諸戀 第十一幕  雲井の果てに咲く花

 

朝顔と一緒に御前に召された楓は禄としていただいた雪ノ下襲の衣を着こみ、氷重の表着と白地に紅唐草文様の唐衣をまとい、青摺りの裳をつける。芳しい檜扇を翳して清涼殿へと歩いていった。
主上は普段居られる御座ではなく、孫庇に御椅子を設えた場所にお座りになっておられた。いつもとは違う引直衣をお召しになっている。傍に藤壺の女御が控えていらっしゃり、藤壺の女御付きの女房たちが幾人か候っている。傍にはいくつもの高杯灯台が置かれており、庭には篝火が煌々と輝いている。神楽は夜行われるものなのだ。
「朝顔典侍参りました」
「楓典侍参りました」
楓たちの上げる声に主上は少し顔を傾けられ、気軽な様子で手招きをなさった。
「もっと近いほうがよく見えるだろう。こちらへおいで」
藤壺女御付きの女房たちの合間をぬって、主上の仰ったように近くへいざり寄る。庭には掃部司たちが畳を敷いており、勅使になる鳳が北向きに、舞人たちは主上の御前に向かって座っていた。みな正装で、小忌衣をつけ冠には日陰を垂らしている。四位の文官である跡部、幸村、忍足、仁王は紫袍で四位の武官である鳳、慈郎は紫闕腋袍を身につけている。五位の武官である宍戸は赤闕腋袍だ。他にも紫袍が幾人も座っていた。両側には上達部たちが大勢居並んでいる。左大臣、右大臣、内大臣など幸村たちの父親ももちろんいた。
試楽なので宴を賜ることはなく、そのまま歌舞が始まる。盤渉調の音取、調子を吹き合わせ掻き合わせしたところで萬秋楽の始まりとなった。跡部が横笛を幸村が拍子を、忍足が横笛で仁王が篳篥、慈郎が笙を吹いている。鳳が筝で宍戸は琵琶だ。四位の文官と思われる舞人が立って萬秋楽を舞う。唐楽の四大曲の一つで、林邑(ベトナム)の曲だという。
跡部の横笛はどこまでも伸びていきそうに気高く冬の夜に響き、忍足の横笛はその音に決して劣らずゆるやかに響く。慈郎の笙が出す音はどこまでも柔らかで、折々を幸村の拍子がぴしりと締める。鳳の筝は優しく琵琶に寄り添って響き、宍戸の琵琶は力強く確かな音を出している。楽を担当している本人たちは少し目を伏せがちにして主上を拝しているが、内実、楓が来ていることを知っていた。歌舞が始まる前に、楓たちが名乗ったのが微かに耳に届いたのだ。主上の御前を真っ向から見上げることなど恐れ多くて出来はしないのだが、声ならば聞こえる。そして主上がもっと良く見えるだろう、といってお傍に伺候させたのも聞こえた。孫庇と庭の間に御簾はなく、顔さえ上げれば楓を見られる位置にいるのだ。つまり、楓からも自分たちがよく見えていることになる。まして失敗など許されない。鳳はただでさえあがりやすいので、筝の琴緒を掻き合わせる手が震えそうになるのだが、父に恥をかかせるわけにもいかず、必死で堪えていた。宍戸は目を軽くつぶって、周りの音と自分の琵琶の音に集中しきっていた。
跡部は周りの皆ほど緊張しておらず、少し目を上げて楓の姿を視界に捉えることも出来たのだが、このような衆人環視の場で主上の御前を見上げること叶わず、代わりにいっそうより良い音を出そうと息継ぎの一つ、指運びの一つにまで魂を込める。幸村は今までの練習より一番素晴らしい楽になっていることに内心驚き、やはり皆が持っている楓典侍への想いは相当なものなのだろうと察した。忍足は家に伝わる名器を吹いているだけに、いささか緊張しているが、表情にはおくびにも出さない。忍足の父も笛の名手として名を馳せた人物だけに、負けられない思いがある。仁王はちらりと目を上げて楓の姿を捉え、誰にも気づかれぬようにまた目を伏せる。楓の聞き惚れている様子に満足しつつ、楓の視線の先が気になっていた。ついさっき送った歌の返事はどうなるだろうとも思う。慈郎は楓が聞いてくれているのでよけい楽しい気分になり、笙を吹くことに集中していた。覚醒状態なのでいつもとは違ってきりりと見える。
萬秋楽を終えると主上からお言葉があって、蔵人別当が取り次ぐ。主上は皆の出来をお褒めになった後、次の蘇合香を特に楽しみにしていると仰られた。蘇合香は主上がお気に召されている曲の一つで、跡部たちは大嘗祭の後にも主上の御求めに応じて披露したことがある(第八幕)。主上お気に入りの曲ともなれば気合も入るし、主上のお言葉を待つ間に少しだけ孫庇を仰ぎ見た跡部たちははっきりと楓の姿を目に捉えて、誰ともなしに視線を交わしあった。負けられない。
女が男の良さを知る方法は数少ない。文の手(筆跡)、歌の出来、そして管弦の出来。対面出来て話すことが出来れば話の中身や声の調子、姿なども分かるものだが、管弦の出来は自分を相手に表現する一つの機会だった。
蘇合香もやはり四大曲の一つで、天竺(インド)から伝来の曲と言われている。蘇合草によって病から王が回復したのを祝い、作られた曲だという。舞人はやはり四人で、序と破、急によって構成されている。
