■滅びの国■
−10− 「…………」 矩は今、ラディスの部屋の前に立っていた。 ノーヴァと別れてから、随分と長い間その場にとどまったままだったから、ラディスが今も部屋にいるかどうかは解らない。 閉ざされた扉は厚く、向こう側を窺い知ることはできないのだ。 ノックすればいい――そう思う。 しかし、躊躇いは変わらずある。 二度目だから余計に、入り難いのかもしれない。 (駄目だ、前向きに行くって決めたんだから――) そう改めて決心して、扉を叩く。 ――しばらく待ってみたが、返事はない。 (……もういないのかな) もう休憩の時間は終わってしまったのかもしれない。 そう思い、諦めて帰ろうとした時――。 「やあ、ノリ。君だと思ったよ」 内側から扉が開かれ、ラディスのものとは思えないほどの親しげな口調が聞こえてきた。 「……セイ」 それもそのはず、そこに立っていたのはラディスではなく、セイラードだった。 「ラディスと話をしに来たの?」 「あ、うん……」 昨日、別れた時の微妙な空気など微塵も感じられない、明るい声音だ。 それに何となくほっとしながら、頷く。 「それじゃあ僕はもう行くよ。二人でゆっくり話しておいでね」 「えっ!?」 もう帰るのかと、セイラードを見れば、 「そろそろ自分の部屋に行こうかと思っていたところだったからね」 それだけ言うと、あっさりと部屋を出て行ってしまった。 取り残された矩は、途端に心細くなる。 (セイラードがいるなら、話しやすかったのに) お互い会話するのは初めてだというのに、セイラードとランスロットとは打ち解けて話すことができたから、この場にいてくれればラディスとも緊張せずに話せるのではないかと思ったのに。 しかし、どう思ったところで、セイラードは行ってしまった。 まさか追いかけて呼び戻すなどできないし、やはり自分ひとりでラディスと話さなければならないらしい。 (でも……もともとそのつもりだったんだし……) ゆっくりと扉を閉めて、改めて部屋の中へと視線を向ける。 矩にとっての始まりの場所だ、ここは。 長い間、見続けてきた場所。 昨日、自分が飛ばされてきた場所。 ――ラディスの部屋だ。 そのラディスは、昨日、セイラードたちと話す時に座っていた椅子に座り、こちらを見ていた。 「…………」 目が合った途端、動けなくなる。 喉がカラカラに渇いたようになって、声を出すこともできなくなった。 ここまで緊張しなくても良いのに――まるで昨日の再現のように、固まったままラディスをただ見詰める。 ラディスもまた、逸らすことなく矩を見ていた。 「……座らないのか?」 「えっ」 一瞬、誰が喋ったのか解らなかった。 しかし部屋には自分以外にはひとりしかいないし、何よりこの淡々とした話し方は、ラディスのものだ。 黙っている矩を、ラディスは促すように椅子の方をちらりと見た。 慌てて、ぎくしゃくと近くに寄って、ラディスの向かいの椅子に腰を下ろす。 その動作に微かな音を立てて――そして、また沈黙。 物音ひとつしない部屋の中で、二人、向かい合って座っている。 (折角、ラディスの方から話しかけてくれたのに――) ろくに返答もできなかった自分が情けない。 椅子の上で縮こまるようにして、ラディスの感情の窺えない表情を見ているだけの状況に、居たたまれなさすら感じる。 ……どのくらい沈黙が続いただろうか。 「昨夜は、よく眠れたか?」 不意にまた、ラディスが話しかけてくれた。 驚き半分、安堵半分で、矩は咄嗟に頷いてしまう。 ……本当は、なかなか寝付けなかったのだが。 「無理はしなくて良い。突然こんなことになって、眠れなくても無理はない」 しかし、ラディスにはお見通しだったらしい。 「あ、あの……確かに寝付けなかったけど、全然眠れなかったわけじゃ」 「そうか」 やっとの思いでそう告げた矩に、ラディスは短い言葉を返す。 