諸戀 第二幕 秋の人

 

大嘗祭の一切を取り仕切っている内侍所は今日も忙しかった。主上一人のお世話ならともかく(それでも大変だが)、後宮にいる后妃たちの世話も仕事だからである。もちろん、他にもしなけれなならないことはたくさんある。大嘗祭は十一月の下旬、まだ一ヶ月あるが、一ヶ月あっても終わるのだろうかという忙しさに楓はあちらこちらを一所なく歩き回った。
部下である掌侍に指示を出し、その上で上司である尚侍のところに確認に行く。尚侍は後宮にいて、実質主上の女人であったので、桐壺にいた。桐壺から尚侍の書状を頂いて温明殿に帰る途中、公達にぶつかってしまった。
「すみません」
ちらりと見かけた袍が深緋色だったので四位の殿上人とぶつかってしまったようだった。手に翳した扇の隙間から文様のある指貫が見え、たいそうな身分なのだと分かる。
「私も余所見していたのだから、すまないね。どこか痛むところは?」
典侍にぶつかられた幸村は少し体勢を直した上で楓に問うた。
「大事ありません」
「そう。良かった。じゃあね、萩の典侍」
足音がすたすたと床に響き、楓は一瞬びっくりして書状を落としそうになった。
なんですれ違いにぶつかっただけで私って分かるの?所謂顔バレが嫌なので(顔見て指差されるとか最低だ)顔を隠すよう隠すように努めているのに。
楓は隠そうと必死になっていたが、人と接する機会の多い典侍だととっさに顔を隠せない事態も多く、大概の者は顔で判別がつくのである。ので、一度も見たことがなく顔を隠そうとする典侍──新しく来た萩の典侍、という構図だ。顔を隠そうとしたことが裏目に出たともいえる。ただ幸村には確信があって楓を萩の典侍と呼んだ。主上の秘書官である蔵人頭である仁王と楓は几帳越しながら面識があり(楓は主上のお世話の最中なので顔など隠せない)、その仁王からこんな典侍がいる、と聞いていたからだ。
『新しゅう来た典侍でな、楓言うんがおるんよ』
「いい名前だね」
『いつもは萩の典侍て呼ばれとるみたいやの。家にそれはすばらしい萩があるとかで、主上もごらんになっとった』
「で、仁王はなんでそれを僕に言うのかな」
『気まぐれじゃ。こないだすれ違ぉたときには侍従の香がしとったとよ。ただ丁子が強い侍従やから、幸村か柳ぐらいじゃないと気づかんかもしれん』
「ふうん。丁子の強い侍従、ね。本当に秋の人なんだ。萩で侍従だなんて」
『跡部が気にかけとった。面白いヤツがおる言うて』
「ということは忍足たちも?」
『もちろん』
そう言われるとちょっと興味が出るもので、幸村は気が向いたときに桐壺の前を通ったりしていた。幸村の務めは清涼殿であり、普段は後宮に入れる立場では無論ないが、幸村の実の妹が藤壺に、義理の姉が梨壺にいるので幸村がいたとしても何ら不思議はなかった。
そしてすれ違い様に香った丁子強めの侍従で幸村は待ち人来たり、と思った。ぶつかったのがとっさだったので顔をかいま見る機会にも恵まれた。美人と言っていい、と思いながら清涼殿への道を行く。美人だが、少し意思が強そうだ。そしてそういうところが跡部の気に入った点でもあるのだろう。後から聞けば当意即妙な歌を返したという。
仁王は目利きだな、と思いながら幸村は政務に戻った。





