雷鳴
〇久
グラスランドの人間の行動は、えてして単純だ。
例えば今日は、雨が降っている。
だから、特に大きな予定の無い今日、好んで働こうとする人間はいない。
天からの恵みが大地に染みこむその間、人も天幕の内で天からの恵みである休息を楽しむのだ。
雨はしだいに激しさを増した。
閃光が草原を照らし、間を置いて低い轟きが聞こえる。
遮る物の無い草原で、雷は何処へ落ちるかわからない。
たとえ、炎の運び手が集うこの、小さな集落といっても過言ではない規模の仮の野営場に、魔法で防御が張られていようとも、染みついている習性はそう簡単に抜けるものでもない。
そんな、誰も彼もが自分の包の内に篭る雨の日に、一人、外を歩く者がいた。
「ワイアット、いるか?」
そう声をかけて、ゲドはワイアットの包を訪れた。
炎の運び手の中心人物である3人には、それぞれ個別に包がある。
「ゲド? 珍しいな。」
ワイアットは驚きつつも、愛想のいい笑顔でゲドを招き入れた。
「あーあー。こんな濡れちまって・・・。ちょっと待てよ。」
ゲドの黒いコートからは、水が滴り落ちている。
髪も濡れて顔に張り付いているし、まさしく濡れネズミな状態だ。
ワイアットは右手をゲドにかざした。真なる水の紋章が青く輝く。
「去れ。」
端的な命令に従って、ゲドの髪や服を濡らしていた重く冷たい水は離散した。
髪から、服から、水飛沫が宙に浮き、それが細かい霧状になって消える様を、ゲドはじっと見つめていた。
そして、そこにいるのは、喪服を思わせる黒く長いコートに身を包み、重く右目を隠す前髪をした、いつものゲド。
「・・・こんなことのために、真の紋章の力を使うのか。」
呆れたようなゲドの呟き。
「いいんだよ。どうせ今日は魔力を使う用事も無い。
だが、俺が抜けるのは水だけで、体に染み込んだ寒さはどうにもならん。
・・・一杯、飲まないか?」
ワイアットはゲドを椅子に座らせて、卓にグラスを2つ置いた。
強い酒がゲドの体を内側から温めてゆく。
ゲドの顔色を判断して、ワイアットが話しかける。
「で? 今日は、何の用なんだ?」
ワイアット自身も、グラスを仰いでいる。
「・・・今度の戦いにおいての兵の編成についてだ。
お前は、こういう日にしか捕まらないからな。」
ゲドが苦笑する。
兵からの人気が高いワイアットは、訓練だ、相談だ、飲みだ、と、日々忙しい。
下手をすると、個人の包にまで部下が押しかけて、泊まって行く。
ワイアットと確実に話しがしたいならば、上での話し合いがあると最初から周りに断りを入れるか、今日のように周りが引く時を選ぶしかない。
「ああ。そうだな・・・」
ワイアットは軽く笑った後、表情を引き締めた。
普段は何気なく声をかけ、励ましている一般の兵に対しての、冷静で冷ややかな評価が入る。
誰をどのように部隊へ編成し、どのように配置し、どのように戦うのか。
ハルモニアに、兵力で劣る炎の運び手の一団にとって、兵の編成は死活問題だ。
時には冷酷に、捨て駒たる隊の編成もしなければならない。
そして、その作業に炎の英雄である男は向いていない。
主にワイアットとゲドが編成に関しての案を出し、英雄たる彼が認証する。それがいつものことだった。
話が一段落して、二人は息をついた。
「よし。終わった。じゃ、飲もう。」
さっきから飲んでいたくせに、ワイアットは改めてそう宣言してグラスに酒を注いだ。
グラスに満ちる、琥珀色の液体。
部屋に灯された明かりを反射して、煌いている。
揺れる光をワイアットは飲み干した。
「ん? お前も飲むだろ?」
ワイアットは瓶を右手に持った。
右手の紋章が光って、瓶から琥珀色の液体が空を飛んでゲドのグラスに落ちる。
「・・・器用なもんだな。」
ゲドは手元のグラスを回す。
物理的法則に逆らって、一滴も零れずにグラスに収まった酒は、今は遠心力に従って揺れている。
「水と、それに属する物は俺の範疇だからな。」
ワイアットが笑う。
もしかすると、この男が酔わないと評判なのは、酒を紋章の力で体の外に飛ばしているからでは無いかという疑問がゲドの内に起こる。
水を司る、真なる水の紋章。
何を想い、それはワイアットを主として選んだのか。
そして、何を想い、真なる雷の紋章は自分を選んだのか。
酒が少しずつゲドの内側を回り、とりとめの無い考えを誘発する。
遠くで、雷の落ちる音が聞こえる。
それを言葉にするつもりは無かったのに、何時の間にかゲドは低い呟きを発していた。
「雷は・・・何も産まない。」
「は?」
「炎は・・・全てを焼くけれど、明かりや調理の道具として不可欠で、人に必要な力だ。」
「ああ。」
「水はもちろん不可欠な力だし、土も、糧を産む基本の力で、風は季節と種を運ぶ力だ。」
「ああ。」
