| 夏宵の向日葵 |
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《前編》 任務帰りに通りかかった商店街。 既に夕闇が迫る頃だと言うのに、貯えられた地熱が未だ昼間の暑さを残し、ジリジリと足元から熱気が立ち上がる。 その所為か、道行く人は皆どこか疲れたような表情を見せて、気だるげに歩いている。 そんな中。 頭の天辺から足の爪先までをきっちりと忍装束に包んだカカシは、暑さなど感じていないかのようにひとり飄々と足を運ぶ。 実際のところ、鼻まで覆う口布と左目を隠す斜め掛けの額当てが鬱陶しくないはずがない。 そのどこまでも飄々とした様は長年忍として生きて来たが故に、あまり表情が外に出ることがないだけで、内心はカカシも「あちぃな、畜生・・・」なんて考えていた。 「――――あ」 美しく飾られたショーウィンドウ。 目の端に映った金色に反応したのは、それがカカシの教え子であり想い人でもあるあのコの持つ色彩だから。 その正体を確かめるべく巡らした視線の先。 濃紺の地に黄色い向日葵の柄。 カカシの目を引いた黄色い向日葵はちいさな浴衣に染め付けられていた。 子供用に作られたらしいそれは飾られているほかの浴衣よりもかなり小振りで青を基調にしたグラデーションの三尺帯もひらひらと可愛らしい。 「もう浴衣が出回るような季節なんだなぁ・・・」 ぽつりと呟いて。 季節を感じる暇もない自分は忙しすぎるのか、それとも年を取った所為で時間が流れるのが早く感じるのかを結構真剣に考えてみる。 「やめよ・・・」 世間一般から言えばまだ若輩の年齢にあるカカシだが、想い人の年齢が年齢だけに思わず溜息が出た。 ついと浴衣から視線を逸らしてまた歩き始める。 濃紺の地に向日葵。 それは、夜の闇の中で見えない太陽を求めて、向日葵が頭を巡らしているようで。 まるで、逆境にも蔑みにも真っ向から向かっていく金色の子供のよう。 あのコは健気に太陽に向かって頭をもたげる向日葵によく似ている。 考えてみれば、色彩も向日葵そっくりだ。 風にそよぐ金色の髪は花びら。 清々しいくらいに大輪の花は全開の笑顔。 今度向日葵畑を目にしたら、ナルトの多重影分身を思い出しそうだ。 あっちを見てもこっちを見てもナルトだらけ。 『センセー』 そう呼ぶ声さえ聞こえてきそうで。 思わずカカシの口元で笑みが零れる。 けれど、不意にカカシは真顔になった。 向日葵はどんなに焦がれても太陽に届くことはない。 どんなに頑張って背を伸ばし、上を見上げても。 焦がれる太陽は遥か遠く。 向日葵はそれに気付いた時。 絶望したりしないのだろうか。 始めはいい。 いつか太陽に届くのだと、若い向日葵はその日を夢見てすくすくと背を伸ばすだろう。 けれどそのうち、いつまで経っても太陽に届かない自分に疑問を感じる日が来る。 向日葵が枯れる時。 それは太陽に届かないことに絶望して背を伸ばすのを止めてしまう時なのかもしれない。 ―あのコもまた、いつか己の夢に絶望し、背を伸ばすのを止めてしまう日が来るのだろうか。 サンダルの裏から熱が伝わってきそうなアスファルトの道を歩きながら。 そうならなければいいとカカシは切に願う。 教師として、そしてナルトを想う者として。 ナルトの夢が断ち切れる日が来ないように、精一杯のことはしてやるつもりだ。 けれどもし、ナルトが自分で自分の夢に限界を感じた時は、何も言わずに抱きしめてやろうと思う。 無理に嗾けるようなことはしたくない。 夢に向かって駆け続けるナルトは、その過程で少なからず瑕を負うだろう。 それは生半可なものではない。 瑕を負い、そこまで懸命に駆けて来たナルトが限界を感じたのならば、それ以上頑張れとは言えない。 カカシにはナルトを枯らすつもりは毛頭ない。 