楓は蘇合香を聴きながら、仁王が篳篥を吹いていることに少し驚いていた。あんなに琵琶がお上手だったのに、吹き物もなさるのか。
大抵の公達は両方とも出来るものだが、どちらかが得意なもので、両方とも御前披露出来るほどの腕前という者はなかなかいない。蔵人頭である仁王は御前で横笛も披露し、また琵琶も披露している。基より器用な人物なのである。仁王の才はどちらかというと吹き物にあったのだが、琵琶が好きなために日夜手から離さず弾き鳴らしていたところ、御前で披露出来るほどの腕前になった。好きこそ物の上手なれ、である。
仁王の器用なことを示す例はいくつかあって、仁王は聞き慣れている者であったら、その者の音を上手く真似ることが出来る。幸村の笛の音を真似て藤壺の女御にお聞かせし、藤壺にはばれたが藤壺付きの女房たちをそっくり騙しとおしたことがあった。ばれても当の藤壺女御に怒られたりしないのが仁王の如才ないところで、幸村には怒られなかったが真田にはやっぱりというか、当然というか怒られた。また真似ることが得意なのは手(筆跡)でも発揮され、故人とそっくりな筆運びで媼を慰めたりしたこともある。
しかし、楽に関しての才能であったら、跡部には仁王も及ばないところがある。跡部は一度聞いた曲であれば、その曲が琴の曲であろうと笛の曲に起こし直してすぐさま披露することが出来る。恐ろしいほどに良い耳を持っており、またそれを吹く才もある。ただ、跡部は笛に関しては比類なき才の持ち主だが、弾き物に関してはあまり才がなかった。跡部本人は弾き物は女人の手が良いと考えているから特に練習したりもしなかった。
忍足の父、右大臣がよっぽど小枝を跡部に譲ろうとしたのだが、跡部が二条院は忍足家に下賜されたのだから、親王の自分が貰うには忍びないといって固辞した。実は跡部には先々代の春日院(跡部と今上の祖父)から譲られた品がいくつかあり、既に横笛もあったので小枝は忍足が継いだほうがいいだろうと考えたのだ。跡部には後に天下の五笛と呼ばれる大水竜という横笛があり、迦陵頻という笙がある。他にも自分では弾かないからといって断りを入れたのだが、強いて送られた琴に河霧(和琴)鬼丸(筝)がある。家で慰みとして女房たちに弾かせたりもするが、やはり楓典侍に弾いてもらいたいものだと内心思っている。
蘇合香がほどなくして終わり、神楽に移るために舞人は退出し、跡部たちは全員居並び、慈郎の合図を待つ。鳳は出番がないので下がった。
慈郎が庭火の前に出てきて、声を張った。篝火がぱち、とはじける音がする。
「鳴り高し、鳴り高し。ふるまう、ふるまう。今宵の御神事の役人の長である、左の近衛府の中将、従四位下の芥川慈郎がつとめます」
楓は慈郎がいつもわりと眠たそうで幼い振る舞いをしているところばかり見ているので、こんなにはきはきと自信有りげに振舞っているのを見たのは初めてだった。慈郎が次第に沿っていくつか声を掛ける。
「御笛を吹き申す役の男を召す」
忍足が膝突(敷物)のところまでまかり出でて庭火という曲の笛の部分を吹く。ゆるやかで雅な音だ。
「篳篥を吹き申す役の男を召す」
仁王が同じように膝突のところまでまかり出でて、同じように篳篥で庭火を吹く。ふくよかでふくらんだ音なのに不思議と澄んでいる。
「御琴を弾き申す役の男を召す」
幸村が同じようにまかり出でた後、和琴で庭火を奏でる。繊細で優しく、女手とも思われるような音だ。
「笛も篳篥も琴とともに奏でよ」
慈郎の命に従い、三人が合わせて奏でる。一つ一つを聴いても素晴らしいのに、合わせるとさすがとしか言い様のない素晴らしさで、藤壺付きの女房たちの中にはうっとりとため息を漏らす者さえいる。
「御歌を歌い申す役の男を召す」
跡部がまかり出でて笏を腰に差す間に笛と篳篥は演奏を止め、ただ幸村の和琴のみが掻き鳴らしている。拍子を両手で合わせて歌を歌う。
「深山には 霰振るらし 外山なる」
庭火の歌だ。跡部が合わせている拍子もまた美麗なもので、唐より伝来ものだ。赤い拍子に蒔絵と螺鈿が施されている。
「御歌を歌い申す役の男を召す」
宍戸がやや硬い表情でまかり出で、跡部と同じように歌う。跡部と同じ部分を歌うので自然緊張するのだが、その緊張が良いほうに作用して、跡部の艶な声に負けぬ清々しい声となった。
人長である慈郎が合図をしてみな着座する。そしていよいよ神楽の始まりである。庭火をもう一度全員で合わせ、その後に阿知女法・採物と続く。採物は榊から始まって何番も続き、韓神、大宜、阿知女法で採物を終える。
跡部が艶やかで深みのある歌声を響かせると、するりと絡むように宍戸の清々しく高潔な声が響き合わせる。忍足の笛はどこまでも雅な響きで、悠々と響く。仁王は歌声を邪魔せぬように控えめながら、その控えた感じがまた澄んだ具合を加えてふわりと包み込むように響きわたる。一つの弾き物である幸村の和琴は繊細で女手でもここまでは、というような極致で音を響かせた。大歌所の職員や普段耳慣れている公卿たちも思わず目留め耳凝らせるような神楽となった。
