」
俺も逢いたかったし。と言えれば良いと分かっていながら、人前ということもあって言いそびれてしまう。
「本当?良かった。前に朽木さんがお茶をって言ったときに私断ったでしょう?時間が空いたら、って約束したじゃない。で、仕事も一段落したし自由にしていいって日番谷さんが言ったから、お邪魔しようかと思って」
松本は隊長が自ら六番隊に行く許可を出したのか、と思って相変わらず素直ではない自分の上官にため息が出た。本当にしっかりしてないとすぐに掻っ攫われちゃいますよー、と耳元で囁いてやりたいほどだ。例えば朽木とか恋次とか剣八とかなぜか最近大人しい市丸とかに。
「じゃあ明日の午後にでも来てくれ。午前に仕事を終わらせるようにしとくからよ」
「え、そこまでしなくても、お邪魔ならすぐに帰るよ?」
「いや、お前とゆっくり話したいって言ったの隊長だし、たぶんそうなる」
配属されたのはここ三ヶ月ほどなのだが、意外にも朽木隊長の癖をしっかり掴むことの出来ている恋次は明日の朽木隊長の様子を思ってはため息をつきたい気分だった。おそらく、午前に猛烈な勢いで仕事を終わらせ、昼休みには茶菓子なりなんなり買いに行かされるだろう。決定だ。
「でもあんまり気にしないで、お仕事優先させるように伝えて。さすがに仕事の邪魔は出来ないから」
百合が来ることによって仕事がはかどるだろうから、午後を丸々空けたとしても六番隊の業務に支障はないだろう。本気で仕事をやり始めたらとかく早い人なのだ。恋次は頭の中でそう算段して明日の午前の仕事は大変そうだな、と思った。
「じゃあ恋次明日ね」
「またね、恋次」
あまり遅くなっても、と二人は恋次と別れて家路についた。松本が抱えている荷物の半分を持った百合は副官室への道を歩きながら、暮れかけている夕日を眺める。どこでも夕日はオレンジ色なんだな、と変なことに感心しながら歩いていった。