絶望し、枯れ果てる前に手を差し伸べてやれるのが自分ならいいとカカシは思う。 否。 それは自分でなくてはならない。 その役目だけは誰にも譲りたくない。 闇の中で太陽を探す向日葵のような思いはさせない。 いつも一緒に居てやりたい。 今まで一人で生きて来た分、ナルトが受け取ることのなかった温もりを与えてやれたらいい。 ただ、問題なのは肝心の時にナルトがカカシの手を取ってくれるかということで。 野生に生きて来た小動物のようなナルトはその警戒心の強さ故か、他人の好意を受け取ることに酷く臆病なのだ。 たった一人。 ナルトにとって自分を認めてくれた最初の人、イルカを除いては。 カカシは無意識の内に眉間に皺を寄せていた。 無条件にナルトの中に入り込めるのはあの男だけ。 その事を考える度にカカシの中に苦いものが込み上げる。 赤子だったナルトをカカシがその腕に抱いたのは十四の時。 戦火の中で傷つき倒れた恩師に託された赤子は、そのちいさな身体に抱えきれないほどの業を背負わされて其処に存在していた。 その軽い身体、あどけないミルク色の頬、ちいさな手足。 強く抱きしめたら壊れてしまいそうなその果敢無さに。 そして、大切なものを何一つ守れなかった自分の弱さに。 涙が出た。 それからしばらくカカシは自分の手でナルトを育てた。 ナルトが見せる愛らしい笑顔にあの頃、どれだけ癒されたかわからない。 大事に大事に、自分の全てをかけてこのコを守ろうと誓ったのに。 ナルトが物心つく前に、半ば強制的にカカシはナルトから引き離された。 九尾持ちの子供と写輪眼のカカシが共にあることに危機感を抱いた里の重鎮たちの思惑によるものだった。 それならばと、誰よりも強くなる為に暗部に入隊したのは十六の時。 何も考えなくてもいいように無心に任務をこなして、十年。 与えられる任務のほとんどが長期の国外任務だったが、時折報告に帰る里でいつもナルトの姿を探した。 表立って会うことも言葉を交すこともできなかったけれど、ナルトが無事であるだけで満足だった。 ナルトが下忍になり、三代目の計らいでカカシはナルトの上司になった。 わかってはいたが、ナルトはカカシのことなどこれっぽっちも憶えてはおらず、代わりにアカデミーの教師がナルトの中の大半を占めていた。 ナルトのイルカに対する想いは、親兄弟に対するような親愛の情でしかないとわかっていたし、憶えてもいないことを楯にとってナルトを縛り付けたいわけではない。 それでも、面白くないものは面白くないのだ。 ナルトが下忍になってカカシが担当上忍になってから、教師と生徒、上司と部下という柵は出来たけれど。 傍にいてやることすら出来なかった頃よりはずっといい。 少しずつ少しずつ。 ナルトの心を溶かして。 ようやく手に入れたのがつい三ヶ月前。 性急なほどに全てを求めたカカシをナルトは受け入れてくれた。 初めて親愛の情以上の好意を示したのがカカシだったから、親を知らない雛が初めて見たものを親だと思うように、ナルトの自分に対する好意も刷り込みに近いものだろうとカカシは思っている。 カカシとて、ナルトがいくら子供とはいえ、伊達や酔狂でカカシと付き合っていると思っているわけではない。 それでも、自分のナルトに対する異常なくらいの執着を自覚する度に、カカシはナルトがくれる淡い想いとの差を感じてしまうのだ。 甘えることすら知らないナルトは恋人のカカシにさえもどこか遠慮がちで。 普段の図々しいまでの態度をとる「うずまきナルト」 それはナルトが必死に演じているものだと気付いたのはスリーマンセルを組むずっと前。 アカデミーに入る前からナルトを見ていたカカシだからこそ気付いたその事実。 一人の時のナルトには表情がまるでなかった。 笑顔も哀しみも怒りも。 虚無。 