大前張に小前張は様々な曲があって、いろいろな地方の歌と思われる鄙歌が入っている。そして小前張が終わると千歳法だ。
「千歳、千歳、万歳、万歳」
本の歌い手である跡部が千歳と繰り返して歌い、末の歌い手である宍戸が万歳と繰り返す。数を繰り返す言祝ぎの歌で、御世が末長く続くようにとの呪術的な意味合いもある歌である。千歳法までくると神楽は半分を過ぎたことになる。
「…楓?」
御前にあって、朝顔はこっそりと楓に声を掛けた。楓がまるで空心地のような顔をして聴き入っていることに驚いたのだ。主上もそのことにお気づきなさり、御目を留められる。ややあってふっと微笑まれ、また神楽をご覧になっていた。
楓はこのような盛大な歌舞も神楽も初めて見るもので、ただただ圧倒されていた。演じているほうも休む間などないのだが、このような素晴らしい音では、聴いているほうも休む息をする間すらない。周りを取り巻くように音が溢れ、音に意識を持っていかれそうになる。そして声を知り歌をも拝見したことのある公達がやっているとなれば、聴くのにも自然集中してしまう。歌舞の演奏も素晴らしいと思われたが、神を御下ろしし、神の御前で楽しんでいただくための神楽ともなれば荘厳さ神々しさが加わり、楓にはとてもこの世のさまとは思われないのだった。なぜこのような素晴らしい方々が私に文を下さったりお訪ね下さったりするのだろう。素晴らしいと拝するがゆえ、楓には釣り合う相手のように思われない。
「…聞き惚れてしまうお方がいて?」
ひっそりとした問いかけに楓はやっとのことで小さく答えを返す。
「そんな…みなさまとても素晴らしくいらっしゃって、もう…」
音にのまれている様子の楓に朝顔は初々しい、と笑みをこぼした。主上も同じお気持ちでいらっしゃるのか、自然と笑んでおいでになる。
神楽が最後のほうに近づいてきた。其の駒、だ。
「葦駮のや森の森の下なる若駒率て来 葦駮の虎毛の駒」
跡部がいよいよ最後とばかりに美声を張る。慈郎が腕を張って舞っている。その優美な様は、今までもらった歌にも今まで会ったどの姿の慈郎とも異なっていて、楓は目を引きつけられた。あんな振る舞いもお出来になるのか。
「その駒ぞや我に我に草乞ふ 草は取り飼はむ 水は取り草は取り飼はむや」
宍戸の清々しい声とともに慈郎はさらに舞い、その立派な様はさすがに左近中将と見え、今までの歌舞の舞人など何になろうか、というほどの舞であった。慈郎は眠たいときが多くそのときははかばかしいことが出来ないのだが、こうやって覚醒しているときは何人も寄せつけないほどの才を見せる。父親である大納言が惜しむところは、慈郎にとって覚醒しているときが本当に少ないということだ。大事とあれば覚醒するので、今まで大変な目にあったことはないが。
神上げを歌って神を天上に御上げした後、御遊びになる。鳳も出てきて、鳳の前には筝が据えられ、宍戸は琵琶を手にした。慈郎は笙を手にする。跡部はやはり拍子を持って歌う役目で、忍足、幸村、仁王ともに前と同じ役だ。
普通は誰かの掛け声によって始めるものだが、七人とも呼吸があっており、掛け声など必要なしにすっと安名尊に入った。
「あな尊、今日の尊さや 古もはれ 古もかくありけむや 今日の尊さ あはれそこよしや 今日の尊さ」
跡部一人の歌声だが、六人の管弦の音に全くひけをとらない立派なものだ。楓はさきの舞いを見て後、慈郎から目が離せない。笙を両の手で包む仕草が美しく、吹かれる音は柔らかでおっとりとしておりつい微笑みたくなるような音だ。楓も自然と微笑んでしまう。こんな素晴らしい音で言祝ぐのであるから、主上の尊さは三千世界に響き天におわします神々もお守りくださるものだと思われる。
「梅が枝に 来ゐる鶯や 春かけて はれ 春かけて 鳴けどもいまだや 雪は降りつつ あはれ そこよしや 雪は降りつつ」
梅枝である。もうしばらく待てば梅の香もしようという冬の日に選んだのは跡部だが、聞いた楓ははっとした。つい昨晩仁王が歌ったのを聴いたことを思い出したのだ。あのときの仁王の声は繊細で澄んで響いたが、今の跡部の声は格調高く艶のある歌に聞こえる。やはり人が違うとこうも違うように響くものなのか、となぜか感心した。
跡部が席田を歌っている間、誰とはなしに御遊びを披露する公達を見ていた楓は、不意に慈郎と目があった。目が合うと思っていなかった楓は驚き慌てて視線を逸らしたのだが、一瞬のことを互いに深く覚えてしまった。慈郎はいつもと違う強い光を湛えた目で楓を射止め、楓と目が合った途端に目だけで笑ったのだ。楓はそれを始終見てしまい、気恥ずかしさに頬を染める。とても強い目をしてらっしゃった。主上の御前だというのに、どこか楽しそうに笑った慈郎に楓はたじろぎ、鼓動が高鳴る。自分もしっかり見られていることに気が回ったのは跡部が席田を歌い終えて鈴鹿川を歌い始めてからであった。