翌日、午前中はいつものように十番隊の詰め所で過ごしていた百合だが、松本とお昼を一緒に取り、詰め所に戻ってきたところで恋次が詰め所の前に立っていることに気がついた。
「恋次、どうしたの」
「今から百合借りても大丈夫っすか、乱菊さん」
「大丈夫よ。なぁに、お迎えなの?」
恋次は首肯して朽木の意を伝える。松本はふふ、と笑った。
「本当に朽木隊長は百合のこと気に入ってらっしゃるのね」
「…まあ、そうっすね」
「じゃあ行ってくるね、乱菊」
「行ってらっしゃいな」
乱菊に見送られて恋次は百合を連れて六番隊への道を歩き出した。恋次の歩幅が広いので、百合は自然小走りになる。
「あ、悪い」
百合が小走りで近寄ってきていることに気がついた恋次は振り向いて小さく謝る。百合は首を振っていいよ、と答えた。
「もうすこしだし。仕事の邪魔じゃなかった、大丈夫?」
「全く問題ねえよ」
どちらかというと問題は隊長にあるんだしな…。と人知れず思った恋次は六番隊の詰め所に入って声を上げる。
「隊長、秋月連れてきました」
詰め所奥にある客間の障子が音を立てずに開く。百合は六番隊の詰め所の中に入りながら、詰め所の構造はあまり十番隊と変わらないんだな、と思いながらちらりと辺りを見ていた。
「待ちかねたぞ。秋月、こちらへ」
客間には既に座布団が用意してあって、百合は通されたままに上がりこんで差し出された座布団に腰を下ろした。対するように座卓を挟んで朽木が座り、その少し後ろに恋次が座った。
「失礼します」
いつだったか、百合を恋次たちに引き合わせてくれた死神がお盆を抱えた姿で障子を開けて入ってくる。
「粗茶ですが」
朽木隊に入るということは、ある意味行儀作法も必要とされる。外見からするとぞんざいな振る舞いをするだろうと思われかねない恋次も、ある程度の行儀作法は出来るようになっていた。
「ありがとうございます」
百合と朽木、恋次にそれぞれお茶を勧めた理吉はお茶菓子をも置いて、客間を後にした。
「つまらぬものだが」
「とんでもないです」
そのつまらぬものを買いに行かされたのはやっぱり恋次だった。瀞霊艇で一番と言われている、貴族御用達の菓子屋に昼休み使いを頼まれて恋次が買ってきたものだった。季節の和菓子で、貝殻を象った和三盆と流水を象った干菓子だ。
「いただきます」
白い貝殻の和三盆を一つ摘んで口に入れる。さらりと甘みが解けていき、百合は笑みを浮かべた。お茶を少し戴いた後で口を開く。
「とても美味しいです。あまり干菓子などは戴かないものですから、特に」
「もう少し前にそなたが来ることが分かっていたら、何か作らせていたのだが、前日だったのでこのようなものしか用意できなかった」
「そんな、この御菓子で十分です。本当に美味しくて」
そう言って百合はもう一つ、今度は流水を象った干菓子を口にする。こちらもしつこくない、さっぱりとした甘みで、上質の砂糖を使っているのだと知れた。朽木も干菓子を口にし、恋次はお茶を啜った。
「ところで、秋月、そなたに尋ねたいことがあったのだが」
「どうしました?」
「そなたは舞を舞ったそうだな、恋次の前で」
「…?」
百合が覚えている限り、恋次の前で舞を舞った記憶はない。百合が不思議そうに小首を傾げると、恋次が慌てて間に入った。
「二度目に会ったときだ。お前、なんか妙に派手な着物着てただろう。お前の爺さんに引き合わされて」
「ああ、あのときのこと。恋次の前で、というわけじゃないですけど、あのときの舞を恋次が見ていたならそういうことになるのかしら」
「どういうことなのだ」
朽木は実はこの話を恋次に数回させている。ので仔細は知っているはずなのだが、敢えて尋ねた。
「あの日は私の家の神社の夏祭りの日だったんです。それで、時期としては少しずれるんですけど、七夕の舞を巫女舞として舞いました。そのときにちょっと霊力の制御が出来なくて、結界から私の霊力が漏れ出ちゃって。不審に思った恋次がやってきて対面した、というわけです」
「ふむ。頼みがあるのだが、その舞、私の前でも舞ってはくれぬか」
朽木は重々しく頷いた後で、いきなり百合にそう切り出した。百合は突然のことに驚いて目を瞬かせた。
「え…。でも最近舞っていないので、腕も落ちているでしょうし、お見せするほどのものではないのですが」
「更木からそなたが舞ったところを見たと聞いた。たいそう美しかったと、あの更木が言っておった。更木の口から美しいなど初めて聞いたもので憶えていたのだが」
尚も朽木が言い募るので百合はしばし口を噤んだ。
「……分かりました。さわりだけで良ければ、この場で舞いましょう」
「良いのか」
「構いません。では失礼」
百合は立ち上がり、便宜のためにつけていた帯を解いた。別に着物を脱いでいるわけでもないのに、帯を解いているという行為に恋次はどことなく目のやり場を失う。
いつも携えている懐刀を座卓に置き、舞扇だけ持って座卓から少し離れた位置に移動する。客間は八畳ほどあり、詰め所に近い位置に座卓が置かれているので、奥には少しだけスペースがあった。舞扇を開いて右手に水平に持つ。腰をすっと落として目線を半眼にした。
静かな六番隊詰め所で、百合は頭にいつもの楽を思い浮かべながら手を動かし足を捌く。衣擦れの音だけが恋次と朽木に届いている。舞を一度見ている恋次も初めて見る朽木も、互いに目が離せない。腕を返しすっと足を出して身体を翻す。はらはらと散る桜のように美しく、時が経つのが遅く感じられるようにゆっくりとした舞だ。舞に従って百合の霊気が練られるように研ぎ澄まされていく。
百合が舞っているのは恋次が見た七夕の舞で、そのクライマックスの部分だけなのだが、一つの場面として完成されているので、佳麗で恋次は思わず息を飲んだ。朽木は全身で百合の舞を見つめている。
やがて百合は動きを止め、両足を揃えて一礼した。舞扇をたたむ。
「…素晴らしい」
朽木からもれたのはその一言だけで、恋次は何も言うことが出来ない。百合は笑って帯を締めた。白く目に痛いほどの霊気がすっと溶けていつもの百合の気配に戻る。
「喜んでいただけたのなら、それで」
「お前、ほんとすごいな」
恋次はやっとのことで感想を口に出来たが、それでも何か言い足りないような言い尽くせないような気持ちを覚えていた。
「ありがとう」
百合は笑って座布団に座り直す。
「本当に素晴らしい。舞というものは幾度か見てきたが、そなたのような美しい舞を見たのは初めてだ」
「褒めすぎです、朽木さん」
笑って取り合わなかった百合だが、朽木にすればいくら言葉にしても足りないのだ。本当に、ひどく美しかった。更木が美しいと言ったのも道理だと頷ける。どれだけ本を読んで言葉を知っていても、この素晴らしさを表す言葉が朽木の中にはあまりなくて、気持ちに沿うような言葉が出てこないのが口惜しかった。
それからはいくらか和んだ会話になって、日が暮れるまで百合は六番隊の詰め所で一緒に過ごしていた。