それがぴったり来るような。 なにも「無い」 まだ幼い子供には不似合いな。 いくらか子供らしく振る舞えるようになったのはイルカのおかげだろう。 悔しいが、それだけは感謝しなくてはならない。 イルカに会ってからナルトはきっと少しずつ色んな事を経験したのだろう。 普通の子供なら当たり前の行事。 春なら花見、夏なら祭・・・。 そこまで考えて、カカシはピタリと足を止めた。 あのコは浴衣を着たことがあるのだろうか。 それどころか、祭などというものに行ったことがあるのだろうか。 いくらイルカがナルトを特別に可愛がっているとはいえ、アカデミーの教師が一人の生徒だけを祭に連れて行くなんてことは考えにくい。 一楽ならともかく、祭には生徒もその親も大勢来るだろう。 その大多数が何らかの形で十三年前の事を知る者たちなのだ。 どこからでも監視できるように街の中心部にある古びた家の窓から、小さく見える祭の灯りと微かに聞こえる祭囃子。 手を取り合って祭に向かう親子連れや、走っていく子供たちをナルトは毎年見送っていたのか。 それとも薄い布団に包まって祭などなかったように眠りに就くのか。 「―――そういえば・・・・」 カカシは三日後に里で祭があることに気付いた。 昨日、それらしきことをサクラが口にして、しきりにサスケを誘っていたのを思い出したのだ。 それを思い出した瞬間に。 カカシは回れ右の体勢を取って、たった今辿って来た道を足早に戻っていた。 「じゃ、かいさ・・・」 「サスケくーん!今日一緒にお祭りに行きましょう!」 カカシが「解散」と言う前に、サクラはダッシュでサスケの元に駆け寄ると、恥じらいつつも押しの強さを前面に出してサスケの腕に絡み付いた。 「・・・遠慮しておく」 「そんなこと言わないでっ」 素っ気無いサスケの態度にもサクラはめげない。 女の子って強いよなぁ、と「解散」の号令すらかけさせてもらえなかったカカシは苦笑い。 「ナルト、おまえはどうするんだ」 「え?オレ?」 サスケに突然話を振られて、ナルトは驚いたように瞳を瞬かせた。 そんな事を言われるとは思ってもみなかったのだろう。 カカシはといえば、何気ないふりをしてしっかりと二人の会話に耳を傾けていた。 サスケはナルトに淡い恋心を抱いている。 しかし自分を過小評価しすぎるナルトは、サスケの気持ちには全くと言っていいほど気付いていない。 こんな子供に負ける気はしないがそれでも危険分子は排除しておくに越したことはない、とカカシは思っていた。 「祭・・・行かないのか」 「・・・・・・・」 答えないナルトにサスケはもう一度、今度は目的語を明確にして問うた。 それでもナルトは答えない。 きっとナルトの心の中では自分と一緒に祭なんかに行ったらサスケとサクラが白い目で見られるとか、そういう思いでいっぱいなのだろう。 「しょうがないから、ナルトも一緒に来てもいいわよ」 黙ってしまったナルトの態度をどう取ったのか、サクラがそう提案した。 言葉は乱暴だが、サクラがナルトを大事に思っているのは紛れもない事実。 それにナルトがいたとしても、サスケと三人ならばそれはそれで楽しいに違いないと乙女の打算もあった。 「・・・あのさっ、オレってば今日、用事あるんだってばよ!だから一緒に行けないってば!」 一呼吸おいてから、ナルトはニシシとお得意の笑顔を浮かべてようやく二人の誘いを断った。 (無理しちゃって・・・) やれやれ、とばかりにカカシは軽く肩を竦めた。 ナルトの作り笑顔は年季が入っている。 どこまでも無邪気でいたずらっこの仮面。 それを被っている限り、ナルトはいつもの「うずまきナルト」でいられるのだ。 しかし、サスケやサクラに通用したとしても、カカシにはその仮面は通用しない。 「用事があるならしょうがないわね。