クライヴが、一人で城の外へ出る許可をくれた。
 ただし、ホークスも連れてという制約がついている。
 伸びをすれば自然と欠伸が出る。
 未だ薄暗い早朝。
 森の中は一層暗くて一人で歩くのはきっと怖かった。
 ルシアが寂しくないようにホークスを共につけてくれたのだ。
 あの時も魔界で闘いの最中に、ホークスを呼び寄せてくれた。
 ホークスが側にいてくれるだけでとても心強い。
 魔物だから恐ろしい外見ではあるが、ルシアは怖いと思うことはなくなった。
 言葉は喋らなくても主第一で、クライヴとも信頼関係を築き上げている。
「でもね、私も負けないわよ?」
 クスクスとルシアは笑った。
 争うという意味ではなく一緒にクライヴの支えになる同志として
 ルシアも、ホークスともっと心を通わせたいと思う。
 森は四方八方に道があった。
 東に進んで西に進んだけれど同じ風景の場所だった。
 ホークスは、面白がっているのかルシアの頭上を飛んでいるだけだ。
 ルシアも、ワクワクしながら色んな方角へ進んだ。
 暫く進むと地形が違う場所に出た。
 円く木々に囲まれている。
 どうやら行き止まりらしい。
 ルシアはきょろきょろと忙しなく辺りを確認した。
 ホークスが一声鳴いたので、びくっと反応した。 
「脅かさないで」
 ルシアは、もうと唇を尖らせた。
 ふと、首にかけていたネックレスを外す。
 ネックレスを眠らせる場所を密かに探していたのだった。
 ちょうど良い場所が見つかりルシアは、いい機会だと心に決めた。
「今の私には必要のないものなのよ。クライヴと生きている私には邪魔なだけ」
 手でかいて穴を掘る。
 ちゃんと捨てればいいのだが、どこに捨てればいいのか考えられないし、
 もしクライヴが見つけたら、ルシアに返すだろうとここに隠すことにした。
 肌身離さず身につけていたクロスは、やがてクライヴの元にいき、
 ルシアに戻ってきた。けれど最早用済みとなったのだ。
 爪の間にも土が入り込む。
 薄桃色の綺麗な爪があっという間に土塗れになった。
 できた穴にネックレスを埋めて、土をかけた。
 雨で湿った地面から、出てこないように少し深い場所に埋めた。
 土で塗れた手は、どこで洗おうか。
「ホークス、この辺に水場はないの?」
 ルシアが、首を傾げるとホークスが、派手な動きで羽音を立てた。
 ばさばさと翼をはためかせ、ついてこいと言う風に飛んでいく。
「あっ、待って」
 ルシアは慌ててホークスを追い駆けた。
 時々振り返りながら、飛んでいるホークスにほっと表情を和らげる。
 東西南北、どこを何度通ったかルシアは数えていた。
 似たような地形ばかりで、一度で把握するのは難しいのだ。
 書き記すものを用意してくればよかったと内心悔やむ。 
 ホークスの動きが止まった。ルシアを振り返っている。
 ゆっくりと足を踏み出すと、岩で囲まれた水場があった。
 真ん中の窪みに水がしっかりと溜まっている。
 手で触れるとさらりとした感触がした。 
 驚くほど冷たい。自然に作り出されたものなのだろうか。
 魔界は不思議に満ちていたけれど、クライヴの周りも不思議だらけだ。
 その中でも一番謎めいているのはクライヴ。
 ぼんやり思考していたルシアは、豪快に手の平をつけて洗い始めた。
 水が跳ねて袖口をぬらした。
 水は無限に溢れ続けていて、新たな水が何処かから湧き出してくるのだ。
 古いものは窪みから流れ落ちて地に落ちる。
 とても美しい光景だった。陽が翳る森の中にあってここは、明るい。
 静かでささやかな明るさだった。
 それを見て水が汚れる心配はないと判断し直接手をつけた。