幸村の家である春日堀川の邸に久しぶりに仲間が集まった。邸の主人である幸村、真田、柳、仁王、柳生、丸井、切原の面子である。
「そうだ仁王、君が言っていたお人に会ったよ。忙しそうに桐壺から温明殿に帰る途中みたいだった」
「美人じゃったろ?」
「なんだよその話」
酒も肴も行き渡り、座が暖まる前に話し出した幸村の話題に丸井が飛びつく。
「新しい典侍のことじゃ。跡部たちも騒いどる」
「萩の典侍のことですね。ご実家の萩が素晴らしく、主上のお目にかけたとか」
仁王の返事に柳生が応え、丸井はふうん、と相槌を打って酒をすすった。
「美人なんすか、その人。顔…は見られないか」
「いや、ぶつかった拍子だったから、ちらっとかいま見たよ。美人だと思う。妹や姉たちとはもっと違う性質の美人だな」
幸村の妹である藤壺の女御も義理の姉の梨壺の更衣もたいそうな美人として世に知られている人物である。切原は御簾越しにしか会ったことがないが、かなりの美人だと思った。その人たちと並べても美人だと幸村は言う。
「どんな感じなんすか?」
「なんていうか、意思が強そうな…しっかりした感じの美人だったな。浮ついたとこが無そうで僕は好きな感じ」
「幸村がそこまで言うの、滅多になくねえ?よっぽどの美人なんだな」
跡部たちの集まりと同じように、仲間うちでどこぞの姫の話をしたり女房の話をしたことはよくある。けれど幸村が自分の姉妹と並べて褒めたのは初めてのことだった。真田は眉間にしわを寄せたまま沈黙も守っている。
「参謀、情報ある?」
「あるが、微々たるものだな。彼女の本名は楓、父親不明、母親は中納言の娘、今はその中納言の邸である萩殿に兄と母親と住んでいる、と。実際は温明殿に住んでいるようなものだが。ああ、前に夫がいたな。一年前に夫と死別、喪が明けて後出仕。父親の筋で典侍の職についたようだ」
仁王の求めに応じた柳が情報を披露し、切原は夫、という単語に詰まって口を尖らせた。
「ああ、だから袴が緋色だったのか。なるほどね」
幸村は合点のいった様子だが、丸井や切原は前夫がいたことが気に掛かるらしい。
「前に夫がいて、今は主上のお勤めなんじゃあ、出る幕なしっすね」
「面白いことあるかと思ったのになーつまんねえ」
話は流れ、萩の典侍の話はそれでしまいになった。




左京大夫の千石はいつものようにあらゆる書状に目を通しては疲れたー飽きたーと呟いて権大夫の室町に叱られていた。
「ねえ室町、見回りとかしようよ」
「そういのは坊令や町長に任せておけばいいんです。あなたは書状に目を通して判をつくのが仕事ですから」
恐れ多くも主上から頂いたお役目を飽きたとは何事だ、という人間は幸い居なかった。真田辺りが居たら言いそうである。
「あーなんか面白いことないかなー。南、面白いこと知らない」
友人の多い京職の詰め所にやってきた南は突如の要求に頭を痛めた。
「あのなあ、そこで室町が困ってんだろ?仕事してろよ」
こんなのが長官で左京職は本当に大丈夫なんだろうか。他人事ながら心配になって胃が痛くなる南である。
「千石さん、亜久津さん連れてきたです」
「でかした太一!ねー。亜久津、面白いことない?」
久しぶりにあった人間にいきなりそれかよ、と亜久津の眉間の皺は深くなった。南がはらはらしながら、室町は無関心に仕事をしながら見守っている。
「あんまねえけど。優紀が新しい典侍が可愛いとかなんとか言ってたな」
「可愛い女の子!?」
一気に千石が勢いづき、辺りの書状が散ってしまった。室町が無言で拾う。
「優紀がそう言ってただけだから、お前の好みかどうかは知らねえよ」
「いや、優紀ちゃんがそういうならきっと可愛いはず!だって亜久津の家の女房もみんな可愛いもんね」
無くなった三品の親王の御息所──つまり優紀はたいそう可愛らしい様子の人で、周りに集まる女房も彼女の人柄を移したように明るく可愛らしい。
「で、なんていう子?」
「実家が萩がすごいとかで萩の典侍とか言うらしいぜ」
「ああ、萩の典侍のことでしたか」
今まで無関心な様子で仕事をしていた室町が口を挟み、千石はびっくりして(南もびっくりしたが気づかれなかった)声を上げる。
「え。室町くん知ってんの」
「名前を聞いたことぐらいありますよ。なんでも主上が口利きして典侍の職におつけになったそうです。跡部さんたちが会いに行ったとも聞いてます」
「跡部くんがわざわざ会いに行くなんてよっぽどの人なんだねー。俺も頑張っちゃおうかなー」
思わず外に出ようとした千石の袍の後ろを引っ張ったのは南だった。
「これ以上室町に迷惑をかけるな。仕事しろ。それからにすればいいだろ、その子に会いに行くのは」
千石に向かって女の子に会いに行くなとはさすがに言えず、仕事を優先させるよう諭した南に室町が心中で感謝する。
「そうだね、そう決めたら仕事も頑張れる気がしてきた!」
「良かったです」
途端やる気になった千石は仕事を頑張り始め、室町は南を拝む勢いで感謝を深めた。亜久津が気だるげに外へ出ていく。
「おい千石」
「はいはーい」
さっきとはうって変わって書状に目を通していた千石は一瞬だけ顔を上げた。
「優紀からの伝言だ。亥の子餅は一緒に食べようね、だとよ」
「もっちろーん!優紀ちゃんにお土産持っていくから楽しみにしててって伝えて」
「分かったよ」
亜久津の後を追うように壇も出て行った。