じゃ、サスケ君二人で・・・」 「オレは行かない」 「さ、サスケくん〜・・・」 すたすたと帰り始めてしまったサスケを追ってサクラも帰って行く。 その様子を見ていたナルトがほっとしたように溜息を吐くのがカカシの目に入る。 「センセー、また来週!」 ようやくナルトがいつもの笑顔を見せて、カカシに手を振った。 けれど、カカシはそんな仮面のような笑顔が見たいわけではない。 「ナルト」 帰ろうとしていたナルトをカカシが手招きするとナルトはタタッと素直に走りよって来た。 「センセー、何?」 カカシの腹辺りまでしかないナルトはカカシと視線を合わせる為に、自然顔を仰向ける状態になる。 それでなくとも普段から襟ぐりの広い服を着ている所為で、白く細い首元から胸元にかけての滑らかな肌が晒されて。 カカシはその様にすぅっと目を細めた。 このコはカカシと躰を重ねる関係になってからもセクシャルなコトにはとんと疎い。 自分の仕種や外見がカカシにとってどれほど魅惑的かなんてこと、考えたこともないのだろう。 カカシは徐に手を伸ばしてナルトの頬に触れた。 「せんせ?」 黙って頬を撫でるカカシをナルトは不思議そうに見上げている。 「一緒に祭に行こうか」 「え・・・っ」 ぱぁっと小さな顔に笑顔が広がった。 と思ったのは一瞬で。 すぐにナルトは瞳を曇らせてふるふると首を振った。 「・・・なんで?」 カカシにはその理由がわかっていたけれど、敢えて「何故」と問う。 きゅうっと唇を噛み締めてナルトが俯いた。 「・・・オレが行ったら、みんな嫌がるってば・・・」 楽しいはずの祭の雰囲気を壊すなんてこと、ナルトはしたくなかった。 幼い頃から自分が嫌われているのは知っていた。 普段でも里人の目は身を刺すように冷たいというのに。 「俺はナルトと一緒に祭に行きたい。ナルトは?」 『みんな』とか『里人』とかそういうのを抜きにして答えなさい、と暗に匂わせてカカシは聞いて来る。 ナルトは祭に行きたくないわけではない。 むしろ行きたいと思っていた。 大好きなカカシと一緒に祭に行くのが嫌なはずがない。 じっと見つめて来る隻眼に背中を押されるようにして、ナルトは呟く 「・・・・行きたい・・・」 そんなこの年頃の少年なら当たり前の望みさえ、泣きそうな声で絞り出すようにして告げるナルト。 カカシは何も言わずにナルトの頭を撫でる。 「報告書出したら迎えに行くから」 コクンとナルトが頷いたのを確認して。 もう一度くしゃりと金髪を撫でると、カカシは足早に受付所に向かった。 「・・・・それ、どうしたの」 玄関に出て来たナルトを見て、カカシは驚いた。 それもそのはず。 ナルトの格好はいつものオレンジ色の服ではなかった。 白地に金魚の柄。 黄色い三尺帯。 紛れもなく浴衣と呼ばれるものにナルトはその身を包んでいたのだ。 呆けたように固まっているカカシを余所に、ナルトは少々興奮気味。 「あのさ、あのさっ。イルカセンセーがこれ着せてくれたんだってばよ」 「・・・・・・・」 よくよく事情を聞いてみるとナルトはカカシと別れた後、たまたまイルカに会ったらしい。 そして、カカシと一緒に祭に行くのだと告げると、浴衣なぞ持っていないナルトを気遣ってか、自分が持っていた子供用の浴衣を貸してくれ、その上着付けまでしてくれたのだそうだ。 まったく器用なことである。 嬉しそうに頬を上気させて、ナルトはカカシの前でくるりと回ってみせた。 蝶結びにした黄色い三尺帯がひらひらと金魚のしっぽのようにナルトの背中で揺れていた。 子供らしく浴衣の裾が短めで、細い脹脛が半ばまで露わになっているのが可愛らしい。 文句の付けようのない着付けだが、カカシはナルトに浴衣を着付けるのを内心楽しみにしていたのだ。 「センセ、どうしたってば?」 