私がはっきり慈郎さまを見たということは、見られたということよね。ここには御簾もないし御前だから扇も翳せない。見られても仕方ないこととは思うけれど、やはり恥ずかしい…。あんな素晴らしいお方に見られるなんて。
実は楓が気がついていないだけで、全員に楓は注視されていた。御遊びとなり、御前を見る余裕も出来た跡部たちは不自然にならぬようにちらりと楓に目を移してはいっそう音を張ったり声を艶やかに響かせたりしていたのである。
催馬楽を終え、唐楽に移る。賀殿の急を奏している間、慈郎はいつになくわくわくした気持ちで笙を吹いていた。笙を吹くのは好きだし、人前に出ることも好きだ。しかし、やはり楓の前で吹いているということが一番わくわくさせる。そして何より楓と目が合ったのだ。慈郎的には大事件で、飛び上がらんばかりに嬉しいことだった。自分と目が合った後に楓はすぐ目をそらせたが、頬が少しそまったのを慈郎は見逃さなかった。慈郎は普段眠たいときに稚い振る舞いをしていることが多いせいか、後宮の女房や女御さまたちにも幼い者であるかのように扱われることが多い。それはそれで楽だしいいのだが、はっきりと男として認識され意識されたことが嬉しい。楓は慈郎にとって本当に慈しみたい相手で、ただひたすらに好きなだけだった。何の他愛もなく、一緒にいられたらいいなと思う。格式あるところの娘と縁づけようと親は必死になっている様子だったが、慈郎自身はどこ吹く風で楓のことしか思っていないのだ。一緒に朝寝をしたり、少し早く仕事を終えて昼寝なんか出来たらすごくいいのにな。慈郎はよくそう思っていた。
万歳楽はひときわ喜ばしい曲で、いよいよ終わりに近づいているに従って、奏している面々の力もよりこもってくる。宍戸は特に内心で力を込めていた。男女の仲にあまり長けていない宍戸は、跡部のようにふらりと立ち寄ったり強く情を寄せるような歌を詠むことができない。忍ぶ恋はやがて外に出るものだというが、そうなったらいいと思うときもある。忍ぶ以外にどうやってこの思いの丈を伝えればいいのかが分からない。大っぴらに振舞って人の噂になったりするのは姫君が可哀相だし、自分の好むところではない。本当なら、こんなにたくさんの公達の中で奪い合いをするような真似を宍戸は好まない。けれど、それに敢えて挑むのは楓のことが好きだからだ。楓のことが好きだと思う。他にも楓のことを思う奴がいて、楓と共にありたいと願う。ならば、負けられないと思った。
最初跡部たちと温明殿に押しかけたときは、ずいぶん取り澄ました典侍だな、と思っていた。特別な思いなどなかった。七つの亥の子餅が内裏で出されたとき、楓典侍の発案だと聞いて、面白い典侍だと思った。書物にも見えない、新しいことを就いたばかりの役職で堂々とやる姿は素晴らしいと思えた。秋の夜に温明殿で過ごしたことを宍戸は忘れたことがない。初めて楓に名乗って、萩典侍ではなく楓という名を聞いた。名を聞いたときの胸の高鳴りは今でも覚えている。忍足の求めに応じて楓は好きなうたを答えたが、どちらも物寂しいうたで、どんな人なのだろうと心が動いた。そして楓が引いたあの賀王恩。女手の琴といえば、里の母や女房たちの手しか聞いてこなかった宍戸にとって、衝撃にも近い思い出だ。こんな素晴らしい音を筝というものは奏でられるのか。宍戸は低く強い琵琶を好んでいて、筝などは弱々しく好む音には思われなかった。けれどあの楓が引いた筝の音の素晴らしさといったら、悪いが長太郎にもかなわない音だった。
その後の朝、楓に出逢った。慈郎と共に詰め所へ行こうとしていた宍戸はぶつかった女人が楓であると分かった途端、息がつまる思いがした。翳された扇からかいま見えた美しい顔。何より美しかったのは、笑ったときの楓の顔だ。澄んでいた花がこぼれるように咲き乱れ、ふわりと香を漂わせるような、ほがらかで柔らかい笑みだった。宍戸はその笑みに惹かれて一瞬立ち尽くしてしまったほどだ。出逢った後、慈郎はすぐさま文をしたためていた様子だったが、宍戸は悩んでいた。忍ぶと決めた恋である。文など出そうものならそれは表に出てしまう。そして、表に出てしまったら、自分がどうなってしまうか分からない。悩んだ末、体調まで崩しそうになった宍戸を見かねて長太郎が文を出すことを勧めたのだ。けれどやはり文でも忍ぶ姿勢を貫き、ひっそりとした歌を詠んだ。返事はないものと思っていたが、しばらくして返事が来たので、下にも置かずに家にいるときは常に眺めていた。筆の運び、歌の言葉一つ一つがおくゆかしく美しい。もちろん返事は拒絶する返事であったが、そうなることは知っていたので衝撃はなかった。楓典侍のことが公達の間で話題になるにつけ、宍戸はひっそりと黙してきた。誰かに言うつもりはない。跡部たちはどうしても親しい間柄なので知ってしまったが、それでもお互い深くは訊ねない。ただ、楓が自分のことを知ってくれればいい。あの文を出した者が自分で、この音を奏でているのだと知っていてもらえば、それでもう構わないとさえ思えた。多くを望むならば、少しでも目を留めてくれれば…。
