森を抜ける途中、ルシアが徐に口を開いた。
「ぱっとひとっ飛びするかと思ってたんですけど」
「景色を見ながら歩くのもいいだろう」
「……ええ」
ルシアは、クライヴの気遣いを感じて嬉しくなった。
瞬間転移をすれば街まで簡単に辿り着けるが、歩いていけば、目で見て触れられる。
この時代の空気も景色も全部。
勿論、人のいない場所を選んで転移することも可能だが、
わざわざそんなことに魔術を使うこともないとクライヴは思った。
一人ならルシアの言うぱっとひとっ飛びで行くが、今はゆっくりルシアと歩いていきたい。
土が湿っている。夜更けに少し雨が振ったのだろう。
森を抜けたら一本道が続いている。
二人は街を目指して進む。
離れているといっても徒歩でいける距離に街はある。
「うっわー」
「どうした、何か見つけたか?」
「私の生まれた時代と雰囲気が随分違うなって」
ルシアは、立ち並んだ商店に感嘆の溜息を吐いた。
よほど物珍しいらしく、先程までの様子と違ってあからさまに興奮している。
クライヴを早く早くと促して腕を引っ張っている。
「お店といえば、露店だったんですよね。お店に屋根があるなんて」
クライヴも歴史に関する文献で読んで知っていた。
「店などは変わったかもしれないが、宗教は同じだ。もっとも俺は信心深くはないがな」
「ですよね」
通りには洋服の店、パン屋、花屋と並んでいた。
二人は当初の目的の洋服の店に入り、ルシアが好みの服を探すことにした。
クライヴも好みのものを選びたかったが、この時代の店に来るのは初めてのルシア
に任せることにした。彼女の楽しそうな顔を見るのが楽しいのだ。
「それだけでいいのか?」
シンプルなワンピース1着を手にしているルシアはもうこれだけで十分らしい。
「クライヴがくれたものがたくさんありますから」
にっこりと笑ったルシアにクライヴは頷いた。
ルシアが満足ならクライヴもそれでいいのだ。欲がないなと思いながらも。
勘定を終えて店を出るとルシアは、足を弾ませて歩き始めた。
クライヴは紙袋を抱えてスキップしているルシアの手を慌てて掴む。
「転げたりしませんって」
ルシアはるんるんと浮き出し立っている。
花屋が視界に止まったクライヴは、
「ルシア、本物の花を買ってやるよ」
口の端を上げた。
ルシアはきょとんとする。
先程はルシアが引っ張っていた腕を今度はクライヴが引っ張る。
「いらっしゃいませ」
並べられた生花を手に取り、クライヴが選んでいる。
「ここは俺が選んでやる」
「あ、はい」
ぼうっとしている間にクライヴは勘定を済ませたらしく、
「ありがとうございました」
店員の明るい声が聞こえてきた。
店から出たルシアとクライヴは近くのベンチに腰を下ろした。
膝の上に置かれたのは純白の花束。
「綺麗」
魔力で咲かせた花と違い、命を輝かせる時間はあっという間に過ぎて枯れてしまうのだろう。
けれどこの花は、美しかった。
自分の力で生き生きと咲いている。
魔力の花が偽物だなんて思いたくはないが、クライヴの言葉の意味をルシアは感じ取っていた。
人の手で種から育てられ咲いた花だ。
表情を和らげるルシアの髪をクライヴは一房取って口づけた。
ふいの衝動に駆られたのだ。
抱き寄せられてルシアは慌てて花束と衣服の入った紙袋をベンチの上に置いた。
「……お前が一番綺麗だ」
「クライヴ」
街を往く人々が振り返るけれど、公衆の面前で抱擁する二人に驚いているだけだ。
そんなの大したことじゃなかった。
互いの姿しか目に映ってはいないから。
ぽうっと赤くなる。
「俺とずっと一緒にいてくれ」
クライヴは、自分の口から零れた言葉に驚いた。
思ってもいなかったからではない。
何かに引き寄せられるように言葉を発したことなんて初めてだった。
言葉が泉から溢れてくるように止まらない。
腕の中のルシアが、顔を上げてクライヴを見つめる。
「あなたの側以外私の生きる場所はないわ……言ったでしょ?」
おどけて笑うルシアを抱きしめる腕がますます強くなる。
「結婚しよう」
耳元に降って来た言葉は、戸惑わせようというものではない。
真剣なものだった。胸を打つほどの。
お茶らけた態度でいたらクライヴに失礼だとルシアは気を引き締めた。
照れても胸の鼓動が破裂しそうに音を立てても、真剣に答えを出さなければいけない。