何も言わないカカシを不安そうにナルトが見上げる。 「へ、ヘンかな?」 浴衣など着たことのないナルトは、自分の格好がどこか変なのかと思ったようだ。 顔を俯かせて、袖を上げたりしながら自分の姿を見下ろしている。 そんな様も愛らしい。 「・・・変じゃないよ。似合ってるよナルト」 ナルトの喜ぶ姿に水を差したくはない。 差したくはないが、カカシの心中はやはり複雑だった。 「センセー、その荷物なに?」 その時、ナルトがカカシが手に持っていた大きめの紙袋に気付いた。 カカシが自分用とナルト用に持って来た二着の浴衣。 しかし、そんなことをナルトに言えばナルトが困るのは目に見えている。 「・・・・・・先生の浴衣」 仕方なくカカシはそう言っておくことにした。 事実、嘘ではない。 ただ自分の浴衣の他にもう一着浴衣が入ってるだけで・・・。 「センセーも浴衣着るんだ」 純粋にお揃いな事が嬉しいらしいナルトに曖昧に笑ってみせてから、カカシは着替える為にとナルトに断って寝室を借りた。 パタンと後ろ手にドアを閉めて深い溜息。 「また先越された・・・・」 カカシはナルトに聞こえないようにそっと呟いて、二人分の浴衣の入った紙袋を床に放り投げた。 そうして、ヤケクソ気味に自分も浴衣を身につけ始めたのだった。 からころとナルトが履いた下駄が鳴る。 履き慣れない下駄を履いている所為かナルトの足取りは覚束ない。 時折前のめりに転びそうになるナルトを繋いだ手で支えながら、カカシは神社の鳥居をくぐった。 その途端、きゅうっとナルトのちいさな手に力がこもる。 大丈夫、というようにカカシもナルトの手を軽く握り、促すように軽く引いて歩を進めた。 本殿までの石畳の通りにはたくさんの屋台が建ち並び、様々な匂いや色を放っている。 見ているだけでも気分が高揚して来るような雰囲気。 祭といってもいわゆる祭事を執り行うのは一部の神主や神官だけで、その上、今日は祭の前夜祭ともいえる宵祭である。 一般の客のほとんどは建ち並ぶたくさんの屋台と、祭のメインとされている花火が目的だろう。 それはカカシとナルトにとっても例外ではなく、カカシに到っては職業柄、神なんて存在を信じているのかさえ怪しいもの。 もちろん祭事になど少しも興味はなく、カカシの興味の大半は、隣で自分の身体に隠れるようにして歩く小さな恋人にのみ向けられていた。 「ナルト、そんなに下ばっかり向いてないで上向いた方がいいんじゃない?」 ナルトが顔を見られるのを怖がっているのは知っていたが、カカシとしても可愛い恋人が下ばかり向いているのは面白くない。 カカシの言葉にナルトはおずおずと視線を上げる。 途端に目に入ったキラキラと輝く灯りの数々。 おいしそうな匂いを放つ屋台。 楽しそうに歩くたくさんの人。 その人々が着ている色取り取りの浴衣。 ナルトが見たことのない世界が其処に在った。 瞳を見張ったまま動かなくなったナルトをカカシは急かすこともせずにそのままにしておいた。 瞬きすらせずにその光景に見惚れているナルト。 蒼い瞳に灯りが映って、本物の灯り以上にキラキラと煌いて揺らめく。 瞳と一緒に口も半開きになっているナルトの様子にカカシは目を細めた。 そこだけ人の流れが止まったように、ナルトは身じろぎもしない。 繋がれた手の体温だけがお互いの存在を確かにしていた。 その時。 二人とすれ違った男がナルトにちらりと目をやって、すっと眉を顰めた。 嫌悪感をあからさまに表したその表情。 それを見たカカシは、ナルトに気付かれないようにその男に向かって殺気を放つ。 はっとしたように男がカカシに気付いて、真っ青になった。 今日のカカシは浴衣姿の上に、額あても口布もしていない。 たとえ「写輪眼のカカシ」だとわからなくてもその殺気だけで、カカシの実力のほどを男も感じ取っただろう。 