千秋楽が奏でられ、御遊びは終わった。主上がそれぞれに禄をお被けになられる段になって、叙されたものがあった。慈郎と宍戸である。慈郎はもちろんこの度つつがなく人長を務めあげたことへの禄で、宍戸は今正五位なのにこの四位の者たちに混じって全くひけをとらなかったことで四位に上げられることになった。慈郎は従四位上に上がり、宍戸は従四位下に上げられた。礼として二人ともそれぞれ舞を披露する。慈郎の舞はさすがに立派なもので、大納言も安心して見ておられた。宍戸の舞はいささか緊張が見られたが、それも主上は好ましくお感じになられて、特別にお言葉をかけたりなさった。傍で見ていた楓にも宍戸の舞は慈郎の舞と違う魅力があるように映り、その控えめで実直な人柄を感じとった。
肩に禄を担いだ跡部たちが退出し、主上も常の御座にお下がりになられる。藤壺が付き従って下がり、朝顔と楓も付き従って下がった。
「本当に素晴らしい出来であった。特別に中務卿たちに声をかけた甲斐があったというもの」
「まことに仰るとおりでございますね。このような素晴らしいお神楽がまた見られるとあっては明日も候う人(朝顔と楓を差す。正式な祭には女性たちは参列しないのが普通。典侍は主上に伺候するので見ることが出来る)がほんに羨ましいというもの」
藤壺の女御にそう言われた朝顔と楓は恐縮しきりで身を小さくさせる。
「ならば、明日還立(賀茂神社へ行った勅使と楽人たちが夜に戻ってくるので労をねぎらうために行われる宴。東遊びが舞われ神楽も披露される)の際には女御だけでなく、そなたの女房たちみな集めて見ることにしよう」
女房たちからさまざまな歓声が上がる。
「ありがとうございます、主上。またあの素晴らしいお神楽を見られると思いましたら明日が待ちきれないほどでございますわ」
「本当でございますね。中務卿の御声といったら、並ぶものがないほど素晴らしいものでございました」
「あら、幸村の参議のお琴の音も素晴らしくて、いつもよりさらに優って聞こえましてよ」
藤壺の女御は幸村の実妹だ。幸村たちも藤壺の女御のもとを伺う機会があり、戯れて琴を爪弾いたりするときもある。
「さて、彼らほどにとは言わないが、どうだろう、こちらでも楽を奏してみるのは。あの素晴らしい音を聞いたら、もっと楽が聞きたくなってしまってね」
元より風流な道がお好きな主上は素晴らしい演奏に興をそそられたらしく、書司(主上に紙や筆を奉り、本や経を写したりする。楽器の類も取り扱う)を呼ぶ。
「どの御琴を持ってまいりましょう」
尚書がすぐやってきて、畏まって控える。
「そうだな。青山(琵琶)、秋風(筝)、宇多法師(和琴)としようか。急ぎ持ち出だせ」
「畏まりまして」
尚書がすぐさまお琴のある棚に向かった。
「誰が弾くかだが…」
主上は一旦口を噤まれ、みなを一様にご覧になる。主上の御琴を弾くなど恐れ多くて、とても名乗りでる者などいようはずもない。どの女房も控えてにじり下がる。お互いに勧めあう声も聞かれる。
「主上、普段あまり耳にいたしません方の音が聞いてみとうございますわ」
口を挟んだのが藤壺の女御だ。藤壺の女御が普段聞かないとなれば、典侍の朝顔と楓しかいない。朝顔と楓は素早く目を交し合った。
「そうしようか。私も聞いてみたいことだし。楓、どの琴が良いかな」
とんでもないと断りたい気分でいっぱいなのだが、女御に望まれ主上にも望まれたとあっては断るのは無粋というものになろう。楓は一息ついて顔を上げる。
「十三絃(筝)を弾かせていただきたく」
隣にいた朝顔はやられた、と内心笑っていた。筝ならば大人しく寄り添う楽器なのであまり目立つことがない。そういっても朝顔は長年務めてきた身であり、楓に比べばいくらか余裕があった。
「では朝顔が法師(和琴)だな。誰か琵琶の上手がいればいいのだが…」
「あら主上、琵琶の名手が参りましてよ」
殿上の間に控えている仁王の姿を認めた藤壺の女御がそう声を上げる。仁王は試楽の終わった後一旦退出したものの、宿直とあって殿上の間に控えていたのだった。
「頭の弁、近う」
主上の御声がかかり、仁王は身形を正した後に御簾の向こう側である孫庇にまかり出た。
「頭の弁参りましてございます」
「さきほどの試楽はすばらしかった。こちらでも楽を奏するゆえ、青山を」
「畏まりまして。十三(筝)と七(和琴)はどの方でいらっしゃいますか」