 手の平に掬って洗うのは、手間がかかるし洗いにくい。
 ルシアは、不可思議な泉に感謝した。
 腰を屈めて顔を洗い始める。
 自然の冷たさが、頬を打つ。
 手の平で掬うたびに水がきらきらと輝く様が瞳に映った。
「気持ちいい」
 顔を拭く物も当然ながら持ち合わせてなどいない。
 少し落ち着かない気分でルシアは、その場所を後にした。
 案内しようとするホークスを手の平を振って制し
「ありがとう……、もう覚えたわ」
 と誇らし気に言う。
 ホークスの案内を断ってしまい申し訳なさも浮かぶが、
 頼らなくても自分一人でできる。
 甘えてばかりでは情けないもの。
 もう一度クロスを埋めた場所まで戻ると、適当に右往左往  色んな道を回ってみた。
 一定の順序で進めば、城へ戻るルート、街へのルートのどちらかに出るのだ。
 見つけなければいけないのは、城へ戻るルートだ。
 早く帰らなければクライヴが、嗅ぎつけてしまう。
 大分時間を過ごしてしまった。
ネックレスを隠す目的の為に来たが、水場で手を洗ったり
 余計な時間を使ってしまった。
 やばい!
 折角外出許可をもらったのに二度と外へ出してもらえなくなるわ。
 心配しているだろうな。
 ルシアは焦りを表面に出さないよう努めた。
 ホークスが、笑っている気がする。
 降参すれば道を教えてくれると。
「クライヴに探しに来られるよりマシよね」
 意地を張っている場合ではない。
 一刻も早く森から抜け出して城へと帰らなければ。
ホークスにこくりと頷いて一歩踏み出した時だった。
「誰に探しに来られるよりマシだって?」
 ルシアがぎくりと振り返る。
 唇を歪めて皮肉混じりの笑みを浮べる銀髪の魔術師が、
 泰然とした物腰で立っているではないか。
 胸で腕を組んでルシアを見ている。
 否見下ろしている。
 ルシアは高い位置から見下ろされ居心地の悪さを味わった。
「え……そんな、時間経ってます?」
 内心の焦りを余所にルシアは、白々しく惚けた。
 あからさまに目が泳いでいる姿に、クライヴは鼻で笑う。
「二時間も長い散歩だったな」
「ってことは、8時ですね。じゃあ早く帰ってご飯の支度しなくちゃ。
 お腹すいてますよね?」
 ルシアは、誤魔化そうと試みる。
 クライヴについていかないと道がわからない。
 水場とネックレスを埋めた場所を把握したものの森の全体図までは把握していない。
 今更ホークスに案内を頼むのも妙だし、肝心のホークスはクライヴの肩に止まって
 喉を鳴らしている。その嘴を撫でているクライヴは、
 微かに目を緩ませているような。
動物(ホークスは魔物だが)
 の前で満面の笑顔で接しているクライヴは想像できないが。 
 こういう姿を黒魔術師っぽいなあと思う。
 目を見て謝るのは多大な勇気を要する。
 ルシアは、クライヴを見上げて、頬を赤らめる。
 この羞恥は何物にも代えられないだろう。
「ご、ごめんなさい……」
 しゅんとうな垂れる。
 クライヴはルシアの頭に伸ばした。
 柔らかな髪に触れて何かを探るように手の平を動かしている。
 ルシアは、わけが分からず首を傾げた。
 クライヴは頭を一撫でするとふむと頷いて手を離した。
「あの……どうかしたんですか?」
「耳がないかと思ってな」
「はあ」
 返答に困ったルシアは曖昧な声音を漏らした。
 クライヴの言動の謎を解き明かしたいと密かに心に誓った。
「尻尾振ったり、うな垂れたり犬のようだな。
 確かに犬に似た使い魔も存在するが」
「使い魔であるホークスと同じで、私もクライヴに従順ですもの!」
 胸を張るルシアにクライヴの鋭い眼差しが降り注ぐ。
