sinfulrelations


夏の終わりに



二人きりで挙げる結婚式はもうなくなったけれど、堂々と大勢の人々の前で祝福を受けるのもいいと、私は考えて受け入れることにした。
同棲を始めた時は、あの人がようやく本当の気持ちを話してくれた幸せで
胸が一杯になり、入籍した時はもう誰にも堂々と胸を張っていられる関係に
なったんだと、どこまでも安堵が胸に広がっていた。
一人じゃない。これからは本当に青と二人なんだと。
青が内緒で結婚式の準備をしていたことを知ったのは二月近く前。
それから、暫くは二人きりで挙げられる静かな式に思いを馳せていたのだけれど、
今や状況は驚くほどに変わり、青は藤城家へ戻ることになった。
私達は盛大な結婚式を挙げることになったのだが、
今からドキドキしてしまうのだ。そんな大それたことなんて経験ないから。
「はあ……」
漏れてしまった溜息を聞き咎めた青が、表情を変えないままに、口を開く。
「どうかしたか?体の具合でも悪いのか?」
「ううん、違うんだけど……」
「ならいいんだが、もしかして本当はこのマンションを出るの嫌なのか?」
真摯な表情が目の前にある。テーブルの向かい側で、青は私を見つめていた。
「緊張感かな。結婚式って相当大勢の人が集まるんでしょう?」
「ああ、うっとうしいぐらい仰々しい式になるだろうな。
とりあえず出会いのエピソードは、作り変えてもらうつもりだが」
苦笑いする青を見て私は頬を緩める。
「嘘入れずに、真実でね」
「ああ、ずっと伝えられなかった真実の方をな」
微笑み合ってテーブルの上で指を絡め合わせる。
青は最近、表情が柔らかくなった気がするわ。
「私、自分の意志であなたについてゆくって決めたんだからね。
藤城家に入るって決めたのは、あなたに言われてじゃない。ちゃんと
自分で答え出したんだから、別に言いなりになったわけじゃないのよ?」
「お前がその性格じゃなかったなら、今ここに俺とお前はいないだろう?」
言いなりになる都合にいい存在だったなら、別れていたはずだ。
「そうよ」
ふふと笑って指に力を込める。伝わってくる温もりが、嬉しかった。
「今日は何しようか?」
青を見つめながら囁く。
「今日は、姉さんの所にでも行くか?」
「へっ」
素っ頓狂な声を上げてしまった私にも青は動じることもなく。
「前、いきなり来たことがあっただろう?それをこっちがやってやるんだ」
「子供みたいよ?」
「先にやったの向こうだから気にしなくてもいい」
「理屈を言えばね」
私はクスっと笑う。
「俺達は常識人だから電話の一本でも入れていくか」
青、何だかワクワクしてきちゃった。
悪戯を企んだ目をしてるあなたに、引きずられそうだわ。
「そうね、じゃ電話しましょうか」
青は口元を歪めて、携帯の通話ボタンを押している。
「……でも良いのかしら。青はともかく私なんて初対面に近いのよ。
いきなり押しかけるなんて、恥知らずな気がするわ」
気づけば顔が赤くなっていた。
「大丈夫だ。あそこの家はアバウトだから誰でも歓迎するし、
俺の奥さんなんて特に大歓迎に決まってるだろ」
有無を言わさず納得させられてしまった。こくりと頷いて携帯片手の青を覗き見る。
「もしもし、葛井ですが」
「……お前か」
「な、何だよ!その反応は……」
二人の会話が見えない。すごい親しそう。
「別に?まさか砌が電話に出るなんて思わなくてな」
「俺だって電話くらい出るよ。っていうか、せい兄が
電話掛けて来るなんて明日は天変地異でも起きそうだな」
「ところで今日そっち行っても大丈夫か?」
あ、サラッと流した。しかも切り替え早っ。私は妙な所で感心した。
「い、いいけど、せい兄一人?」
「どうかな?楽しみにしておけよ」
「今日は姉さんと義兄さんいるのか?」
「出かけてるよ。どうせいちゃついてるんだろ」
「そうか。相変わらず仲良いんだな、あの二人。ということはお前一人か」
「……うん」
「じゃ今から行くからお茶でも用意して待っていろ」
横暴に言い放ち、青はプチっと電話を切った。
「青、今の砌くん?」
「ああ。不本意ながら俺の甥だ」
叔父さんって肩書きが嫌なんじゃない?
「家には今あいつ一人しかいないが、大丈夫だろう」
「準備してくるわ。そうだ昨日焼いたクッキーがまだ冷蔵庫に残ってたわよね。