そう訊ねた仁王ではあったが、内心では楓が筝を朝顔が和琴を奏することを知っていた。殿上で会話を耳にしたのである。仁王は聞いたことのある人の声を違えたりすることはまずない。真似すら出来るほどだ。
「秋風を楓典侍が、法師を朝顔典侍が奏することになっておる。そちと並べても見劣りのせぬ音ばかりぞ」
「私の音でお二方のお相手が務まりますやら」
「なにを仰いますかしら。この前の明月楽は素晴らしゅうございましてよ」
形式通りに謙遜した仁王に朝顔がぴしゃりと言い渡す。仁王は思わず苦笑いを浮かべた。
「おや、頭の弁は温明殿で奏でたことがあるのだね。ならば呼吸も合おうというもの。楽しみだね、女御」
「ええ、本当に」
女御は扇を口元に翳しておっとりと笑う。ほどなくして尚書たちが御琴を主上の御前に奉った。尚書たちはそのまま下がる。
「では楓、秋風を。朝顔、頭の弁に青山を」
楓の前に秋風という主上の御筝が据えられ、朝顔は青山を仁王に御簾の下から差し入れて渡し、自分の担当である宇多法師を前に据えた。
「仲冬も終わりを告げようという頃だが、やはりこのような宵には秋を偲びたくなるもの」
主上がそう仰ったので、朝顔が法師で盤渉調の音取を奏で始めた。ややあって仁王が続き、すっと入り込むように楓が秋風を奏で始める。さきほどの歌舞のように調子を四句合わせる。弾き物だけなのでさきほどとは違う響きになった。やはり朝顔が先立って秋風楽を奏で始め、仁王と楓もそれに続く。冬なのに秋を偲びたくなると主上は仰ったが、それは冬の調子である盤渉調ながら秋の音を冠している曲、ということになる。さきほどの歌舞でも奏された萬秋楽も秋の名を冠しているが、同じ曲を避けて朝顔は秋風楽を選んだ。
朝顔が奏でている宇多法師は大変な名器で、鈴鹿と並ぶ稀代の名器だ。また、楓が奏でている秋風は主上が所持なさっている筝のなかで一番の名器と呼ばれており、かの延喜帝(醍醐天皇)が愛された琴だという。仁王が奏でている青山もまた名器だが、仁王は全く臆することない様子で奏でている。朝顔は長く主上に御仕えしているから、こうやって主上の御物を弾く機会も多々あった。主上や女御の御前ということで緊張はするものの、楓ほどではなかった。楓は本当に琴緒を掻き合わせる指がともすれば震えそうで、生来の負けん気でそれを押さえ込んでなんとか形になって弾くことが出来ていた。いくら父親と主上に繋がりがあって、親しくさせていただいているといっても相手は主上であり、これは歴代の帝が慈しまれた名器である。滅多なことがあってはならないし、聴くに耐えないようなつまらない演奏も出来ない。
朝顔は和琴を弾く機会が最近ではめっきり減ったものの、長く宮中に居る者らしい、華やかな演奏で皆の耳と心をたちまち掴んでしまった。仁王の琵琶もまた素晴らしく、男手らしい強い響きながら、音一つ一つが澄んでいるために野卑な感じは全くなく、綿々と流れる大河のような響きになっている。藤壺付きの女房のなかには仁王の琵琶の音に心奪われたようにうっとりと聴いている者もいた。楓は緊張しているとはいえ、女手らしい優しげな手であってきりりと澄んだ響きを聞かせている。筝はもともとほかの楽器の合間を縫うようにひっそりと音をちらつかせるような楽器だが、楓が弾くとほかの楽器を引き立てているようで、注意して聞くと筝の音こそが和琴と琵琶を引き立て役にして美しい旋律になる。楓の筝が素晴らしいのはそこで、きちんとほかの楽器を引き立てながら、その実はほかの楽器をも従えて輝かしく響くのだ。注意して聞かないと分からないので、よほどの耳や楽の才を持つものでないと分からないかもしれない。
秋風楽が終わって、そのまま感秋楽に移る。主上は黙したまま聴いていらっしゃったが、その視線は楓に注がれていた。女御は主上が度々話題に出し、お褒めになる楓のことを気にかけておいでだったので、やはり楓の手を見ていた。女房たちはとりどりに朝顔や仁王の音を素晴らしいと思い、うっとりする者あり、自分と引き比べてため息を人知れずつく者あり、といった感じだ。
感秋楽を終えて、三人とも手を止める。仁王が撥を床にそっと置いたとき、主上が自ら拍手なされた。
「いや素晴らしい。中務卿たちの演奏も素晴らしかったが、またこれも素晴らしい。これほどの音は大歌所の和琴師や筝師、琵琶の者でさえ出せまい。どうかな女御」
「素晴らしくて言葉がございませんわ。温明殿ではこのような素晴らしい楽がなされておりますのね」
「主上の御物であらせられる、御琴が素晴らしいのでございますよ」
褒めちぎる主上と女御に朝顔はやんわりと取り成すように答える。
「確かにこの琴たちは名器だが、名器は名手の手によって素晴らしい音を為すというもの。やはりそなたたちの手であろう」
主上は満面の笑みで、みなを褒める。藤壺付きの女房たちも口々に褒めそやした。
「朝顔典侍さまの和琴といったら、幸村参議の御手とはまた違う美しさのある音でございました」