 犬に似た使い魔という発言に関してかなり意を唱えることなく
 前向きに捉えているのがルシアらしい。
 クライヴはその点には触れずに、呆れた声音を漏らした。
「どの口が言ってるんだ」
 ぐいと顎が持ち上げられる。
 ルシアは正面からその眼差しを受け止めた。
 雲ひとつない澄み切った夜空の色だ。
「く、首が痛い」
 顎を押さえたまま静止されルシアは、不服を訴えた。
 ルシアも女性にしては背が高いのだが、クライヴはかなりの長身だ。
「ルシアが小さいから悪い」
「クライヴが大きすぎなんですよ。これでも、お姉さまよりも5cmも高かったんですからね」
「女にしては背はある方だろうな。
 すらりと伸びた細い足もしなやかな体つきも好きだぞ」
「クライヴはやっぱり変態だわ」
クライヴはふんと鼻を鳴らした。
 別に痛くも痒くもないのだろう。
「正直に言ったまでだ」
「……ええ」
 ルシアは口元を押さえる。
 口元が緩んだのは見透かされているに違いない。
 視線が粘っこく纏わりついている。
 ルシアは思わず後ろに下がり、クライヴの手が顎から離れた。
 ホークスは、いつの間にやらどこかに消えている。
 にじり寄るクライヴに追い詰められ、
ルシアは自分の衣服のスカート部分を踵で踏んでしまった。
 潤んだ目元が、クライヴを捉える。
 恨みがましい眼差しは、本能を掻きたてるものでしかない。
 なけなしの理性でどうにか衝動を堪える。
 己がこんなに欲に塗れた生き物だとは。
   クライヴは地に座り込んだルシアの目の前に膝をついた。
「ルシア」
 そのまま頬を寄せて、耳元で名を呼べば切ない表情になる。
 まるで口づけを待っているかのよう。
 誘われるままに、クライヴは唇を重ねる。
 暫しの間唇を重ねたままでいた。
 静かな朝の森で、影が交わる。 
 急に唇を離されたルシアが物言いたげに、クライヴの黒衣の袖を掴んだ。
 ルシアは恥じらいに頬を染めながら何かを訴える。
 とても口では言えないのだろう。
覚悟も決意もないままに衝動で求めていた。
「我が最愛の妻ルシア。ここで身を任せることができるのか。
 今、無駄に煽ればもう止まれない」
シリアスな空気に、ルシアは息を飲む。
 クライヴは、時折、固いともいえる畏まった態度を取る。
 とても誠実だけれどルシアの心臓には悪かった。
 自分もぎりぎりいっぱいのくせに最後をルシアに委ねようとしている。
 強引な手段で抱くことは本位ではない。
 自分は構わないが、外での行為はルシアの肌に傷をつけてしまう。
 クライヴは切羽詰った表情でルシアを見つめている。
 羞恥を覚えて、ルシアは袖を掴んでいた手を離した。
 それを見たクライヴが、すっと手を差し伸べる。
「帰ろう」
 僅かに朱を散らした頬。
 ルシアは頷いて、その手を取った。
 クライヴは、表情を和らげている。
 手の平を重ねて、二人は城を目指す。
 視線を交わす度に、クライヴの手の平を握り締める力は強くなっていた。

   城に帰り、食事も終えたところで、クライヴがふいに切り出した。
「二時間やる。お前が俺を待たせた時間と同じだな。
 その間に俺の手から逃げてみろ。城の中なら隠れる場所は山ほどある。
 もし勝つことができたら、いいものを授けてやるよ」
 そう言ったきりクライヴは厨房から消えた。
 瞬間転移だ。
 ルシアは頬を手の平で包み込んだ。
「またいきなりね」
 でも隠れんぼなんて楽しそう。
 ルシアは意気揚々と厨房の扉を開けて駆け出した。


15.聖祝   15−2
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