カカシがそれ以上殺気を放つ必要もなく、そそくさと逃げるようにして男はその場を去っていく。 「ナルト、歩こうか」 カカシの声に、我に返ったナルトがどこかまだ夢心地の潤んだ瞳でカカシを見上げる。 しっとりと濡れた瞳は、どうしたって情事の時のナルトの様子を思い出させて、カカシの背筋を一瞬疼くような感覚が走る。 なんとかそれを無視して、不自然でないようにナルトから視線を逸らすと、促すようにその手を引いた。 歩き始めてからも、ナルトは悪い意味で密かに注目を集めていた。 しかし、カカシはその不躾な視線をナルトが感じる前に、その相手に対して殺気を放つ。 大抵の相手は初めの男のようにそそくさと逃げて行く。 その為にナルトはいつものような嫌悪の視線で見られることはなかったのだが、もしそんな視線を向けられたとしても今日のナルトは普段ほど気にならなかったかもしれない。 そのくらいナルトはふわふわと夢見心地で歩いていた。 隣にいるカカシのことも忘れているのではないかと思うほどナルトはぽーっとした顔をして、ゆっくりと辺りを見渡し、ほぉっと溜息を吐いてはまた辺りを見渡すといった行動を繰り返していた。 可愛らしいその姿にカカシの頬も思わず緩む。 今日は口布をしていないのだから、あまりだらしない表情はみせられないと思ってみても、カカシもまたナルトの気分が伝染したかのように、普段よりも格段に柔らかい表情を浮かべていた。 (馬鹿なヤツら・・・) 九尾というフィルター越しにしかナルトを見ない里人。 一度そんな先入観を取り去ってナルトを真正面から見てみればいいのにとカカシは思う。 隣に目をやると、金色の旋毛。 歩く度にふわふわと揺れて思わず触れたくなる。 カカシがじっと見ていると、視線を感じたのかナルトが顔を上げた。 「せんせ?」 見上げて来る零れ落ちそうな瞳は青空をそのまま映したような綺麗な蒼。 金色の意外なほどに長い睫毛が瞳を縁取って、目の縁が淡く滲んでいるように見える。 摘まんで作ったような小振りな鼻に、桜桃みたいな唇。 ミルク色の頬はほんのりピンクが差して。 (・・・・・可愛いよなぁ) 贔屓目無しにカカシは心からそう思う。 多少惚れた欲目は入っているかもしれないが、それを差し引いたとしてもナルトの容姿は可愛らしいと呼ぶに相応しいものだろう。 里人はナルトを九尾としてしか見ない。 だからナルトの容姿になど、気を配ろうとしない。 もしナルトが九尾持ちでなく、四代目のひとり息子としてそのまま育っていたら、名門一族の末裔であるサスケよりもよっぽど注目される存在であったろう。 優秀な忍としての確かな血筋。 父親譲りの美貌と忍としての才能。 そこにあの明るさと人懐っこい笑顔が加わったら誰もがナルトに惹かれるに違いない。 事実、ナルトは、ナルトを九尾として見ない一部の人間には至極好かれている。 サスケも然り、サクラも然り。 アカデミー時代のクラスメイトだったルーキー下忍達にも、実力主義の上忍連中にもナルトは好かれている。 ナルトの魅力をわざわざ他人に教えてやる気はしないが、審美眼のない連中を心の中で嘲笑うぐらいはしてやりたいとカカシは思うのだ。 本殿の方に進むにつれて、人込みはさらに酷くなった。 二人は人波を掻き分けるようにして歩くが、長身のカカシはともかく、小さなナルトは人の中に埋もれるようにして歩かなければならない状況になって来た。 「ナルト」 ナルトは嫌がるかもしれないが抱き上げて歩いた方が安全かもしれないとカカシが声をかける。 「センセ・・・っ」 細い声が聞こえたかと思うと、カカシとナルトの手が離れた。 繋いだ手の間に反対方向から歩いて来た誰かの身体が当たり、そのまま離れてしまったのだ。 さらに運悪く、離れた二人の間に一気に人の波が雪崩れ込んで来た。 