「頭の弁さまの琵琶がやはり素晴らしく、稀代の名手とお見受けいたします。女御さまはいかが思し召しましてございますか」
「…私はやはり楓典侍の手が素晴らしく思われました。昔の名手がよみがえったかのような手でいらして」
昔の名手、という言葉で楓の眉がぴくりと動く。楓の父親はその昔琴の名手として名を馳せていた人物だった。楓は直伝というか相伝で教わったので、ほとんど変わりない手になっている。しかし、出来るだけ隠すように大人しく弾いていたのだが、女御の耳はごまかせない様子だった。その証拠に、女房たちは得心いかぬ顔をしている。
主上は藤壺の女御が楓の手の素晴らしさに気づいたことに満足し、ふむ、と声をもらした。
「もう一曲所望するがよいかな」
「仰せのままに」
「では蘇合香を一つ。さきほどとは違う音が聞こえるであろう」
朝顔が跡部たちが演奏した曲と違う、盤渉調ながら秋を冠している曲を選んで角が立たないようにしたというのに、主上はやはりお好きな曲を所望なされたのだった。再び音取から奏で始める。今度は三人とも一緒に始めた。
さきほどの蘇合香とやはり違うのは吹き物が無いことだが、琴の弾き手が変わると音はこうも変わるのか、と皆が驚くほど違って聴こえてきた。吹き物がないせいで弾き物の音が特に良く聞こえ、優しい幸村の手とは違う華やかな和琴が響く。琵琶は力強いだけでなく、低い旋律が澄み切って聞こえ、楓の弾く筝は優しいながら澄んだ音で和琴と琵琶を合わせて一つの旋律にしてしまう。藤壺の女御はやはり、と楓の演奏に目を見張り、それとなく掻き合わせする手元を見てはどのように奏でられているのかをご覧になっていた。主上は一味違った素晴らしい蘇合香の音に満足そうに笑みを浮かべておられる。楓の手は本当に御父上に似た素晴らしい手になったことよ。楓の弾く琴の音をお聞きになるのはとても久しぶりなので、懐かしい気分もお持ちだった。その頃はまだ院が御在位のことで、今上は東宮であった。
蘇合香の演奏を終えると、再び主上は御手で拍手なされる。朝顔と楓は揃って頭を垂れ、御簾の外では仁王がまた頭を下げていた。
「全く素晴らしい。どちらと優劣をつけるなど興冷めな真似はとても出来まい。さきほどの中務卿の演奏といい、今の演奏といい、ここにいる者たちは僥倖に遇ったようだね」
「本当にそうでございますね」
藤壺付きの女房たちはこの僥倖にめぐり合った自分の幸運を喜び、また主人である藤壺のめでたさを殊更ただひたすらに仰ぐ。
「そちはどう思う、頭の弁」
「私など、お二方にはとても及ばないことでございましょう。手慣れた撥を手放してしまいまして、未だ慣れぬ撥の音をお聞かせしたのが心苦しく…」
「そちがいつも手放したことのないあの撥を手放したと。それはどういった仔細のことかな」
あの撥のことだと楓は行き当たって内心驚いた。確かに手慣れたように見受けられたが、そこまでいつも離さずにお持ちだったのか。
「私などより素晴らしい御手の方のところへ撥が行きたがったのでございます。明け暮れ手慣れておりましたので、心寂しゅうございます」
「そのような素晴らしい手の者がおるのか。ぜひ聴いてみたいことだね」
撥が自ら出て行くことなどあり得ない。主上も仁王が自らその撥を送ったのだと見当つけなさって、わざと戯れなさる。
「どこへ行きましたのやら、とんと分かりませぬ。どこかで音が鳴りましたら分かりましょうけども」
さらりと仁王は交わして逆に楓に向かって戯れた。あの撥で琵琶を弾いてくれれば自分が探し当てて行くと言っているのだ。
「不思議なこともあるものだね。あの玄象などは鬼が羅城門で弾き、それを聴き当てた博雅の三位が取り戻したなどと言われるけれど、頭の弁もそうするつもりかな」
「…素晴らしい御手に弾いていただけるとあらば、撥とて幸せでございましょう。私は一人寂しゅう弾くばかりでございます」
「頭の弁ともあろうものがずいぶんと大人しいことだね。そちならば新しい撥とてすぐに弾きこなせよう。今の演奏は全くそれを感じさせない素晴らしいものであった」
「有難う存じます」
主上は殊勝な様子の頭の弁に目を細められて、その後視線を頭を垂れている朝顔と楓に移す。
「頭の弁はああ言ったが、楓と朝顔はどう思う」
「手慣れぬ撥でとは仰いましたが、手慣れぬ撥でああまで素晴らしい演奏をなさるとは、さすが当代に聞こえる琵琶の御手とお見受けいたします」
朝顔はやや顔を俯きがちに上げて答える。
「私も同じように思います」
仁王が主上にさえお教えしなかった撥を自分が持っている、そのことに楓は身体が熱くなる思いだった。なぜ仁王さまは私なぞにあの撥を下さったのだろう。あの琵琶を弾いてくれと歌にはあったけれど…。
「さて、典侍は明日の祭の支度で忙しかろう。下がってよいよ」
「御前失礼致します」
