螺旋の関係<5>
憲実と金子は、どちらともなく杯を掲げた。
飲まなくてはやってられない。そんな気もする。
大概の皿には、1つ2つ、申し訳程度に残っているという状態まで料理は減っていたので、端から片付けてゆこうと、義務感で箸を伸ばす。
「土田、止めておけ。」
金子が憲実の手を止めた。
「何だ?」
少々不機嫌な声で憲実は答える。
「そんなつまらなそうな顔で食っても、美味く無いだろう。」
「・・・」
それは事実だったので、憲実は黙り込む。
「黙っていればバレるまい、と唆してもお前は承服しないだろ?
折り詰めにしてもらうというのはどうだ? 料理も、酒も。
それなら無駄にしたことにはならんだろう。」
その選択肢には、全く気づいていなかった。
明日の朝食前にでも、充分片付けられる量だ。
酒のほうは・・・どうせ級友達が喜んで片付けるだろう。
「ああ。そうだな。」
憲実が頷いたのを確かめて、金子は店員を呼んで色々と指示を出した。
いくばくかの金も渡しているようだ。
「全く。こんなに貧乏臭いことは性に合わないんだが。」
金子が呟いている間に、店員が風呂敷包みを持って来た。
料理の入っている包みと、酒の瓶の入った包み。
憲実は頭を下げて、その包みを受け取った。
「じゃあ、帰るか。」
金子が立ちあがる。酒はさほど飲んでいないのだろう。その行動に危ういものは無い。
「ああ。」
憲実も立ちあがる。酒は浴びるほど飲んでいるが、酔いは回っていない。
もう一度卓の上や横を見て、残した物や忘れた物が無いかを確かめてから、二人は店を後にした。
寮の部屋へ戻って、憲実は一息つく。
なんだか妙な宴会だった。
要の気持ちは嬉しいが、どうにもあの七人で楽しく飲むのは難しいのでは無いかとも思う。
夜も遅く、風呂も閉まっている時間なので、酒臭いのは承知で憲実はそのまま寝巻きに着替え、寝台に倒れこむように横になる。
憲実の体を受けて、寝台がどすりと鈍い音を立てる。
その音が落ち着くと、静寂が部屋に満ちる。
「土田。お前は・・・卒業したら仕官学校に進むのか?」
存在を感じさせないほど、音も無く身支度をしていた金子が静寂を破った。
「・・・ああ。そのつもりだ。」
突然何を言い出すのだろう。
「俺も上へ進む。いずれ・・・貴族院に入るつもりだ。」
金子の家柄と本人の実力があれば、それは可能だろう。
「それでだ土田。俺と手を組む気は無いか?」
いつのまにか憲実の寝台の傍にまで来ていた金子が、静かに腰掛ける。
座り方が静かだったので音は出ないが、寝台は金子の重さを受けて小さく沈んだ。
「どういう意味だ?」
憲実は体を起こす。また、寝台がたわむ。
「俺達は要に捕らわれて、そして要から離れられない。」
金子は人差し指を下から上に動かし、空中に1本の線を描いた。
「要の周りを回りながら、行くしかない。」
そして、その線の周りに螺旋を描くように指を動かした。
要を中心として、螺旋を描く自分達。
どこまでも上へ。それとも、どこまでも下へ?
「・・・」
憲実は長考に落ちる。
要の物である自分。要にとって、より良き存在になるのが自分の存在意義。
たとえば今は士官学校に行きたいと思ってはいるが、もしも要がそれを止めたなら、何も疑問を挟まずに自分は将来を変更するだろう。
「しょせん逃れられないのなら、楽しんだほうが得だ。少なくとも俺はそうすることに決めた。」
金子が笑う。
「駒同士の連携がある方が、何かと都合のいい場合もある。」
駒。プライドの高い金子が自分を駒だと言い切るまでには、何があったのだろう。
自分のように、捕らわれてしまったのは間違い無いが、詳しい経緯については聞いたことが無かったし、聞く気も無い。
「俺は要から離れるつもりは無いし・・・お前もそうなんだろ?」
金子が憲実の顔を覗きこむ。
部屋の安っぽい裸電球の光でも、金子の整った顔の造作は隠しようも無い。
細い眉、形の良い二重の目、通った鼻梁、薄い唇。
いささか癖はあるが、充分美男子で通じる外見だ。
その目が真っ直ぐに憲実を捉えている。
強すぎる眼差しが痛くて、憲実は目を伏せて頷いた。
くすりと笑う気配がして、空気が動いた。
柔らかに唇に押し当てられている、少し湿り気のある・・・。
「?!」
とっさに憲実は金子から体を離す。
「いいじゃないか。どうせ、要とはやってるんだろ?」
金子が淫靡に微笑む。
「それとこれとは違う。」
紅くなりながらも否定する憲実。
「今、きっと要は月村と最中に違いないぞ。」
金子の口の端がゆがむ。
「それがどうした。」
要と月村の関係くらい知っている。要にとっての月村の位置も。
所詮、要に飼われている自分と月村では違いすぎる。今さら二人の関係を壊そうとも思わない。
「俺は今、要としたい。けれど、要は忙しい。
要の駒として、もう一つの駒の欲求を叶えるのは義務じゃ無いのか?」
金子がするりと憲実の近くに身を寄せて、火浦の付けた首筋の跡の上に唇を重ねる。
「どういう理屈だ。」
「代用品とか、傷の舐め合いとか、飼い犬の義務とか。そういう理屈だ。」
悪びれずに、金子は憲実の首筋を強く吸った。
「!」
「これで、この跡は『金子が付けた。』で通るな。」
火浦が付けて、金子が跡を濃くした。そんな細かい事実を隠しているだけで、嘘は付いていない。
そのやり口が月村に似ている気がして、憲実は眉を寄せて金子を見た。
「俺と手を組む気は無いか? 土田。」
金子の濡れた唇から発せられる、先ほどと同じ問い。
金子は前からこんな顔をしていただろうか?
冥さを楽しむような、諦めの混じった笑み。ひどく扇情的な。
「多分それが、要のためでもある。」
軍と政界。その二つに後ろ盾が出来るなら。
それぞれが独立しているのでは無く、連動しているのなら、なお。
憲実は、しばし瞑目し、ゆっくりと目を開けた。
その目に宿る力強く、それでいて冥い光。
「そうだな。」
答える声は、掠れて低い。
「じゃぁ、最初の密談だ。」
金子が笑って、自分の服を落とした。
「・・・・・・・・」
憲実は無言で自らの服を脱ぎ捨てる。
細身で引き締まった金子の体と、彫像のように筋肉の流れの見える憲実の体が重なって、寝台に落ちる。
ぎしり、と、低い音をたてて寝台が沈んだ。
要を囲む、螺旋の関係。
それぞれがそれぞれの軌道を描き、途切れること無く、たまに他の螺旋と起動を合わせながら、どこまでも続いて行く。
どこまでも上に、昇ってゆくのだろうか。
それとも。
どこまでも下へ、墜ちてゆくのだろうか。
要と共に。
それならば、そう悪くは無い。
憲実は目を閉じて、今はもう一つの螺旋と関係を結ぶ。
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