「ナルトっ」 カカシが咄嗟に伸ばした腕もナルトには届かない。 小柄な身体はあっという間に人込みに飲まれてしまう。 「・・・・っ!」 この神社の敷地は意外に広い。 本殿に真っ直ぐ続くこの通りの周りは背の低い木立に囲まれており、少し横道に入っただけでこんもりとした茂みの中に入ることが出来る。 カカシがナルトの気配を見失うはずもないが、それでも見つけ出すのに多少の時間がかかるのは否めない。 「くそっ・・・!」 焦りを隠せない様子でカカシはそう呟いた。 「ナルト!」 時間にしたらたかが五分足らず。 そんな短い時間だったというのに、カカシが通りから少し外れた茂みの裏にナルトを見つけた時には、既にナルトは三人の男に取り囲まれていた。 見たところ中忍といったところか。 「カカシセンセー・・・」 突き飛ばされたのか、尻餅をついた状態のナルトが取り囲んだ男達の間からカカシの名を呼んだ。 ほっとしたような、けれどどこか申し訳なさそうなナルトの表情。 カカシの名を聞いた途端、男達が怯んだ。 ジワリとカカシの中に憎しみが込み上げて来る。 沸点まで到達するのに数秒もかからない。 この場で皆殺しにするのは簡単だが、今はナルトの傍に行くのが先だ。 「散れ」 低い、殺意を十二分に込めた声音に、男達は空気の振動がそのまま心臓を鷲掴みにするような感覚を味わう。 黙ってこの場を去るなら殺さないでおいてやるが、これ以上向かって来るようなら容赦しない。 カカシの凍るような眼差しはそう語っていた。 「・・・・ッ」 数歩後ずさり、その後身を翻すと三人はそのまま木立の中に消えていった。 「逃げ足だけは一品だな」 苦々しげに吐き捨てるとカカシは座り込んだままのナルトを抱き起こした。 「ナルト、ごめんな」 先ほどとは打って変わって沈んだ口調で謝るカカシに、ナルトはぶんぶんと首を横に振った。 「センセーは悪くないってばよ。オレが・・・悪いんだってば・・・」 そう言って、カカシの浴衣の胸元を掴んだまま俯いてしまったナルトが急に動きを止めた。 「・・・・・あ・・・・」 どうしたのかとナルトの視線の先を追ったカカシは、ナルトの浴衣の裾が泥で汚れているのに気付いた。 ナルトが、泣きそうに顔を歪める。 「イルカセンセーが貸してくれたのに・・・・」 その声は既に濡れていて。 自分が暴行を受けたことよりも、イルカに借りた浴衣を汚してしまったことの方がナルトには大問題らしい。 「ナルト・・・」 一緒にいたのに、たったひとりの恋人の笑顔すら守ってやれなくて、何がエリート上忍だろう。 申し訳なさそうなカカシの声音に、はっとしたように顔を上げてナルトは笑ってみせた。 「オレってば大丈夫!」 カカシに心配をかけまいとして気丈にも笑ってみせるナルト。 大好きなイルカ先生に着せてもらった金魚の浴衣。 泥がついてしまっているのが、笑顔のナルトと対称的で痛々しい。 何故、泣き付いてはくれないのだろう。 そんな取り繕ったような笑顔を見る為に、一緒にいるわけではないのに。 「浴衣汚れちゃったから、オレ、帰るってば」 立ち上がって浴衣の裾を軽く払うと、ナルトはそう言った。 早く洗わないと落ちなくなっちゃうし、とまたナルトは笑った。 ナルトは強いと思われているかもしれない。 けれど、ナルトは「強い」のではないのだ。 悪意を受け止めて、自分の中に閉じ込めて、何でもないように振る舞うのが上手いだけ。 傷つかないはずがない。 喩え、自分ではその瑕に気付いていないとしても。 口惜しい。 幼かったあの頃とは違って、ナルトを守れるくらい強くなったはずなのに。 結局は何も変わってはいないのだと思い知らされた気がして。 カカシは帰ろうとするナルトの腕を掴み、強引なくらいの強さで小さな身体を引きずるようにして歩き出した。 |