朽木と恋次に舞を見せた次の日、午後の仕事を始めようかという頃に、十番隊の詰め所にいきなり客人が現れた。
「ちょっと秋月はんいてる?」
詰め所に百合がいなかったので、市丸はいきなり日番谷の執務室にまで乗り込んできた。
「十番隊長さん、ちょっと秋月はん貸してぇや」
執務室の戸を開けると、ソファに松本と百合、執務机に日番谷が居た。市丸はずかずかと乗り込んで百合の隣に座り込む。百合は突然のことで驚いて目を丸くしている。
「秋月はものじゃない。何用だ市丸」
「六番隊長さんに聞きましたえ、とびきりの美しい舞を披露したそうやないの」
舞を披露したのは事実なので、とりあえず小さく首を振って頷くと、市丸は尚も喋り続ける。
「六番隊長さんにだけ見せたなんていけずやわあ、僕にも見してえな」
「え…」
ちょうど昨日の話をしていたので、日番谷にも松本にも意味は分かったのだが、それにしては市丸の意気込みがすごい。
「十一番隊長さんにかて聞きましたえ。秋月はんは優しいお方やから、差別なんてせんと、僕にも見してくらはるやろ」
「…俺も見てねえな」
松本は自分の隊長が市丸の言葉に乗ったのを聞いて、明日は雪かと眉を顰めたが、それよりいきなりのことで驚いている百合を助けるのが先だと口を挟む。
「市丸隊長、何いきなり言い出してるんですか。百合びっくりしてるでしょう。隊長も隊長で百合困らせないの」
「舞ったって言っても、ほんのちょこっとで、そんな大したものじゃないですし…」
そもそも更木に見せたというのは言葉の間違いで、舞っているところに更木が来て見ていた、というのが正解だが、百合は圧倒されて訂正も出来なかった。
「そんないけずなこと言わんと、見してえな。な、秋月はん」
百合は戸惑って目線を泳がせ、松本に助けを求める。市丸はいつの間にか百合の手を握り締めていた。
「市丸、その手を離せ」
俺も百合が舞ってるところが見たいっつの、と内心ひとりごちていた日番谷は、市丸が百合の手を握り締めていることに気づき、我に返った。
「お見せしてもいいですけど」
「ほんま?」
市丸が喜んだすきに百合はするりと手を離す。
「市丸さんお一人、というのは公平じゃないですよね?」
「う…」
元々、公平ではないと言って見せろと強請ったのだから、いまさら反論できない市丸は押し黙る。
「大したものじゃありませんけど、みなさんご一緒なのでしたら」
「おい秋月、そんな約束…」
「他の人らと一緒なんがちょい残念やけど、秋月はんの舞が見られるんやったらそれでもええよ」
日番谷が止めようとしているのにも関わらず、市丸は百合の提案に乗って嬉しそうにしている。
「え、いいの、百合」
「ずっとお世話になってるのに、何のお返しもできないのは嫌だから。大したお返しじゃないけどね」
「それやったら、さっそく準備してきますわ。ほな失礼」
市丸はすっと去っていく。かなり上機嫌だ。
「いいのか、秋月。市丸が適当なこと言うのなんざ、日常茶飯事だぞ」
「いいんです。私が出来ることはそうありませんし。お世話になってる十番隊の人たちにも見てもらえればいいなと思って」
日番谷は乱暴に頭を掻いた。
「お前がそう言うならいいけどよ、別に」
「でもお見せするなら練習しなくちゃ。どこか練習できるような場所ある?乱菊」
「練習ねえ…外でやると目立ちそうだから室内が良いわよね。あ、道場があるじゃない。板張りだから着物も汚れないし、広いし。いいですよね、隊長」
「ああ…」
渋々頷いた日番谷は、自分そっちのけで話が進む様をやや不満そうに見ていた。
「じゃあ決まりね。音楽とかないけど平気なの?」
「あ、それは平気」
元々舞の練習をするときにも音楽はない。拍子をとるぐらいのものだ。百合にとっては肌に馴染んだ拍子なので、外からとらなくても頭の中でとることが出来る。
自分の部下と百合が和気藹々と話しているさまを見ながら、日番谷はぼんやり平和だ…とひとりごちていた。