クライヴの肩口に涙が落ちていく。
悪い意味ではなく、ルシアはこちらで暮らしてから前よりも泣き虫になった気がした。
彼を想って切なくなり、狂おしい想いが駆け巡って、温かい気持ちで満たされて
色々な感情を知るたび新たな涙も知っていく。
感情が堰を切って溢れる。
クライヴが、ルシアの頬の涙を指先で拭う。
泣き顔で笑うルシアは、しゃくり声を上げるのみで何も言わない。
側にいることが当たり前だと、思い上がるつもりはない。
彼女に選んでほしい。
クライヴしか彼女の親しいものはいないという理由ではなく、
自分を選んでほしかった。男の我儘かもしれないが。
もし、側を離れて自由になりたいのならその道もある。
ルシアと道を違えて生きる自信はないが、束縛するだけが愛情ではないと
クライヴは思い始めていた。らしくもないけれど。
ルシアは目をこすって笑う。
涙の後の晴れやかな表情は一層眩しかった。
「結婚して下さい。私もあなたと共に生きたいの」
はっきりとした響き。
ルシアのすべてを賭けての決意は、クライヴの心を震わせた。
できるなら自分の腕の中に永遠に閉じ込めておきたいと思う。
この愛しさは言葉にできなかった。
安易な薄っぺらいものになってしまいそうで、
抱きしめて口づけることでクライヴは想いを返した。
これだけは伝えなければいけない。
「一緒に生きよう、ルシア」
頷いたルシアが、クライヴを抱きしめる。
抱きつくのではなく包み込むように。
「愛してます」
ふふっと笑ったルシアの頬に指先が触れた。
「愛してる、ルシア」
背中で繋いだ小指をぎゅっと握り締める。
間近で笑い合う二人に、立ち入る隙はない。きっと。
「お揃いの石を嵌めよう。二人だけの永遠の約束の証を」
クライヴはルシアの手を取ると薬指に口づけた。
指先を絡めたまま立ち上がった二人は、城への道を戻っていった。
魔界から戻り、未だ手付かずだった地下からの引越し作業を始めた。
といっても面倒くさがったクライヴにより、瞬間転移で運んでいるが。
ルシアは、前とは違う心境で引越しに臨んでいた。
目に見える約束をしたのだから。
この部屋を使うことは二度とないのだろう。
地上階に私室は与えてくれたから一人になりたい時はそこで過ごすことになる。
クライヴも一人の時間も持ちたいと考えているので、彼も同様に別の部屋がある。
同じベッドで眠り目覚めることが、互いに守らなくてはいけないルール。
実際は、ほとんど四六時中一緒に過ごすのだろうけれど、破ってはならない
暗黙のルールとして二人の間に課せられることになった。
元々、ルシアが持っていた服はこちらに来る時着ていたもの一着しかなかったが、
いつの間にか衣装ケースに衣服が山と重なっていた。
思えば改めてプレゼントされたのはあれが最初だった。
今までクライヴは特別何も告げず服をくれていたから、ルシアは着て見せて感謝を表していた。
毎日衣服を選ぶのも楽しくて、そういう楽しみを与えてくれたことも嬉しかった。
元いた時代では、裕福とはいえなかったから贅沢に過ぎるとも思った。
クライヴは、余裕綽々の態で、ルシアの思っていることを全部杞憂にしてしまう。
「……何かあっという間ね。もうこっちに帰ってきて一月か」
クライヴとの時間が増えていく。
何にも塗り潰せないくらい面積を広げていく。
元の時代へ帰りたいとは思わない。
両親と姉はどうしているだろうか。
この時代では既に没している彼らの事を思うと切なさも込み上げるのだった。
不安要素なんて、これっぽっちもない。
たまに、郷愁に心が染められるのだ。
悪いことではないと思う。忘れた方がクライヴを苦しめないのだろう。
でも、時々思い出すのは人として生きているんだから当然だ。
自分が生まれた世界なのだから。
城の外に出た時、過ぎった憂い。
胸の中に刻まれた懐かしい風景とどこか似ていたからだ。
それ以上の物は何もない。
だから傷つかないで、クライヴ。
地下から上がり、厨房で煮込んだ野菜スープを食べた。
素材のよい部分が出ているそれはまろやかで優しい味で、
クライヴは何度もルシアにお替わりの皿を渡していた。
長身痩躯で、とても見えないがクライヴは大食漢だった。
もしかしたら体力を補ってる!?