揃って再び頭を下げ、御前を辞して台盤所へ移る。台盤所から簀の子を伝って承香殿の方へ歩いていった。楓の扇を翳す手がかすかに震えている。仁王が人前で戯れかかってきたことは前にもあったが、主上の御前でとなると楓にとって話が違う。神とも連なる御方の前で公然と戯れかかられて、楓は心の臓腑が出そうな感じさえ覚えていた。胸の病になりそうだ。
温明殿に戻った二人はそれぞれの局に下がる。もう宵更けて夜中になっていたし、明日は祭なので朝から仕事がある。
「姫さまお帰りなさいまし。どうかなさいまして?」
「…頭の弁さまから戴いた御箱を貸してちょうだい」
汀はすっと海辺の蒔絵螺鈿の箱を楓に差し出す。そっとふたを開けるとやはり黄楊の撥が入っている。楓は指で縁を撫でてみた。頭の弁が明け暮れ手慣れて、常に持ち歩いていた撥。なぜここにあるのだろう。
「頭の弁さまが、御前でこの撥のことを仰って。主上にもお教えせずにどこかへ行ってしまいました、なんて仰るものだから本当に胸の病になりそうだったわ」
「まあ。そのようなことを仰られたのですか、主上の御前で」
楓は脇息にもたれかかりながら頷く。仁王さまはどうしろと仰るのだろう。御前で仰っていたように、私がこの撥であの琵琶を弾き、その音を探し出して来られるのを待てと仰るのだろうか。香を頼りに雪の中白梅の枝を折るように、音を頼りにして私を。
「そういえば姫さま、御文を頂戴いたしましたよ」
「どなたから?」
「…今日の試楽をおやりになった方々です。中務卿の宮さま、忍足の左大弁さま、幸村の参議さま、左近中将(慈郎)さま、右近中将(鳳)さまでございます」
「いつ?ほんのさっきなの?」
汀は頷きながら文机そばに置いてある御箱や結び文を持ってくる。
「宵にかかるあたりでございました。中務卿の宮さまがお早かったでしょうか」
中務卿の宮の、といって汀に差し出されたのは雪降る竹林を蒔絵で描いた唐箱だった。笹の間にひっそりと鶯がこちらを覗いている。まだ初音には時季が早い。チチ、と片言のように鳴く時季だ。
蓋を開けると中には雪の乗った笹に結び文がくくりつけてあった。微かに黒方の香がする。
笹の葉に降る雪よりもひとり居で雪吹く手こそ冷えまさりける(笹の葉に降って積もっている冷たい雪よりも、あなたに会うことも叶わず、一人きりで居て笛を吹く手こそ涙に濡れていっそう冷たくなってしまっていることよ)
あくまで格調高く、筆の運びにも気品が漂う。くくられていたのは唐紙で、滅多に見ることが出来ないような美しい品であった。
「ずいぶん美しい御文でございますね」
「…宮さまは雅なお方だから」
前まで中務卿の言動に眉を顰め、呆れを覚えていた姿とは明らかに違う楓姫の様子に汀は目を細める。姫さまは確かに考えていらっしゃる。写経もだいぶ終わり、漉き直した紙も終わりに近づいていた。来月の御仏名の際に長者に渡すつもりだ。
「これは?」
楓の目に止まったのは、そっけない懐紙の結び文だった。
「それは左近中将さまでいらっしゃいますよ」
慈郎さまの…。楓は試楽の慈郎の姿を思い、微かに胸が温かくなる思いがした。手にとって結び文を開く。
宵更けておほぞらの月物思う雲井のかなた人を恋ふとて
(宵が更けてしまって、冴え冴えと光る大空の月を見ているとつい物思いしてしまいます。はるかな宮中にいるあなたを恋しく思って)
素直な、柔らかい詠みぶりで普段の人柄が思われる文だ。添え物や凝った紙ではないところが、逆に慈郎らしく思われて楓はうっすらと微笑んだ。試楽のときはずいぶんきりりとしていらっしゃったけど、やはり根は素直で柔らかなお人なのだわ。
楓がずいぶんと左近中将の文を眺めているので、返事でもなさるのかと汀は硯箱を引き寄せる。今まで楓がもらった文は、いつぞや跡部が言ったように硯箱いっぱいになってしまって、別の唐箱にしまってある。もらった唐箱などと一緒に二階厨子に納めてあるが、もっと増えたらまた唐櫃などを持ってきて納めなければならなくなるかもしれない。


明日の臨時際も間近いというのに、楓はその夜ずっといろんな文を眺めていた。楓がやや睡眠不足で伺候した臨時際はこれまでにない晴れの儀式と公卿たちが声を揃え、また主上も大変に満足したご様子で無事に終わった。もちろん、還立の宴の際には藤壺とその女房たちをお召しになり、心満ちるまで御遊びをなされていたそうだ。


第十二幕『振り返る闇』


いかがだったでしょうか。前半は儀式に管弦にとちょっと文字が多すぎるかな…と思ったのですが、頑張って読んでみて下さい。特に誰ということもなかったのですが、敢えて言うなら慈郎・宍戸・仁王、というところでしょうか。


お付き合い有難う御座いました。多謝。
2005 11 16  忍野桜拝

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