「ねえ汀、まだ起きている?」
「もちろんですよ」
ここ温明殿の主人はいちおう楓、ということになっている。本来は尚侍が主人だが尚侍は桐壺にいてこちらには来ないので次官である楓が主人ということになっているのだった。楓の身の回りを世話する汀が声に応じて身体を起こした。
「お父様からの文がもうひどいの。社会性がどうとかって言うから少々納得したのに、実際は夫を探せですって。ひどいと思わない?」
楓は前の夫と別れて一年と少しになる。死別であったから情が移ろうこともなく、楓なりに苦しい思いもしたのだ。
「殿は姫様に幸せになってほしいんですよ。前の殿様もよいお方でございましたが、亡くなられた今は姫様を守る者がおられません。殿も考えに考えなさったことだと思いますよ」
「黒羽と天根に守ってもらうからいいわ。あんな苦しい思いをするのなら夫なんていらない。別れるのだと思うと辛いんだもの」
汀は楓の性質が変わらないことに目を細め、軽く微笑んだ。暗い塗籠の中では表情など見えないが。
楓は夫が亡くなった際に髪を切ろうとしたことがある。喪に服すのならいっそ尼になってやるといって、そのときは邸の人間総出で止めたのだった。結局は父親の頼みで切るのを思いとどまり、出仕までした。楓は若い。夫を亡くしたといってもまだ十八、娘盛りの身をもう一度…と父親が祈ったとしても誰も父親を責められまい。
「思うさま、文をしたためなさいませ。殿は姫様の声が聞きたいのですよ」
正確に言うと、楓の感情が見たいのだ。夫をなくして間もない頃、楓は失意のあまり表情すら乏しかった。それほどまで愛していた夫を失った楓にもう一度夫をと願う殿の気持ちは分かるが、楓の気持ちも分かるだけに汀は苦しくなった。板ばさみだが、両方とも性質の良い人たちなので嫌気はささない。もっとひどいところもあると聞いた。
「亥の子餅は憂さ晴らしに盛大にしましょうね。亥の子餅が終わったらまた大嘗祭の準備で大忙しだけど…」
「そう致しましょう」
秋の夜は更けていく。外で鈴虫やこおろぎが音を鳴らしていた。




第三幕『亥の子餅』



いかがでしたでしょうか。立海と山吹が出せてもう満足です!(程度が低いぜ)第一幕と合わせて、これで登場人物全部になります。
今回は歌がないからスムーズに、一気に書けました。亜久津好きの私としては亜久津を出せてもう満足です。あと仁王が好きなのでちょっと贔屓して彼の役職は良い役職になっています(笑)。
前回同様、不明な点、出して欲しいキャラなどありましたら拍手・BBSなどでどうぞ。

お付き合いありがとうございました。多謝。
2005 9 30 忍野さくら拝

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