ってあんまり食べたら普通は動けないわよね。
毎夜の如く甘く激しい情熱で愛される。
ルシアは彼の力強さはどうやって培われるのかと思っていた。
まさか自分の料理だったとは!
ちょっとどころではなくおかしくて、ルシアも思いの他食が進んだ。
食器の後片付けも終わった所で、ルシアは思い切って切り出した。
「……ねえ、クライヴお願いがあるんです」
クライヴは、ルシアに視線を送った。先を促すように。
「私、子供が欲しいな」
「俺こそ喉から手が出るくらいお前との子供が欲しい」
つねられた頬がくすぐったくてルシアは笑い声を立てた。
クライヴは忍び笑うが、目元は緩んで優しい光を醸し出していた。
「俺たちが互いを愛することを忘れなければその内できるだろうよ」
「うん。私の一番欲しいものなの」
そっと頬を撫でられる。
「本当にお前は可愛いことを言う」
「……引かれないかってひやひやしてたんです。
だって突拍子もないし女の方から言うのははしたないでしょ」
「そんなわけないだろ。自分の行為が齎すものが何なのか
意識せずに抱いたことはなかったんだから。
お前と愛し合うことで、子供ができるかもしれないと密かな期待と計算もしていた」
ルシアは爆弾発言を聞いて飛び退った。
恥ずかしげもなく真顔ですらすらとよく言える。
真っ直ぐだものね。
ルシアは感心しつつ果てしなく喜んでいた。
クライヴも同じ気持ちだったのだ。
「そ、そこまで考えてたなんて」
「俺とお前の命を継ぐ子供はどんな子だろう」
クライヴの手の平がルシアの頬を包む。
ルシアは瞳を閉じて首を傾けた。
唇が重なる。
泣き顔も笑顔も情けない顔だってこの人になら見せられる。
クライヴの想いは生半可ではないけれど、
嘘偽りない真実をくれる。
いつだって、夢じゃないって教えてくれた。
ふわりふわりルシアの体が、揺れる。
揺り籠の中で夢心地だ。
うっとりした気分でサンルームに入る。
クライヴは扉を乱暴に蹴破った。
ルシアを宝物のように抱かかえる彼は、他のものに対する扱いはぞんざいだった。
ルシアと、ルシアが大切にしている物以外必要ではないものに分類されるらしい。
そっと横たえられて見上げればクライヴはルシアの頭の下に腕を敷いている。
腕枕をしながら、クライヴも横になってそっと彼女の髪を梳く。
口づけの雨が降りしきる。
夜の帳が下りる。
今夜は月が出ていない。
それでも月光のごとき光が、ルシアに降り注いでいた。
銀糸を紡いだクライヴの髪は、月より近い場所で照らし出してくれる。
空の上なんて遠くじゃなくてルシアの隣りで温もりをくれる。
「クライヴ……!」
彼の想いを受け止めて想いを返す。
彼以外いらない。
魔術を使えなくても心に開いた隙間を彼は埋めてくれる。
クライヴは決して嘘をつかない。
守ると誓ってくれた腕の中でルシアは、夢を見ていた。
14-1.言の葉の泉 15.聖呪
作品のトップに戻る