「…………」 「…………」 そこで会話が途切れてしまった。 (ど、どうしよう……訊きたいことも知りたいことも色々あるのに、何からどう訊けば良いのか……) 会話の糸口が見つからずにいると、 「セイから、大体のことは聞いている。この世界に来た時の経緯や……この国を見続けてきたことも」 またもや、ラディスが口を開いた。 (あ……) ラディスなりに、矩との会話を続けようとしてくれているのだと気付く。 嬉しくなって、何か答えようと思うのだが、言葉が出てこない。 「これからどうするのか――それを話しに来たのだろう?」 勿論、それもある。 しかしそれ以上に、ラディスの心の裡を聞きたい。 その想いの方が強かった。 それでも、いきなりそこまで踏み込むのは――そう思い、まず、この国にいるという意志を伝えようと決めた時、 「アリファルに行くと決めたなら、早いほうが良い。今日にはもう間に合わないが、明日にでもランスに送らせよう」 矩がアリファルに行くものと決めてかかったような口振りでラディスが言った。 「昨日も言った通り、俺には元の世界に帰してやることはできないが、この世界で暮らしていくための手助けならいくらでもしようと思う。アリファルに行く際に必要なものがあれば、遠慮なく――」 「ちょ……俺はまだ何も言ってない!」 勝手に進められていく話を、慌てて遮る。 「……アリファルには行かない。この国に――ヴァリスタにいる。俺はそれを言いに来たんだ」 何とかそれだけは伝えなくては――そんな気分で、必死に訴えた。 「……この国にとどまると?」 矩はきっぱりと頷いた。ラディスをしっかりと見詰めて。 ラディスの表情には変化はなく、内心でどう思っているのかは解らない。 しかしラディスは、矩がアリファルに行くことを勧めているのだから、きっと困惑しているのだろう。 それでも、矩は退くつもりはなかった。 例え、ラディスに、この国にいて欲しくないと思われていたとしても――。 「……そうか」 軽く息をつき、意外にもラディスは静かに頷いた。 「そう言うのなら勿論、止めはしない。しかしこの国は滅びゆく国だ。いずれはいられなくなるかもしれない。それでも良いというのなら――な。さっきも言ったが、俺もできる限りの手助けはする」 (もっと強く反対するかと思った……) ますます本心が見えない。 (……でも、これでこの国にいられる……) 少なくとも、それだけは確かだ。 「……ありがとう」 「……礼を言うことではない」 矩の感謝の言葉を聞いたラディスは、微かに目を伏せ、強い口調で言った。 「言ったはずだ。この国は、この世界で暮らすのには不向きだと。それは良く解っているだろう。考えが変われば、いつでも言いに来ると良い」 (……! それって……) 矩は、俯いて唇を噛み締める。 「……結局、ラディスは俺にアリファルに行けって言いたいんだ。それなら、はっきりそう言えば良いのに……」 矩の意見を通すようなふりで、そんな釘を刺すようなことを言うラディスに苛立つ。 「そんなつもりはない。事実を言っただけだ。この国にいたいならいれば良いし、考えが変わればそう言えば良い。それだけのことだ。……この国に関わる人間を増やしたくないとは思っているが……」 「なっ」 ――この国に関わる人間を増やしたくない? 今度こそ、はっきりと頭にきた。 「俺はもう十分、この国に関わってるよっ」 バン、とテーブルを叩いて立ち上がり、怒りのまま叫ぶ。 「セイから話を聞いたなら知ってるはずだ! 俺はずっと……!」 その後は言葉にはならず、矩は、ラディスを見ることなく部屋から飛び出してしまった。 (俺はもうずっと何年も……長い間、この国を見てきたんだ……この国と関わってきたんだから……!) そんな思いが溢れて止まらなかった。
2006/03/03
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