あれ持って行こうかな。お土産にしてはしょぼいけど」
「持って行かなくてもいいんじゃないか……」
お前の作った物をあいつに食わせるのか。
「何で?」
青の言葉が最後まで聞き取れなかったから問いかけた。
「いいから準備してこいよ」
「はーい」
間延びした返事をする。
青は複雑そうな表情をしていた。
着替えを済ませ、準備を全部終えたところでマンションの部屋を出た。
「沙矢」
先に車に乗り込んだ青が中からドアを開けてくれる。
車に乗り込む時、青がエスコートしてくれるのが常だ。
最初してくれた時、映画みたいでうっとりしたものだった。
今も変わらず車の扉を開けてくれるし、降りる時は先に下りて向こうから扉を開けてくれる。
それぐらい自分で出来るからと断ろうとしても青は譲ってくれない。
甘えてていいんだと言ってくれる青に私は顔を赤らめて微笑んだ。
助手席に乗ると、タイミングを見計らって車が動き出す。
横目でチラッとこちらを見なくても、分かるらしいのだ。
もう動いていいという瞬間が。
「ねえ、お義姉さんのお宅ってそんなに近いの?」
「俺の運転だと10分。通常は30分の距離だな」
そう、青はスピード狂なのだ。
運転が下手だったなら、私は車に何度酔っていることだろう。
幸い、青は運転がとても上手いのでどんなにスピード出されようと酔うことはない。
「今日、着けてくれてるのね」
隣で車を運転している青は、あのクロスのチョーカーを首に掛けている。
「気に入ってるんだ。お前がくれたものだしな」
青はハンドルを動かしながら耳だけこちらに向けた。
「私もマンションにはじめて連れて行ってくれた日にもらったネックレス、今も大切にしてるのよ」
お互いに渡し合った贈り物を、手離さずに持っている。
「嬉しいけどあんな安物まだ持ってるのか……」
「あら、そのチョーカーの方が安物よ?値段じゃないわ。あの時、あなたは
本心を教えてはくれなかったけれど、ネックレスに想いを込めてくれたんだと今は、そう思ってる」
思い出と一緒に宝石箱の中にしまっているネックレス。
車は赤信号で緩やかに止まる。
微笑むと、青が目を細めてこちらを見つめた。
車が動き出したと思ったら、あっという間に着いたらしい。
白い壁の家が目の前にある。藤城家には流石に敵わないが割と良い家だ。
クッキーの箱とバッグを手に車を降りようとすると、先に下りた青が外から手を引いてくれた。
「……何か緊張する」
「ガキが一人いるだけだぞ?」
「私とそんなに歳が変わらないらしいじゃない」
 歳が近いのって親近感。
「お前はガキじゃないって」
青はクスクスと笑い、私の手を引き歩く。チャイムを鳴らすと暫くして、
一人の少年(?)とまだ言ってもいいくらいの年齢の男の子が出迎えてくれた。
「あ、え、いらっしゃい」
狼狽してる姿が可愛いと感じてしまった。
言ったら怒るかな。
「久しぶりだな。相変わらず……」
「な、何だよ」
「想像に任せる」
「なっ」
彼が青に遊ばれているみたいで、可哀相になった。
「初めまして、砌くんだっけ? 沙矢です」
「は、初めまして! 葛井砌です」
ぺこりと頭を下げた彼は顔が真っ赤だ。
「これ、クッキーなの。昨日焼いたやつでごめんなさいね。後で一緒に食べましょう」
笑ってクッキーの箱を渡すと、恐る恐る手が伸びてきた。
「ありがとうございます」
「あ、上がってください。どうぞ」
私の方にだけスリッパが差し出された。あれ、青は無視!?
青は難しい顔で腕を組んでいる。
「お邪魔します」
私の後ろから、青が家の中へ上がっていった。
青より少し低い身長の砌くんの後ろについてゆく。
私と青は、リビングに通された。
「ちょっと待ってて」
砌くんは私と青をリビングに残して廊下の奥に消えた。
「可愛い」
「本人には言うなよ」
「青と一緒で抗うからね」
「一緒にするな」
少し拗ねたような顔が、いつもと違って面白い。
「さすが甥っ子さんというか……どことなく似てる気がする」
「あの馬鹿と俺は違う」
「まあいいじゃない。血繋がってるんだから似てても不思議ないわよ。
あ、でもどっちかというと砌くんはちょっとジャニーズ系で、青は俳優系かな」
ポンと手を打つと、青は苦笑していた。
「はしゃいでるな?」
「楽しいのよ。最近、青を取り巻く肉親の方々にお目にかかって、