六番隊詰め所では、恋次が朽木に呼ばれて執務室の前にいた。
「隊長、恋次です。失礼します」
戸を開けた先にあったのはいつもながらの気難しい朽木の表情だった。
「うむ。恋次、話というのは他でもない」
なにか重要な任務なのかと恋次が身体を硬くさせると、朽木は恋次に傍に来るように言った。
「市丸がさきほど来てな、秋月が舞を披露するから見に来るか、と訊ねたのだ」
「市丸隊長が?」
「無論見に行くと答えたのだが、市丸のことだ、いつもの戯言やもしれぬ」
さんざんな言われようだが、恋次にも思い当たる節はいくつもあるのでそのまま頷いた。
「私はあいにく仕事が終わらぬのでな、秋月に尋ねてきてくれ。もし本当なら準備をせねばならん」
「…なんの準備すか」
「この前の秋月の舞を見ていて思ったのだが、秋月の格好は質素だと思わぬか」
百合はいつものように白い袿袴姿だ。豪奢な着物を見慣れている朽木には質素に映ったらしい。
「質素っつうか、まあ、真っ白だな、としか…」
恋次には女の着る着物の価値はよく分からない。首を傾げた。
「質素な姿でもあれほど美しいのだ、もっと美麗な衣を見にまとったらさぞかし美しいであろう」
「はあ…。でも百合はこっちのお金なんて持ってませんよ?」
「承知しておる。だから、私が贈ろうと思っているのだ。市丸の話が本当なら呉服屋へ行かねばならぬからな」
隊長が百合に着物を贈る!?恋次はあまりのことにびっくりして突っ立ってしまった。男が女に着物を贈るのには下心があるんだぜ、といったのは檜佐木だが、それが本当なら、とんでもないことだと恋次の目は丸くなる。
「恋次が現世で見たときにも、秋月は何か別の着物を着ていたのであろう?」
「あ…はい。きらきらしい、派手な格好でしたね、今に比べれば」
恋次が見たのは七夕の巫女舞をしている百合の姿だ。巫女装束に鮮やかな表着を着ていた。今の白一色の姿からすれば派手な装いだ。
「舞を披露するのがいつなのか、市丸は言わなかったが、急がねばならぬ。さっそく訊ねてきてくれ」
「……分かりました」
恋次は一礼をして執務室を出る。言い出したのが市丸という辺りがうさんくさい話だが、市丸でも総隊長の客人にむやみなことは言わないだろう。





十番隊の詰め所に着くと、いつものように松本と百合が仕事をしていた。日番谷は執務室にいるらしい。
「百合、ちょっと尋ねたいことがあって来たんだけどよ」
「なに?」
「舞を披露するってのは本当か。市丸隊長がうちの隊長に話したらしいんだが」
市丸の仕事の速さに松本は筆を取り落としそうになる。あのバカ、なにやってんのよ仕事しなさいよ!
「本当。さっき市丸さんに約束したわ。市丸さんに見せる、ってんじゃなくて、みんなに見せるって話だけど」
「マジかよ…」
となると、朽木が百合に着物を贈るということになる。それを阻止しようと嘘を教えたりしたら恋次の命はないだろう。
「もし良かったら恋次も来て?いつどこでやるのか全く分からないけど。市丸さん任せだし」
でもお世話になってる皆に見てほしいから、と言って百合はにっこりと笑う。その顔を彩っている長い黒髪。たまに結んでいることもあるようだが、今日はそのままにしてあった。
「絶対行く。楽しみにしてるな。じゃあ、俺はこれで」
「うん、またね。朽木さんにもよろしく」
「おうよ」
すぐさま六番隊に戻って朽木に報告した。
「市丸隊長の仰ったことは本当だそうです。いつどこでやるのか、は市丸隊長任せだとも言ってました」
「…そうか。ご苦労」
朽木はちらりと壁に掛かっている時計を見上げる。終業時間にはまだ少しある。
「所用を思い出したのでな、今日はこれで上がる。後は任せたぞ恋次」
「え、あ、はい…」
見送ることしか出来ない自分を歯がゆく思いながらも恋次は頷いて朽木を見送った。おそらく、そのまま呉服屋に直行するのだろう。どんな着物を贈るのか。第一百合は受け取るのか。いろんなことを考えてばかりでちっとも書類が片付かない。
「あー…俺バカみてぇ…」
ここで仕事を投げ打ってしまえばいいのに、なぜかそれが出来ない。任せると言われたからでもあったし、仕事を優先させてほしいと言っていた百合の顔がちらついたからでもあった。
「あいつの髪、きれいだったな…」
長くて、さらさらしていて。触ったことはないが、舞っていたときにさらさらと流れ動くさまを見ていたので、なんとなく触れずとも感触が分かる気がした。くせのない、長い黒髪。なぜか個性的な髪の多い死神の中に混じっているので、殊更に目立つ。百合は髪を結ぶことはあっても結い上げたことはないようだった。少なくとも、恋次は見たことがない。
「俺も…何かやるかな」
女性の持ち物に興味の無かった恋次には何をやれば百合が喜ぶのかは分からない。でも、朽木が着物を贈ると聞いたせいか、何もせずにはいられないような気がしていた。




→第十話


いかがでしたでしょうか。ラブ要素ちょっと薄いですね。市丸が出てなかったので出してみたり、兄様は相変わらずだったり。兄様を書くのはけっこう好きです。市丸も好きだけど、京都弁って難しい…(雰囲気で読んでやってくださいな)。

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 11 24 忍野さくら拝

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