「雷が・・・五行の中で、雷だけが違う。神の鉄鎚。罰を与えるためだけの、戦いの力。それは何も産まない。何も。」
「・・・」
「何をして、俺は真なる雷の紋章を受け継いだ? 護るものも護れず、壊すだけの力。
それが俺に一番相応しい力だということか。」
自分に言い聞かせるような、自分の内側に潜ってゆくようなゲドの言葉。
「ゲド・・・」
ワイアットは小さく呟いて、そして右手の指を鳴らした。
包の中だというのに、ゲドの上にだけ土砂降り状態で雨が降った。
「な・・・」
再び濡れネズミになったゲドは、驚いて顔を上げる。
「目、覚めたか? ずいぶん酔ったみたいだったからな。」
ワイアットが悪びれずに笑う。
「あ、ああ・・。そうだな。」
正気に返ったゲドは、両手で顔に貼り付いていた髪をかきあげる。
現れる左目と、隠された右目。
ワイアットから、右目を治す気は無いかと問われたのは、もう大分前のこと。
その言葉をきっかけに、右目に何を抱えているのか自覚してしまった。
―――――――幸せだったあの頃の風景―――――――
護りたかったことも、護れなかったことも、忘れてはいけないから、まだこの傷は治せない。
ただ、それ以来、何も言わないワイアットの前に眼帯を晒すことは、どこか気まずかった。
「雷ってのはな、大地を活性化させる力があるっていうぜ。」
沈黙を破ったのは、ワイアットの軽い口調。
「人間だってそうだろ。刺激が無きゃ、ダレる。
必要の無い力なんて無いさ。」
ワイアットは再び真なる水の紋章を発動させ、ゲドを濡らしている水を離散させた。
「・・・そうだろうか・・・」
「そうさ。それに。」
ワイアットは、所在無さげに膝の上に置かれたゲドの右手に、自分の右の拳を重ねた。
「風が、炎を強めるように、水は雷を遠くまで運ぶ。
俺とお前が出会ってるんだから、何か意味があるんだと思うぜ。」
ワイアットの、右手の青い光に呼応するように、ゲドの右手の紋章が緑の光を放った。
「お前は気楽でいいな。」
ゲドは肩の力を抜いた。
「お前が難しく考え過ぎなんだよ。」
ワイアットは右の拳で、軽くゲドの体を叩く。
「そうかもしれんな。」
色々なことがあって、色々なことを考えて、動けなくなってゆく。
それが、いいわけは無い。
「だから、飲もう。」
再びワイアットは瓶を構える。
「・・・・・」
ゲドは絶句する。
「考えないためには酒も有効だ。
また悪酔いしたら覚ましてやるから、安心していいぞ。」
ワイアットは・・・この男もまた、ある意味子供のように笑う。
邪気の無さそうな笑顔。
騙されてもいいかと思ってしまう。
甘えてもいいのかと思ってしまう。
そんな感情を、持ってはいけないのだろうが。
「・・・」
黙ってゲドは空のグラスをワイアットの前に差し出す。
ワイアットは瓶を傾けて、酒をゲドのグラスに注ぐ。
そして、自分のグラスをかかげて、ゲドのグラスと合わせる。
小さな音が包の中に響く。
「乾杯。」
「ああ。」
飲み干した琥珀色の液体は、ゲドの内側から体を温めて、癒す。
ゲドは、その心地よい感覚に体を預ける。
雷鳴が近くなる。
けれど、その音はもう、ゲドを追い詰めたりはしなかった。
了(2003.0527)
コンセプト的に、ゲドを甘やかすワイアットっていうのがまずあったのです。
あと、雷って、何? と。 これは純粋に私の疑問。
地水火風の4大元素(だっけ?)に雷は入って無いわけでしょ?
五行で出てくるっていえば出てくるけど、二次的。木の中の力ですよね。
(中国五行は火、水、木、金、土)
雷っていうと、ソドムとゴモラを滅ぼした神の鉄鎚。トールハンマー。
どうにも破壊イメージしか出てこないのですよ。
科学技術の発達した今ならば、電気ーーー! と言えますが、ファンタジー世界ではどうにもこうにも使い道が戦いしかないかと。
まぁ、真の27の紋章は、他にもソウルイーターだとか黒き剣とか、ぶっちゃけ破壊専門紋章なんて山とあるわけで。
今さら雷が破壊のみでも、ユーザーは全く困らないわけですよ。(笑)
むしろ、その精度からして炎より雷のほうが使い易いとか。(爆)
でもまぁ、ゲドは真面目に考え込んでしまう気質なので、周りにいる炎と水が、お役立ち紋章(そうか?)なのに自分が違うってのが気になるのでしょう。多分。(え?)
で、ワイアットが甘やかす。(←どうしてもやりたいらしい)
真なる水の紋章に、水芸が出来るのかは未知です。オリジナル設定です(当たり前だ)
でも、水を司ってるならできそうですよね。欲しいなー。便利そうだなー。
以前読んだ小説だと、少ない水でもシャンプー出来るんです。水属性だと。
頭皮に水を走らすのですよ。ええー便利ーーーいいなーと思った記憶が、こんな所に出てきた模様です。
ワイアット(ご贔屓)が沢山書けて幸せです。きゃっ。