今度は甥っ子くんよ。新しい世界を知った感じだわ」
うきうきと顔に書いてあるかもしれない。
「俺だって嬉しかったぞ。沙矢のお母さんに会えてさ」
青は私の手をぎゅっと握った。私はその手を握り返す。
空いてるほうの手で、青は髪を梳き始めた。
優しい仕草にふんわりと心が温かくなる。
顎をふいに捕らえられ、青の顔が近づいてくる。
「せ、青……」
唇が触れ合いそうになった瞬間、ガタンと音がした。
「砌くん」
気づけば、砌くんがクッキーを並べた皿をテーブルに置いていた。
多少、顔が赤い。
「俺は向こうへ行った方がいい?」
動揺している砌くんにどう返せばいいか分からなかった。
「気を利かせるつもりならもっとタイミング見計らえよ」
「ちょ……青。私達が悪いんだから!ここは砌くんの家よ」
恥ずかしすぎる。
「ごめんなさい」
私は言葉と共に肩にしがみついたままの青を突き飛ばした。
「……」
ソファから落ちた青が、呆然としている。
「……沙矢さんって面白いな。せい兄にそんな態度取れるのってきっと沙矢さんだけだと思う」
砌くんはくしゃっと顔を歪めて笑っていた。
クックッとお腹を押さえて笑い続ける砌くんを青は無言で制した。
「えと、このお茶飲んでもいい?」
笑って砌くんに問いかけると、はっとしたような顔で、
「どうぞどうぞ」
と返ってきた。
「砌くんって高3?」
「あ、はい」
「本当に歳近いのね。弟ができたみたいで嬉しい」
「こちらこそ嬉しいです。沙矢さん、すごく綺麗だし良い人だし、こんなタラシには勿体無くて」
「ありがとう……でも最後のは、禁句よ」
「……でした」
砌君はもしかして一言余計なことを口走る性質なのかしら。
青は静かにクッキーに手を伸ばしている。
パクパク食べていて、つけ入る隙がない。
「……ああっ!」
砌くんが残念そうに声を上げた。
私は乾いた笑みを浮かべた。
「砌、食べたかったら自分の彼女に作ってもらえ」
「何で知ってるんだよ、くっ……母さんだな!」
砌くんは慌てふためいている。
「砌くんの彼女ってどんな子なの?」
「……恐ろしいくらい可愛いです」
きっぱりとした口調と表情に私は圧倒された。
「また会ってみたいわ」
「は、是非。あいつ……明梨も喜ぶと思います」
笑い合う。
少し空気和んだかな。
「結婚式、来てね。藤城のお家の方で挙げさせてもらうことになったの」
私は真っ直ぐ砌くんの目を見つめた。
「楽しみにしてます。絶対行きますね」
「しょうがないから来れば?」
可愛げのない青の言い方も照れ隠しだって知ってる。
「……誘われなくても行ってやるからな。
せい兄のタキシード姿、思い浮かべると笑え……」
「……ってえ」
砌くんは青にガツンと頭を殴られた。
「青……」
「笑える。似合い過ぎてって言おうとしたのに」
「そりゃどうも」
歳の近い叔父と甥は不思議な関係。
でも悪い雰囲気じゃない。
「今日はお邪魔しました。楽しかったわ」
私と青の分のティーカップとソーサーを片付けて、砌くんに渡す。
「またいつでも遊びに来て下さいね。大歓迎ですから」
妙に力のこもった一言だった。
「嬉しいわ。またお邪魔させてね。今度はお義姉さんにも挨拶したいし」
「はい」
私は握手しようと砌くんに手を差し出したけど、青に振り払われた。
「またな、今日はサンキュ」
代わりに青が砌くんの手を握ると、彼は一瞬で凍りついた。
青は凄まじい微笑を浮かべている。
「……」
玄関口でロボットのような動作で手を振る砌くんが印象的だった。

そして帰りの車の中。
「なんで握手させてくれないの。酷い」
私は青に訴えた。
「……自分で考えろ」
「ま、いいか。今日は良いもの見れたし」
頭をさっと切り替える。
「お前が満足ならそれでいいんだ」
「嬉しいな。私一人っ子だし兄弟できたみたいで」
「そうか」
「うん……っ」
停止線の所で、青の方を見つめると、唇を塞がれた。
すぐに離れた唇は、熱くて溶けそうだった。
「今日はキスだけでいい」
「ふふ」
だから帰ったらたくさんキスをしよう。
耳元で囁かれてドキリとした。
とても充実した八月最後の日曜日。


モドル ススム モクジ


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